2013-10

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量る方法

 中国で過ごした時 秋が深まりますと気温はぐっと下がって来ます。小学校に行く道のアカシヤの葉も落ちて冬がどんどん近付いて来ます。
 夜も早くやって来ます。学校からは寄り道をしないようにと親からきつく言われておりますから、キョロキョロ大好きな私も我慢して帰ります。
 当時お小遣いなんて貰った記憶はないですね。家に戻りますと偶に道路に出ている露店に買い物に行きます。
 買い物と言っても、南京豆や向日葵の種を買ったり、ハーシーのチョコレートかアーモンドロカ位です。アメリカのガムも売られていましたが、買ったことはありません。絶対駄目だったのはコカコーラでしたね。飲みたかったですよ。ガムだって買いたかったですね。親が許しませんから仕方がなかったですね。その所為か今も欲しいとは思いません。

 外が暗くなり、人通りの気配も感じなくなって来る頃、遠くから微かに聞こえてくるのが焼き栗売りの声
 低~いお腹に響くような声 「リーズ」=栗子 「リーズ」と段々声が近付いて来ます。
 
 門の外まで来たと分かりますと、門を開けて玄関に入って貰います。
 焼き栗は綿入れに包まれ、大きな手提げ籠に収まっています。
 値段の交渉もしたと思いますが、覚えておりません。

 覚えているのは棹秤で量る時のことです。焼き栗売りの男性の手元を良~く見ております。
 
      中国棹秤

 上の画の右にお皿がありますね。ここに品物を載せます。棹に紐がありますね。この紐を右手に持ちます。
 棹の左の方に分銅が下がっております。この分銅を動かして目方を量ります。
 そこで紐を持ちながら右の小指を棹にかけて重みを付けますと、目方を多く量ることが出来ます。この小指の掛け方で目方が変ります。
 ジッと手元を見つめております。そして小指を掛けたな~と気がついたら、直ぐに「不行」=駄目 と言います。そして量り直しをして貰います。このことを急に思い出しました。

 また思い出しましたね。老人です。

 多くのレストランが昨日から偽装表示を詫びていますね。言うことが卑しいですよ。言い訳が通用すると思うのですかね。詫びないよりは良いと言うことですかね。
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遥かなる夢?

 中国語の老師に中国の書法を教えて頂いております。
 書道とは言いません。不思議ですね。理由は良く知りませんが習う字は漢字だけです。
 以前一緒に習っていた方が、ご自分の所属する会の書展に作品を出すには、可なりの費用が掛かると話しておりました。
 その話の中で日展は誰でも応募が出来て、審査料と言いますか費用は一万円だと言います。

 私が夫にその話をしました。練習に行こうとする時「じゃ~ね行って来ま~す」と言いますね。
 すると夫は「日展作家行ってらっしゃ~い」と言います。

 今朝の新聞の話しから昔の知り合いの方のことを思い出しました。
 
 思い出すことが最近多いですね。そこが老人ですね。
 
 でその昔の話ですが、彼女は高名な書家の下に月に一回通っていました。その時に先生から頂く字 半紙に書いてあるんですよ。それが一枚数千円だと言うのです。
 稽古に行きお礼をしまして、また更にその一枚に費用が掛かると言うのです。40年ほど前ですよ。何だか腑に落ちない感じで聞いておりました。
 別の書家の友人がいますが、彼女は二人の先生のついております。名の通った書展で賞を得ています。自宅で書道も教えてもいます。ですがいま時は習う人も少なく、月謝は当てになるようなものではないと聞きます。

 今日の新聞で知りましたが、書道の世界はピラミッド型のように組み立てられたものらしいですね。
 日展に入選するかどうかは、日展で作品の審査をする書家に習っているかどうかが重要なことだと言うのですね。

 世の中 伝とお金ですかね。そうだと思うと嫌ですね。全うに生きるようにと言うことは普通の家庭での教えですよね。大家ともなると権威も奢りも出て来るのでしょうかね。

 そうそう亡くなったクラスメート趣味で自己流の書を書いておりました。どうも書道の専門店のカモになったようでした。毎年のようにその専門店で展示会をします。見に行きますとね。お世辞にも上手とは言えないんですよ。ですが彼の患者は義理だと思うのですが、買うのです。私はとても欲しいとは思いませんでしたね。

 今日の朝食と四日分を出して置きます。字は人にお見せするには、そうオリンピック辺りになれば高齢者としてお見せ出来たり?おかしいですね。

     朝食10月30日  朝食10月29日

     朝食10月28日  朝食10月27日

 名刺に日展出品という肩書を付けている方がいると言う冗談のような話を以前聞きました。ということはそれほど日展という言葉が重みを持っていると言うことですね。
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コサージを作る

 旗袍の縁取りに使う生地は色々とあります。普通はシルクですが、時には作る旗袍の生地を使うこともあります。
 普段着レベルですと同じ生地を使うと良いですね。
 何枚も重ねて和服の重ね襟のように配色よく綺麗に作ってあるものも珍しくありません。
 私はシンプルが好きですので、若い時は旗袍の生地を縁取りに使っておりました。
 今は手先が良く動きません。仕方がないことです。

 生徒さんの旗袍もシンプルなものが多いですね。でこのシンプルに一つ価値を加えて着て頂こうと思っております。それは縁取りの布処理の応用です。
 布地に薄く糊を全体に張ります。張る時には布目に垂直に張って行きます。糊が半乾きの時にアイロンを確り掛けます。それから縁取りに合わせて布幅を決めバイヤスにカットします。
 布地は切り口が綻びません。その特徴を生かしてコサージを作ります。

     コサージ1  コサージ2

 使う生地は旗袍と同じでもまた違う場合でも、必ず色のバランスは良く、使っていて違和感がありません。
 これは紐ボタンと同じ様に教えて行きたいと思っております。
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思い出しました

 今朝のテレビも有名ホテルでの偽装問題を取り上げていましたね。
 弁護士が出て参りましてね、偽装や誤表示について法的な解釈をしておりました。
 罪の内容や罰金のことですね。
 ま~色々とありましょうが、ホテルでの調達部が発注し調理部に渡すなんて言っておりましたがね。
 調達部が品物を決める訳でしょうから、調達部からしておかしいではありませんか。
 違う品物を納入した業者は怒られ、取引中止になりません?おかしな説明ですね。

 と言うことであちこち覗きましたら今年の漢字」(偽)が復活!?と言う文字に目が行きました。
 そこで思い出しましたよ。2007年に「偽」が今年の漢字になっていたのですね。

 友人の亡き弟さんから送って頂いたパロディーの葉書 再掲載致します。
 
     2007年漢字 偽  最近の世相を一筆

 何だか良く似たことが起きていますね。眺めていますと何だか忘れた頃にやって来る?有名な言葉が重なって来ます。
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嘘つき

 社長の記者会見 偽装ではありません。誤表示です。
 これって世間を見くびっていません?
 
