2013-07

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ガーナに住むブロ友

 アフリカはガーナに住むdaniel mama さん
 ガーナはアフリカの西の方に位置します。首都はアクラ 国の人口は170万近いそうです。そのアクラでの生活を発信して下さっております。

  daniel mamaさんのご子息は ダニエルさんです。ママのブログは私の知らない世界を見せて下さり、とても楽しく勉強させて頂いております。メタボ夫婦さんを会長とする主夫連合の応援団としてママも相子も参加し、情報も共有しております。
 最近ママの勤める会社のボスが女性社員4名にランチを奢って下さったそうです。そこはモーベンビックと言うホテルのブフェ
            モーべンビックホテル(ガーナ)

 お皿を見ましてね。驚きました。プレートに巻き鮨が載っているのですよ。マグロの握りのある日もあるのだそうです。今や鮨は世界の食べ物となっているのですね。

             ガーナでブフェ1

 このステーキは柔らかく二枚食べたそうで、サーモンも美味しかったそうです。巻鮨が見えましょ。
 このブフェ会場には大勢日本のビジネスマンらしき男性が見えていたそうです。世界を駆け巡る鮨とビジネスマン どちらも日本ですね。

      ガーナでブフェ2  ガーナでブフェ3

     デザートはお皿に載っている倍位の種類があったそうです。

 ガーナについては世界の人形館の高さんが私のリクエストに応えて下さいました。この赤い からご覧になって下さい。とても詳しく紹介して下さいました。
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頑張っています

 夏祭りでフリマーに参加し、二日間はダブルダッチのチームのお母さんの出店(チョコバナナ)を手伝い、ま~本当に疲れを知らないかのようなチビ孫
 今日は何と「朝日スポーツキッズ」という朝日新聞の付属版のような紙面にチビ孫はその姿を見せています。
 ローカルの二紙に既に紹介して頂きましたが、これらの会社は何処もゲラを見せて下さいます。
 
 先週この朝日スポーツキッズからもゲラが送られて来ましたので、内容は見ておりました。それが今日だとはうかうかしており、二女から知らされて紙面を眺めました。

             スポーツキッズ

      えりか  スポーツキッズ5面

 記事を読んで見ますと9月に大会があるそうです。今朝チョッと二女の所に行きましたら、これから9月の大会に向けての衣装のデザインなどを考えなければと、話しておりました。
 本人の頑張りは何と言いましても一番ですが、家族のサポートも大事なことですね。私も出来る範囲で応援し続けて行こうと考えています。 
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夏祭り2日目

 土曜日の夜 とうとう雨が降って仕舞いました。雨雲が濃く垂れ下がって来ました。最後まで天気は持たず、止むを得ず祭りは中止になりました。
 二女のバナナは発泡スチロールの箱の中に保冷剤を入れて、冷たくしてありました。初日の残りはさほど多くありませんでした。
 次の朝 祭りの中で多くの子どもや男性、また若い女性も繰り出す、神輿や山車を見ようと、9時頃下の広場に出て行きました。
 昨日の夜店の人出はウソのように通路が清掃されています。昨夜の後片ずけの方々は大変だったでしょう。

             朝

 中央公園と呼ばれている会場には小さなお子さんが両親や、祖父母などと一緒に集まって来ます。
 9時過ぎに櫓の上から、これからの進行や道中への注意など、司会者はマイクを握り話されました。
 それから神輿に入魂をしますので、会場の皆さんはニ礼ニ拍一礼をお願いしますと、櫓の上から伝え、そして参集した皆さんは形通りに頭を下げました。 
 そして先ず筋肉をほぐす運動をし、そして役員の指示通りに、山車からから出発をしました。
 この行列はこの周辺の道路を歩き、時々休憩します。小さな子どもの乗る山車では毎年周囲を囲む家族で一杯になります。一緒に歩くのは若いうちですね。今は眺めているだけです。

 公園から先頭に出たきたのは子どもを載せた山車です。泣く子も例年おりますよ。今年も一人おりました。
 家族が傍に付き添っていても、何となく不安感が起きるのでしょうね。
 
     夏祭り3  夏祭り4

     夏祭り5  夏祭り6

 大人の神輿に負けるなとばかりに町内会ごとの小さな神輿が前を通過して行きます。

              夏祭り7

 町内会ごとに神輿が目の前を通過し、街に出て行きました。そこで私も家に戻り、チョと用足しをし、表に薄暮の漂う時間になりましたので、4階から下を眺めて見ました。何故かず~と眺めていたい感じがします。

              4階からの眺め

 さあこれから二女やチビ孫とダブルダッチのチームのお母さん方がチョコバナナを売るのです。
 昨夜の残りが少なくなっていたようで、二女は一階の野菜売り場に行き仕入れて来ました。
 別に応援を頼まれた訳ではありませんが、皆さんへのご挨拶をと、傍に行きました。

     チョコバナナ2  お母さん

 やがて夜店も込み始め、老人は転びでもするといけませんので、一旦家に戻り、8時半からの友人のよさこいソーランの勇ましい姿を見に行きました。友人は70歳を超えています。踊り仲間の中心に位置し逞しく手足を動かしております。
 昨夜はこうして無事に終わり、最後は例年通りの抽選会での〆で解散となりました。
 今朝は周辺の場所は勿論、何処を見ても片付いております。

