2013-05

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チビ孫は大忙し

 ダブルダッチの世界大会に出場するチビ孫と母親はこのところ、とても忙しく学校から帰って来ても、直ぐに何処かに出掛けるらしく、我が家に現れてもほんの数分、長くても20分ほどで帰って行きます。
 聞きますと日本チームは総勢35名で一緒に出発するそうです。
 団長、コーチそれに選手、保護者ですね。
 偶然同じマンションの別棟に住む方のお孫さんも日体大のチームの一員だと知り、驚きました。
 その日体大のお孫さんは都内在住だそうですが、マンションに住む祖父の方は過日の大会に駒沢まで応援に行かれたそうです。
 孫も頑張っていますが、大学生のチームとなりますと、それはそれは凄い早さと技だそうです。

 チビ孫は5月10日にアップしましたように「イースト情報」で紹介されました。
 今回 新たに地域新聞我孫子版でまた取り上げて下さいました。

       地域新聞

 取材をされたと言うことは聞いておりましたが、ダブルダッチに付いて可なり詳しく紹介されています。
 画像を大きくして見て頂いても、良く読めないかも知れませんね。
 お婆さんはこの位でしか入れられません。ご免なさい。
 
 出発は6月12日 帰国は19日 私の思いは勿論良い結果を期待しておりますが、試合のあるその日まで体調維持に気を付けて、怪我をしないようにと、そのことが今一番の強い願いです。
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糟烤鶏肉

 紅糟を使いチャーシュを焼き、残りの漬け汁をスペアリブに利用しました。
 そしてその漬け汁の残りを使い、三度目の総菜を作りました。
 名前は勝手に中華風に付けましたよ。
 
          「糟烤鶏肉
 
 一昨日鶏肉腿一枚を買いました。夜寝る前に三度目になる漬け汁を良く摺り込んで冷蔵庫に置きました。
 昨日の夕食用に、魚焼きグリルで焼きました。

 味が薄くなっていましたが、とても柔らかく、それでも二人では食べ切れず、今日の昼食にはラーメンの具にして食べ切りました。
 三度目となりますと、塩分を補充した方が良かったと思っております。

        紅糟烤鶏肉

 これに添えた玉ねぎですが、淡路島から取り寄せた新玉ねぎです。風通しの良い所で保管しております。
 食のブログを書いている方や、食事作りのベテランの方にとっては言わずもがなのことですが、オニオンスライスに付いて生産者からのレシピが届いておりますので、記して置きます。
 多分これって自分の為に忘れないようにと言う意味合いがあるかも知れませんね。

 オニオンスライス 包丁で切ってもよし、スライサーを使ってもよし、ポイントは絶対に水にさらさない!!
 できれば、夕食のためにお昼過ぎに準備して下さい。3時過ぎに一度まぜ(裏表をひっくり返して下さい)
 食べる1時間ほど前に冷蔵庫へ・・・あとは、塩コンブ+かつお節+ポン酢少々か醤油でど~ぞ!!
 (馬路村のポン酢がおすすめですょ!!)
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孫を驚かしちゃった

 何時もパソコンでお世話になっています若い男性と私 二か月ほど前からチャットで簡単な連絡をしたり、聞いたりしておりました。
 朝 彼が仕事を始める頃、チャットの合図が立ち上がりました。簡単な言葉「お早うございます。今日も頑張ってね」などと送ります。それが最近何だか方法が複雑になり「何だか難しくややこしいわね」と言うことからそれを止めてスマートフォンで出来るLINEを使うことになりました。パソコンのない所からでも送れますね。
 でもそうするには私が出来なければ駄目ですね。そこで何時もの通り、お願いして設定を全部組んで頂きました。
 直ぐに私が使えるように設定して下さいました。良い身分でしょ。
 お婆さんだから許されるのかしら。有難いですね。
 日進月歩と言う言葉を実感しますね。動きは本当に早いですね。
 
 「最初に誰かに送って見て下さい」と言うことで先ず長女の娘に送って見ました。
 
 私 「いまお昼だけどなにを食べていますか」 
 孫 「え!バーバLINEはじめたの うちは 今は学校だよ
 私 「初めてだよー
 孫 「ばーば すごいなー

 と言うことで孫を驚かせました。そしてこれは孫と青年パソコン先生とにしか使っておりません。
 
 短い言葉を送るのですが、その時にスタンプを押して送りますと、とても気分が分かり楽しく感じます。
 例えばこのスタンプです。

        スタンプline

 何だか嬉しいな~ 待ちどおしいな~と言った感じに見えますね。スタンプは色々とあるのですよ。まだ使うチャンスはそうありませんが、これから楽しみです。
 
 
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ムニエル4点

 私のブログは対象がグルメや食べ物では無いのですが、外出もしなくなり、また外食もあまりせず、着る物も新調せず、外の空気に疎くなっているからでしょう。自然に食べ物の話題が多くなって来ておりますね。
 
 老人を自覚しましたのは後期高齢者の保険証を受け取った時でしょうか。それでも「ええ?私老人?」
 感覚的にはそれよりも遅くに感じたようです。強く感じたのは一昨年の秋頃からですね。
 食は細くなり、油脂を多く使った物は余り食べられなくなって来ています。胃が特に小さくなったと言う気はしていないのですがね。
 それでも時々は何か脂っぽい物が欲しくなります。偶にスーパーやデパ地下でヒレかつ1枚なんて買うことがありますが、家ではパン粉を使う揚げ物は滅多にしません。それでムニエルですね。
 魚屋の小父さんが見せて呉れる中で、気に入った物を使ってムニエルにします。
 魚の骨を嫌う夫もムニエルは気に入って食べて呉れます。最近のムニエルですが、美味しかったですね。

     カサゴ丸ムニエル  鰆のムニエル


     チリ産サーモンムニエル  金目ムニエル

 ムニエルの良い所ですが、普通は骨を綺麗に取り除きますね。骨を気にせずに食べることが出来ます。
 油は少し、バターも香り程度。使いきりと同じですね。フライパンの始末も楽です。
 こうしてチョッと愉しんでいます。自家製握りと合わせてね。そして残り物を出します。
 二人の夕食はこんな物です。
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色々作りたい