 誤表示って さつまいも=さつきいも
         ジュース=ヅュ―ス
         値段=値団
 
       こんなことではありませんか。

 偽装って  ウソを本当らしく見せると言うことでしょ。

 調理をする人が間違うとは考えられないですよ。余りに見え透いた話ですね。

 現場の間違い ええ? そうですか。そんなに長くやっていたのですか。
 
 社長は政治家みたいですね。トカゲのしっぽ切り?

     我が家は本物です。昨日と今日の朝食 です。

    朝食10月25日  朝食10月26日

 普通の家庭の和食です。一流ホテルの朝食とは言いません。朝買って来た物ではありません。朝作りました。
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歴史手帳

 アマゾンって便利ですね。
 最近は外出しませんので、何かと利用しております。
 欲しい物を探しますと大抵ありますね。
 先だっては整体の先生からのお薦めの田七人参もありました。健康第一と思い取り寄せ、毎日夫と二人で蜂蜜に混ぜて舐めています。

 この数年銀座に行く機会が無く、歴史手帳を買いに行けませんでした。数年に一回伊東屋で買っていましたのでね。
 クリスマス頃は伊東屋は楽しくてね。
 最近は近所の本屋や柏で探していましたが見かけませんので、仕方なく古い物を使っていました。
 若しかしたらとアマゾンで検索しましたところ、予約受け付けであるのです。
 よこれは良かったですね。直ぐに予約購入を申し込んで置きました。
 
 ところアマゾンでなくても本屋に注文すれば買えると分かりました。長女が気にしていて本屋で聞いて呉れたのです。電話があり要れば予約して置くけれどと言うのです。アマゾンに注文出してありましたから、大丈夫アマゾンで予約したからと返事をして置きました。
 
 
         予定通りに届きましたよ。

      歴史手帳  歴史手帳付録

 これを手にしますとね。何時も文筆業の方や研究者には必需品なんだろうな~と思うのです。
 私はこれを何時も見る訳ではないのです。偶にね。それでも字が余りに小さく、大きなルーペを使ってね。
 
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愉快な方からの贈り物

 最近とても楽しい方からプレゼントを頂きました。
 一人はブロ友のBOO子さんからのソーセージやハムなどの詰め合わせ。
 一人はチャイナドレスのお仲間からの栗きんとん

 BOO子さんは日本主夫連合の応援団仲間 ブログを拝見しますと若きご夫妻の日常に何時も心が和み、そして元気さに此方も楽しくなって喜んでいます。
 大阪在住ですがご出身は熊本 熊本の郷土愛に満ち満ちております。

       詰め合わせプレゼント

 余りに沢山で驚きました。最近の私の買い物難民状態を見越したかのようなプレゼントでした。
 娘たちを呼び、三軒で分けましたよ。そしてこのハムは私の好きなハムサンドにして昼に食べております。
 美味しくて嬉しですよ。

 もう一人はチィナドレス仲間の方からの物です。

       栗きんとん

 彼女は長年この栗きんとんを製造元から直送便で届けて下さいます。岐阜県の出身 歳は確か85歳?だと思います。性格は明るく、自立心は中々のものです。70歳の頃飛鳥に一人で乗船世界一周をして来ました。
 彼女の話の楽しさはもう聞く人がお腹をよじり笑い転げるほどの面白さ一杯です。
 仲間内で会うと必ずその生活振りや、交流関係での可笑しさに笑いが続きます。
 一つだけ紹介しましょう。
 
 私が駿河台の井上眼科で治療を受け、その頃は主治医制度でして、彼女は私と同じ先生に診て欲しいと言うのです。そこで待ち合わせて診て頂きました。彼女は白内障の手術を受けました。
 手術数日後電話がありました。
 「ね~私何だか入院してやつれた見たい」「何で?」「だって凄い皺なのよ」
 「あなた何を言ってるのよ。皺は前からよ」とは言えません。「そうお。そんなことないと思うわよ」と返事をして置きました。楽しいんですよ。そして可愛いのです。

 すやの栗きんとんが来ますと、直ぐ長女の娘に連絡をします。早速やってきます。3歳ころから大好きで、デパ地下でも素早く見つけ、私をそのケースの前に引っ張って行きます。
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久し振りの勉強

 10月4日の午前の中国語の勉強の後から休み続けて、やっと今朝早く老師の所に伺いました。
 15段の階段は19日目 手すりにつかまり、そう辛くも感じずに昇ることができました。
 
 とに角この二週間ほどのことを次々話しましてね。
 老師が餃子を持って来た下さった時、夫が少し調子が悪かったので、その話や、私の腰や脚の話になりました。
 今日はとても面白く、ためになる話をお聞きしました。

 「正骨科」という中国の医療の話です。整体や整形外科とは少し違うようです。

 それは正=正しいという字に骨ですね。骨を正しい位置にすると言う意味の科です。科は病院の~~科とか○○科と言うことと同じですね。
 中国の病院にはこの正骨科と言う部があるそうです。
 患者が腰が痛い、足が痛い、どこそこが痛いと言って来た時、それは骨を正しく戻し、痛みを除いたり、治したりする科だそうです。
 方法は例えば患者を横にし腰だと腰を自然に静かに柔らかく、優しくさするのだそうです。そのさすりながら、楽しい話や面白い話を患者に聞かせるのだそうです。患者の心はリラックスしその話に気を取られて、痛みを忘れている状態になるのだそうです。そのころ合いを見て治療者は患部をキクっと引いたり折り曲げたりし一瞬で治すのだそうです。但しこの治療法はベテランでの治療者でないと駄目だそうです。
 聞きますとね。近所にこのような治療院があれば、とても助かるな~と思いましたね。
 
 整体の先生もそれに近い治療をします。今回は少し強過ぎたと思いますが、以前私は右手親指が突然曲がり、痛みが酷い時整体の先生は、私の指の辺りをさすって呉れていました。突然思わず「痛い!」と大声を出しましたが、それで治りました。 強く指を引いたのです。似た感じですね。 

