2013-12

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皆さまに感謝

 ブログを初めてから7年半が過ぎました。
 今ではブロ友と言う言葉も当り前のように使っていますが、最初の頃はそういうことに触れる機会もありませんでした。それが今やどうでしょうか。
 お婆さんは沢山のブロ友さんと交流が出来ています。
 昨日のブログにもコメントを沢山頂きました。
 明日から丁度4ヶ月で満83歳になります。何時までも元気でいたいとは思いますが、伏兵もあります。
 一昨年の秋から大腿部の痛みで、遠くには出掛けられませんでした。
 
 今年4月その私に会いに来て下さったのは徳島に住むちゅんごさんです。
 メタボ夫婦さんが会長をされております、日本主夫連合の会員です。私は応援団の一人として参加させて頂いております。徳島の池田高校で教員をしていたクラスメートと仲良しだった私は徳島にとても興味がありまして、ちゅんごさんと交流を深めておりました。
 東京へご夫妻でお見えになった時、時間を割いて我孫子まで来て下さったのです。

 我孫子には3月に台北の林さんが来て下さり、4月には中国服研究会の仲間が来て下さいました。
 また5月には青島時代の友人でソウルに住む金さんが訪ねて来て下さいました。 
 本当に有難いことです。

 ブログでの交流は私にとって実に有難くまた貴重な存在です。毎日のように訪問をして下さったり、また励ましのコメントを残して下さっています。

 2006年からブロ友さんから頂いたプレゼントの数々 珍しい物や大好きな物など、日本の美味しい物を沢山頂きました。
 
 旧知の友人からもこれまた沢山のプレゼントを頂きました。中国語の老師からの頂き物も嬉しいことです。

 今日は朝から正月の準備です。大したことはしません。食も細くなっていますので、今夜の年越しソバも怪しいものです。

           ヴィーナスの誕生

 昨日幼なじみの友人からとてもカラフルなお菓子が届きました。綺麗ですので載せて見ます。
 
 最後になりましたが、皆さまとても感謝を致しております。厳しいことが沢山ありますが、どうぞお元気でご活躍下さいますよう願っております。
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衝撃的

 テレビは歳末番組で、ニュース性の高いものから、スポーツやバラエティーまで幅広く取り上げ、今年を振り返っております。
 私にとってとても辛かった事の一つは50年もお付き合いさせて頂き、またご指導を頂いた精神分析振興財団理事長の武田専先生がご逝去されたことです。
 年賀状の数が少しづつ減って来ます。亡き人の宛名を消す時、そうだあの方は元気かしらとか、あちらはどうされているかしらとか頭の中を駆け巡ります。宛先に見当たりませんと賀状が戻って来ますと、心が騒ぎます。
 
 去る者は日々に疎しと言いますね。人も事件も昨年はと思いだそうとしますが、中々浮かんで来ません。
 この一年何があったかしらと考えて見ますが、大方忘れていますね。
 テレビの前で、ああそう言えばこれって今年のことだったわねと分かり呆れて仕舞います。

 でこの歳末と言いますか、12月下旬に起きた事を忘れないようにと朝食を載せて置きます。

      朝食12月26日  朝食12月27日

 この二日間の新聞記事はある意味で関連があるでしょうね。日本のこれからをどう持って行くのか、お婆さんは国民として、選挙権を持つ一人として見つめて行こうと思っております。
 この朝刊に関わる事柄は長く心に留まって行くことでしょう。
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甘酒利用の簡単漬け物

 今年も2日しかありませんね。歳末って何かと気が急きますね。毎日がサンデ―の様な私でも気分は忙しいのです。
 不思議なものです。もう動きも鈍いし、食べる物も少しで足りますから、その面ではこれだけはと言うような事はありません。
 授業は先週の金曜日で終わりました。今年はブログで辿りついた生徒さんが2名見えています。
 月に2回ですが、二人とも裏付きの旗袍を作り始めております。

 生徒さんの一人から甘酒を頂きました。麹を使いご自分で作ったそうです。
 その甘酒を使った漬け物のが美味しいと言いましたので、聞いた通りに作ってみました。

 作り方ですが、漬けようとする野菜 例えば大根、はやと瓜、蕪などが良いと言いましたので、丁度蕪がありましたので、蕪で作って見ました。
 蕪は葉を切り落とし、蕪だけを適当に切ります。勿論洗ってですよ。それに軽く塩を振り、2,3時間置きます。
 甘酒に梅酢を混ぜます。私は適当に混ぜました。
 その中に蕪の水を切って漬けます。半日程経ちますと食べることが出来ました。

         カブ甘酒漬け

 切り昆布を少し入れましたよ。歯応えも優しく甘味もあり、中々良い味です。塩加減も自分で塩梅出来ますかお勧めですよ。
 昼間九州物産販売所に長女と煮物の材料を買いに行きました。野菜を買ったら、もうお正月の準備が済んだような気分になっております。

         九州の野菜

 この販売所は大分前に娘が見つけて買いに行っておりました。娘の話によりますと今日は何時もより人が多かったそうです。
 ここは九州南部(宮崎・熊本)の野菜を中心に産地直送で販売しております。お米等もありますよ。
 そこに国内産三分搗き米使用の「純米甘酒」と言うのがあるのですよ。買って来ました。
 それって生徒さんの教えて呉れた魚の漬けこみをしようと言う事なんです。
 塩麹で漬けることは良く耳にしておりますが、甘酒を使うのは知りませんでした。
 甘酒に味噌を混ぜ、それに魚を漬けると言うのです。私は白身魚や肉類の西京漬けが好きで、今までは殆んどそれでした。
 味噌と合わせると青魚に良さそうな気がしましてね。漬けて見ようと思っております。

 九州物産販売所は我孫子駅北口から歩いて、そうですね普通の人でしたら5,6分でしょうか。
 
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孫たちのハイライト

 私の二人の孫 長女の一人娘と二女の一人娘です。
 娘と孫が来ますと夫は5人の女性に囲まれて至って満足気です。
 長女の娘は大学2年生ですが、子ども頃の弱々しさからすっかり脱却して学業に課外活動に、そしてアルバイトに励み愉しんでおります。最近は一緒に出掛けますと「ばーば大丈夫 段差があるよ」とか「疲れた」とか労わって呉れます。
 若さ一杯の生活を楽しんでおり、毎日がハイライトの様なものです。

 小学校5年生のチビ孫の今年は本人にも私共家族にとっても生涯に残るハイライトの連続でした。
 春に行われた日本でのダブルダッチの大会でスピードとパフォーマンスで優勝し、その結果世界大会にアメリカに出掛け、そこで小学生の部でシングルスとダブルスで優勝しました。会場はニューヨークから南になるサムタという黒人の多い街です。
 長女の娘と二女のラインで優勝の報が分かった時 本当によくぞと感動しました。

             サムタにて

 サムタで優勝のトロフィーを抱えるチビ孫と並んでいる大学生は偶然祖父の方がこのマンションの別棟に住む方でした。

 帰国してからのチビ孫は新聞各紙の千葉版や地域の新聞に取り上げられ、また市の広報紙で紹介されたりしました。

      えりか紹介  いいとも7

 「笑っていいとも」という番組で紹介され、これは家族にとっても大きな記念になりました。
 笑っていいともは今年で終了だと聞きましたが、昨日で終わったのでしょうか。
 チビ孫は良い指導者に恵まれ、また本人も好きで頑張っていますので、来年以降も頑張って行くことでしょう。
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今年の鮨ハイライト

