2014-07

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整理

 毎日私の心に巣食っていること それは整理整頓 
 家事と言ってよいかどうか 生活全般と言って良いのでしょう。整理整頓はとても大事なのだと思いますか、男性の方でも整理整頓をキチンとされている方もいらっしゃいますね。
 家事の内 嫌いなと言いますか、下手 と言って良いのが整理整頓 時々整理するのですが、直に駄目になって仕舞います。
 昨日から気になっていたPC周りの整理をしました。ある時期から傍に積みあげてある本や広報のような物、それと読みかけの本 何とかしなければなりません。狭い家ですから物にぶつかります。老人は足を保護しなければなりません。
 引き出しやケースなどの整理をする事にし、昼前から始めました。
 もう必要のない物が次々出て来ます。大掃除と同じで、途中で手が止まります。
 使わなくなっていた手帳に挟まれていたメモ そんなものに目が行きます。

 驚いたのは手に入れたいと思っていたもの。それも絶対ないと思っていた物が出て来ました。
 人に問い合わせようと思っていた物です。頭が杜撰になっているのです。

 午後は内科医院へ行きます。夫は検査のために昼食抜き 自分の食べる物をと下のスーパーに行きました。
 近所の方に会いました。NHKのチャイナドレスの生徒さんだった方です。
 「暑くて食欲がないので困っているのです。何を毎日召し上がっていますか」と言います。
 「私 夏バテで食欲不振ってなったことないんですよ」と言いましたら、驚かれました。

 夕方医院に行きました。二人は同じ日に行くようにしています。暑かったですね。
 
 この先生は必ず血圧と体重を計ります。
 「体重が減っていますね」 「先生 夕食にご飯を止めて、野菜やお肉のような物にしているのです。体重を減らすと足にもいいのではないかと思いましてね」 「それはそうです。良いことですよ」

 体重が2㌔減ってから秤の針が動きません。ですが明らかに手首は細くなり、首の皺が目立って来ております。
 目の所為ではありません。その通りなのです。
 先生から言われましてね。何だか励みになって来ました。

        朝食7月31日

 これから体重は落ちるのではないかしら。何だか減りそうな気持が広がって来ております。 
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冷伴茄子

 夏は茄子 そう色々と調理をして食べます。
 出盛りともなれば、毎日ですね。味噌汁は勿論、シギ焼や天麩羅、焼きナス 糠漬けは美味しいですね。
 
 今日は冷伴茄子(レン パン チェ ズ)を作りました。


 材料 
 茄子  5個  サラダ油  80cc
 卵 2個  長ネギ 1本  醤油  50cc  砂糖  大さじ 1杯   
 
 準備 
 先ず早めに始めます。食べる3時間位前でしょうか。
 
 先ず茄子を丸のままか、半分に縦割りに切り蒸して、冷やして置く
 
 1 長ネギをミジン切りにする
 2 サラダ油 40ccに砂糖・醤油・卵を入れて混ぜて置く
 3 鍋にサラダ油 40ccを入れて長ネギのミジン切りをさっと軽く炒める
 4 そこへ2の材料を流しいれて、火を強め掻き混ぜる
   見ていて鍋の中でとろりとして来たら、火を止めて、更に良くかき混ぜる。
   それを冷やして置く

 食べる直前に茄子を裂き、皿に載せて4で作ったタレを掛けて食べます。

       茄子

 暑い日には冷たい茄子  焼き茄子も美味しいですが、これはとても簡単です。
 
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さつま芋

 先に女学校の寄宿生活の話を赤字でリンクして見て頂きましたが、続きがあるのです
 その中に記した食事の話 本当に粗末な物でした。ぜひ読んで下さい。
 それを読み直しますとさつま芋のことを思い出します。今でこそさつま芋はスーパーでは何時でも買うことが出来ますし、さつま芋を使ったお菓子やまた焼酎などと親しみのある食べ物ですね。
 九里四里より旨い十三里 栗より旨い十三里=さつま芋って言いましてね。それなりの美味しさがあります。