           今日の7階からの景色と朝食

     10月23日空  朝食10月23日

 朝刊を読みましたら「和食を無形文化遺産」のと言う字が見えました。新聞では色々な見方も書かれていますが。私は味噌・醤油が一番和食に相応しい物だと感じるのですがね。
 
 一汁三菜を基本とする食事スタイル、正月などの年中行事との関わりを和食の特徴と打ち出し、それは「自然を尊ぶ日本人の気質に基づいた食に関する習わし」位置付けたと言うのです。
 何かややこしいですね。何でも良いと言う訳ではないでしょうが、曖昧な表現ですね。

 しかし今は伝統食を始め日本の美味しい物はどちらかと言えば、商業ベースに乗せられて知られている物が多く、地域性もありますね。
 一汁三菜も旧家のような家ではそう言う形の食事をしているかも知れませんが、一般には崩れておりますね。
 和食店では懐石・会席料理が普通です。これは変化が早く、珍しい物、技巧的な物が求められているように見えます。無形文化遺産とは言え中心が動いてはいけないでしょうね。それは何を指すのでしょうか。 
 正月では餅はまだしもお節は贅沢を盛り込んだ高級な無国籍風な高価なものが出回り、片や面倒だからと、スーパで全てを賄うと言う世情。食の評論家ではありませんから、立派なことは言えませんが、目にし、知る範囲からすると、味噌・醤油こそが伝統的なものではないかと思う訳ですよ。でもこれじゃ登録出来ませんわね。
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ホームカミングデー

 20日の日曜日 明治大学駿河台校舎でホームカミングデーが開催されました。
 足に未だ自信が無く、残念ながら出席を諦めました。
 前日クラスメートに電話をし、事情を説明しました。誰も歳とっています。「無理はしな方が良いよ」と言って呉れます。
 1953年3月に卒業した私たちは卒業60年と言うことで大学から招待の案内を頂いておりました。
 卒業50年の時、これが最後になるだろうと、当日合同クラス会を持ちました。
 1949年4月 法学部に入学した者は大凡300名 5組のクラス
 その年全学部では3000人位の入学者があり、女性は法学部が一番多く20名ほどでした。
 後は政経学部に3名 商学部に2名 文学部に2名 そんなものでした。
 その最初からの5クラスはとても仲が良く、今に至るも個人的な付き合いも途切れずに来ております。
 
 50年の時 最後だと思っていたのが60年ですよ。昔は60年は招待はなく、50年が最高でした。
 思いもかけなかった60年 
 50年からの10年 その間多くのクラスメートは鬼籍に行って仕舞いました。
 今回 控室に現れた方は本当に少なかったと言うことです。そうでしょうね。全員80歳を超えています。

 欠席しましたので記念の案内はアップして置こうと思いました。

      案内1  案内2

                 引き換え券

 50年の時の記念品は懐中時計でした。今回の記念品は手ぬぐいだったそうです。どんなデザインのものでしょう。

 卒業後 私のクラス 5組は3年後位からクラス会を持っていました。その後徐々に各クラスもクラス会を持つようになり、クラスの世話人が集まり、合同クラス会を開くことになりました。

                合同クラス会

 このクラス会にはほぼ三分の一の方がお見えになりました。以来数年に一度開催して来ました。
 役はクラスの回り持ち 私は助っ人です。どのクラスの方とも知り合い、とても良かったと思っております。

 この第一回の合同クラス会にお見えになった先生 左から5人目は古関吉雄先生右へと野間繁先生、町田久一郎先生、林原耕三(耒井)先生、見波精先生です。

 この頃は皆さん企業戦士で張り切っておりましたね。何か集まりがあれば会社を背負って立っているかのような元気振りでした。それが年齢が上がるに連れて、血圧の話へと変り、そして検診の結果を自慢しあい、やがて孫子の話へと進んで来ておりました。今や夫婦で老々介護をするということ。 
 60年も経ちますと、家庭のことも良く分かっておりますし、遠慮もなく実情を話せる間柄となっております。
 
 ま~70年はないでしょうねと電話口で言いあっております。
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出陣学徒壮行会

 1943年(昭和18年)10月21日 この日東京は明治神宮外苑競技場で所謂学徒出陣と呼ばれる壮行会が執り行われました。
 その日は雨が強く、競技場に集まり、学徒出陣壮行会に臨んだ学生は分列行進で力強く歩を進めております。赤字からご覧になって下さい。
 それを送る女子学生はスタンドに並び、歩く学生に拍手をもって送っております。

 その当日 明治大学でも学生は記念館前に整列し、神宮外苑へと出発しております。

     43年10月21日学徒出陣柔道部HP  戦争と明治大学
 
 この中に居た卒業生と会いましたのは、学徒出陣の経験もある元総理の村山富市さんも時々お見えになる宝井馬琴さんのビジネス講談の夕べに行きました時でした。

 出陣式には日本各地から学生が参列しております。

    出陣壮行会  行進する学生

 学徒出陣56年目の証言を記して置きます。この証言は画像と組み合わせて詳しく当日の様子を伝えております。ご覧頂けるとまた良く分かります。

 今時代は変ろうとしています。どのような意見をお持ちであろうとも、多くの方がこの壮行会にも目を留めて欲しいと願っております。
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女学校 寄宿舎生活 続き

 寄宿舎生活は厳しいのです。三回の食事後、各人で台所に自分の食器を持って行き、洗います。
 この時上級生の厳しい人が「もっと綺麗に」と注意します。
 食事のマナーも厳しく、お箸の持ち方、使い方(箸は先の三㎝だけぬらす様にして食べる)勿論食べている時はお喋りはいけません。
 ひな祭りには和室の広間に段飾りのお雛様を飾り、夕食には校長先生が同席し、一緒に食事を取ります。それは節分の時もそうでした。校長先生が各部屋を回り、豆を撒き、そして一緒に食事です。そう言うことで色々と覚えます。
 食事の内容ですが、夕食に蒸かし藷と言う日もあり、またスイトンだけと言う日が良くありました。魚も時々でましたが、美味しかったと言う記憶はありません。お肉は記憶にありませんね。
 お天気が間違いなく良いと分かりますね。そうしますと登校前に僅かな中庭の布団干し場に布団を干します。狭いですから早い者勝ちです。そう言う時に素早い方がいるのです。それは昼食に戻った時に取り込みます。
 食事に量が少なく、お腹は何時も飢餓状態に近く、皆さん家から蒸かし藷や炒り豆(大豆やピーナッツ)等を家に帰った時持って帰ります。それを何かの合間に食べるのです。特に農村部から来ている生徒は豊かでしたね。
 私のような海辺の人間は、何だかチョッと肩身が狭かったですよ。だって貰うばかりですから。