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夏祭り1日目

 マンションの入居は1977年 間もなく自治会も出来て、今年は30回目の夏祭りを迎えました。
 最初はこのマンションの自治会主催で開催されていましたが、今は周辺の自治会も一緒になって夏祭りが催されています。
 準備は一ヶ月も前から始まっているようです。櫓を建て、周辺の整備や配電の準備
 そして近くなりますと祭りの実行委員会からのお知らせや、当日の予定、そして福引の抽選券なども配られて来ます。
 一日目は昼間フリーマーケット 夕方からは夜店が並び、近隣からも沢山の方が見えます。
 環境を守る為に男性方が巡回しております。
 夕方からは櫓の上で太鼓を敲くお子さん方が頑張っています。祭りの前 練習を良くしておりました。
 夕暮れて来ますと盆踊りが始まります。
 毎年のことながら自治会のお役をする方は大変だと、眺めるだけの私は感心しております。

 一日目の昨日 チビ孫は母親とフリマーで色々と出すと言いますので、見に行きました。子供らしい物が沢山並んでおります。家の中のどこに置いてあったのか不思議なほどの品数です。

            フリマー

 400円で保冷バックの手提げを買って来ました。品物は殆んど売れたそうです。出したら売れた方が楽しいしまた嬉しいですね。
 夕方5時からの夜店 今度はこの夜店でダブルダッチのチームの母親たちでチョコバナナを売ると言うのです。
 前日バナナの箱が我が家に運び込まれて来ました。青いバナナです。ええ一体これで出来るの?っと思いました。ところが一晩越しましたら八百屋の店頭で見るような黄色になっております。

   バナナ  チョコバナナ

 夕方5時から売り始めると言いましたが、作るのを見ようと出掛けました。上の右の写真はチョコバナナを売り始めた頃です。
 他の店はどうかしらと眺めに行きました。大勢の人が出ています。例年とおり広場では櫓を囲み踊りの輪が出来ております。知った方も踊っております。

   夏祭り1  夏祭り2

 午後8時から友人の方が太鼓に合わせて よさこいソーランを踊ると言うことで、是非見たいと時間を待っておりました。そこに急な激しい雨 祭りは中止と放送の声が聞こえてきました。
 二女達はと言いますと、ずぶ濡れになって片づけをしたようです。
 今年の夏は予想を超えた豪雨が各地を襲っておりますね。どうしてなんでしょうね。
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キクラゲ

 木耳肉と言う中華料理がありますね。木須肉とも書きます。チョッとした中華料理店にはあるものです。
 きくらげと卵、それに少しの野菜と肉などを入れた料理です。
 中国山東省の料理だと聞いております。このムスーロウ ムシューロウのムスは木耳のことですね。
 中華料理の材料としてこの木耳肉以外にも沢山利用されています。

 乾燥した木耳の市販品は殆んど中国産の物が多く、国産のは滅多に店頭では探せません。
 
 先ごろ何時もコメントを入れて下さるEGUTI YOUSUKEさんのブログで拝見した木耳 
 木に生えています。説明によりますと、雨の日が見付けやすいそうです。でその木耳を摘み取りって言うか捥ぎ取りって言うのか、とに角木から採って綺麗に水洗い?した物もアップされております。画像をお借りしました。

     茶きくらげ1  茶きくらげ戻し

 山国ではこう言う事もあるのだと興味を抱いておりました。先日長女とデパートの出店に出掛けました。
 最近は食事の量が減ったと言うこともあり、どうも食事内容に変化がありません。言うなれば平平凡凡の料理が並ぶって言うことですね。で偶に出掛けますと、珍しい物に目が止まります。
 そこに並んでいたのが生の木耳です。笠が大きいんですね。良く見ましたら菌床で育った物です。どうしようか迷いました。マネキンさんが「冷凍も出来ますよ」と声を掛けて来ました。心が読まれているようです。そこで買いました。
 
             菌床生きくらげ
                                                                                                                                                                                                                                                                                              
 ワンパック400円足らずの物です。これをさっと湯通しして、冷たい水にとり、使いました。取り敢えず胡瓜と合わせて酢の物とし、後は小分けして冷凍にしました。
 これからはこの冷凍木耳を使い、八宝菜や炒め物、またスープの具、更に和食の煮物にも入れる事も出来ますね。楽しみが増えたような気がしております。
 調べて見ましたら木耳の採取の季節は6月から9月位だと知りました。
 国産の乾燥木耳もネットで買うことが出来ますし、菌床木耳の種も売られているのですね。
 自宅のキッチンでも育てられますなんて読みますと、何だか手抜きの主婦は困りますね。別に育てられる訳でもないのにですよ。
 
 色々と作り始めますと、残り物のお皿を素早く見つけた長女に今度は木耳シリーズですかと言われそうです。
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青島日本人会夏祭り