        スーパーのさつま芋

 戦時中 東京ではさつま芋が主食として配給されていたようです。千葉の田舎ではまだそこまでにはなっていませんでした。 
 「ある戦中生活の証言」にさつま芋の画が描かれています。そして著者は配給のさつま芋を珍味と表現しています。
 切ない表現です。

       薩摩芋

 著者の説明

    珍 味
 さつま芋の配給が近々あるはずだというので、子どもたちは落ちつけない。
 さつま芋は、主食代わりの配給なので、決して有難くはなのだが一切ほかの食物はないので、さつま芋でも子どもたちにとっては大ご馳走なのである。
 それで、米の配給所に芋俵が積まれたことは、一時間もたたないうちに町中に知れ渡った。
 配給は町内を幾区にも分けてするので、順番が来ねば配給にならない。子どもたちは、学校の帰りにわざわざ配給所へ回って、情況を調べてくる。
 「今日はどことかの区に配給していたから、うちの方へくるのはあさってだよ」
などといっている。あんなに積んでまま幾日も見せびらかさないで早く配給すればいいのに~~~という者もいる。
 待望のその日、仕事から帰ると、さつま芋のただ一切れが皿の上に私を待っていた。
 「これ一つだけでも取っておくのが大変だったんです。早百合など、今日はお芋の配給があるというので、おちおち遊んでいられないんです」
と妻君がいう。
 皿の上の貴重なその一片をながめて珍物だとの感をしみじみし、食べてみて、さつま芋って、こんなにうまいものだったかなと、認識をあらたにした。
 米の配給とは違って、さつま芋の配給は量的にも取扱いにも大変、当日の配給所の前は、さながら戦場のさわぎだったそうだ。


 さつま芋を手に入れると言うことの大変さ 夫の母親(姑)は都内の杉並から田無までさつま芋の買い出しに行ったと言うのです。東京生まれでお洒落、重い物など下げてこともないような人です。
 一方我が家 戦後引き揚げて来てからはそれはそれは大変な苦労でした。
 まず芋を植える土地から探さなければなりません。借りることが出来ると開墾です。中国で贅沢に過していましたが、母は気丈でへこたれず、頑張りました。長女の私も勿論手伝いましたよ。
 今日は南亭さんのブログを訪問しましたら、芋の畝が見られるではないですか。
 それをお借りしました。

       南亭さんのさつま芋畑

 さつま芋は戦時中は小学校の校庭でも植えられたものです。女学校でも校舎の東側を開墾して苗を植えました。
 種イモから伸びた蔓を切って植えて行きます。
 当時から戦後しばらくまでのさつま芋は沖縄100号という品種でした。それは多収穫を目指す人間には有難い品種でした。
 どこの家でもと言って良い位この沖縄100号を植えます。高畝と言いまして、土を高く高く積み、畝の高さが40センチ位になっているものもありました。芋の大きさは凄いんですよ。両手で掴んでも掴めない程大きなものです。
 今もその品種が植えられているのかは知りませんが、美味しくないのです。

 話は食糧難の時のことですが、寄宿舎でも主食に蒸かし芋のことがありました。蒸かし芋こぶし大位のを2,3個ですね。大学の女子寮でも配給にさつま芋がありました。さつま芋は一階の管理人の廊下に一山づつに分けられて転がっています。それを蒸かして食べたり、米と一緒に炊いたりしました。
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暑いとお鮨

 こう暑い日が続きますと、何を作ろうかと迷います。
 減塩?低カロリー?高蛋白? もう頭は何でもいいからって自分に言っているようです。 
 今夜は鯵の握りを夫に作り、後は朝の煮ものの残りと麻婆豆腐
 
 夕方老師のお兄様が作られたという薄餅を頂きました。今日の午前は中国書法のお稽古です。 
 老師のお母様は98歳 九州に住むお兄様がお見えになっております。北京に住むお兄様ご夫妻や川口に住む姪御さんの所に時々北京からお見えになるお姉様 それぞれお母様に会いにお見えになります。

 焼酎にちゅんごさんから頂いたスダチを入れ、冷水を足して飲みましたら美味しくて、急ぎスダチをアマゾンから買いました。
 昼食はそーめん それを済ませてスダチの処理 何だかスダチに合う料理を作りたくなります。これも暑いと直ぐに頭から抜けて仕舞いそう。明日は気分も変わり何か作ろうかとなるかも知れません。
      ま~そんな訳ですが、安いお鮨をご覧ください。