 部屋は8畳 そこに4人入ります。6室位だったと思いますからそう多い人数ではありません。
 その部屋に各学年を縦割にして組み合わせます。半年に一回部屋の交換があります。
 舎監の部屋の前にお部屋割が張り出されます。その時の気持ちは複雑です。だって多少の好き嫌いはありますし、特に行動に問題のある生徒もいますからね。
 部屋の移動の時は大騒ぎです。
 部屋の南側は出窓になっております。窓の内側に板張りは本当に狭いのです。その窓の下の壁沿いに各自の机を並べて置きます。
 黙学の時は、その机を電気の下の持って来ます。机の配置は下の図のようにします。

       寄宿の机

 電気の光は左側から差す様にします。その為に机の配置を上のようにし、書く時も右まで明るくなっています。
 これは実際の教育ですね。

 洗濯場と洗面所と一緒になっていましたが、銭湯の棚のように各自の洗面道具を置いています。
 洗濯は洗濯板を使い、石鹸を付けてゴシゴシと洗いますね。
 
 大体農村部からの生徒は、お嬢さまですね。そのお嬢さまも野菜作りをします。
 植え付けや、虫取りはま~良いですよ。ですが肥料を掛けるのは大変です。トイレは和式で水洗ではありません。そのトイレから肥料になる便を汲みだして肥え桶に入れて運ぶのです。
 これは想像を絶しますでしょ。うっかり自分の足にでも掛けたら大変です。慎重に行動します。
 辛かったですね。でも食材は少なくなていますから、せめてと言うことですね。

 戦争が激しくなり、本土への空襲が始まりました。学校にも艦載機が飛んで来ます。銃撃をしますから、空襲の時、寄宿にいますと、部屋の押し入れに皆で入り、空襲解除になるまで過ごします。
 そのような仲間ですから、友情長く続いているのでしょうね。
 
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女学校 寄宿舎生活

 先週の木曜日10日 この日のために焦って整体に行きました。
 それでま~行くことは取り止めましたが、珍しく着るものを買ったのです。そしましたら寒さが襲ってきまして、もう外出着には向きません。
 この10日の会合 会場は房総半島にある鴨川市の簡保の宿 出た人の話では可なり良かったそうです。
 
 何の会かと言いますと昭和19年、20年、21年に千葉県立安房高女に入学し、寄宿舎に入った寄宿生の集まりでした。
 この3学年の生徒は学制の変わり目に会い、長い人で6年間寄宿にいました。中学3年と高校3年分ですね。
 ですからとても親密なのです。今回は20名 毎年回り持ちでお役をします。今年は私達の学年でした。

 寄宿に入るのは通学に不便な土地に住む生徒が中心です。
 鴨川の奥に嶺岡と言う丘陵地帯があります。当時はその奥の村から館山までの通学とても無理でした。また水田三喜男さん(元代議士)の出身地などもそうでした。今は殆んど字で残っているような農村です。
 で私はバスで通学が出来ますが、親が中国にいるため祖父母に負担を掛けないように寄宿入りました。
 この寄宿生活はそれはそれは厳しいものです。校舎と寄宿は廊下で繋がっていますから、勝手に外出は出来ません。一応許可が出たものとして、本屋に行く位ですね。喫茶店に行くなど論外です。
 家に帰る土曜日 先ず金曜日に出入り携帯簿という冊子に出舎時間を書きいれて舎監に出し、そこに印鑑を貰います。家に着くと親はその時間を携帯簿に記入します。 
 日曜日 家を出る時間を親がその携帯簿に記入します。寄宿に帰りますと、到着時間を記入し、舎監に提出します。これで手続きが終わります。途中勝手により道は出来ません。

 朝 起床時間は勿論決っております。鐘が鳴りますと飛び起き、先ず部屋の前の廊下に並び、上半身出して、夏は冷水摩擦、冬は乾布摩擦 それが済むと布団を上げ、部屋の掃除をします。トイレや食堂などは回り持ちでします。洗面後廊下に並び、朝の点呼を済ませ、食堂に行き、部屋毎のテーブルに座り食事となります。
 食事の内容ですが、ご飯は丼によそってあります。味噌汁は自分でよそいます。おかずは生卵か何か一品
 漬け物はテーブル毎に器に入れられており、それを誰かしらが各人に分けます。大体4切れですね。
 食事は済みますと部屋に戻り、廊下つたいに学校に行きます。
 
 昼食は寄宿に戻り、食堂に行き食べます。戦中、戦後に掛けての食生活ですから内容は凄いですよ。
 麦めしは当り前。藷飯 ジャガイモ飯 大根飯 海藻飯 大豆飯 等です。

 授業が終わり寄宿にに戻ります。そして洗濯をしたり、買い物に出かけたりします。また銭湯に行きましたね。
 戦後は寄宿のお風呂も沸かしましたが、銭湯通いが多かったですね。

 夕食までの間 曜日により稽古事が待っています。例えばお花、お琴などです。どれかしらやりませんとね。
 そして時には菜園の野菜の手入れです。

 夕食は早かったですね。夕食が済みいますと午後7時から9時までは黙学と言いまして、お喋りをして駄目。勉強しなさいと言うことです。試験の前でも絶対延長しては呉れません。
 黙学が終わりますと机を片付け、布団を敷きます。
 それから部屋の前に並びます。夕礼となります。当番の部屋の上級生は「本日の在寮者~~名 病気~~名」と報告をします。そして自由があります。ほんの30分程ですが、この貴重な時間 他の部屋に行きお喋りをしたり、時には枕飛ばしをしたります。そして就寝

       寄宿舎

 この写真は創立100周年の東京で開催された女学校の同窓会(芳誼会東京支部)でスクリーンに写されたものです。寄宿舎の写真は持っていませんので、とても懐かしく眺めました。
10日は一年下の伊東万里子さんも出席されたそうです。上の写真を見た時の会にもお見えになり、寄宿生の慣習で上級生への呼びかけ「お姉さま」と呼ばれて何だかワクワクしました。

 私は両親が引き揚げてきてから暫らく経ち自宅通学になり、比較的短い寄宿生活でしたね。                                                
                              続く
 