 年末ともなりますと、テレビや新聞などで、様々な分野のハイライトと言いますか、ニュース性のある事柄が紹介されますね。
 ここで相子婆さんはお鮨のハイライトをと考えました。
 初めて自家製鮨を載せてから先だってまでで全部で218皿になっておりました。
 まだファイルに三皿残っています。
 それをアップしますと 全部で221皿となります。

              鮪切り落としタタキ丼398円

 これは切り落としを買って来まして、それを細かく叩きました。ネギトロってありますね。買ったことはないのですが、私の好みではチョッとという感じがあり、作った事はありません。第一トロは手に入りません。

     やがら・バチ握り  赤エビ握り353円

           上の三皿が最新の鮨です。
 
 以下は今年の鮨で印象に残った物、安かった物を数点載せましょう。これってお遊びですね。ご勘弁下さいね。

    バチ落とし丼298円  まぐろ・ホタテ丼450円

    鰹握り・うに軍艦巻き  生鯵握り200円

    生ホタテ握り  鮪・ホタテ・スズキ・カンパチ丼598円

 お鮨は大好きですから四季を通じて食べます。鮨と言うのは魚の旬を覚えることになりますね。美味しくて安い時が大体旬でしょうね。でも偶には季節外れの魚が並ぶこともあります。でその魚が良いのか悪いのかを自分の目で確かめると言うことが、美味しいものを手に入れる事が出来るのですね。買う買わないに関係なく毎日魚売り場を覗きます。
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豚レバーとローピン

 中国語の老師から豚レバーとローピンを頂きました。
 中国では肉と言いますと豚肉を指します。良く話の種になるチンジャロースーと言いレストランで注文したら、牛肉ではなく豚だったので、怒ったという話ですね。
 牛肉のを頼む時にはチンジャーニュウロースーと言わないと駄目なんですね。ニュウ(牛)を入れないと豚なんです。
 
 老師の下さった豚レバー(猪肝)が味が良く、臭みもなく、中華料理の前菜に並べられて来るような感じですし、味も実に美味しく出来ています。
 レバーは習いに行きました午前に頂き、持ち帰りましたが、夕方お姉さまが作られたと言うローピンを一枚届けて下さいました。
 何だか落ち込んでいましたので、夕食の一品として頂けるのは有難かったです。

      ローピンと豚レバー1  ローピンと豚レバー2

 ローピンにレバーを挟み食べますと、懐かしい風景が蘇って来ます。
 小学校の時 中国青島の道路で見たのですが、豚の内臓の茹でたのを売っておりました。
 道路に板を広げ、大きな笊から取り出した内臓を並べ売っているのです。
 内臓は大きい物はその場で切り売りします。棹秤で量り、売られます。子どもの目には包丁が青龍刀の様に見えます。
 ざっくりと切るのを見るのが好きで、傍に寄って眺めたものです。
 お客さんはその切って貰った内臓をその場で食べる人もおります。なにやらジャン(醤)らしき物と、ニンニクらしき物を混ぜて食べていました。
 私は眺めるだけで食べたことはないのですが、大人の話によりますと、それを饅頭と一緒に食べることもあるのだそうです。
 当時中国の方の朝食は外食が多かったですね。熱々の豆乳を丼一杯に入れた物に、油条という細い揚げパンの様な物を千切って入れて飲みます。それに饅頭とオカズを一皿 そんな物でした。
 煎餅という雑穀粉を水に溶き、薄く焼いた物で葱を巻き、食べるのもよく見たものです。
 家のお手伝いさんは、昼食はお金で下さいと言い、家族と食べず、色々な物を買い、外から持ってきます。
 その買って来た物が食べたくてね。思い出します。
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興奮しました

 今日はクリスマスと言うことで、スーパーでは鶏の丸などが並んでいます。
 老人二人はローストチキンなどとは縁が無くなって来ております。
 偶にチビ孫のケンタッキーのフライドチキンを少し齧る程度ですね。焼き鳥は好きで食べますがね。
 
 そんな我が家に先ほど珍品到来
 開けてビックリ玉手箱ならぬ魚の姿造り それも何十年も口にしていなかった「やがら」です。
 
 やがらを見るのはデパ地下の鮮魚売り場です。それも滅多にしか見られないと言う魚です。見たとしても一尾ですね。何尾もと言うのには出会ったことがありません。
 そんなやがらを目の前にした私 早く並べて写真を撮らなくちゃと、大皿を持ち出しましたが、丸い大皿では長さが足りません。
 そこで今まで一度も使った事のない横長の大皿を持ち出しました。
 長さが40センチあります。
 そこにやがらの嘴と頭の部分を置き、姿造りにして送って下さった富山の瀬戸さんに感謝を込めて刺身になっているやがらの白い身を載せました。

             やがら1

    やがら2  やがら3

 今夜はこれで楽しめます。夜までは待てませんから、一切れ口にしました。う~ん新しい!甘い!
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矢張りやって見たい

 イージースモーカーの行方を追って行きましたら、辿りつきました。
 それは私の老化現象のなせることで、ここで公開することはチョッとはばかります。
 ですが、家にない事が分かりました。
 一旦パンフレットに目を通した私 どうしてもやって見たくてなりません。結局アマゾンで買いました。
  
 この数日とても辛い事が一気に出て来まして、考えると目が潤んで来てしまいます。
 昨年の年賀状が時期外れの6月に届いた友人と、も一人元気者でしたが歩くのに身体が斜めになって、医師から一人歩きを禁じられていると言う友人 気になりその二人に電話をしましたら、二人とも電話が使われていないのです。
 それから数人の方へ電話をしました。その中の一人の方 一人暮らしです。上の二人も一人暮らしです。
 まさか話が通じなくなるとは想像もしなかったことでした。「お久しぶりね~。お元気なの。私はとても元気よ」と言いますが、話す内容が何時のことなのか分からないのです。何か噛み合わないのです。
 「あなた済みませんが何方でしたか、もう一度教えて下さいませんか」という言葉です。辛かったですね。 

 気分転換にはやりたかった事をして見ようと、今朝はイージースモーカーの使い初めをしてみました。
 一番簡単そうなチーズを燻して見ました。
 最初の煙が出て来るまで、ガスコンロのセンサーが働き、煙が上がって来なかったらどうしようと思っていました。
 最初の心配は無事に通過しました。
 出来上がりましたが、パンフレットのように綺麗な色に上がっていません。夜のつまみにと思っていましたが、我慢できず昼食で食べて見ました。美味しかったですよ。

     チーズ1  チーズ2

 出来てから、下はどうなっているかしらと、ひっくり返して見てみました。網目が付いていますが、盛り付けようで良いかも知れません。
 相子婆さんはこうなりますと、気分を持ち直し頭の中では次はあれを燻そうと考えております。

 話は変わりますが、長生きすればするほど、このような辛い事が出て来るのですね。仕方がないことですね。
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餅搗き大会

 恒例となっていますマンションの餅搗き大会が午前11時から始まりました。
 マンションは1977年に入居が始まり、既に36年が経ちました。
 早くから自治会の方々はこの地域が良いコミュニティーとなって欲しい、親近感・帰属感を持って欲しい、ここで育った人々の故郷として愛着を抱いて欲しいと、そう思われたのでしょう。夏祭り、ビヤパーティー、新春ウオークラーりー等を開催しております。
 また秋には高齢者を招き、ゲストをお呼びして、懇親会を開催してもおります。
 こう言った大きな行事の中の一つが餅搗きです。年々集まる人が多くなっている感じがします。