    鯵握り298円+税金  刺身切り落とし丼と刺身398円+税金

    赤エビ握り198円+税金  飛魚叩きと刺身398円+税金

 暑さで食欲が落ちたと言う経験はありません。怠け心は経験豊かです。

 今日は女学校の寄宿の会が9月に千葉の鴨川で開催されるので、案内が来ました。
 とても便が悪いのです。昨年は欠席しましたが今年も出掛けることにはならないでしょう。
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つくし野夏祭り

 我孫子ビレジに入居したのが1977年 いつの間にか月日が経っています。
 昨日・今日と第36回つくし野夏祭りが開催されまいた。
 中央公園に櫓が立てられ、祭りの準備がされていました。自治会は先ずこの中央自治会をはじめ近隣の自治会も参加しております。 
 マンションでは棟の委員が大活躍。それにボランティアグループの参加もあり、秩序正しく会場が整えられておりました。
 連日の気温は33度や34度という昨日今日その暑さをものともせずに人々が頑張っております。
 昨日の午後 チビ孫は二女とフリマーで頑張っておりました。父親も品物の陳列を手伝っております。

    フリマー1  フリマー2

 品物が売れたかどうか知りません。レジスターを使うのかと思っていましたが、使っておりませんでした。
 
 フリマーの後と今日の夕方と二日はダブルダッチチームは夜店を開店しました。

             皆跳

       メインはチョコバナナです。昨年も沢山売れたそうです。

    皆跳1  皆跳2

 輪投げと何だかプニョプニョというボールを掬いとるもの、その他にお面を売っておりました。
 チームのお母さんもチームの子どもも頑張っていました。
 二女が足元が悪いからと私のことを心配して呉れます。確かに会場の場所は足を痛めそうです。老人には厳しいですね。
 夜は危険を避けて出掛けませんでした。会場側の廊下から提灯が綺麗に見えます。
 雰囲気だけと言いましても踊る人々を写してはいませんが、チョッと載せておきましょう。

    夏祭り1  夏祭り2

    夏祭り3  夏祭り4

    夏祭り5  夏祭り6

 夜店は同じ品物を扱うことはしてないそうです。全店違う品物を扱っているそうです。焼き鳥は長い列が出来ておりました。かき氷は最後尾のプラカードを持ち立っている人がいたそうです。
 子供たちは楽しそうです。今年は駐車場の一部を開放しましたが、その広場で男の子が風船を持ち叩きあっていました。伸び伸びと遊べる場が出来て、とても良いことだと感心しています。
 例年のことですが、明日の朝には会場は全て綺麗に元通りになっている筈です。

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食は重要

 このところ中国の食品管理の問題で、日本も多くの問題を抱えていることが知られました。
 価格競争の問題 これは一番大きな問題なんでしょうね。
 あれこれありますが、出来るだけ自分で作ることで家族や自分を守ることが良いと私は考えています。
 料理作りは好きですし、これからも出来るだけ自分で台所に立ちたいと思っております。
 グルメのブログではありませんから、毎日のご馳走を載せるという程の物を作る訳ではありませんが、キチンと作ると言う習慣は大事だと考えております。
 朝食は殆んど変化はありません。
 基本はご飯・主菜・副菜・味噌汁~~ですね。

        朝食7月26日

 例えば今日の朝食 主菜はギンダラの西京漬け(自家製)副菜は茄子炒め柚子味噌添えと胡瓜の練りゴマ和え
 その他牛肉の生姜煮(自家製)いぶりがっこ(自家燻製)~~ですね。味噌汁の出汁は昆布と鰹削り節でとります。
 味噌汁の実は普通は2、3種類それに吸い口を何かしら添えます。

 今日の夕食には鯛の酒塩煮を作りました。天然の鯛で一尾350円です。

       鯛酒塩煮

 鍋に出汁と塩それに日本酒を注ぎます。煮汁がぐらぐら煮立ちましたら、鯛をそっと入れます。
 鯛を入れて一煮立ちしたら中火で煮て行きます。今日は最後に冷凍のアサリを入れて仕上げました。
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魚を買いに行く