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部屋食にして

 姑の晩年 テレビでナツメロが放映されると分かる時 部屋でゆっくり見ながら食事が出来るようにと姑の夕食はお膳に揃え、姑の部屋に持って行きます。
 夫が「今日は部屋食だぞう~」と言いますとテレビに合わせて作って置きます。
 姑はカラオケも大好きで、喜寿の時にカラオケセットをプレゼントしました。姑の叔父は平間文寿と言う明治33年生まれのオペラ歌手(テナー)その所為か歌は上手でした。声も良く出ましたね。
 部屋食には大満足していました。私は常に忙しくせかせかしており歌はメロディーは聞いても歌詞はとても覚えていません。今にして残念に思っております。

 16日の夜 東京TVで「懐かしの昭和メロディー」と言う番組 丁度夕食の時になります。
 多くの知った歌手が歌います。夫は耳が良いですから、出だしの一小節で直ぐ何を歌うか分かるのです。
 私も大凡は知っております。改めて聴きますと女はどうも従うという物が多いですね。

 この日の中で「織井茂子」の「君の名は」が歌われました。

 君の名は は連続ラジオドラマの中で歌われたものです。この放送が始まると銭湯の女湯はガラ空きになっていたそうです。私は仕事の関係で聴くことは出来ませんでした。昭和を代表するドラマだったそうです。

 中国青島の小学校で学んだ同学年の会 青島羊会の懇親会は確か今年40周年を迎えたと思います。
 大分前 チョッと風呂敷を広げる男の子から会の前日電話が入りました。
 「明日の会さ~ この会を見に行きたいと織井茂子が言うんだよ。連れて行くけど俺が一万円出すから、あと一万円出してくれないかな~」と言うのですよ。
 何時も織井茂子を連れて行くよと言っていましたが、本当に連れて来ると言うのです。で一万円を用意し会場に持って行きました。
 勿論歌って頂きました。「君の名は」や「黒百合の花」などです。チャンとテープをバッグに入れて持っています。
 記念に一緒に撮って貰いました。

          織井茂子と

 この頃羊会のお世話役をしていましたから、お礼を渡し並びました。役得ですね。
 この会の後 出席者全員で彼女のクラブに繰りこみました。クラブの中は貸し切り状態。
 皆がハシャギ 全員は座れませんからホールの中で立ちっぱなし。中村八大さんも真中でハシャイでおりました。
 写真がどうしてか見つかりません。八大さんは勿論彼女を知っていたでしょうね。

 最近歌謡メドレーとか古い歌を聞きます。毎週月曜日のBS日テレの BS日本・こころの歌 フォレスタもそうですね。
 そして二人は「君ちゃんと同じ 部屋食になった~」と口に出しています。
 君ちゃんは姑の愛称です。家族は皆でこのように呼んでおりました。
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台風

 台風26号は日本の南岸を北上し、関東地方は15日から16日に掛け、強い雨風に見舞われ、大きな被害を齎しました。
 この辺りも強い風が吹き、雨も可なりの量が降りました。
 15日の夜からテレビは各地の様子を中継放映しておりました。帰宅を急ぐ人、ホテルに泊まる人、店はどうするか迷う人、様々なことが流れています。気象庁の情報も流れます。昔はラジオに頼ったのですが、今はその面では隔世の感がありますね。
 15日は湿気も強く、夜中になってもなかなか寝付けずにいました。
 窓が昨年新しい物へと取り換えられていたからでしょうか。全く外の物音は聞こえて来ません。
 16日の午前5時半に起き出し、PCに向かいました。
 可なりの被害が出ています。
 朝食時テレビは関東圏の被害状況を中継で流しております。
 千葉県では河川の増水で避難指示が出されている地域があります。
 心配で妹に電話をしましても繋がりません。停電だったのです。
 我孫子でも避難所の開設が市の広報から知らされて来ました。受信の登録をしてあります。
 昨日からテレビで伊豆大島の土砂災害の状況が時間を置いて放映しておりました。
 大きな被害が出ています。

     朝食10月16日  朝食10月17日

 15日の夜には未だ大きな台風だと言われていても、関東圏までは中心は来ていなかったのですね。
 新聞朝刊では大きくは扱われてはおりません。夕刊で大きく取り上げられていました。
 今日はトップ記事です。大島で発生した土石流は多くの犠牲者を出しております。
 土砂に巻き込まれているのかも知れない、行くえ不明者の救出が早く進むことを願ってニュースを見ております。
 昨日は東京圏の交通網は大幅に乱れ、また関東圏全体の道路でも冠水、陥没などの被害が続出しておりました。
 
 孫二人も学校は休校になっておりました。災害が大きくなって来ているような気がするこの頃、台風の時には必要のない外出はできるだけ抑えて方が良いと思いますね。

 今日の朝日新聞天声人語から

 『日本に近づく台風の進み具合は、小川に浮かべた笹舟(ささぶね)に似ている。初めは岸辺をうろうろ漂っているが、流れに乗ると、あっと言う間に下っていく。川の流れにあたるのが偏西風だ。とりわけ秋の台風は、いきなり動きを速めて駆け抜ける▼典型的な26号が通り過ぎたあと、伊豆大島(東京都大島町)に深い傷が残された。記録的な大雨をもたらし、土石流が走って住宅を埋めた。死者は10人を超え、多くの行方が分かっていない▼御神火様(ごじんかさま)と呼ばれる三原山が煙を吐く火山島である。27年前には噴火で全住民が島外へ避難した。いわば「地異の島」として防災には気を使っていたはずが、昨日は避難勧告が出ていなかったという。「天変」には油断があったのだろうか▼この夏から気象庁が始めた特別警報も出なかった。異常な雨量を記録したのに、目安となる「県単位の広がり」がないなどで見送られたそうだ。特別警報は自治体に住民への周知を義務づけている。杓子定規(しゃくしじょうぎ)な運用では、せっかく造った仏に魂が入らない▼滞留の長い鈍足台風も厄介だが、急にギアが入る秋台風は対策が後手に回りがちだ。気象や防災関係者の戒めだと聞く。その轍(てつ)を踏みはしなかったか。被災地に広がる台風一過の空がつらい▼天衣無縫(てんいむほう)をもじった「天威無法」なる創作四字熟語を前に小欄で紹介した。竜巻、猛暑、豪雨、台風と続く今年はその感がひとしおだ。早めに逃げて、空振りなら喜ぶぐらいの防災文化を、役所も私たちも創り合いたい。』