 餅搗きをするには臼の中に水を張り、準備をしておくのでしょう。16日に私は気が付きました。一階のアーケードに大きな臼がデンと座っておりました。

           水をはった臼

 午前中は用があり、帰宅後直ぐに行きました。アーケードには多くの人が集まっております。もう初めの餅は出来上がり、既になくなっています。次の搗き上がりを待つ人が列を作り、並んでおります。普段見掛けない若い方も沢山並んでおります。少し時間がありそうなので、先ず歳末助け合い募金の所に行きました。

           助け合い募金

 序でにスーパーにチョッと行き、戻って来ましたら丁度蒸し上がったもち米が臼で練られ初めていました。

   餅搗き1  餅搗き2

   餅搗き3  餅搗き4

   餅搗き5  餅搗きこども

 子どもたちも一所懸命様子を眺めております。
 またテーブルも置かれ、皆さんが楽しそうにお喋りをしながら搗きたてのお餅を食べています。
 私も海苔巻きのと小豆餡のを頂いて来ました。搗きたてを食べることが出来るのはこの時位ですね。
 美味しかったですよ。
 写真の餅搗き3を大きくして見て頂くと、背の高い鉢巻をした男性が立っています。
 忠男さんの二男の方です。お父様亡きあと、忠男さんに代わってと搗きにお見えになっています。
 搗き上がった餅をお湯に受け取る一人はお母様です。とても良い感じですね。
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空の神兵

 毎週月曜日午後9時から流れるのはBSニッポン「フォレスタ」の歌です。先週は軍歌が中心でした。
 毎週テーマが変わります。男性と女性の方で歌う数々の歌は時代をなぞり、時代を思い浮かべさせて呉れます。

       空の神兵

 先週 この空の神兵が始まりましたら、夫と私は知らず知らず声を出しておりました。
 「空の神兵」は日本が対連合軍に戦争を始めた次の年の作戦です。

 「何で俺たちこの歌知っているのだろう」「だって皆が歌っていたじゃない」
 「何となく歌い易かったな~」「そうね。調子が良くてね」
 「他にも軍歌を歌ったな~」「だって他に歌うって言ってもそう色々なかったわね」
 「全国で同じものを歌っていたしな~」「湖畔の宿なんて歌ったでしょ」
 「この歌知っている人は可なり高齢だな」「そうね。私たちも古くなっているじゃない」
 
  1 藍より蒼き 大空に大空に
     忽(たちま)ち開く 百千の
      真白き薔薇の 花模様
       見よ落下傘 空に降り
        見よ落下傘 空を征(ゆ)く
         見よ落下傘 空を征く


  4 歌詞の最後 我が丈夫(ますらお)は 天降(あまくだ)る
           我が皇軍は 天降る
            我が皇軍は 天降る

 1942年にこの歌「空の神兵」が出来て発表されました。

 1945年8月15日 日本は敗戦 当時女学校2年生だった私たちは館山海軍航空隊が解散するに当り、落下傘を沢山頂きました。その時落下傘の材料が生絹だと知ったのです。
 その落下傘を講堂に広げて皆で解きます。糸も太い絹糸です。生地は厚いサテンのような黄なりで手触り良く、夢中で皆で解きました。解いた一枚一枚も大きいのです。ピザの形を思い出して下さい。あの一切れの感じですね。
 その絹を自宅で染めてブラウスにする人もありました。私は染めて小物を色々と作ったものです。
 丁度学校で染めの事を教えられた後でしたので、この絹がどれほど嬉しい事だったことか。
 今の有り余る衣料の中では考えられないことです。この歌を聞く度にあの落下傘解きを思い出すのです。
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愉しみます

 クリスマスが近づいて来ましたね。イヴの日はどうしましょうか。
 最近は孫たちも忙しく、毎日会うということではなくなりました。
 クリスマスプレゼントの事を話しますと、皆さんが仰天するおかしなのがチビ孫です。
 一昨年は志村けんのパジャマと腹巻 昨年は本物のレジスター このレジスターは本物ですからレシートも出ますし、途中計算も見ることが出来ます。
 先日二女に「まだサンタが居ると思っているの」と聞きましたら「どうもじ―じだと思っているらしいよ」と言うことです。
 長女の娘は今や現実派ですが、小さい時はサンタが家を間違うといけないからと、窓に「ココが◎の家よ」と書いた紙を貼っておりました。
 そんな大きな孫と流山市にある「おおたかの森S・C」に行きました。ケーキの本を買うと言うのです。
 歩くのは厳しいので、紀伊国屋書店の傍のベンチに座っておりました。
 目の前にクリスマスの飾りがデンと見えます。

              森のクリスマス

 この飾りを眺めていますと様々なオーナメントが見えます。人が近づき眺めています。この様子を眺めていましたらとても面白いのです。先ず男の子ですね。箱を持ち揚げてみます。「そうそうそれは空よ」
 お爺さんは澄まして見もしません。「チョッと見て見たら」
 乳母車を押す若い夫婦立ち止まり指を指しています。「その内買ってあげたくなるわよ」
 人間ウオッチング大好きお婆さんは愉しみました。
 娘と孫が本を抱えて出て来ました。「ばーば 詰まらなかった?」孫 「ばーばは人間ウオッチングが好きだから退屈しなかったでしょ」と娘

 帰宅してNANTEIさんのブログを訪問しましたら、今年も素敵なカードを載せています。
 「ご自由にお持ち帰りください」と見えましたので、頂いて来ました。それが下の4枚です。
 2枚は以前にも見ておりますが、とても楽しいカ―ドですので、4枚とも頂いて来ました。

     サンタカード1  サンタカード2

     サンタカード3  サンタカード4

 私は歌うことも踊ることも出来ませんので、ディズニークリスマスソングをお聞きください。ここからね
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寒くてもお鮨

 魚屋の小父さんは未だ出て来るのは無理なようです。
 リーゼントスタイルのお兄さんは頑張っていますが、どうも馴染めません。
 ただ全体に品物は沢山並んでいますね。そして安いのです。あ~だこ~だと贅沢は言えません。
 このスーパーがなければ不便になりますからね。
 
 私は普通の魚ですと下ろすのは自分でしますから、好きなように買っています。
 最近気が付いたのですが、昼ごろになりますと、お兄さんは「昼休み中」と言う札を出し姿を消しています。
 魚を下ろして欲しい人はこの時間帯には頼めないでしょう。
 どうもお客さんが増えているようです。ですが昼休み中の札をだし、全く人気が見えないと言うのはどんなものでしょうかね。スーパーの中の一店舗ですからね。
 ただ店員さんにも昼食時間が要りますし、休憩も要りましょうからね。お客本位だけでは無理なんでしょう。

 冬の夕食は鍋料理が多くなってきます。鍋にうどんを一玉入れますと、もうご飯ものは要りません。
 それでも時々お鮨が食べたくなります。
 本当は毎日でも食べたいのですが、身体にもお財布にもそれは良くありません。
 
 小父さんは珍しい物を入れていましたが、今は珍しいものは滅多に並んでいません。
 並んでいる刺身は安い、薄い
 そこで薄い刺身を更に薄く切って握ったりしております。

      ブリ・鮪・鯛498円  切り鯵鮨398円

      ヅワイちらし650円  鮪・カンパチ・赤エビ握り598円

 ズワイのほぐし身は近くのイトーヨーカド―で買って来た物です。右下の左隅にある鮨は赤エビ半身と鮪の端切れのような刺身を合わせて作りました。何とか落ち着いていましょ。これらはどれも二人前です。
 食が細くなったことで、美味しいものが欲しいのにお腹に入らない。困ったことです。
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仏手白菜