 何かと美味しいものを見せて下さるいその爺さん 
 先日は横浜中華街の有昌の叉焼を自作、ブログ上に紹介されていました。
 
 昔はと言いますか、旗袍を習い始めた頃から、ニューグランドホテルのアーケードに良く行きました。
 そこには鐘紡が旗袍に似合うようなシルクの生地を置いており、そこに行き、眺め、買いそして中華街へと行くのが定番コースでした。食事は四五六菜館 その後は重慶飯店での中華菓子と中国茶で一休みしたものです。
 市場通りでは中国語の歌のテープを買ったり、また有昌で叉焼を買い、中華街を後にしたものです。
 それも50代半ばまででした。今は映像で眺め、ブログを覗いたりですね。

 でその有昌の叉焼を作るに必要な物は紅糟なる中国の醤ですね。見た途端作りたくて作りたくて、その紅糟を探しましたが、どうしても見つかりません。
 それが私を憐れんで下さったのか、いその爺さんから差し上げましょと連絡を頂きました。遠慮なく頂きました。これがお婆さんの癖 いその爺さん有難うございます。

 叉焼を作る肩ロースですが、国産のがなかなか下のスーパで出ていません。やっと切って貰いました。 
 それからいその爺さんの手順に倣い作りました。仕込んでいますとちゅんごさんが作っています。
 ちゅんごさんは先ごろ我孫子に来て下さった前夜いその爺さんと一献傾けていられました。 

 さあ 私のはと言いますと、自分の予想よりは良く焼けました。昨夜美味しく食べましたよ。ただ有昌のに比べますと私のはチョッと固くなりました。有昌のは長さも太さもあり将にプロの味ですね。

     チャーシュー2  チャーシュー3

 叉焼は2回焼きましたが、醤が出てきていますし、これを使わず捨てるのは惜しく、スペアリブを一晩漬けて置きました。そして今朝圧力釜で蒸して見ました。

              スペアリブ

 これが意外に美味しく、肉離れも良く、排骨麺に持ってこいと言う感じになりました。

 これを何時もパソコンを教えて下さる若い方に話し、そして試食して頂きました。そしましたら早速欲しくて堪らなかった紅糟が買えるアドレスを探し、注文ができるようして下さいました。
 
               紅糟瓶

           中華食材専門店は萬勝商事です

 注文は電話かFaxで買うことが出来ます。
 これから何を作りましょうかね。 娘に新シリーズって言われそうです。色々と作りたくなっていますよ。
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包丁を新調

 東京に出て来てから65年 ず~と食事は自分で作って来ました。その間何本包丁を使い料理を作って来たでしょうか。
 思い出しますと、菜切りが一番多く使い、次は鯵切りでしょう。今はいろいろと持ち使っています。
 日常の中では矢張り私は菜切り包丁が一番ですね。
 以前にも書きましたが、菜切りと一口に言いましても、自分に合った物でないと何だか気になります。
 昨年夫が買って呉れた菜切りは取っ手の太さも切れ味も気に入っておりました。
 
 それが私のうっかりが刃を曲げて仕舞うようなことになって仕舞いました。未だそう経っていませんし、切れ味も悪くはありませんので、何とか使っておりました。
 この季節になりますと、ママレードや胡瓜の佃煮等を作るには包丁は大事なんですね。そこで思いきって菜切りを新調しました。

     包丁  包丁ケース

 この包丁は国産です。研ぎも一緒に買いました。売り場はアマゾンです。自分で出掛けられませんから、生活用品や消耗品などは最近は専らアマゾンです。早いんですね。
 昨日も墨汁と浮粉が届きました。

 一昨日 これもうっかりですが右手親指の筋を痛めて仕舞いました。食材を切るのにこの菜切りを人差し指と中指で持ち、何とか作っております。
 昨日大腿部の治療で病院に行き、親指も診て頂きました。塗り薬と痛み止めを頂きましたが、痛み止めは飲まず、塗り薬で大分回復して来ました。キーボードは親指を使わなくても用が足ります。
 たった一本の指でも時にはとても困りますね。詳しくは書けませんが、いろいろと起きますよ。
 昔 仕事で大量の資料を書くのにボールペンを使いました。今のような多様な物はありません。職場のお仕着せのペンです。固かったせいか、右親指のけんしょう炎になりまして、2か月ほど指を固定して過ごしました。
 これは本当に困りましたね。
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ちょいと鮨

 50年ほど前 町に数軒しかない鮨屋  その内の一軒の鮨は酢飯も甘く、種も握りも大きく、それが良いと、それなりの繁盛をしておりました。
 半農半漁の町と言われていましたが、魚は純漁村のように街中至る所で見ると言う程ではありません。
 
 昔 鮨と言えば家で作る干瓢巻きですね。握りも作ることは作るのですが、先ず酢飯を握りにします。
 大きな握りの上に大きな魚を載せます。唯載せると言うだけです。
 
 五目鮨も作りますが、洒落たちらし鮨のような物ではありません。鮨飯に人参、蓮根、椎茸等の甘く煮た物を混ぜるのです。素朴な味ですね。後はいなり鮨ですね。
 細巻きの巻き物を初めて見た時、何て洒落ているわいな~と思いましたが、大した物ではないと分かり、魅力は感じませんでしたね。今も細巻きは余り食べません。
 
 今は専らと言ってもいい程自家製の鮨です。種はそれ用のではありませんから、組み合わせはあっても単純な物です。種は夕方に安く買うこと屡です。週に3,4回は自家製ですね。
 カウンターがありませんので、ここに出しましょう。注文に関係なく勝手に出しますよ。皿はこれ全て二人前です。

      中おち漬け握り  ヒラマサ握り

      鰹握り・うに軍艦  寄せ集め丼

      鱸・バチ握り  ホタテ丼

 写真を見て気が付きましたが、どの皿にもガリが見えませんね。ガリも自家製で作ってあります。
 時々自分でも添えなければと思うのですがね。ま良いかって。
 物臭になりましたね~
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林さんの青島廻り 5