 大島は私が若いころ三原山の大きな噴火があり、住む町から西へと海岸沿いを行き、房総半島の最西南端になる辺りに行きます。その場所から噴火している様子が見られました。夜は赤い溶岩が吹きあげる様子が見え、まるで爆発音が聞こえてくるような気がしました。
 冬には大島はくっきりとその姿を見せて呉れます。海を挟んで見える大島。今 町は大変状況になっております。
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老師からの差し入れ

 中国語と中国書法を教えて頂いております。
 北京出身の老師はお忙くされていますのに、時々お手製の餃子やワンタン、饅頭等を届けて下さいます。
 マンションの同じ階段を使いますとお互いの扉の前に立つことが出来ます。
 ですが私は先ずエレベーターを使い上に行き、それから廊下を歩き、階段を一段昇ります。
 ドアを開けて下さる老師は必ず転ばないように手を差し伸べて下さいます。
 在日が長い老師は日本の風俗、習慣にも可なりお分かりになっていられ、ご近所との会合にも出席されますし、市内のでの国際交流への参加でも積極的です。
 
 私は階段の昇降がチョッと無理なような感じがありましたので、この2週間はお休みさせて頂きました。
 老師は気を使って下さり、ワンタンや餃子を差し入れて下さいました。

 最初の頃 餃子も茹でて直ぐに階段を駆け降りるようにして届けて下さいましたが、最近は私が此方で茹でますからと申し上げたので、餡を包むと直ぐに届けて下さいます。今回もそうでした。
 写真は撮りませんでしたが、以前のがありますので並べて見ます。

     ワンタン  餃子

 下さる時は必ず何時頃に届けますよと連絡があります。そこで私は大鍋にお湯を沸かし、沸騰させてから一旦火を止めて待ちます。
 届けて頂きますと早速再度点火し、茹でます。この茹で方や茹で時間は長く自分でも作った経験がありますから、問題はないと思っています。この一枚の分量は二人で充分です。

 子ども頃 家のお手伝いさんと競争のように皮を伸ばし、餡を包んだ餃子 随分沢山お腹に収めた物です。
 その頃 母はひき肉を使わず、肉を叩き細かくして使いました。私は肉を叩く手伝いをしたものです。
 当時中国青島では肉屋の店頭で豚を縦に割った枝肉をぶら提げ、お客の注文でどの部位が良いかを切って呉れます。母の言い付けで豚肉を買いに行きます。何処の部位が良いかは自然に覚えて来ました。
 店に行き、買う部位を指さします。そうしますと包丁で切って渡して呉れます。その店ではどの部位も値段が同じだと母が話しておりました。値段までは覚えていませんが、どの部位が良いかを指さした記憶は鮮明です。
 青島は青島牛と言われる牛肉も当時のブランド牛だと言われ、牛肉も可なり安かったのでしょうね。
 父が食いしん坊でしたから、週一回位はすき焼きでした。
 妹が生まれた日 その日は青島に来ていた叔母が食事を作って呉れました。それがすき焼きで、食べようとしましたら何故か停電になったのです。
 暗い中ですき焼きを食べましたね。
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連続性

 我が家の食事は和食中心です。特に朝食は和食が決り
 毎日のことですから、習慣的に作るって言って良いような感じです。
 種類も多く、バランスも良くと考えます。一番出てくるのは残り物でしょうね。
 時には朝になって慌てることもありますが、冷凍の物は夜に冷蔵へと戻して置きます。
 全体に「オーバーラップ食事」と名付けて良いと思っていますよ。
 4日に朝食の写真を撮ってから12日の朝になるまで撮ってありませんでした。
 
 そこで4日から飛んで12日・13日・14日と4日分を下に出します。と言うことで和食だと分かって頂けると思います。

     朝食10月4日  朝食10月12日

     朝食10月13日  朝食10月14日

 4日は鮎の一夜干しがメインです。これは徳島のちゅんごさんから頂いていたのを冷凍して置きました。
 3日にスーパーに2回往復し、何だか嬉しくて取り出し焼きました。
 煮物は何回も出て来ます。煮物は夜にも同じ物を出して食べます。何しろ食べる量が少ないもので、なかなか減りません。で少なく煮た心算でも何だか多いのですね。
 今日は体育の日ですね。テレビでは老人パワーの紹介がされています。日本や世界には凄い高齢者の方がおりますね。もう驚き以外のなにものでもありません。
 でパワーを付けたいと言う訳ではありませんが、今朝の夫のメインは月見山かけです。魚は私ほど好きではありません。特に骨のある物は少しになります。秋刀魚の干物は13日の朝の残り物で私はこの半分を食べ、また尾の方を冷蔵庫に仕舞いました。今夜の私の一品ですね。

                月見山かけ

 この写真ですが、貝柱粉末を掛けたキュウリを写した時のように縦に写しました。
 数日前?テレビでお料理の写真の写し方をプロの方が紹介しておりましたの、私もそれで早速その方法を使って見ました。
 この月見山かけですが、山芋を小さなすり鉢で摺り、そこに卵の白身を良~く摺り込みます。そして黄身と合わせて、海苔を少し掛けたものです。出汁を混ぜてのとろろも美味しいですが、沢山食べることがありませんので、このようにしています。
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カニ缶

 腰の痛みで動きが鈍くなっています。日が経てば治ることでしょう。
 別に内臓に悪い所はありませんが、やや血圧が高いと言うことで、病院の先生から減塩をするように指示されております。
 前にも書きましたように好きな鮨を控えるようにしておりますが、それでも夫が好きですので娘に買って来て貰ったり、ネットスーパーに注文をしております。
 パックの鮨は種が色々ありますが、特にと言うことはありませんね。そこでネットスーパーに頼む時には好きな種の握りを数個別に頼んだりします。
食事の内容も普段と少し違いますが、冷蔵庫の中を覗いたり、ストッカーの中を調べたりして、ま~何とかそう困ることなく過ぎています。
 ストッカーに缶詰があり、その中のカニ缶を使いカニ丼を作りました。
 
      缶詰たらば解し身丼

 鮨飯は冷凍でいくつかありましたので、これを使いました。自家製の安心鮨飯です。このカニほぐし身は缶詰半分を使いました。

 カニ缶を使い美味しい押し鮨を作って下さったのはドイツ語の先生 菅藤高徳先生の奥さま 節子さんです。

 ある年の暮 私は菅藤先生のお宅に年賀状の宛名書きのお手伝いに伺いました。
 夕食に奥さまが作って下さったのがカニの押鮨でした。
 私は未だ若かったので、その押鮨の少ないことに驚きました。缶づめを使い押鮨とお吸い物を作られたのです。その日は一緒に伺った久野勝先生の奥さまと四人です。