 中国で仏手と言う字の付いた料理を仏手~~と言います。それは形が仏の手のように見えるからです。
 饅頭の柔らかい花巻と言うのもありますが、切り込みを入れた物があり仏の手のように見えます。
 
 ヤマトイモを買いましたら仏手にそっくりな物でアラ!これはこれはと思いました。

            大和芋

 そこでスープを取ってありましたので、仏手白菜を作りました。
 作り方は簡単です。 

 材料は   白菜  豚ひき肉 と思って良いですよ。
 白菜の良い形の葉を作る分だけ一枚一枚丁寧の茹でます。
 茹でたら茎の部分を薄くなるように切り取ります。
 そして葉の中心に4本の切り込みを入れます。
 それで豚ひき肉で作った中身を包みこみます。
 そしてスープで煮込みます。ごく簡単ですね。
 ロールキャベツの白菜版と言っても良いかも知れませんね。

    白菜準備  白菜煮込み

 スープには好きな味つけで良いと思います。勿論中身の豚ひき肉には生姜や葱の微塵切りや繋ぎに卵、豆腐等を練り込んでも良いと思います。私は日本酒を少し入れますが、味つけは塩のみです。
 スープの味つけは塩、胡椒 そして仕上げに極薄~いとろみを付けます。

             白菜盛り付け

 煮込む時、粉貝柱でも良かったのですが、代わりにクコの実を使いました。干し貝柱があればもっと良かったと思っております。

 白菜の形の良い所を使いましたので、端切れが出ました。それで序でに白菜の即席漬けを作りました。
 白菜を茹でます。すっかり冷めましたら、食べ易い大きさに切ります。それに塩を軽く振ります。
 昆布と干し柚子皮を混ぜて漬け物用の容器で押し、2.3時間で食べることが出来ます。

             白菜即席漬け

 未だ未だ白菜の味が本格的な旨さになっておりません。もう少し先に再度と思っております。
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皆いなくなった

 1942年の秋 私と妹を連れて日本に帰って来た母の妹 私と12歳違い
 下から二番目の妹が生まれるのを手伝いに青島に来たのです。妹が生まれたあと、暫らく青島の水先協会に事務員として勤めておりました。
 素敵な洋装でハイヒールを履いた叔母の姿 親族は勿論叔母の家族も誰も知りません。
 両親が亡きあと覚えていたのは私だけです。
 
 1943年冬 母方の祖母が急死しました。日本の戦争は深みに嵌っており、戦時体制の生活は様々な形を齎しておりました。祖母の葬儀は祖父がシンガポールにいて帰国出来ませんから、親類縁者を中心に執り行われました。
 仏前に供える物も大したことはなかったと思います。
 
 ブログで何時も学ばせて頂いていますNANTEIさんが「死とNANちゃん」というタイトルで、子どもの頃から向きあった死と言うことに付いて書かれておりました。
 その記事を読み、祖母の葬儀の事を思い出しました。

 町の中心になる辺りの海岸 その岸から100mほど陸に入った、小高い場所に当時避病院がありました。
 病院と言いましても、病院の病室ではありません。和室が幾つかあり、そこに伝染病に罹った人が隔離されると言う場所です。
 その避病院に隣接した火葬場がありました。祖母を火葬にする前 家族や親せきで火葬用の薪を運びました。
 私も手伝いました。
 火葬の日 祖母を薪を積んだ上に寝せました。そして火を付けたのです。
 風は北から吹き寄せそれだけに寒くて、私は叔母の傍で煙が上がるのを待っておりました。
 やがて煙が煙突から出て来ました。風に乗って南へとなびいて行きます。
 母の妹二人と私は抱き合い、「煙はシンガポールへ飛んで行ってるのだ」と号泣しました。
 
 その青島から一緒に帰国した叔母の葬儀は2010年12月23日に執り行われました。
 葬儀は昔ながらの葬送です。

     葬儀1  葬儀2

 叔母の下の叔母 母の一番下の叔母 一緒に抱き合い泣いた叔母も今年亡くなりました。
 両親の弟妹とその連れ合い 全部別れて旅たちました。
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今日の話題 嘘はいけませんね

 1942年の秋 私は妹と二人叔母に伴われて帰国しました。
 以来妹を絶対守らなければと戦中を過ごしました。米海軍の艦砲射撃を受けた夜、山小屋へ逃げる時妹の手を握り、真っ暗な山道を只管走り、山小屋に辿りつきました。

 戦後 ある日 妹の持っていた物が欲しくて「後でペテンを上げるから、それ頂戴」と取り上げました。
 翌日から妹が「ペテン頂戴」と言い続けます。「今上げているじゃない」と言いました。酷い姉です。

 女学校に入りましたら、同じ町から入学した一人が大金持ちという噂が広まって来ました。
 「あの人の家は三階だって」「大きな鮨屋だって」「お嬢さまだって」
 ところがこれは真っ赤なウソ 同じ小学校から8名の同級生が入学しましたが、誰もそんなことは聞いたこともなく、見たこともないのです。
 母方の祖父母の近所に彼女の家がありました。細い流れの川の傍に建っている平屋です。
 彼女の父親は昔東京で鮨屋に居た事があると言うので、町の人が良く鮨飯の酢まわしに頼んでいたことです。
 決して特別裕福な家とは思えません。乙女心でつい虚栄心が出たのでしょう。彼女は人より早く30年ほど前に亡くなりました。後の7名の内6名は今も健在です。
 

 政治家の変な言葉は良く耳にしますね。考慮しますってしませんと言うことらしいです。検討しますはしましたが駄目ですって言うことかしら。見当違いでしたは隠していましたって言うことらしいです。
 迂闊でしたは私は配慮のない人間ですって言う事かしら。記憶にないですは突発性健忘症かしら。

       朝食12月17日

 毎日都知事の5000万のために大事な事を審議せず?時間をタップリ取って良いのでしょうかね。
 都議会って仕組みは分かりませんが、会合は費用が掛かりましょ。それは税金ですよね。
 先の読めなかった人のお陰で、選挙にでもなったら、また莫大な費用が掛かるのでしょうね。
 
 
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今日の話題  必需品

 戦前 戦中 戦後暫らく 両親の祖父母は千葉県の南端の町に住んでいました。
 暫らくと言うのは、既に亡き人ですから、そう表現して置きます。

 その町では祝い事がありまますと、赤飯を沢山作り、それを塗りのお重に詰めて、親戚や知人宅に届けに行きます。
 町は東西に長い形ですから、届けるのも大変です。今のように車はありませんし、お役は女性です。
 自転車は裕福な家でないと普通は持っていません。館山の中学に通う男の子の通学用にある位です。
 商売に使っている家は勿論ありますよ。
 でその赤飯を入れた重箱を背負い籠に重ね、歩いて行きます。
 赤飯の上には南天の葉が一枚載せられています。EGUTIさんのブログで綺麗な南天を拝見しましてね。
 ああ~この葉は何か薬用として効能はあるのかしらと、眺めていました。

      EGUTIさんの南天

 調べてみました。毒消しだと昔から言われて赤飯に載せていたそうです。その葉は昔の厠を使った後、手を清めることでも使われていたそうです。
 そう言えば、どちらの祖父母の家のトイレの傍に南天の木があったのでした。

 赤飯は届きますとね。お返しはマッチ棒数本です。お重の中にマッチ棒を入れてそのまま返すのです。
 戦争が厳しくなり、マッチは配給制になりました。大切なマッチですね。
 ですから、火鉢にホタ火を残して灰を掛けて置きます。火種を絶やさないようにしていたのです。
 長火鉢の引きだしは乾燥するのでしょうね。父方の祖父はその引きだしに海苔を仕舞っていましたね。
 