 明治大学経営学部の郝燕書教授は季刊明治58号に「中国の美しい海浜都市ー青島」と言う一文を寄稿しております。チョッと抜粋して紹介して見ましょう。
 
 青島市は、ドイツ人が100年前に植民地として建設した港町で、1915年に第一次大戦でドイツが敗戦国となって後、日本が一時占領したこともある。その町並みは、ヨーロッパ人がかってここに集まって居住していたこともあり、東西文化が見事に融合している。
 赤い屋根にレンガと石の家・緑の山・長い海岸線・碧い海など。その美しい風景を「碧海青天、不寒不暑:緑樹紅瓦、可舟可車」と称賛する詩が今日に伝わっている。

 郝燕書教授は研究者でもありますから、道教に関することや、青島に滞在した著名人等に付いても触れております。また青島の著名な企業の紹介、更に青島の産業への期待なども記されております。
 林さんも光学関係の仕事をしておりますから、また行かれる時にはきっとそれらのことにも触れられることでしょう。
 
 その 5
        青島駅の待合室
         
        青島駅待合室


    飛行機に乗る時と同じように、各列車は専用の乗車ゲートがあります。
    発車の約15分前に改札口がオープンされます。

        青島駅ホーム

   昔のような見て唖然とする混乱状態はもう見えません。
   ちなみに、中国の動車(新幹線)は全車指定席です。
    相子注 林さんは日帰りで山東省の首都斉南市まで出掛けました。

   4日目

   青島「南京路小学校」附近の住宅地
   なんとなく台北のうちの近辺に似ているような感じです。(相子 そうですね)

       青島南京路住宅街

      住宅地の中の朝市。   搾りたての移動式羊乳屋

   青島朝市  青島移動式牛乳屋

  現地流に朝食をしましょう。 店の中は暗かったですが。

       青島朝食店

油条」があるのに、「焼餅」はありません。
大好物の「焼餅・油条」にはなりませんでした。 結局、わけのわからない揚げ物を薦められました。

       青島油條と揚げもの

 豆乳も売り切れといわれて、このような「豆花」 を薦められました。

       青島豆花

 食器を汚さないように、ビニール袋を上に被せます。 醤油味で上に香菜、何ともいえない妙な味でした。
 この組み合わせで人民幣3.5元でした。

  青島も例でなく郊外に拡張しつつ、 建設ラッシュが続いています。

       青島ビル群

    帰りの空港に向う途中の高速道路風景です。

       青島空港への道

 中国の他の空港で見たことのない出発ロビー風景です。
 どのような人が考え出したアイディアでしょうか。

       青島空港出発ロビー


 相子一言 林さんの青島廻りは5回で終わりました。青島ビールを存分に飲まれたことでしょう。
 青島の風景はどんどん変わりつつあります。私も出来れば訪問したいと、何時も心の中で「行きたいよう」と叫んでおります。
 青島の建物を昔と今とを比較し画像をアップしている方がおります。興味はございましたら→ 赤い☆をクリックしてご覧ください。



 
 
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林さんの青島廻り 4

 青島のことは北京や上海と比べ、余り知られておりませんね。勿論北京も上海も様々な面で気をそそられます。
 北京にも上海にも行きたいとは思いますが、やはり青島には行きたいですね。
 1940年(昭和15年)この頃の青島は街の治安も良く、子どもの一人歩きにも何も問題はありませんでした。小学生は皆徒歩通学で、集団登校もありませんでした。
 
 資料によりますと、1940年の在留邦人の数 
 男性 15628人 女性 13055人 
 戸数 7732
 
 現在の在留邦人は3000人余 
 青島での一人当りのGDPは約12000ドルだそうです。

 林さんの二日目は市内の観光だったようです。

 その4 

 青島駅
 
 新幹線と在来線が共用しています。

      青島駅  青島駅1940年頃

               駅から見た街風景です。

               青島駅前風景

 駅前にあるパトロールカー 警察もイメージチェンジに工夫していますか。

      青島駅前パトロールカー1  青島駅前パトロールカー2

 東海西路を挟んで見た「五四広場」、向こうは海です。

               青島五四広場夜景

 「五四広場」から見た高層ビルの夜景です。 (この時は一眼レフのカメラがほしいですね)

      青島高層ビル夜景  2010年9月五四広場

 相子の一言 青島駅は聞くところによりますと、駅舎は以前の姿をイメージ出来る物ですが、発着は全て地下からになっているそうです。これは街の景観からも良いですね。私はこの駅から列車に乗ったのは、唯一回だけ。
 6年生になった同級生はここから北京まで行きました。何だか今にして考えますと、無事に安全に北京往復が出来たことが不思議な思いをしております。戦争をしている最中、相手国の線路を使っていた訳ですね。
 五四広場は北京オリンピックのサブ会場として整備された広場です。
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感激の一時間

 今日は青島羊会という会の懇親会が開かれました。
 中国青島の小学校を昭和19年3月に卒業、また同じ学年で学んだことのある者の集まりです。
 今年は会が出来て40年と言う節目?
 その会合に出席する為にソウルから来日した金さん
 私が欠席と分かりましたら、会いに来て下さると言うのです。
 昨日成田着 昨日は都内で旧知の方々とお会いになったそうです。
 今日の会合の前に柏まで足を運んで下さりました。
 
 夫と私は柏駅でお待ちしました。夫は随分前に彼と会っておりました。そう1989年ですから、24年ぶりです。
 彼が日本に出張で見えた時、日本語が流暢だと言うことで、日本の取引先の会社社長が「日本語が上手ですね」と仰ったそうです。「小学校を中国の日本小学校に行っておりましたから」と答えますと、偶然そこの会社に青島羊会の仲間の方がいたのです。
 当時私がお世話役をしておりました関係で、そのことはいち早く私に知らされました。
 早速連絡を取り、以来交流をしております。
 
 大分前彼を訪ねてソウルに行きました。途中慶州のホテルに電話が入り、彼が中耳炎で入院と言うことです。
 引き返すわけには行きませんから、とに角ソウルに向かいました。ツアーではありませんから、全てフリーです。彼の奥さまがソウルを案内して下さいました。彼の運転手さんも気持ち良く一緒に走って下さいました。
 忘れ得ぬソウルの旅となりました。勿論ソウルの病院にお見舞いにも行きました。