 中国では情報統制がされているとは聞いておますが、私のブログは青島でも上海でも見ることが出来ないそうです。何らかの方法で見ている人もあるかも知れませんね。
 情報は世界を駆け巡りますからね。
 そのようなことから青島の事をアップしますと、それをコピーしメールの本文にして日本人会の事務局長さんとリカさんに送っています。
 昨日の「未だ未だ続ける」もコピーしてお送りしました。
 
 早速に事務局長さんから日本人会の夏祭りの様子をお知らせして下さいました。
 現在滞在されている方には駐在員の方も多いようですね。最近は青島でも日本食の店舗も増えているようですし、ジャスコに行きますと日本商品も溢れている筈です。
 数年前に行きました時に、宅配弁当もあり、驚きました。
 日本人学校の生徒も少しづつ増えて来ているようです。
 ブログリンクに青島日本人会のHPを入れてありますので、関心がございましたら是非ご覧になってください。

 下記に事務局長さんの池田さんからのメールと写真を掲載させて頂きます。この画像は池田さんから送って頂いた物です。

 持永様

 ご無沙汰しています。
 こちらは天候が悪く特に週末になると暴雨となり、何か気が晴れません。
 80歳でエベレストに上る人もいますので気力で負けないようがんばって
 ください。

 先日、13日の夕刻、雨模様の中で日本人会で「納涼祭り」をしました。初めての試みです。
 縁日のように金魚すくいや的当て、お好み焼きにピザ、いか、餃子などなどあって約300人くらいの人出。
 こどもも滅多に着ない浴衣などでにぎやかにし、中国人はもとより欧米人も入ってきてにぎやかな時を過ごしました。
 盆踊りも慮って小さな音でおとなしく2回ほど行いました。最後は花火で締めて午後4時から4時間の宴は終わり。みな満足していただいたようです。

      青島夏祭り1  青島夏祭り2

               青島夏祭り金魚すくい  

          青島夏祭り4  青島夏祭り3

 昔は日本人全体の集まりと言いますと、中国の方との合同体育大会位でした。中国の女学生の走る早さに驚いた記憶があります。
 青島神社の春秋の例大祭には出掛けましたが、模擬店などはなく、菊の展示会や邦楽の演奏会などでしたね。
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未だ未だ続ける

 昔中国青島の日本人小学校は市内に5校ありました。
 1938年(昭和13年)4月入学 1944年(昭和19年)3月卒業したか、若しくはその学年に在学した者の集まりが毎年開かれております。
 最初は早稲田大学での偶然の出会いから始まったと言っても過言ではないと思います。
 戦後引き揚げて来た人が多く、その中で有名な同級生は中村八大さんです。
 八大さんは大学入学後ピアニストして有名になっておりました。引き揚げて来た同級生で早稲田に進学した人が校内で八大さんと出会い、それが切っ掛けになったと思います。ビッグ4として知られた八大さんのことは知っておりましたが、お父様が青島第一小学校の校長先生をなさった関係で自然に輪が広がって行ったと思います。
 その頃は小学校別に集まっていたのですが、一緒に集まろうとなりました。
 それには小学校の関係が大きく関わっています。
 1950年に第三小学校が開校 第一小学校から一部の児童が第三に移りました。
 八大さんは小学生ですが音楽留学で日本に帰国 その時まで第一に在学しておりました。留学から青島に戻った八大さんは第二小学校に入り、そして青島中学に進学しました。
 第一、第二、第三小学校から中学に入って男子は自ずと顔見知りか、クラスメートだったりしたのは自然なことでした。
 各校一緒に集まったのが40年前になります。上野聚楽で開催されました。その日は聚楽の広間で大騒ぎでしたね。その時に会の名称を「青島羊会」と名ずけました。申歳の方から申もいるよって声も挙がりましたが今まで羊会として集まっております。
 
 今年は去る5月に開催されました。その日の午前にソウルの金さんが柏に私の足を気遣い会いに来て下さいました。

        羊会40周年

 全員80歳を超えました。幹事さんはご苦労さまなことですが、とても良く会を回して下さっています。
 毎年の懇親会の他に旅行も致します。旅行も関東だけではなく、九州や北陸などにも行っております。
 特に近年は足腰の衰えが目につく人も多く、三本足での参加の方に配慮し、出来るだけ歩く距離の短いような観光旅行もセットされております。
 今年も秋に修学旅行と称し実施されることになっております。
 80歳を区切りとして会を解散したと言うことを良く耳にします。それがどうでしょう。
 この羊会 続けられる限り続けましょうと言うのですよ。
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DIANA&皆跳 祝勝会

 取手を本拠地にとするダブルダッチのクラブ ジャンプモンスター
 そこに所属するDIANAと皆跳チームは先月アメリカで開催された大会で優勝しました。
 チビ孫は皆跳の一人 良く頑張って来ました。
 
 昨夜7時から取手戸頭公民館で祝勝会が開催され、チビ孫の父 長女とその娘 そして私と4人で出席しました。
 
 会場には舞台が設けられ、トロフィーも飾られております。正面のスクリーンには思い出の映像が流れています。

            会場

 会場の椅子にはDIANAと皆跳の自己紹介が書かれている紙が置かれておりました。手に取ってみますと、質問に対して、ダブルダッチ経験年数や初めた理由。辛かったこと、楽しい事など見ることができました。