 所が今私の生活では缶詰の半分で足りるのです。数えて見ますとその時菅藤先生80歳位だったでしょうね。
 今になってあの押鮨の量が良~く分かりました。

 菅藤先生はペンネームを小暮亮と言います。芥川賞の候補になった作品もあります。ですが先生はそんなことは噯にもお出しになりませんでした。
 奥さまは婦人雑誌主婦の友の服飾記事の執筆者でもあり、デザイナーでもありました。家庭では賢夫人そのものでしたね。
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好きな一品

 手元にある干し貝柱の粉末 様々なお料理に使うことが出来ます。
 一番のお気に入りは焼売の餡に混ぜるのです。が忙しい時、もう一品欲しいと思った時
 これが大いに役立ちます。
 このところ台所に立つのを最小限にしておりますから、この粉末が出番です。
 出来合いの総菜は味も濃く、どちらかと言いますと甘すぎるのです。ですが今は色々作れる状態ではありません。
 夫も慣れない食卓の準備をして呉れますが、総菜を作ることはとても無理な話
 そう言う時には良いですよ。

        貝柱粉

 キュウリを切り、軽く塩を振ります。時間を置いて水けを切り、器に盛り付けます。
 その上に干し貝柱の粉末を掛けます。そして胡麻油を振りかけて食べます。

 勿論他の野菜でも良いですよ。キュウリと蕪を合わせたのも良くしますね。
 
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栗の渋皮煮

 昨日栗を二女から貰いました。立派な栗です。
 二女が剥いて来て呉れたものは栗ご飯にしました。丁度新米を頂いていましたので、塩少々と日本酒少々入れて炊き上げました。
 腰を痛めていますので、生のは唯茹でるだけにし、茹でて笊に揚げそのままにしてあります。

        栗

 二女が「渋皮煮ってどうしたら良いの」と聞きます。「渋皮煮ってね。結構手間が掛かるのよ。何回か前に煮たことはあるけれどね」と言いますと「じゃ~今回は見送り」と帰って行きました。

 栗の渋皮煮を知ったのは1952年の秋でした。
 当時私は学校の女子寮で下級生の方と6畳の一間で一緒に住んでいました。劣悪な女子寮です。戦後すぐに大学が購入したと言う中島飛行機の家族寮だっと聞いています。
 女子寮は各自自炊です。狭い廊下で炭火を使い、コンロで煮炊きをします。
 同室の彼女は広島出身で原爆投下の日 女学校1年生だった彼女は体調が悪く欠席をしていたそうです。
 クラスメートの多くの方が命を落としたそうです。
 母親だけの彼女は奨学金とアルバイトで学費を賄っていました。
 アルバイト先は岩波書店 
 その頃九段には財団法人学徒援護会日本学生支援機構)が旧近衛兵舎跡に学生会館を設けておりました。今の武道館辺りはそうですね。その学徒援護会から優秀な勤労学生に幣原賞と言う褒賞が与えられておりました。
 彼女はその幣原賞を受賞したことからか、大手の某新聞社の編集長の秘書となりました。

 ある日夜帰寮した彼女 「新聞に秋の料理を載せるのに、記事を書いて来いと言われたのよ。どうしよう」と言います。さ~大変ですよ。二人とも毎日簡単な物しか食べていませんしね。第一秋の料理なんて分かりません。
 私が持っていた主婦の友の薄い料理本をめくりました。そこで見つけたのが栗の渋皮煮です。
 「これしかないわ。仕方ない。これを書いて持って行けば」と彼女はそれを書きとり、翌日会社に持って行きました。
 二人とも心配でなりません。それが夕刊の記事になって目の前に出た時、読者からクレームがあったらどうしようと。
 二人は心配の数日が過ぎました。
 幸いに全く問題は起きなかったようです。見たことも作ったこともない栗の渋皮煮 それを実際に作ったのは35年位経った時でした。栗を見ますと必ずあのドキドキの日に思いを馳せますね。

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安全を求めて

 15年ほど前、農薬による問題を考えるようになりました。特にお米のことに神経を使うようになっていました。
 オパールネットワークの会員の方の勧めて下さった山形の農家の方から、合鴨農法で栽培された無農薬のお米を送って頂いておりました。それが数年後のお米騒ぎで市場からお米が消えた時、合鴨農法で米を一緒に耕作していた仲間が高価で売って仕舞ったと言う理由で私に送れないと連絡が来ました。
 信頼を築いていた筈でしたので、ショックでした。
 その後千葉県多古町の農家の方と知り合い、今はその方のお米を送って頂いております。
 山形の農家の方は年賀状も送って下さいますし、昨年は新米を送って下さいました。
 ですが、一旦信頼をなくした方から買いたいとは思いません。

 娘たちは生協での買い物が多くなっています。あの3月11日からは特に食品への安全重視で水もボトルのを使い、無洗米を炊いております。生協の無洗米は遠くの物が何時もあるとは限りません。
 そこで見つけたのが熊本で栽培されている米です。
 赤ちんさんが応援している方のお米でです。
 その米作りの方の稲刈りの様子がブログで紹介されていました。

     赤ちんさん米3  赤ちんさん米2

 稲刈りの様子を見ますと、昔のことを思い出しますね。女学校で秋の勤労奉仕で農家に行きますでしょ。
 稲刈りは稲の束を持ち、鎌を束の向うから引いて刈ります。そして農家の方の指示で束ね肩に担いで運びます。
 鎌の砥ぎ方も覚えましたね。今の中学1年生の時でした。麦刈は大麦の穂が痛くてね。辛かったですね。

 話は変りますが、この数日大手のスーパーで売られていた弁当やお握りに使われていた産地偽装米の問題は糾弾されるべきではないでしょうか。消費者を欺くという悪徳商法でしょ。
 大きなペナルティーを与えるべきですよ。今朝のテレビも報じておりましたが、その偽装は5年ほど前から始まっていたようです。嫌な時代と言うのは簡単ですが、問題は大きいですね。
 
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 中国語を習う人が減って来ているようです。日中関係にも関係するのかも知れませんが、一般にカルチャーセンター等でも外国語を習う人が減って来ていると耳にします。
 戦後の英会話ブームはとっくに昔話になっているのでしょうか。
 韓国語のブームも下火になっているようですね。