 昨日夕方柏の公設市場の傍の北辰に魚を買いに行きました。
 長女も魚好きですから、喜んでハンドルを握って呉れます。
 
             北辰
 
 珍しい魚が並んでいます。ヤガラですよ。一尾498円です。迷いました。でも我慢しました。
 ヤガラの奥左には剣先イカ 目の前にアワビ、とこぶし、シッタカやツブ貝 
 また金目鯛や釣りカサゴなども見えます。何を買うか迷いました。
 買ったのはツブ貝一山 稚鮎を少し それと鯛一尾と刺身切り落とし一パック
 長女が忙しくお昼を食べていないと言います。で帰宅ご直ぐにツブ貝を茹でました。
 
             ツブ貝

 長女と夫 それと私 3人で温かいうちにと直ぐに食べ始めました。茹で具合は誠に上手く行きました。
 貝の中身を出すのは私が一番早く上手く行きます。磯の香りが鼻を刺激します。
 美味しくて見る間に貝は減って行きました。夫は3個 後は長女と私です。
 稚鮎は唐揚げと南蛮漬け 大きいのを南蛮漬けにしました。どちらも美味しかったですよ。

    稚鮎唐揚げ  南蛮漬け

 稚鮎は鮎の香りを微かに感じます。この数日中国の食品に関するニュースが大きく報じられ、食に対してはとても大きな問題を突き付けられています。

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ゆっくりお休みなさい

 中国青島で学んだ小学校 その小学校に一緒にに通っていた海老沼みゆきさん(旧姓谷村)
 彼女と戦後初めて会ったのは1949年のことでした。
 大学の女子寮の私の部屋の向いの部屋に住んでいた九州出身の橋口セツ子さん
 彼女が「今日お客さんが来るので、ご飯を一緒に食べましょ」と誘って下さいました。
 食事が出来たとの声を耳にした私 狭い部屋の中に入って行きました。そこに座っていた若い女性
 顔を見た途端、私もその若い女性もお互い相手を指さすばかりで、声が出ません。
 やっと興奮から落ち着き声が出て来ました。「みゆきちゃん?」「あい子さん?」
 今あの時のことを思い出しますと、PCの前で目が潤んできます。あの驚きと感動 生涯忘れられぬ事柄です。
 青島の街では道路の両側は奇数と偶数で家が分けられて並んでいます。私とみゆきちゃんの家は格子の一マス違いの端です。
 彼女の家の前を通り学校に行きます。2010年私は青島に出掛ける時に彼女と楽しい話をしました。
 その後 あの二人を会わせてくれたセツ子さんのお墓詣りに甲府まで行きました。
 セツ子さんのご主人さまの強いご希望でした。本来は二人はご主人さまにお誘いを受ける前に行くべきことでした。
 お互い何かと忙しくもあったことで、延び延びにしていたのです。
 甲府の駅でご主人さまと落ち合いました。ご主人さまの案内で墓所に向かい、そこで墓石に埋め込まれたご夫妻の写真で久しぶりにセツ子さんと対面しました。
 ご主人さまは昔の白皙の青年の姿を彷彿とさせています。純粋な方です。若い時に何回かお会いしてはいましたが、ほぼ60年ぶりでした。

         みゆきちゃんと

 その晩はご主人さまの心遣いの宿に宿泊 甲府へ向う電車の中でも、また宿で二人になった時も話が尽きません。
 湯村温泉の温泉などどうでも良いわって感じで夜通し話し合いました。
 彼女とセツ子さん、そしてセツ子さんのご主人さまの生きざま その厳しかった道のり 想像を超える話です。
 翻って、セツ子さんの生涯を語るには戦後の学生運動から起こさなければなりません。純粋だった方の辿った一つの道でした。
 みゆきちゃんは子どもの時にバレエを習っておりました。強靭な身体と意志を備えた彼女ですが介護の仕事に就き働いていました。
 その後はご主人さまの介護 それが大きなストレスとプレッシャーとなったことでしょう。この数年は両手に杖と言う生活が続いておりました。明るい、強い女性 正義感に溢れていた彼女 
 昨日お聞きしたいことがあり、電話を入れました。お嬢さまが電話口で「母は17日に亡くなりました」と仰います。
 絶句してしまいました。このところ急いで行って仕舞った方が増えてきており、ご子息やお嬢さまからの電話と分かりますと身体が緊張します。私はそう言う歳になっているのです。
 みゆきちゃん お疲れだったでしょ。頑張って頑張って 良くここまで頑張られましたね。ゆっくりお休みになって下さいね。
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初めて買った焼酎