    皆跳紹介  DIANA紹介

 席に着きましたが会場にはアメリカに着て行ったジャージーや靴、またジャンパーなどが並べられております。
 またチームの写真が沢山貼られています。

    グッズなど  写真

 お見えになった方が増え、定刻を少し回ったところで祝勝会が始まりました。
 DIANAと皆跳の選手が拍手を受けながら入場し、舞台の前にすわりました。司会者の挨拶 今回の祝勝会来場者へのお礼の言葉 そしてチームの数々の優勝内容の説明 そして取手市長さんの祝辞を受けました。

    市長挨拶  市長祝辞

 乾杯はペットボトルのお茶です。壮行会でもそうでした。そのペットボトルは記念品の可愛いバックに入れられてありました。デザインがとても素敵ですよ。

             記念バック

 舞台のくす玉割りも無事に済み、お母さん方の心の籠ったケーキを皆さんで頂きました。大勢来て下さったお子さん達も楽しそうにしております。

    ケーキ  ケーキを食べる

 花束の贈呈もありましたよ。お友達から沢山頂いている男の子もおりました。チビ孫は地元でないので皆さんをお呼びしておりません。座っている時に、長女の娘に私の目が細いよ~なんてサインを出していたようです。これがチビ孫なんですよ。

             花束

 会の途中でダブルダッチの説明があり、そして皆跳とDAINAの実際をご披露されました。

             ダブルダッチ

 チームの指導者のモン先生はこの日 海外公演で出席できないと言うことで、代わりの方の祝辞と激励の言葉がありました。とても良い挨拶でしたよ。
 そしてアメリカ行きの時の団長さんがお見えになり、祝辞と皆さんへの応援へのお礼、更にダブルダッチへの普及にご協力を頂きたいと強くお話になりました。

             協会挨拶

 祝勝会も無事に済みました。皆跳とDIANAの全員が出口に並びお帰りになる人をお送りしておりました。
 とても良い会でしたね。
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暑いと鮨ですが

 何だかいつの間にか自家製の鮨を作る日が増えています。増えていると言いましても一週間で3~4回でしょうね。
 この夏は日本中が暑いようですね。でも高原での避暑など出来ません。と言う訳で暑さの所為か食事が単調に成りがちです。成りがちなんて自己弁解しておりますが、要は面倒臭いと言うことですね。偶には宿でゆっくり食べていたいですがね。
 食は数年前と比べ、とても少なくなっています。それにも拘わらず、良い物を見つけるとついつい買ってしまいます。
 このところ魚屋の小父さんの姿が見えないと思っていましたら、病で入院したのだそうです。「社長」と店員さんが言っておりました。その社長が倒れたのですから、売り場も激変

 働いていた男性は全員代わり、女性だけは引き続いて働いております。店舗名は変りませんから、小父さんが本当に社長だったのかどうか?
 女性の方が私が買いたい物を良く分かっていましてね。覗きに行きますと「これが良いのじゃない!」って勧めて呉れます。仕入れが変って来ましたね。それでも私が買いたいと思う鮨種は何とか今のところ足りています。

     インド鮪落とし握り  まあじ握り

     鯛・鮪・カンパチ握り  バチ落とし握り

     いさぎ握り  鰹握り

 朝起きてから数時間はま~元気ですし、動きも割合苦になりません。それが午後になりますと何となく、あれは明日にしようとか、これは止めちゃおうとか、気分も乗りません。困ったものですよ。
 でも夕方になりますと、ああ~何を食べよう? となります。仕方なくとまでは思いませんが、沢山食べられないと言うことが面白くないんでしょうね。そこに出るのが鮨ですよ。そして少しのお肉か魚ですね。
 娘が気を遣って呉れましてね。最近は時々デパートの出店の食品売り場に連れて行って呉れます。
 そうしますとね。矢張り見る物欲しくなるのです。どうしましょ。そんな食生活が繰り返されております。
 
 今夜はチビ孫の優勝祝賀会がありましてね。出掛けて来ました。ブログをアップしようとしていましたら出掛ける時間になって仕舞いました。と言う訳でこの時間です。
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お喋りは楽しい

 親しい方と昨年の12月6日に忘年会で集まったのですが、その後顔が会いますと「また集まりましょ」「近いうちにね」と言いながら昨日になって仕舞いました。
 マンションの2階にサロンがあります。開放されていますので、住民は自由に無料で利用が出来ます。
 何時もの通り、マンションに住む方は少し早めに集まり、準備をします。

     サロン  金魚

 サロンの中の一番奥まった所にテーブルを並べ、テーブルクロスを掛けます。白いレースのクロスにビニールのカバーを被せ、花を飾り、金魚をあちこちに置きます。ラジカセに懐かしい音楽のテープがセットされました。
 これらは皆さんの気配りなんですよ。誰も頼んではないんですよ。素晴らしいことだと何時も感心しております。
 