 初めて中国語を習ったのは中国青島の小学校4年生の時でした。
 先生は松本先生と言う女性でした。教室にチャイナドレスを着てお見えなりました。
 我が家にお手伝いに来ている少女や小母さんとは違う長い丈のものでした。
 戦後随分経ってから先生が戦後すぐに自殺されたと伝わって来ました。
 習った時の本 支那語の本は大連に転校したお友達の手紙で大連の授業でも本は同じ物だったと知りました。

 秋天到了 秋が深まって参りました。マンションの入り口の金木犀は大木に育ち、はや花は開き初め風に香りを載せて、4階まで届けて呉れています。灯火親しむ候ですね。

         金木犀

 私の最近の中国語は日常会話が主体です。内容はどうしても身辺の起きた様々なことが中心になります。
 チビ孫の話は良く出ます。また日本語と中国語の比較は毎回でて来ますね。
 昨日の朝日新聞天声人語で見ましたが、スピーチをすることへの心構えを作家故丸山才一さんの例をトップに据え。人前で話すにはそれなりの準備が大事だと言うことです。最近は五輪招致のプレゼンがあったことからか、人前で話すと言うことへの関心が高まっているようです。
 このことは私にとってどう言うことかと言いますと、中国語には熟語が沢山あり、表現をする時に四字で多くのことを伝えられると言うのを常々良いな~と思っているからです。
 で自分もそうすれば良い筈ですが、駄目なんです。
 
 昨日は老師に「家で復習していますか」と聞かれました。
 「していません」これあれ~あれこれ~と理由が出て来ます。老師はそれをお聞きになり次のように仰いました。
 
     時間是海綿里的水 不擠不出来 
  
 時間は海綿の中の水ですね。絞らなければ出てこないんですよ。と言うことですね。10分でも20分でも復習をしなさいと言うことですね。何だか恥ずかしいですね。
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交差点を眺めて

 昨日は午前、午後と2回近所のスーパーに行きました。
 台北行きの旅費の支払いが4日までになっていましたので、その支払いにスーパー3階のJTBに行き、用を済ませて1階に降り、一階のトイレに寄り、少し買い物をして戻りました。
 玄関のドア―を開けようとしましたら鍵がありません。持ち物の袋の中にも見当たりません。
 仕方なくブザーを押しました。何回押してもドア―が開きませんし、中からの応答がありません。
 トイレに入っているのかな?と思いましたが若しや倒れていやしないかと?
 やっとドア―が開きました。
 昼食後スーパーに問い合わせしましたら、届いておりました。2,3質問がありましたが丁寧な対応でしたよ。
 鍵がないと困ります。届いていますので夕方再度出掛けました。
 丁度小学生の下校時で子ども達が見えます。

       下校

 北から南へと家路に向かう子ども達は右側を歩いて行きます。その先に歩道橋がR6を跨いで掛けられております。その歩道橋は8月末に利用が出来るようになった物です。
 駅周辺のマンション群から既存の小学校に多くの子どもが入学転入し、小学校は満杯
 通学路には左側の道を利用しており、朝は歩道橋は子どもで詰まっているような感じでした。
 交通整理にお母さん方が当番で上の交差点で子ども達を誘導しておりました。
 新し歩道橋が出来たので、お母さん方の負担も少しは減ったかも知れませんね。
 
 この歩道橋は国からの補助が1億円あったそうです。長い工期でしたが、両側から昇降階段が出来た後のR6号の上を渡すのはどうするのかと思っておりました。ある日案内が張り出され、夜中に通行遮断をし掛けると言うのです。そんな難しいことをするのって凄いな~と思っていました。それをYouTubeで撮っている方がいるのですよ。ビックリしますね。それはこれです。

 歩道橋は専ら通学路ですね。大人が歩いている姿は目にしておりません。安全が第一です。
 従来の歩道橋も修理をすることになっているそうです。

       歩道橋

 その古い歩道橋に立ち、新しい歩道橋を眺めておりました。
 その私に声を掛けて下さったのはシャープな感じの女性です。
 「良かったですね。安心ですよね」と同じ思いです。そして私の着ていた上着に目を止めて質問をなさいます。
 着ていたのは古い中国の木綿で作った立ち襟の中国風の物です。暫らくそれを切っ掛けに、チャイナドレスの話になりました。その方もチャイナドレスに関心があったようです。着るもの談義が暫らく続きました。
 そしてその方の日々の過ごし方も伺いました。
 自然に近い生活を目標にし、家もそのような考えを入れて新築されたそうです。昼は殆んど自転車で畑に行き野菜作りをされているそうです。魚肉以外の食材は殆んど買わずに済んでいるそうです。
 誰もが出来る生活ではありませんね。とても素敵な方でした。
 その方とスーパーまで一緒に歩きながら服飾談義が続きました。着たい物がなかなか見つけられないと言う点では同じでした。
 鍵は無事に手元に戻りました。昨日はスーパまでの2回の歩き、そして素敵な方とお喋り 良かったですね。
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元気でなければ

 このところニュースで見る限り、老いて行く二人は何かと気になります。
 孫子のことは楽しい話題ですが、先行きのこととなりますと、何処からか不安が押し寄せて来ます。
 自分の心身の衰えは自然、当然なことですが、社会的に見ますと、この国はどうなって行くのか。どのような展望があるのか。庶民の生活はどう変わって行くのか。
 
 昨日は消費税増税を安倍総理が決定と発表されました。
 国を賄うということの難しさは大変なことですから、税収入が大切なことだとは分かります。
 この増税もまた賄のありようが問題になりましょう。
 納得行く使い方をハッキリと示して頂く必要がありますね。(この辺は政治家と産業界、対外国など必ずしも見えない部分があると推測しますがね)
 税の行方を見守り、老人問題を見続けて行かなければと思っております。

              朝食10月2日

 高齢社会になっていると言うことで、老人問題に絡む社会の動きも気になります。
 出来るだけ寝たきりにならないようにと、二人で励まし合い過ごしております。

     朝食9月27日  朝食9月29日

 世代によりニュースの見方も違って来ます。私もそうでした。若い時には年金問題など見えもしませんでした。
 仕事をしている時には若者の行動に大きな関心があり、若者のエネルギー、その先にある国の政策等のことは大きな関心事でした。
 今は社会の様子や国の姿勢も大きな関心事ですが、それと同時に我が身に関わる医療や老後問題が大きくなっていますね。
  

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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