 戦争と戦後の食糧難でお配りも段々出来なくなりました。でマッチの代わりに考えて使われたのが、付け木と言う物です。これも暫らく使われていましたね。
 経木の厚いような物の片方に黄色い硫黄が塗られております。マッチは貴重品です。何本も使ってはいけません。それで付け木が役に立つのです。マッチ一本でこれに先ず火を移しますね。そうしますと時間が掛かっても、愚図愚図していても火が起こせるのです。

 こうして昔の貧しい時代でも南天の葉は田舎では必需品だったのです。そしてお返しに使うマッチ棒もね。
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烏賊の塩辛

 気温が低くなり、美味しい魚や野菜も出て来ます。
 鍋のシーズンもやって来ました。
 昨日は魚介中心のよせ鍋 これが例によって食べ切れません。で今日の朝食は鍋の残りとご飯に換えて安納芋の焼き芋で済ませました。

       朝食12月15日

 原発の処理は今後どう進んで行くのでしょう。福島の方々の心の揺れは如何ばかりかと案じています。

 昨日朝に様子を見た塩辛がとても良い具い合いに行きそうです。今朝はもう口に入れても違和感がありません。
 自家製は安心、安全をウリにしております。味の保証はしませんと、そう言い訳をして、お友達に送っております。 

       塩辛ラベル


 我が家の塩辛 

 材料     低温乾燥の糀  100g
         するめ烏賊(大)  5杯
         塩       70~100g
         味醂       60cc
 作り方   
 
 1 糀を良く揉みほぐし、炊飯器に入れます。
 2 味醂に120ccのお湯を合わせ糀にかけます。
 3 炊飯器を保温にセット約2時間ほど置き、糀が戻ったらそのまま冷まします。
 
 4 烏賊の腸を抜き墨袋を取り、腸と足の部分を切り離します。
 5 烏賊の皮を剥き、細く切ります。エンペラも足も食べ易い大きさに切ります。
 6 烏賊に塩を良く混ぜ、それに腸の皮を破らないように気をつけ埋め込みます。
 7 一晩(12時間)置いた烏賊の水を切り、腸をしごき、烏賊と良く混ぜます。
 8 烏賊と糀を混ぜ合わせ、温度の低い所に保存し、毎日一回かき混ぜます。
 9 出来上がったら冷蔵庫で保管します。      

         
 塩の分量は好みによります。薄塩ですと塩のなれが早くじきに食べられますが保存は長くは出来ません。
 塩分を多くすると塩のなれる時間が掛かりますが、長く保存が出来ます。長く保存をすると味が落ち、烏賊の身も痩せるようです。美味しく食べるには薄塩にし早く食べるようにするのが良いように感じております。

        
 麹は伊勢惣のみやここうじを使っています。利用法を見ますと、参考になります。
 日本の食を代表する一つは発酵製品だと思いますね。
           
 先だって来麹に興味が出て来まして、色々と試してみたいな~と思っております。



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旗袍見聞録更新しました

 このところ相子老婆のブログに書くことには熱心でしたが、旗袍見聞録から遠ざかっておりました。
 先に何回か書きましたように、台湾国立博物館に行くことが出来ませんでしたが、台北に住む林偉烈さんから図録を頂きました。
 生徒さんから見せて頂いた時、皆さんにお見せしたいな~と思いましたが、大切な図録に傷でも付けたらいけませんので、それをしませんでした。
 今回は自分の手元に置く物ですから、スキャンをして掲載することにしました。

      台北博物館図録

 たまたま数日前 下記のメールを頂きました。これは頑張って下さいよと言うサインだと思い、この図録の旗袍を紹介することから、気分を新たに始めようと思ったことです。 リンクしてありますトップの所からご覧になって下さい。

 「ウェブリブログに登録してから、あと2日で4周年になります。
 ウェブリブログ事務局のまーさです。
 ご利用いただき、ありがとうございます!

 旗袍見聞録
 この4年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・1540 件 になります。
 過去のブログを振り返ると、昔の自分が考えたり感じていたことから新たな気づきが生まれたりするものです。

  最初に書いた記事は "中華歴代服飾芸術" でしたね
  2年目は "丁寧な仕事" でした
  3年目は "大人向きの旗袍" でした
 
 ブログを始めてから、あなたのライフスタイルは変わりましたか?
 ぜひ、今の思いをブログに記録しておいてください。

 後で見直すと非常に貴重な記録になります。」


 PS 博物館内の展示をココからご覧になれます。台湾在住の日本女性のブログです。
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自家製スープ

 最近お砂肝ちゃんの鶏屋さんになかなか足が運べません。
 あのお店に行くと、朝引きの良い鶏肉も、ガラも買えるのです。
 仕方なく簡単な市販のガラスープを使ったりします。昨日の焼きそばのように出汁を利用することも多いですね。
 ある物を作ろうとしましたが、下ではガラはそうそう手に入りません。
 そこで富山の瀬戸さんのお知恵の出番です。そのお知恵を借りてスープを作りました。

       先ず材料です。

      スープの材料

 材料  
     鶏モモ肉 2分の1 干しシイタケ 2,3枚 昆布 少々 
     葱 3㎝ 生姜皮 少々

 作り方 水2Lに上の材料を入れ、水から煮立てます。
     煮立てて沸いたら火力はそのまま2分、弱火で35分
 

 以上で作りました。で作りながら烏賊の塩辛の準備をしました。烏賊の処理を済ませ、麹を戻しております。
 この烏賊の塩辛は鶏屋の小父さんが大好きです。出来上がりましたら、正月用の鶏の注文に出かけようという魂胆です。
 スープに使った材料は今夜のおかずですね。これから考えます。
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今日の話題 麺

 昭和の初め、私が生まれた頃千葉県の今は館山市と言う町で支那ソバ屋を営んでした中国人の魏(ぎ)さんと言う方がおりました。父は昔の所謂支那かぶれでしたから、その魏さんにソバの打ち方を教えて貰いました。
 私が入学した北条小学校に魏さんのお嬢さんがいました。それで覚えていたのですが、私はその後中国に行き帰国。館山の女学校に入りましたが、もうその時には魏さんのお店はありませんでした。
 魏さんは中国に戻られたのか、他所に引っ越しでもされたのかも知れません。
 魏さんの店の支那そぼの味は覚えていませんが、私は胡椒を沢山振りかけるのが好きでした。

 中国の青島にいる間 父の会社(華北電電)では時々小麦粉の配給がありました。会社全員に支給するのは一等粉で真っ白く製粉された物です。中国人の方はその一等粉を我が家に持って来ます。
 そして換金して行きます。親の話ではそのお金で三等粉を買うのだと言っておりました。
 今の小麦粉は真っ白ですね。その三等粉と言うのは小麦を製粉する時に表面を余り削らずに製粉しますから、少し茶色に見える物です。勿論値段も安いのですね。小麦粉に等級があるのを初めて知ったものです。
 
 その三等粉のような小麦粉は戦後の食糧難の時には良く食べたものです。
 小麦の表面を削った物をフスマと言います。フスマを集め丸めたパンのような物をご飯代わりに食べたこともあります。
 お米で言えば糠のような物ですね。