 柏高島屋のリビエラで開店早々座り、夢中でお喋りをします。夫は24年前、檀国大学に明大職員の野球部に付き添い半ば観光気分で出掛けたのです。その時にソウルで彼の家で接待して頂いたのです。そんなこともあり、今日は私たち夫婦と会話が弾みました。
 
 時間が一時間と言う限られた中ですが、話題は次々出て参りました。アッと言う間と言う時間ですのに、とても長い時間を過ごしたような充実した時間でした。
 
 午後の会は無事に終わったそうです。彼と会で会い、喜んだ桜島さんから、会の終了後直ぐに電話が入りました。
 桜島さんはブログに良くコメントを書いて下さいます。メールでの交流は良くあります。彼ら二人は小学校のクラスメートなのです。

        金さんと桜島さん

 前列中心に座っている金さん 前から二列目の一番左が桜島さん 二人も良くメール交換をしているそうです。パソコンは役に立ち、また距離を縮めて呉れます。
 
 今回私は欠席ですから、彼と夫と三人で記念に写真を撮り合いました。それはホルダーに仕舞い、別の若き日のツーショットの一枚を載せて置きます。

          金さんと相子

  彼 金景珍さんはとても元気です。姿勢も良く、充実した生活を感じさせておりました。この写真と変らないような感じにすら見えたのです。
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林さんの青島廻り 3

 青島は街作りの基礎がドイツによってなされ、今日私たちが耳にする言葉「インフラ」が整っていました。
 そのインフラのお陰で、子どもの頃トイレは水洗式。日本での汲み取り式を知っていましただけに素晴らしいと感じたことです。最初の家では浴室にトイレと陶器の四足のバスタブが据えられており、何だか落ち着かない気分になったものです。
 

 林さんの関心は何でしょう。

 
 その3
 
 徳県路にある洋式の建物現在は病院として使われています。

         青島徳県路病院

 天主教堂隣の小学校。 皆は表情が明るいと感じます。

         青島小学校

 洒落な店が集中している中山路です。

    青島中山路  青島山東路1940年


 真ん中の赤い車は何かおかしいと思ったら、車輪は三つしかありません。
 車か、三輪車か暫し定義に悩まされました。

         青島赤い三輪車

 これも、中々よく考えた道路「掃除車」ですね。

         青島道路清掃車


 相子の一言  中山路(旧山東路)昔は青島のメインストリートでした。両脇に並ぶ店舗の名前もオシャレな洋式の店が多く、滅多に行くことはありませんでしたが、ベニス商会の傍を通るとコヒーの香りが漂っていたりしましたよ。 
 日本人の商店が並ぶ中の町(聊城路)には文具屋があり、時々学用品を買いに行きました。2005年12月その通りにありました、テ―ケ―商会の場所を探しに行きました。お友達の家の洋品店です。ウインドーに飾れられていた物がとてもモダンだったのです。そこは中国銀行の大きなビルになっておりました。

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林さんの青島廻り 2

 1940年にジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本國際観光局)が刊行した青島と言う冊子
 それには当時の青島の観光のことばかりではなく、歴史的な内容も多々含まれております。また産業や人口等多岐に亘り記されております。
 私の手元にある物は2000年に復刻された500部の中の一冊です。
 その「青島」で青島の景観に触れた所を抜粋して掲載しましょう。

 「市街は有名な嶗山山脈が海に接して作る花崗岩質の起伏の多い小半島上に発達し、三面に海を環らし木々緑濃く、船で来た旅人の凡てが、嶗山を右手に見て船が青島の前面に入ると、山と丘と平地に、赤瓦の屋根が或いは高く或いは低く、白黄、黄灰、色さまざまの壁が緑を織りこんで建ち並んで居る様は新しい龍宮が出現したかと思う程である。」

 私はその船からの風景に心を奪われ、あの時の感動は忘れ難いものの一つでもあります。

 林さんの青島はどうったでしょう。
 
 その2

 八大関エリアです。
 ここは、路上駐車以外は多分昔のと変わらないでしょう。

      青島ハ大関  八大関の海岸

 基督教堂
 ユニークな建築で、まるで童話世界の建物です。

               青島基督教会

 中山路側から見た天主教堂です。
 道路及びその両サイドの建物は 最近できたもののような感じです。
  
       青島天主経堂  青島カソリック教会1940年頃

 左上のは林さんが見て来た教会 右は1940年に発行された写真集からの教会 

 相子の一言 2005年に行きました時、八大関の通りはこのように緑が多く、静かな佇まいでした。青島では道路の片側は駐車場として使われているそうです。八大関の海岸には新婦がウェイデングドレスを着たカップルがプロのカメラマンを従えて記念写真を撮りに来ておりました。昔この地区には欧米人が多く住んでいましたね。
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林さんの青島廻り 1

 先ごろ我孫子まで訪ねて下さった台北に住む林さん コメントで青島へお出掛になられたと知りました。
 私は元気であれば毎月でも行きたい位なんですが、簡単には行きませんので、林さんに今回の旅の様子を教えて下さいとお願い致しました。早速に見聞を送って下さいました。何回かに分けてアップしましょう。
 とぎれとぎれの連載になりましょうが、興味と関心がございましたら、目を通して下さい。

 その1 
 青島といますと、一般の台湾の人はすぐに青島ビールと連想しますが、東南沿海都市と比べるとそれほどなじみの深いところではありません。

 今回は5月1日のメーデーと有給休暇を利用して 義弟と友人3人で本場の青島ビールと洋館探訪を目当てに青島の旅をしました。

 台湾からは週に4便の直行便が出ています。 一日目は約2時間余りのフライトで青島空港に到 着しました。
昼下がり南京路にあるホテルのチェックインをした後、早速青島ビール博物館へ足を 運びました。
ビール博物館見学後、その近辺の市場で魚介類を買って屋台のような飲み屋に調理してもらって夕食を済ましました。
 二日目は中山公園、八大関、基督教堂、天主教堂、 青島駅、五四広場、香港路界隈の飲食街等を一気 に回りました。
 三日目は青島から新幹線で日帰りで済南に行って きました。大明湖という歴史的な湖を訪ねるため 済南まで足を伸ばしたわけです。
 四日目は南京近辺の住宅エリアを散策した後、スーパーに行ってお土産に青島ビールを買ってから空港に向いました。