 11時30分 予定通りに全員集合 60歳台から80歳台までの9名 皆さん色々とお持ちになって来ました。
 前に一品持ち寄りとしましたが、それは気が重くなると言うので、無しにしました。それがどうでしょう。
 美味しいチーズ、紫玉ねぎの酢漬け、ドライトマトや醸造元から取り寄せた瓜の漬け物、朝揚げたサーターアンダギー等それらを並べてお喋りが始まりました。12時30分にお弁当が届きました。これはご近所のお寿司屋の出前ですが、店のご贔屓の仲間が特注して呉れています。

    仕出し弁当  つまみ

 アルコールも用意しましたが、数人が飲むだけです。皆さん殆んど冷たいお茶。
 お喋りは楽しいですよ。先ず住む地域がほぼ同じ。年齢の幅が狭い。声もどちらかと言えば大きい。笑い声も元気。そんな中で優しく気配り目配りをしながら、静かな声で話す方もおります。良いですね。
 
 地域の情報はとても参考になりますよ。健康に過ごすには病院は大事な問題。介護施設も関心が高いですね。それが深刻な話になって仕舞うのではないのです。皆さんユーモアがあり、表現が穏やかなんですね。
 この席での評判の良し悪しは大事ですよ。経験と判断が物を言います。
 
 アルコールが廻って来た方が元気になって来ますと、賑やかさが増します。テープを回しメロディーが聞こえてきますと、歌が出て来ます。楽しいですね。

 サーターアンダギーはさくさくとしてとても美味しく、また紫玉ねぎの酢漬けは人気を呼びました。それで作って来た方に作り方を書いて頂き、後日皆さんに配ることにしました。最後は鹿児島の緑茶に小城羊羹。ここにも気配りが現れています。良かったですね。

 そして次回の集まりは12月5日と決まりました。
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鮎を頂く

 鮎は滅多に口にしておりません。偶の宴会料理か和食の店でのセットかですね。多分それは養殖のものでしょうね。
 先ごろ我孫子まで訪ねて来て下さった徳島のちゅんごさんから、鮎の一夜干しを頂きました。
 ちゅんごさんは奥さまのご両親にお中元としてお贈りになり、とても喜ばれているそうです。
 その鮎はご自分で開きにして一夜干しにしているのだそうです。

 私にまで送って下さり、有難いことです。塩加減も良く、骨も気にならず、とても食べ易い開きでした。 
 魚好きの私も初めてです。ちゅんごさん有難うございました。

      鮎一夜干し

 私が何時も勉強させて頂く富山の瀬戸さんから、釣り鮎を頂きました。蓼の葉も一緒に入っており、これは初めて目にし、蓼酢を作ったのも初めて経験しました。
 鮎は塩を軽く振り 焼き、夫と美味しいね~美味しいね~と食べて仕舞いました。感謝です。

 30年ほど前に鮎を料亭で頂くと言う機会に恵まれました。この時の様子はとても印象に残っておりますね。お座敷にコンロが持ち込まれ、コンロの上の網に笹の葉が敷かれます。その上で鮎を焼くのです。
 食べるのには青竹の長い箸を使って頂きます。再度焼かれた鮎がお皿に載せれますと、箸が新しい物と取り換えられるのです。それは理にかなった食べ方なのか、私には分かりません。
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そうだったのだ

 私のブログに興味を持って下さる方はとても嬉しく、また私もそちらを訪問します。
 毎朝PCを立ちあげますと、アクセス解析を見ます。詳しく見る訳ではありませんが、検索キーワードは必ず見ます。
 良く見て頂いているのは明治大学記念館ですね。キーワードはどれを読んで下さったのか、見当が付きます。
 
 6月14日 「武田 専(まこと)ご逝去」と言う字が見えました。たった一回ですが、ご逝去と言う字は私をうろたえさせました。
 川崎市にある武田病院を若くして開業した武田先生 長く明治大学学生相談室にご関係 精神衛生の面でご指導をして下さっておりました。精神科医の紹介、セラピストの紹介等など 先生は大きく寄与されたのでした。
 
 私が定年になった後も、良く声を掛けて下さり、酒席を共にしたものでした。
 
 数日前武田病院のHPを見ますと、先生のご逝去のお知らせが出ておりました。

 6月10日ご逝去 90歳 告別式は本日午後1時30分から3時まで青山葬儀場で執り行われたのです。

 武田専先生、山田雄一先生、祖父江孝男先生 そして私 4人で2,3年に一回お喋りをする時間を過ごしておりました。渋谷がネストの武田先生の行き付けのお店に集まります。
 先生3人のお話はそれはそれは真面目なこと。精神医療のこと、小説のこと、民族学のこと、社会学のこと、私は聞き役で大満足でした。
 酒席の最後は必ず武田先生の「ダンチョ節」です。ゆっくりゆっくりメロディーを辿りながら、身体を前に倒す様にされ、声を出します。その声は腹の底から絞り出すよう。感情が籠っておりました。
 最後にお会いしたのは2006年でした。その少し前山田雄一先生が学長時代、集まりにSPが一緒でしたので、武田先生は「山田さん あんな無粋なお供が要らなくなったら、ゆっくり飲もうよ」と仰っていたのです。
 2006年以降、どうしてかご都合がつかなく、集まりも途絶えておりました。
 お会いしなくても新しい著書が上梓されますと、必ず送って下さっていました。