 戦後はそんなこともありましたが、食いしん坊の父のお陰で美味しい物も随分口にしました。
 趣味のラーメン打ちは敗戦で引き揚げの道中随分役にたったようです。
 天津のタンクー集結所に集められた日本人は引き揚げ船に乗船するまでの待機期間、何とか口を凌がなければなりません。
 そこで大奮闘したのが、両親です。父はラーメンを打ち、一緒に集まっている会社の奥様方がお運びをして売ったそうです。母は祖父の商売柄、大人数の賄の経験があり、平釜で炊くのを仕切っていたそうです。
 このブログを読み、ああ~あの時のラーメンか~と分かる方がいましたら、実際にお話をお聞きしたいものです。
 戦後のことになりますが、私が上京しました時は、外食券なしでは食堂でお米のご飯が食べられない時代でした。ですが闇で仕入れた小麦粉でラーメン屋を開いている方もいました。時々食べに行きましたが、30円です。
 その30円が大変なのです。その店のチャーシューメンは60円位です。10回に一回くらいしか食べることが出来ませんでした。
 そういう時代 麺 それは父の打ったラーメンを油で揚げた物を缶に入れて送って呉れたのです。
 それをスープで戻し、食べます。今で言えば柔らかい焼きそばのような物ですね。
 今は即席麺が沢山出ていますね。両親が若しこれを商品としたらと考えたら、今どうなっていたでしょうね。
 若しは言わないこと。でも時々思い出しますよ。

        炒めそば

 今日の昼 蒸しそばを使い柔らかい焼きソバにしました。
 私の作り方は、フライパンに油を引き、初めに肉と野菜を軽く炒めます。その上に麺をほぐし広げて入れます。
 そこに出汁を注ぎ、フライパンに蓋をします。蒸し焼きのような感じですね。出汁を麺が吸いきったな~と思いましたら、調味料を回し掛け、素早く混ぜて火を止めてお皿に盛り分けます。出汁は普段の昆布とかつお削り節の物です。
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青い野菜も食べなくては

 何かと歳のなせる事だと言い訳をしたくなって来ております。
 食事の色を見ますと、どうも茶色と白が多いですね。これではいけなので緑を食べましょう。
 
 店先には葉物が色々と並んでいます。本来は春の花、春の野菜と言って良い筈のなばなが出ております。
 なばなは千葉県が全国一の生産高を誇っています。後は四国を中心に温かい地方の物が並びますね。
 今日は鹿児島のもありましたが、何と言いましても産地も産地 房総のなばなですよ。

 子ども頃菜の花は栽培されていましたが、菜種油を取るための物でしたね。今のように食用中心ではなかったのですよ。ですから歌の文句にあるような「菜の花畑に入日薄れ~~」黄色い花が畑に咲くと綺麗でしたね。
 近年はその房総に多くの方が花摘みや、なばな摘みに出掛けております。
 
 今店頭に並ぶなばなは確りと固く束ねられております。これを直ぐに調理しては駄目なんです。
 ご存じの方も多いと思いますが、買って来ましたら、桶やボール等に冷たい水を張り、そこになばなを広げて水に並べます。その上に新聞紙を被せて暗い所に置いて置きます。

        なばな

 活き活きとして来ましたら、調理します。私はお浸し専門です。辛子醤油で和えても美味しいですが、高齢になりますと刺激に弱くなります。
 序でですが、葉物は特に水分が切れていますと、歯応えも悪く味も良くないですね。
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牛煮物

 最近高齢者も蛋白質を取らなければ駄目だと言う事を耳にします。
 特に肉や魚を食べることが健康にも良いと言われております。
 夫は滅多に食事のことに口を出しませんが、そういうニュースを聞いたり、ネットで見たりするようです。
 「メタボは若い人は駄目だそうだけれど、年寄りは大丈夫だそうだよ」それって私は大丈夫って言うこと?
 「肉を食べる必要があると言うけどね」じゃ~出来るだけ食べましょ。

 と言うことですが、元々魚は私が好きですので、ほぼ三食の内二食は魚をとっていると思います。
 それでも肉料理も隔日程度には食べております。

 ステーキは滅多に食卓に上りません。薄切りの牛や鶏モモ等が多いですね。豚も勿論食べています。
 
 安い肉も軟らかくすると食べ易くて良いものですから、シチューや煮込みも作ります。
 これがまた少しと言う訳には行かないのですね。ここ二回ほど牛肉を使い、醤油味の煮物を作りました。
 味は薄味 塩分は少なくしています。

      オージービーフ・大根・こんにゃく  牛スジ煮込み

 見た目には違いはないようでしょ。違うんですよ。左はオージービーフ 右は国産牛筋
 左は大根とこんにゃく入り 右は大根と人参  左は煮る時に干し柚子皮を入れたもの 右は柚子皮を載せたもの
 チョッと違うのですね。毎朝の食事は同じ様な物ですが、ことほど左様に私の作る物は変った物は滅多にないのです。
 他所の方のお料理を見ますと、創造的、意外性 色々と参考になりますね。
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忠男さんの椿

 お喋り会の案内は近所の方には届けに行きます。忠男さんの奥さまも仲間です。その奥さまの家に行く時マンションの中心とも言える中央公園の端を歩いて行きます。
 先日その脇を歩いていましたら、そう高くない椿の木が植えられていました。今まで気が付かなかったのかも知れませんが、初めて目に止まりました。
 細い竹で周りを囲まれた椿の横に「忠男さんの椿」という札が立てられております。
 見た瞬間これは亡き忠男さんに因んだ椿ではないかと思い、奥さまにメールをしました。
 矢張り亡くなられたご主人さまが大島から持ち帰った椿でした。
 今日昼にお喋り会のブログをコピーし皆さんにお渡しするのに同じ道を通りました。
 事情がハッキリしましたので、携帯で写して来ました。

        忠男さんの椿

 奥さまの説明は次の通りです。
 
  椿は家のを移植しました。
 伊豆大島あんこ椿で、椿祭り帰路、お土産の椿です。紅色の鮮やかな花が咲きます
 我が家の植木整理して、公園に植えて貰いました。
 サッカーボールで枝が折れ、囲って貰い、その折り名札まで付けて貰い 恐縮してます
 
 
 このマンションは20棟もありますが、管理も行き届き、また自治会の活動も活発です。
 忠男さんは自治会活動に積極的に参加 トムソーヤクラブと言う仲間とのボランティア活動も熱心にされていました。
 髪を後ろで小さく束ねていた姿を思い出します。九州の男です。奥さまとは小学校が一緒だそうです。

       神輿忠男さん

 2006年7月30日 つくし野夏祭りで神輿を担ぐ忠男さん 手ぬぐいを頭に被り張り切っております。
 明るい方でした。
 暫らくしまして、病を得ていると耳にしました。そしてお亡くなりになりました。
 奥さまは辛かったことと思います。数カ月は家に閉じ籠っていましたが、ご自分でこれでは駄目だと気持ちを持ち直し、段々元気になり、今は元の奥さまらしい姿を見せて呉れています。

 今日の中央公園は初冬の色濃く、樹木の葉は綺麗に落ち、スッキリと見えます。

       中央公園

 このマンション全体は整備も行きとどき、年々細かい所まで気配りの手入れがされています。
 マンション内の樹には前から名称の札が掛かっておりました。今日気がついたのですが、それが写真を貼り付けたような綺麗な板に代わっておりました。環境抜群のマンションです。
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雑炊でもおじやでも良いのだが

 こと何かと厳密に言う事が好きな方がいますと、説明に困ることがありますね。
 例えば「雑炊とおじやの違い」はなんて聞かれますと「ええ?どう違うのかしら。困ったな~」となります。
 随分長い間同級生と集まっていました。西銀座もはずれ新橋へと歩いた方が近い所です。
 同級生との集まりは、若い時は2,3年に一回 中年になりましたら年一回 高齢になって来ましたら月一回
 それも70歳過ぎましたら、いつの間にか自然に集まらなくなって仕舞いました。
 