 それでは、写真を以って今回の旅の感想をお送りします。

青島流亭空港

 近年新しく作り直した中国の地方都市の空港ターミナル はこのような外観の作り多いです。モダンなイメージを 感じます。

        青島流亭空港

山東大饅頭

 空港の近辺にある食堂の饅頭です。 台湾でも山東大饅頭は有名です。 山東出身者が作った大饅頭でも 大きくて肉まんの2倍程度ですが、
これは本当に想像に絶するほどの大きさです。 やはり本場はすごいです。

        山東大饅頭


青島ビール工場

 青島市登州路にある青島啤酒工場です。 啤酒博物館もこの敷地内にあります。
ここは青島ビールの発祥地で、第1工場だそうです。
青島の別なところに第2工場があり、同じものを 生産していますが、どうしてもメードイン第1工場に拘る人がいるそうです。その後空港の免税店で漏れ 聞いたところによれば、缶底に記載してある製造番号に生産工場の区別が潜んでいるそうです。製造番号のとこかに「1」があると第1工場生産だそうです。
 ちなみに、台湾にも青島啤酒を生産する工場があります。 台湾市場向けの委託生産ですが、味は本場青島のと全然違います。

       青島ビール

 青島ビール博物館見学後、タクシーの運転手さん の勧めで、2キロ程歩行して営口路近辺の屋台式 のビール飲み屋に行きました。
適当に市場で買った魚介類を持ち込んで調理してもらえるシステムです。それに 青島生ビール、大満足でした。

          青島屋台の林さん

 代金を払えば調理してくれる屋台が 軒並んでいる路地。

       青島屋台街

 相子 青島ビール工場に行きますと、見学ルートがあり、工場の中にバーがあり、軽くビールが飲めます。
見学が終わりますと、最後のホールには舞台もあり、見学者は自由に出来立てのビールが頂けます。
 林さんの一日目は終わりましたね。
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お鮨お鮨やっぱりお鮨

 暫らくお鮨をアップしませんでしたら、次に使うホルダーに溜まっています。
 他に準備する画像を並べるのに、賑やか過ぎて仕舞いました。
 何時ものアップよりは多いのですが、握ったり載せたりしたのを並べます。
 画像を指しますと魚は何かと分かります。良く見て頂くには画像をクリックして下さい。
 大きくなります。素人ですから、ご飯粒が付いていたり、不揃いですが笑わないで下さいね。
 
     いさぎ握り  バチ中落ち丼

     ミル貝握り  鮪トロ握り

     鯛・カンパチ・バチ握り  鯛・カンパチ握り


     鮪切り落としづけ  鱸とメジ

 このところ薬との関係でノンアルコールビールにしています。どうもチョッとと言う感じです。
 
 魚屋の小父さん「飲んでしまえば」 「駄目よ」
        「真面目なんだね」 「私はね真面目なの」
        「そうかい そんじゃ我慢しな」 「そうそう我慢よ」
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頂き物

 頂き物は嬉しいことの一つ 若い時は付き合いでの集まりやまた色々な会合も多く、何かと頂き物がありました。
 頂き物は役得などではありません。
 今は現役の時とは違い、頂く物は個人的なお付き合いでの好意の籠った物です。心を頂くと言うことですね。私は素直に頂くようにしております。
 最近頂いた物をチョッと紹介させて頂きますね。

        蕨昆布ジメとホタルイカ

 上のホタルイカは目など綺麗に取り除かれています。そのまま山葵醤油などを付けて頂けます。蕨の昆布ジメとは初めてですが、それ以上に驚いたことは、魚以外でも昆布ジメが出来ると言うことですね。昆布ジメの独特の微かな香り。とても美味しく頂きました。(沢山頂いています)

        月餅2種

 最近中国では日本と同じく核家族が増えて、過ってのような大きな月餅は少なくなっているそうです。最も中秋に贈る月餅では物凄く豪華な大きい月餅もあるようです。中国青島のジャスコで買った月餅は量り売りの物もあり、小さな月餅をあれこれ選んだものです。その時の話題ですが、月餅の中に高価な物を入れて、しかるべき人に贈り、自分への見返りを現すことが良くあり、頂いた人がそのまま他所に回し、それがまた自分の所に回って来た等と言う笑い話も聞くと言うのです。
 さて上の厚い月餅 重さは一つが約180g 切ってからでないと食べられませんね。手に持ちますと手の平にヅシっと感じます。上等な月餅ですね。見るからに美味しそうです。

        洗剤入れ

 上の洗剤入れですが、上の蓋の白い所を開けて先ず洗剤を入れます。そして赤い部分を押しますと、洗剤がブラシの間から出て来ます。これはとても便利です。
 どうも家事下手は私は家の中での様々なことに知恵が回りません。
 この洗剤入れで一番助かったのは台所のシンクの排水口の掃除です。汚れやカビなどを落とすに、今までは歯ブラシで擦り、また洗剤をスプレーで吹きかけていました。それがこのブラシで大きく中を擦ることができます。
 下さった方の説明では、ブラシが広がって来たら、浴室でのタイルの目地を擦るのも良く、更に傷んだら運動靴を洗う時に使うのも良いですよ。とのことです。
 
 この洗剤入れをテーブルに置いた時、チビ孫が丁度やって来ました。見逃す筈はありません。
 「ばーば これなにするの」 「洗剤を入れて、台所で使うの」
 「やる やる やらせて」 「じゃーこれを擦って見て」
 まな板の汚れを落とそうと思っていました所ですから、まな板を擦らせました、何しろ力持ちですから、擦るのも力が籠っているのでしょうね。忽ち真っ白になりました。
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我が家のホットニュース

 チビ孫のダブルダッチも益々気が入り、頑張っております。
 私はユーチューブでのチビ孫の姿を毎日一回は眺めております。特にパフォーマンスは子どもらしい姿で、可愛く感じるのです。ところがスピードの方の姿は実に訓練の凄まじさを見せているような感じがします。
 
 このチビ孫 何しろ母親の胎内にいる時からその動きが激しく、先生にこんな子は初めてだと言わしめた程です。
 
 小学校5年生になりましたが、最近は随分と大人しくなっております。3,4歳ころから外遊びに興味があり、子どもターザンと言っても可笑しくない程の活発な幼児でした。母親はチビ孫に良く付き合い、興味を共有し、また話を良く聞いてやっております。