 70歳を超えて叙勲をされました。叙勲を祝うパーティーが開催されました。
 その時の司会役をされたのはガンを患っていて既に末期だった小此木啓吾先生でした。小此木先生は声を振り絞り、「私が司会をやらなければなりません。武田さんとは長く一緒に過ごして来ました。私は病んでいますが、恩を受けた武田さんの叙勲を心から嬉しく思っています」とそのようなことをかすれた声でお話になりました。その声が耳に残っております。

        武田先生と

 私が武田先生からの言葉を伝えるのは、伝令のようなお役です。「持永君 皆にチョッと声掛けて呉れないかね」と電話があります。そして4人が落ち合うのです。僅か2年で三人の先生とお別れして仕舞いました。
 私のような者に長く声を掛けて下さった先生に心から感謝の念を抱いております。
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チビ孫は頑張りました

 ダブルダッチの競技会でアメリカで優勝したチビ孫は、応援して下さった方々へのお礼の挨拶に出掛けておりました。練習の拠点は取手です。茨城県の方が多く、我孫子からは唯一人です。
 先日は我孫子市長さんへの挨拶にも行きました。その様子が市のホームページでまちの話題として紹介されております。

 段々落ち着きも出てきておりますし、これからのコンテストにも意欲を燃やしております。
 アメリカ行きは長旅でしたので、体を何時も動かしていたいチビ孫は長時間のフライトが辛く、出来るだけ寝ていようとしたそうです。

 今日は朝日新聞千葉県東葛版で紹介されました。早速私の友人からも電話が入り、喜んで下さいました。
 友人は「お母さんが偉い!これはお母さんが頑張らなければ出来ないことよ。偉いとお母さん伝えてね」と仰って下さいました。確かに親の熱意と協力がなくては出来ませんね。私も褒めております。

         朝日えりか

     随分スペースを割いて載せて下さいました。
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カキ氷

 こう毎日暑さが続きますとカキ氷が食べたくなります。冷凍庫にはカップのカキ氷がない訳ではありませんが、目の前でかいた氷が涼しげに感じますね。そんな氷が食べたいです。

 孫のブログを覗きましたら美味しそうなカキ氷が見えました。確かブルーハワイとか言っていたような気がします。

        カキ氷

 チョイと拝借して来ました。近所に母娘で食べに行ったようです。シンプルで色もオシャレですね。名前は間違っているかも知れませんが、爽やかな名前ですね。

 私が好きなカキ氷は小豆と練乳を掛けたものです。この小豆は上等な物が良いですね。そして練乳もね。

 そんなことは今でこそ言えますが、昔のカキ氷と比較しますと、上等過ぎる位です。

 子どもの頃カキ氷と言いますと、僅かなお金で食べられたものです。ガラスの器(これが骨董店などで見かけると高いのですね)にブリキのお匙 そのお匙でシャキシャキと氷を崩して口に入れるのです。
 みぞれと言う白蜜だけの物から、イチゴとかレモンと言ったシロップを掛けた物が普通でした。
 このガラスの器ですが、屋台のような店やよしず張りの蔭で削っているような店のは底が浅くて安っぽいのですよ。 深さもあり、ガラスの色ががグラデーションになっているような器で出す店は喫茶店や甘い物屋で、椅子に座って食べる。そんな店ですね。値段も少々高めです。
 カキ氷の氷ですが、大きなカンナで削る、そんな氷が美味しいんですよ。氷を噛む歯応えがあるのですね。
 お店の人が冷蔵庫から氷の塊を取り出し、カンナの上に置き、布巾を当て上から氷を抑えて、削るんですよ。板に釘を指したような抑えを使う店もありましたね。
 器を持って手首を上手に回して、氷が器に平均になるように削って、最後には山が出来るんです。
 器に先ず白蜜を敷いて削りますが、赤や黄色の、またメロンと言ったブルーの色のシロップを最後に上から掛けるんですよ。で白が一番安いのですね。色ものは少し高くなるんです。

 1944年に女学校に入学しましたが、食堂に入るのは、禁じられておりました。映画も駄目ですし、萬年筆も腕時計も駄目 お祝に頂いても身に付けられません。その頃カキ氷は町での祭りの時には学校の目に触れずに済みますから、食べることが出来ました。

        かき氷機

 上の左側の氷削りはハンドルを手で回し、削ります。この氷は歯応えは余り感じませんね。直ぐに溶けて行くのです。この手回しのを電気を使い、ベルトで回す様になったのがあります。これは戦後のことです。
 右のが私の好きな氷を削るカンナです。
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猛暑

 今年の梅雨明けは例年より半月も早く、明けたと同時に猛烈な暑さが続いております。
 朝日新聞デジタルでは今日も暑い夏を伝えております。

 日本列島は11日も太平洋高気圧に覆われた影響でよく晴れ、全国各地で猛烈な暑さとなった。
 群馬県館林市では今年の全国最高気温となる39.5度を観測し、山梨県甲州市では39.3度まで上がり、3日連続39度を超えた。
 全国927観測地点中、今年最多の140地点で35度以上の猛暑日を観測した。