 高齢(55歳位)になってからの集まりは決った店で気楽に集まっていました。人数も当日で分かります。
 酒は自由に何でも可 肴はお任せ 最後に必ずよせ鍋が出ます。

 最後のよせ鍋は雑炊になります。鍋奉行と言う程ではありませんが、一人目を光らせる男がいます。
 鍋にご飯を入れますね。「触っちゃ駄目。動かしちゃ駄目」ってうっかり手を出しそうにもなると、手を押さえられます。女性は大抵一人でしたが、ジッと見ています。
 溶き卵を回し入れて出来上がると店の女性が盛り分けて呉れます。
 
 冬になりますと夕食に鍋料理が多くなります。最近は材料を出来るだけ少なくと思いますが、それでも気分が買い物に行く前と、店に行った時で鍋が変って仕舞います。出来るだけ残さないようにするにはシンプルな物にすればいいのです。それが理想通りには行きません。

 で翌朝は雑炊かおじやと言うことになります。先日妹が来まして「雑炊とおじやって違うと言うけど知っている」と聞きます。
 「雑炊ってご飯を洗い、ぬめりをとってから入れ、米粒がさらっとしたのを言うと聞いたことがあるけど」と返事をしましたが、それ以来画像に名前を入れる時、必ず迷うのです。
 調べて見ましたら雑炊の女房言葉がおじやだと書いてありました。ですが地方によっての違いや、現代で言い方が違うこともあるようです。

        なめこ雑炊

 先だって富山の瀬戸さんから頂いた天然のなめこ。大きいのは直径5cmもあるのです。下のスーパで買うなめこは袋詰めになっています。外で食べる時のお椀の中で見られるのが、この袋詰めの物ですね。
 ですから、ビックリしました。沢山頂いたので、味噌汁の実 下ろし大根と一緒にと何回も頂きました。
 鍋の翌日 出汁の効いた昨夜の汁 そこになめことご飯をいれました。何だか仲間との鍋を思い出し、暫らくジッと眺めていました。ですが朝ですからそう見つめている訳には行きません。適当な感じなった後はかき回し、溶き卵を回し入れて出来あがり。これはもう食べて仕舞いました。
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今日の話題  父の後悔

 1937年(昭和12年)に日中事変が始まり、翌年に父は逓信省から派遣された50名の中の一人として北京に本社を置く華北電電に向かいました。華北電電は中国北部に電信電話網を敷設する必要上作られた国策会社です。
 父の最初の赴任地は河北省の保定と言う所です。それから直に青島に転勤し、私たち家族は青島に行きました。
 青島はドイツが街を作ったと言って良いインフラの整った街でした。
 
 私たち家族は転勤族と言うのでしょうか。のんびりと日を送っておりました。
 1941年12月8日(72年前の明日ですね) 日本は連合国と戦いを始めたのです。第二次世界大戦ですね。
 その翌年の秋 私は日本に帰って来ました。日本は既に制海権も、制空権も失っていたので、航海中船上での避難訓練も実施され、救命胴衣を付けて自分の乗るカッタ―まで、よろよろと辿りつくと言ったものでした。

 私が帰国した後、父はどう言う事情でか、隣村の下士官と出会ったのす。でその下士官は時々家に遊びに来ていたようです。
 ある日「この戦争は負け戦だから、家族を日本に帰した方が良いですよ」と言い、その言葉はその後時々出て来たようです。
 かれは憲兵です。憲兵と言うのは権限が凄いと聞いております。
 その時 父は「何をいい加減なことを言うのか。あいつは国賊だ」と母に言い憤慨していたそうです。

 それから1945年 米軍が中国本土で日本軍と戦う為に、青島に上陸して来るかも知れないと言うことで、多くの日本人は内陸部や朝鮮半島等へと引っ越して行ったそうです。母と弟妹は北京に引っ越しました。それは6月です。父はその頃河北省の張家口の軍隊に出向しておりました。
 やがてあの8月15日を迎えたのです。
 
 そして引き揚げて来ました。
 
 色々な苦労がありましたね。そして母が父に時々言っておりました。「あの時 あの人の言葉を信じて帰って来ていたら」と。 
 憲兵の彼はどんな思いで囁いて呉れたのでしょう。もし在留邦人にそのようなことを話していたと知られたら、唯では済まなかった筈です。
 戦後その元憲兵だった方は無事に帰国し、両親は会うことが出来ました。父は随分後悔していたと思います。

        朝食12月7日

 知るか知らないか。それをどう判断するか。先を読む力も勘も必要になることでしょうね。
 時々父を可哀そうだと思うことがあります。張家口では軍の通信を担当、暗号解読などをしていたそうですが、暗号も本物かニセモノか判断が必要だったのではと思っているのです。
 母達が北京に疎開する頃 もうその時には帰国はとても出来ないことだったと思います。
 戦争をしている相手国の奥へと逃げて行く。そのような事態こそ苦労の始まりだったのです。
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安い鮨

 魚屋の小父さんが倒れてから大分経ちました。
 先ごろ電話があり、退院していると分かりました。
 「お母ちゃんよ。参ったよ」「小父さんどうしたのよ」
 「俺さ~倒れちゃってよ~入院しちゃったんだよ」「どこで」
 「家でさ~良かったよ。直ぐ病院に運ばれてさ~」「それはよかったね~」
 「ウンザリしちゃったよ。お母ちゃんに電話したくってさ。やっと分かったよ」「どうやって分かったの」
 「店で注文受けた時の番号をやっと見付けたんだよ」「私は小父さんの携帯知っているよ。魚屋って入れてあるよ」
 「俺の名前でないの」「そうよ小父さんの名前知らないもの」
 「◎◎って入れて置いてよ」「分かった。入れておくわ」
 「お母ちゃん買いに行っているかい」「行ってはいるけどね、小父さんの時と違うのよ」
 「そうらしいな~だけどよ仕方がないんだよ」「楽しくないのよ。魚も珍しい物も中々なくてね」
 「悪いね。暫らくは行けないからよ~」「でも買いに行ってはいるわよ」
 
 魚屋を守っている若い男性 いま時珍しいリーゼント髪なんです。愛想はないんですが真面目にやってはいます。
 小父さんの時には天然ものを多く入れていましたが、今は養殖物が前よりは多くなっています。値段は安いので買う方は増えているらしいです。何しろ無口の男性らしいので、聞くのも悪いような気がしてしまっています。
 鮨種にしたい物が少ないのですよ。バチマグロのペラペラに切ったのが毎日安く出ていますが、どうもっと言う感じなんですね。
 夕方には随分値引きしていますので、覗きに行きます。先日は半値になっていた材料で久し振りに握りを作りました。アルゼンチンの赤エビとロシヤのツブ貝です。ツブ貝の小さなこと、握るのにご飯が小さくて、手のひらを確りと握った中のご飯。3センチ位の大きさです。

         アルゼンチンの赤エビ・ロシヤの粒貝350円
 
 このところ時々筋子を買い、筋子の醤油漬けを作ってご飯の上に載せて食べます。また刺身を唯載せてと言ったレベルの鮨が多くなっています。何だか詰まらないですね。
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楽しかった今日