 今日はこの辺(我孫子市・利根町全域・印西市の一部)に無料で配布されています「イースト情報」でダブルダッチの紹介がありました。紙面でスポットライトとして取り挙げ頂きました。

        えりかイースト情報

 チビ孫の顔写真は運動会などで見せる、頑張り屋の表情と違い、大人しく見えます。
 アメリカのコンテストに行くのですが、きっと良い経験になることでしょう。

 先ごろチビ孫をユーチューブで見るというタイトルで実際の様子を載せていますが、上から2行目の赤字をクリックして頂きますと前の所に入れます。その前の「ここ」と言うのと「皆跳」と言う赤字をクリックして下さるとダブルダッチで頑張ったジュニアーグループの姿を見て頂くことができます。
 興味がございましたら覗いてみて下さいますよう、お願い致します。
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お花が届く

 昨日午前に宅急便のチャイムが鳴りました。いろいろな物をネットで買ったり、また取り寄せの注文をしたり、知人からの頂き物もありますので、そのチャイムは何処からの物かは見当がつきます。
 昨日のは一件は分かっておりましたが、もう一つは分かっておりませんでした。分かっていた分は早くに着き、中も確認出来ておりました。

 玄関に入れられた箱は背も高く、箱からは何だか想像も出来ませんでした。部屋に運び送り主を見ますと、亡きクラスメートの奥さまから送られてきた花の鉢植えです。

      花

 どうして?誕生日を知っている訳ではないだろうに?さっぱり分かりません。
 直ぐに電話をしましたが、繋がらず夕飯時にお話をすることが出来ました。
 「お花を頂きましたが?どうなさってのことでしょうか」
 「ええ!もう着きましたか。母の日に合わせてと思ったのでが」
 「それでどうしてお送り下さったの?」
 「何時か前に書いて頂き、お爺ちゃんもとても喜んでいると思っております。それで有難いと感謝しており、送らせて頂きました。あの豆まきの時は本当に喜んでいましたから、それを書いて下さり、とても嬉しく思っているのです」
 「そんなに喜んで頂いていたとは、私も嬉しいですよ。1年生から同じクラスで、仲良しさせて頂いておりましたから、思い出は沢山あります」

 彼 伊藤豊人さんは大人の風格があり、秋田出身でお酒が大好き。学生の頃は新宿の武蔵野館の近くの飲み屋に何回かご一緒しました。そこで秋田の味を教えて貰ったと言えましょう。

 奥さまとは2回お目に掛かったことがあります。一回は茂原に日産の車を買いに行き、一泊お世話になりました。もう1回は、彼が網膜剥離で駿河台の日大病院での診察を受けに来ました時 ご夫妻で学校に寄って下さったのです。

 昨日の奥さまのお言葉でブログが長く記念として覚えて下さっていると言う嬉しさと、また彼があの豆まきのことを、どれほど喜んで下さったかを知り、感慨深くしたことでした。
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鯖を捌く

 一昨日の夜 チビ孫と二女がやって来ました。
 「ばーば これを貰って来たので、お料理を作って!」と鯖を下げています。
 二女の話しによりますと、チビ孫のダブルダッチのお友達 けんちゃんのお父さんが釣って来たので、練習で集まったチームのメンバーに下さったと言うのです。けんちゃんはチビ孫と縄を回す大事なお友達です。
 そして二女の言葉「けんちゃんのパパはばーばのブログを見てて、お料理が楽しみだって話しているよ。だから何か作ってブログに載せてね」と言うのです。
 この言葉 効きますね。昨日は朝食後直ぐに下準備を始めました。鯖の生き腐れと言われますから、出来るだけ早くと台所に立ちました。
 まず2尾の鯖を下ろし、作る料理を考えて切り、塩を振りと、しましたよ。
 けんちゃんお父さんに見せないといけませんね。釣りをなさる位ですから、下ろし方は省きます。

           ま鯖・ごま鯖
 
 上の鯖は手前がゴマサバ 奥のがマ鯖です。以下に作った物を掲載します。
 料理はプロででもありませんし、お料理上手な方々とは比べないでくださいね。

     サンが風  味噌煮

 左のは皮を剥いだ身を叩き、生姜と葱の微塵切りそれに少しの味噌を加え、まとめて少々油を引いたフライパンで焼きました。紫蘇の葉を片側に張りましたが、両側に張った方が良かったと思っています。鯖を見えるようにとしましたが焦げて仕舞った不様な物になって仕舞いました。鯖の嫌いな夫もこれは大丈夫と箸をだしましたよ。味はよかったです。
 味噌煮は浅い鍋に水、砂糖と酒を入れて沸騰させます。そこに鯖を入れて煮始めます。煮えて来ましたら、その鍋から汁を取り、味噌と良く混ぜます。鯖が煮えたら味噌を掛けて仕上げます。

   竜田揚げ  炙り〆サバ

 竜田揚げはごく普通の方法です。白子がありましたので、それも一緒に揚げました。それは手前の二本です。
 炙り〆鯖は美味しく、禁酒中の私はチョッと残念。これは予想以上に美味しかったです。

 この作った物をチビ孫の所と分けることになっておりました。丁度夕飯を食べ始めた所にチビ孫母子が受け取りに来ました。
 「ばーば ブログに載せた?」「チョッと前に出来上がったのだからブログは明日ね」
 
 今日は学校から帰って来る前にこのことをアップして置かなければなりません。大丈夫でしょう。
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行き過ぎは問題

 中国の習近平党総書記は今年の1月下旬に食べ残しを改善するように指導したそうです。
 先ごろニュースを見ていましたら、中国での食べ残し量は(残飯)は2億人の人の年間分に当たるそうです。
 中国ではもて成しに食べ切れないほど出すのが習慣になっていることは、子どもの頃から聞いておりました。
 そのこともありましょうが、官職にありながら接待を受け、高級な料理を食べていると言う現実がそこにあると言うようです。もて成す側の内容はどんどん豪華になり、その風潮は一般の人にも広がっているようです。
 接待は贈収賄に繋がりますね。中国は今この贈収賄撲滅に取り組んでいるようです。
 