 子どもの時は暑さは暑さなりに嬉しいことでもありました。夏は海に出かけ只管泳ぎに熱中。
 色が黒くなろうが、そんなことはお構いなく、夏から夏まで水着の後が消えない位でした。
 
 それが今やどうでしょうか。高齢の二人は空調に頼り、家に閉じこもっています。

       朝食7月7日

 今日はあの3月11日から2年4ヶ月目 多くの方が未だ災害地から仮設住宅で暮らしております。
 冬の厳しい寒さの時も厳しい生活に思いを馳せましたが、この猛暑の中でどう過ごされていましょうか。 
 何も出来ない老人ですが、決して忘れてはいけないと思い続けております。
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先生お久しぶりです

 長く勤務した明治大学を退職したのは1990年3月31日
 仕事上だけではなく、多くの教職員の方と出会い、教えられたこと少なからずとても感謝をしております。
 それから10年程は、毎日何かしらの形で知った先生や卒業生の方の名前を活字で見たものでした。
 著書の紹介や話題になっている事の解説 またテレビに出演と。
 
 「○○先生って叙勲されているわよ」
 「◎◎先生が研究で外国にいるようだわ」
 「○○さん あの大学の先生になったんだって」
 「◎◎先生 こんな趣味があったんだとは」
 「○○先生 対談しているわよ」
 「あの人 あの会社社長になったわ」
 「◎◎先生 凄いね」
 
 それが段々活字で見るお名前が少なくなって、今は殆んど目にしません。むしろ訃報記事で消息を知るような事がしばしばです。自分が歳をとったと言うことですね。

 6月29日 夜就寝しようとしましたら、そこに祖父江孝男先生がお見えになっているのです。

      祖父江先生

 NHKアーカイブ もう一度見たい名講義 という番組でした。もう番組が終わりに近かったのです。
 先生がお若くてね。嬉しくなって仕舞いました。話し方もそのまま祖父江先生です。
 チョッと口を尖らす話し方と、声。 「先生お久しぶり」ってテレビに向かって心で申しあげました。
 祖父江先生が私に良く仰っていたのは「僕の明大での思い出は相談室ですよ」というお言葉でした。
 関係者としましてとても有難い言葉と素直に受け止めておりました。
 
 2012年12月17日 テレビはテロップで祖父江先生ご逝去の事を流しておりました。
 祖父江先生とは長くお付き合いさせて頂きました。先生は酒豪 特にウィスキーがお好き。文化人類学の研究者ですから、食べ物の好き嫌いはなく、どんなものでも召し上がると言うことで、その面での気遣いは要りませんでした。
 清里で神経症レベルの学生と過ごした一週間 健脚の先生の姿を思い出します。

 放送大学ご退任後大腿部骨折を2回もされ、晩年はリュックを背負い、杖をお使いになっていましたが、お会いする時は何時も変らぬ祖父江先生でした。

P.S
丁度大学から広報紙が送られて来ました。大学の様子は様々な面で様変わりをしております。
 訃報として吉田忠雄先生 佐藤純先生 教授2人のお名前が出ております。

 吉田忠雄先生も存じておりますが、佐藤純先生とは学生相談員をなさった関係で、良くお話をお聞きしました。
 理工学部教授でしたが、富士山の宝永の火口に一緒に登り、その帰り道で姶良火山のカルドラに付いてのレクチャーを受けました。とても印象に残っております。そして地震や火山の噴火に際してのサバイバルと言う問題について持論を良くお話して下さり、今思い出しますと、良いお話でした。腰のポケットにサバイバルナイフを入れて持ち歩いておりました。
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夏はお酢

 こう暑いとさっぱりとした物や、反対にぐっと来るカツやフライなども良いですね。
 最近は夏場ですから鮨飯のお酢を強くしております。
 夫は酢の物は余り箸を出しませんが、お鮨は毎日欲しい位ですから、酢飯の酢を濃くしても大丈夫です。
 混ぜ鮨ですと、お酢は余りきつくしません。

 このところ魚屋の小父さんは体調でも壊したのか、店に出ておりません。良い物が欲しくても、ま~ま~そこそこの魚を買って来ます。若い男性も お母ちゃん 今日は遅いねとか早いねーとか声を掛けて来ます。
 最近は自分で下ろすのも面倒になって来ており、柵で買ってくることが減っております。
 
 冬も良いですが、夏は夏らしい魚が嬉しいですね。ですが今は一年中同じ様に養殖物が出回っていますので、天然の物を選ぶと、どうしても同じものになって仕舞います。
 
   最近の我が家の鮨 夕食です。

    いさぎ・バチ落とし握り  いさぎ握り

    カンパチ握り  バチ握り

    ホタテ・鯵握り  石カレイ・マグロ丼

 昨日病院に行きましたが、薬の関係で禁酒を続けています。先生に「大分痛みが取れて来ましたが、薬はず~と続けなければいけませんか」とお聞きしますと「調整して行きましょ」と仰います。
 「お酒は矢張り駄目ですか」とお聞きしました。これは昨日絶対お聞きしようと思っていたのです。
 「少しなら良いでしょ」「どれ位でしょうか」「何を飲まれますか」「ワインです」
 「それはどれ位を考えていますか」「100cc位ですが」「それ位でしたら大丈夫でしょう。人によりふらついたりしますから」と言うお言葉
 昨日は早速100ccほど飲んで見ました。一口目の美味しいこと「ううん美味しい」と思わず声に出していました。100ccですとチビリチビリですね。足の痛みが取れたら胸に溜まっていることに挑戦しようと思うと、気分が良くなって来ました。
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良く見て考えて