 7月18日の集まりで決めていたお喋り会の日
 今日は午前11時半に準備を初め、12時からお喋りを始めました。
 毎回のことですが、80歳以上の二人は「座っていて下さい」の言葉を素直に受けて、のんびりと待ちました。
 主婦歴の長い皆さん家事のベテランです。
 準備もそつなく済ませ、席に座った仲間 色々な都合でお見えになれない方もおりましたが、8名です。

      懇親会1  懇親会2

 初めにお見えになれなかった方のことをお知らせ。早速食事をとりながらお喋りが始まりました。
 会場では別の会が午後1時からあると言うことで、その前にと各自最近の身の周りのことを話しました。
 今年の夏は特別暑かったこともありましたが、熱中症で大変なことを経験した方の話には驚きました。
 大事なことですのでその時の様子は詳しく話して頂きました。そんな訳でこの集まりではとても有益な話題が出て来ます。
 特に色々な会に関係したことある方の話は参考になります。裏話や噂話でないのがこの集まりの良いところですね。
 有益な話が今回も多く出ました。独居生活の在り方、病気になった時の対処のこと、近隣の病院の姿勢や診療を受けようとする場合の方法、介護施設のレベルのこと、取り寄せ弁当のこと等など本当に役にたちました。

 ですが堅い話ばかりではありませんよ。失敗話やおかしな話 笑いが絶えません。

 お喋りが時間を気にせず気兼ねなく出来ると言うのは、これがマンションのサロンだからです。
 会場費は要りません。長い時間お喋りは続きました。
 食事は今回は「なだ万」のお弁当を配達して貰いました。高齢者?と言って差し支えない人間の集まりですから、足りない方は?いなかったと思います。

        会の方が作ったデザートも出て来ましたよ。

            懇親会3

 リングケーキは昨夜作り持って来て下さった物です。餡団子はお喋りの合間にキッチンで作って下さった物です。手早いですね。
 このサロンではキッチンがあります。中で3人位の人が動ける程の広さがあります。
 火器も使えますし、冷蔵庫や電子レンジもあります。食器類もありますので、利用者は多いのです。
 今日は隣では20名ほどの集まりが持たれておりました。
 
 
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今日の話題  長寿検診

 年に一回の検診 私は後期高齢者 嫌でも仕分けされますね。ですが検診に行きますと、明らかに丁寧にされます。先生もですが、看護師さんも優しくして下さいます。矢張りそうなんだ。と納得。
 受付の若い方は特に老人だからと言う意識はないようです。
 午後少し雨が落ちて来ました。病院に行きましたら、患者は男性一人が座っていただけです。

 今日は私は検診ですが、夫は普通の診察です。

 色々と質問と言いますか、票に記入をします。先ず大丈夫だと思うのですが、提出しますと記入漏れがあるのですよ。これが老人。
 検査項目は身体測定、血圧測定、尿検査、心電図、血液検査となっています。

 身長を計る時、恥ずかしくも出来るだけ背筋を伸ばします。昨年から5㎜小さくなっています。
 体重は着ている物を全部脱ぎたい気分ですが、適わぬ願い。診察室からの先生の声が夫には聞こえるのです。
 聴力が抜群ですから、嘘がばれます。腹囲は聞こえなくても良いのにね。聞こえて仕舞っているのです。

 習慣と言いますか、飲酒、喫煙、食事の内容などもチェックします。これは自信がありますよ。
 煙草は吸いません。味は薄目。野菜は毎日3回食べています。
 アルコールは週7日 ワインを100ミリね。良いでしょ。合格ではありませんかしら。

      昨日と今日の朝食は

    朝食12月3日  朝食12月4日

 昨日は寝坊して仕舞いました。手早く揃えたが何か寂しい。今日は早起きしましたから、確りと煮物も煮ました。これを全部食べる訳ではないのですよ。オーバーラップ料理。残り物は食べ切るまで、何度でも食卓にのぼります。
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台湾便り

 台北に住む親しい友人 林偉烈さん 実に良い方で長くお付き合いしております。
 10月の訪台が中止になった私に代わって国立台湾博物館に行かれて図録を送って下さいました。
 彼の家は台北松山空港から15分もあれば辿りつけるそうです。
 先日は偶然、車と平行に飛ぶ飛行機の姿を同乗のご長男が写した写真を送って下さいました。

     松山空港1  松山空港2

 元気で頑張っております。彼のご長男は成績優秀な学生です。林さんにそっくりですよ。もう随分体格も大きくなっていることでしょう。

 国立博物館で展示されている旗袍展は11月5日で終了となっておりましたが、一ヶ月延長されたそうです。
 図録を見ますと、その内容は実に素晴らしく、図録を眺めるだけでも勉強になり、ページを開ける度に心が癒させ、また感激します。
 林さんは図録と一緒に博物館の「児玉・後藤銅像陳列室」のパンフレットと催事等を掲載しているガイドブックを同梱して送って下さいました。

     児玉・後藤  パンフレット

 この案内もパンフレットもスキャンで取り込めますが、私の技量では画像として取り出せません。
 止むを得ずカメラで写しました。児玉・後藤記念館のことは私は全く知りませんでした。そして改めて勉強をしました。故宮博物院のように多くの方が語られている物と違い、余りに知られていないのではないかと思っております。
 これは二人の先人の足跡の一部でしょうが、リンクして置きますので、赤字から入りお読みになって下さい。
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今日の話題 書のこと等

 中国書法を習い始めてほぼ2年 初めは筆の持ち方が違いますから、持つ手のぎこちないこと。
 漸く一冊の手本が終わりました。ですがまた最初の一ページ目から繰り返すことになりました。

       書の表紙

 最初は半紙を横にして置き一枚の半紙に八字書きました。暫らく八字が続き、今は六字になっています。
 半紙は横にするのは変りません。半紙の左上から書き始めて、右下で終わります。
 書いた字の汚れを心配することもなく、合理的な方法だと感心しております。
 老師は手首が自由に動かなければいけませんと仰います。
 基本をとても大切に考えていることが良く分かります。小さな字即ち八字で基本の筆運びを勉強します。
 老師のお話に寄りますと、小さい字は手首で書けますが、大きくなるって行くに従い、腕、そして身体全体で書くようになると言うのですね。ですから体力も大事なことだと仰います。
 
 最初の頃ですが上から下へと下ろす一本の縦字がよろけたり、左や右に傾いて仕舞うのです。今はそれは可なり良くなって来ておりますが、之繞や撥ねは難しく、特に撥ねは未だに未熟な状態が続いております。

 話は変りますが、1998年9月中国の西安に行きました。兵馬俑に行く道筋にザクロが積み上げてあるのがとても印象的でした。綿の付いた樹も見つけ、ああ~西の方だな~と感じたものです。
 宿泊したホテルで色紙に書を書いて貰いました。名前を読みこんだ詩を書いて呉れると言うのです。
 夜に頼み、朝の出発までに出来ると言うのです。
 で書家は~~ 詩の作成は~~ 日本文に訳すのは~~と肩書が立派です。記念にとお願いしました。

      西安の額

 これを老師にお見せしました。とても言い難そうです。先ず前半の字は筆で書いた物です。
 ですが後の部分は筆ではありませんね。一番悪いのは字の中心が曲がっていることです。成る程と眺めて見ますと、行も左に寄っていますね。羊頭狗肉と言う程ではありませんが、チョッとした誤魔化し、ナメられているのですね。

         で今日の朝食

      朝食12月2日

 昨日のお皿に吉浜芋の煮たのがあり、上にひしお麹を載せてあります。今日は同じ芋ですが柚子味噌を掛けてあります。使い回しではありません。トンカツの和幸のキャベツの使い回しには呆れましたね。
 
 

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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