 その中国の食の話から 老師は下記の言葉を教えて下さいました。


   鋤禾日当午
  汗滴禾下土  
  誰知盤中餐
  粒粒皆辛苦
    
   
   鋤をとって、稲を耕しているうちに、正午になりました
   汗が滴り落ちて稲の根元の土にしみこんでいきます
   お椀の中のご飯のことをいったい誰が知っているでしょうか  
   一粒一粒が、皆、農民の汗と辛苦の結晶だということを   
  
 この漢詩は李紳という方が農民を憐み詠んだと言うことで、中国では子どもの頃に教えられているそうです。

 多くの人が贅沢になり、また若者も同様 今は若い人も食べ残すことが多いそうです。
 そして下のような事も言われているようです。
 
   貪汚和浪費是極大的犯罪 
 
 とても大きな問題を抱えていると言うことですね。

 今日は新聞が来ませんね。連休は有難いような困るような。いろいろと考えさせれます。

 今朝の食事 殆んど食べられました。ほんの少しでも残れば夜に回しましすし、漬け物などは毎食同じ物が並びます。

       朝食5月7日新聞なし

 我が家の夕食ですが、お鮨は二人で一人前 それと蛋白質の物一品 後は煮物と残り物ですね。
 少し少しと考えながら作るのですが、本当に今日はピタリ食べ切ることが出来た時は気分が良くなりますね。
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孫に指導される

 少し探し物があり、昨日午後 近所のスーパーに出掛けました。
 店内で長女と長女の娘 大きい孫ですね。二人と会いました。
 
 大きい孫は大学2年生になりました。受験のことであれこれと皆で心配したのはつい先だってのような気がしております。

 「どぅお お茶でも飲む?」「飲む 飲む」と言うことで店内のスターバックスに入りました。
 「どんな物があるの?」孫に聞いておりますと店員さんは素早くメニュー表を持って来て呉れました。
 「私が分からないって言うのが分かったのかしら?」「そうよ」

 椅子に座りますと、孫はフラペチーノが美味しいよとサンプルの画を指します。
 「う~ん 抹茶と言うのが良いかな」「ばーばは好きだと思うよ」
 「そぅお 小で良いかしら」「小は小さいよ。もう少し大きいのにすれば」
 「じやー お任せ」「座っていてね」

 3人の飲み物って言うのかしら、このフラペチーノって言うのはどう言う表現が合っているのでしょうね。
 この手のお店には滅多に入りませんし、頼むのはコーヒーですからね。
 孫が持って来ました。
 ストローと長いスプーンが付いて来ました。丸い透明なキャップを外しますと
 「それ 外さないで真中からストローを差し込んで飲めば良いの」慌てて直ぐキャップを被せました。
 「被せなくても大丈夫。そのまま飲めば良いの」 何だか吸うのに力が要りそうですから、外して上のクリームから食べ始めました。
 「初めそのまま飲んでっそれから混ぜて飲むと美味しいよ」「そうですか」
 途中でスマホを取り出し、写そうとしました。
 「ばーば 下手なんだから」「いいの ばーばのはお話だから」と2枚パチリ
 「こっちに貸して、写してみるから」

      スターバックス1  スターバックス2

      左が私 右が孫の写したものです。

 スターバックスと言えば随分前のことになりますが、ロスでホテルの傍にスターバックスがあり、皆で朝食を摂りました。その量の多いこと、それをアメリカの男性も女性もササッと飲んでいるのですよ。
 スターバックスを未だ日本で見ることがありませんでしたから、印象強く覚えておりました。
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甘いものが無かった時代

 今日は子どもの日ですね。端午の節句と昔は言われておりました。これは皆さまが良くご存じの男の子のお祝として長く続いております。今も男の子のいる家では武者飾りなどを出し、柏餅や粽を供えています。
 この柏餅は日本に帰り、初めて目にしました。粽は中国にもありますが、少し違いますね。
 1943年 小学校の6年生ですね。その前年帰国しましたが、ハッキリと当時の様子にいろいろと目が行ったのは6年生になってからです。
 日本では戦時体制で、食糧は国に管理されており、農家は自家消費分以外は供出しなければなりません。お米は自由に買えませんでした。配給手帳と言う物が交付されて、それに家族が記載されております。配給を受けるところは町で一か所
 大人の女性は背負籠で受け取りに行きます。私も祖母について受け取りに何回か行きました。なかなか順番は来ません。皆道路沿いに籠を下ろして、雑談をしながら待ちます。 
 一月分の米を受け取り、帰って来ます。
 
 その頃 町ではと言いますか、どこからの指示と言いますか、小学生には月に一回お菓子の配給がありました。
 その配給のお菓子もまた町で一軒のお菓子屋で受け取ります。
 先日近所のスーパーで懐かしいその配給のお菓子とピッタリの餡切りを見つけました。

        餡子菓子

 これは拘りの店 京北というスーパでの物ですから、上等です。配給のはもっと品が落ちるものですよ。
 子どもは甘い物が欲しいですよね。
 青島で美味しいお菓子を食べたり、ロシヤケーキ、ドイツパン、中華菓子を食べていましたのですが、これが日本の現実だと分かり、我慢をしました。
 配給のこのお菓子の他に、甘い物と言えば、先ず乾燥芋や果物ですね。その他は友だちと山に出かけて桑の実を食べたり、他所の家の無花果を貰ったりしたこともありました。そうそう夏はサトウキビを齧りましたね。
 飴のような物は先ず口にしておりませんね。おはぎを作るのにも砂糖がありませんから塩の餡です。
 
 戦後1946年頃東京に叔母とでて来た時、喫茶店に入りましたら、角砂糖が添えられています。叔母が支払いを心配したことを思い出します。戦後暫らくはサッカリンやズルチンと言った甘味料が良く使われておりましたからね。
 
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バス停の椅子

 以前は駅まで歩くのも別に億劫なことではなく、バス停もそんなに関心事ではありませんでした。
 それが70歳を過ぎますと、バスの利用が増えて来ました。
 マンションの前 向かい側のバス停にベンチが据えられたのです。相当重量があってもビクともしないようなベンチです。
 マンションの有志の方からの有難い提供です。据えられてからもう4年位経ったような気がします。 
 椅子の足にワイヤーが掛けられて、移動できないようになっていました。傍に一人がけの椅子も見えています。
 その一人がけの椅子に、ふと気が付いたら、座布団が置かれているのです。