 参議院選挙の公示がされて、政党は一斉に動き出しました。?だけれど問題が多くて、何を焦点として決めるべきか、迷う所です。
 様々な問題がこれからの生活にどう響くのか。将来の見通しはどうなのか。極端な言い方をすれば全てが未知数、推測の域と言えそうな気がします。
 
 今日の新聞は内容も多く、一日だけでは読み切れません。すこし傍に置いて読まなければと思っております。

     朝食7月4日  朝食7月5日

 棄権をする心算はありません。投票には行きます。これから各候補者の声も伝わって来ましょうが、何を一番にとり上げているのか、大いに関心があります。
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孫は厳しい

 チビ孫のことを世界一可愛いと、ホッぺを寄せてはダメっと押されている長女の娘
 可愛い可愛いと言っていたのはついこの間のような気がします。
 それが今や大学2年生
 その孫のブログを覗きましたら、「小さいころのうち」と言って自分の姿を載せています。

      大口開けて  温泉好き

 3,4歳の頃から両親と一緒にスキーに出かけておりました。温泉が好きで和風の宿がお気に入りです。
 可愛いこの浴衣姿は初めて見ました。夏祭りでは浴衣を着ていますが、これはハシャイでいるようです。
 大きな口を開けて、何かを入れて貰っています。楽しそうです。

 私のブログの写真をヘタっと言います。
 日曜日 長女と孫でスターバックスで私を待っていました。買い物を済ませ、3人で帰宅
 その途中 国道を渡る陸橋の所で孫は写真を撮っていました。
 長女と私の後ろ姿を写した事は分かっておりました。
 そして そして それをブログに載せてあるのです。良いのですよ。足と腰が見えるだけですから。
 タイトル 「 ぶへー 」ですよ。怒りたくなるようでもあり、笑いたくなるようでもあり、これが孫って言うものなんですね。

             ぶへー

 私がヘタ―と言われた笹飾りの写真 言われてみれば単なる七夕飾り。

          ささ飾り

 皺が多いと顎を触られ、背が低いと鏡の前に並ばせられ、ばーば可愛い~なんて言われてね。
 これには、もう もうと言うのが精一杯ですね。
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彦次郎さんのローストビーフの真似

 時々伺うブログの 彦次郎さんとは最初大山倍達氏のことからお付き合いをし始めました。
 彦次郎さんは様々な武芸に挑戦されているようですが、自然児の如く身近な物を食に取り入れ、それもご自分で調理をされております。偶には驚くこともあります。へ~そんな物を食べるんですか?と思うのですよ。
 それが先日テレビで見たと言う「オネエ流簡単ローストビーフ」と言うのを作っていました。これは実際は奥さまが作られたそうですが、とても綺麗に出来ており、実に簡単です。
 早速作って見ました。
 ただローストにする大きさの国産の牛肉が1階のスーパーになかなか出て来ません。作りたいと思ってから漸く数日目に買うことが出来ました。

 作り方は簡単です

 先ず肉の塊に塩、胡椒を振り、10分ほど置きます。
 次に フライパンを火にかけそこにオリーブオイルを敷き、ニンニク一かけを入れて香りが出るまで炒めます
 そしましたら 肉の周りを焼きます。
 肉の周りが綺麗に焼けましたら、アルミホイルに包み、その上から更にタオルで包みます。
 20分ほど過ぎましたら、出来上がり。

 ということで、先ず作って見ました。問題発生 何が?と言いますと、肉の大きさと焼き具合が釣り合っていなかったようです。仕方なく再度チョッと焼き、またアルミホイルで包み、またタオルで包んで置きました。
 ま~ま~の出来上がりになりました。
 そこで、再度肉を買って来ましてね。また作りました。レストランで食べるような、大きな塊とは行きません。
 
 何とか出来ました。さ~こんな具合です。

        ローストビーフ

 これは500円の塊を焼き作った半分です。安い肉ですね。また反省 確り焼きましたので、周りが固いのです。
 味はま~良いですよ。スーパーで薄く切って並んでいる物よりは良いように思いましたね。
 多分もっと上等な牛肉を買って作れば、更に美味しいローストビーフを作ることが出来るのではないかと、思っております。このお皿の半分を食べるのが精一杯ですから、次は誰かが見えた時でないと、作れませんね。
 美味しくても安くても、何枚も食べられないのが残念なのです。
 そうそうこれは山葵醤油で食べましたよ。我が家にはホースラディッシュもロースト用のソースもありませんですからね。

 大山倍達氏とは私は昔の浅草公会堂で、長女はシドニーで実際に目にしていたのです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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