        バス停の椅子

 何てこの街の方は優しいのだろうと、思いながらも夜や雨の時にはこの座布団はどうするのかと気に掛かっておりました。暫らくしますと座布団は見えなくなっていました。

 このベンチは高さがあり、私は座ると足が地に確りと付けません。靴をつま先だてて座ります。
 そうしましたら、数ヶ月前ベンチがニ脚に増えているのです。
 それがですね。 新しいのは低くなったベンチです。

       新しい椅子

 高齢者 特に女性の高齢者は背も低くなって来ておりますし、高いベンチより、低い方が座り易いですね。(あなただけよ。そうかしら)
 高い方のベンチには贈呈者が書かれておりますが、低い方には書かれておりません。ですがニ脚はロープで繋げられて矢張り移動が出来ないようになっていますから、同じ方がたの寄贈でしょう。
 私はこの低いベンチに座り空を見上げるのが楽しみです。

      ベンチから空を

 高齢になりますと、何事も時間にゆとりを持ち行動をしなければなりませんね。なのに どうしてでしょう。時々足をぶつけたりします。それは多分考えごとをしているからですね。歩く時は歩くことだけ考えてと言われます。それが難しくてね。大体どうすれば歩く時にそれだけを考えると言うことが出来るのでしょう。どうしましょ。
 
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憲法改正問題

 今日は憲法記念日です。安倍総理は憲法改正を望んでいる様子。
 私はカテゴリーに人権・権利を用意していなかったのですが、非常に大きな問題ですね。
 安倍総理の目指していることは何かを考えますと、あの嫌な時代を思わずにはいられません。

     朝食5月2日  朝刊5月3日

 私は第二次大戦の戦時中に日本に帰国し町の小学校を卒業 そして市の女学校に入学しました。学校自体はとてもキチンとした学校でした。
 1944年4月から45年8月15日までのことを振りかえって見ますと、時代は刻々と敗戦へと向かっていました。
 空襲も頻繁にあり、生徒も緊張の毎日でした。国家総動員と言うことですから、4年生、5年生は軍需工場に動員されて船橋の工場に行きました。3年生は学校工場でジュラルミンで何かの部品を作っておりまました。
 これは国家総動員法という法律で定められての国民としての行為でした。
 詳しくは「国家総動員法・女子挺身隊」をお読みになって下さい。
 3年生は学校工場で働き、1,2年生は農繁期には農家への勤労動員として農作業の応援に行きました。
 私はイヤとは言えませんよ。国家が法を定めるとこう言うことになることもあるのですね。
 米軍が九十九里海岸に上陸し、戦火が広がるかも知れないという設定で、私たちは地雷を背負い、米軍の戦車に飛び込むことを覚悟するように教師に言われました。その時私は「折角生まれて来たのに、死ぬのは嫌だ」と口にしました。それは直ぐに「非国民」と教師に罵られたのです。どうですか。実に嫌な体験です。

 江川紹子さんは好きな評論家です。彼女はこの改憲問題について「改憲のバスに乗る前に」ということを発信しております。
 コピーして載せたいのですが、長くなって仕舞いますので、赤字から入ってご覧になって下さい。
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齢数えて82歳

 私 今日は82歳になったのです。
 若い時に身近な老人は大体60歳前半位の方が多かったような気がしております。70歳となりますと、そうそうはおりませんでした。
 自分にとっても80歳と言うことは 殆んど想像外で自分の姿はどのようなものか浮かんで来ませんでした。
 今日の自分は昨日と全く変わっては見えません。連続は変化に気が付きませんね。
 80歳台、それが今は 身の回りに沢山見えます。それぞれ何を思い、何をして過ごしていられるのかは分かりませんが、体調に問題を抱えている方が少なくありません。
 友人や知人との電話が長くなっています。痛いので毎日が我慢だとか、良い病院で良かったとか、目がどうも悪いらしいとか、聞こえなくなって困っているとか。それを聞きますと私とて同じだな~と思いますよ。
 私も難聴ですし、大腿部の不調で以前と比べ活発には出来ません。ですが、未だ少しは歩けますし、食事作りも苦にはなっておりません。困るのは遠出が出来ないと言うことですね。
 
 最近の生活ですが、嫌いなことは何時も後回し。自分のしたいことを最優先。
 食事は省いたりはしませんよ。出来るだけ自家製と言いますか、自分で作ります。
 
 習い事は週に2回の中国語 月2回の中国書法 両方とも個人レッスンです。
 それに若い男性に時々パソコンの事を教えて頂きます。
 
 趣味の方では チャイナドレス(旗袍)を教えております。

 ま~こうしてパソコンに向かっているのも趣味の内でしょうね。

 毎日のように娘や孫に会っておりますので、これは精神的な安定感と刺激になっていますでしょうね。

 

 誕生日と言いましてももう特に何かをすると言うこともありません。皆忙しいのです。

 夫が欲しいものはと聞きましたが、特に今これと言う物はありません。そこで昼食に鰻をご馳走して呉れました。

          うな重

 歳をとると面白いこともありますよ。それはそれで愉しんでいます。
  
 昨日の電話の主 白内障の手術を受けると言うのです。で言うことは「もう怖くて怖くて」と言います。
 手術をしないと免許証の更新が出来ないと言うのです。
 「であなた未だ運転する心算なの」と聞きましたら 「うん 後2,3年はね」と言うのです。85歳までと考えている様子。
 聞いていた夫「手術をしな方が怖いよ」と笑っています。老人の逆走なんて聞きますからね。
 彼女「私ね82歳になったの」「私だって明日は82歳になるのよ」「そうかい。みんななるんですね」「そうよみななるのよ」
 何となく可笑しな話ですね。
 姑が70歳ころハーモニカを習っておりました。ある時老人ホームに行きハーモニカを吹いてボランティアをして来ると言うのです。そこで夫「そりゃー聞く方がボランティアだな」 

 元気で長生きが出来れば有難いことですね。82歳老いても楽しく行きたいと思っております。
        

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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