 大腿部の痛みが和らいで来ているので、体重を落としたのが一つの原因になっているのかも知れません。
 ブログ仲間「日本主夫連合」の方々が糖質制限をしておりますので、私も夕食に澱粉質を摂らないようにして早3週間
 2㌔減りはしましたが、そのまま。
 少しでも糖質を減らそうと、今日でワインを止めました。
 代わりの焼酎を買って来ました。
 
        焼酎

 それこそ生まれて初めての焼酎です。麦焼酎ですよ。1階のアーケードに酒屋があります。
 店内に入って行きましたら、焼酎の銘柄も沢山。麦とか芋とかは聞いたことはありましたが、米と言うのもあるのですね。
 大きなプラスチックのようなボトルに入っている焼酎もあります。樽のも売られております。
 聞いたことのある二階堂 ありましたよ。
 どれ位のが良いのか、見当が付きません。そこで知恵者のPCの先生にチョトお聞きしました。
 「1000円位のでした良いのでは」と仰います。
 上のは1009円と言うのです。お金を払いながら、う~ん9円ってどうして何だろうと思ったのです。
 ですがお店の方はレジを使っていますから、間違いではないだろうなと、下げて来ました。
 ワインが50cc程しかありませんでしたので、少し飲んでみました。嫌な臭いはありません。
 これで少し体重が落ちるかしら。落ちるといいな~と思っています。
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自家製鮨

 酢飯に生の魚を載せて握りを作ります。
 自家製って言いますと、先ず清潔、安心、安全と良いことづくめ。売りはこれですね。
 矢張りプロの握りは良いですが、そうそう気楽には行きません。
 可なりの回数で握り、食べています。 私の好きな鮨はアナゴがトップでしょうが。
 それ以外は新鮮であれば何でもと言っていい位好きです。干ぴょう巻やいなりも好きです。
 そのほか押し寿司やチラシ鮨も好きです。

    カンパチ・イカ・バチ盛り合わせ500円+税金  ホウボウ握り398円+税金

    ホタテ・鯛・ヒラメ・鰹握りと刺身500円+税金  頂きもの南まぐろ握り

 江戸前鮨の種がWikipediaには下記の魚が出ています。今まで握った魚は沢山あります。
 ゴジにした魚は使ったことがない物です。
 
 ヒラメ、カレイ、タイ、スズキ、シラウオ マグロ、カツオ、カジキ、サケ
 シマアジ、カンパチ、ブリ(とその幼魚)
 コハダ(とその幼魚)、サヨリ、カスゴ(子鯛)、サバ、アジ、イワシ
 赤貝、ミルガイ、アワビ、アオヤギ、トリガイ、ハマグリ エビ、シャコ、カニ
 イカ、タコ アナゴ、卵焼き イクラ、ウニ シイタケ、芽ネギ

 上記以外でも握った魚は色々とあります。今回のほうぼうもそうです。

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励まし合いも要る

 昨日午後ブロ友さんとお会いして帰宅 
 高島屋で夕食の買い物をしようと思いましたが、家にある物を思い出し、買わずに戻って来ました。
 バスを降り下のスーパーに行こうとしました。
 スーパーの入口に2脚のベンチがあります。そこに顔見知り方が座っております。
 一人暮らしのこの方は買い物に来るように努力をされている90歳を超えている高齢の女性です。
 一人暮らしですからベンチに座り、色々な方と話をなさるのも楽しいようです。店内でお会いしますと、私のカートと一緒に歩きながら「今日は何にしようかしら。食べない訳に行かないからね」と必ず仰います。

  昨日はマンションの高齢者の会の月例会があったそうで、傍に何人もの方が立ち止まります。
 私は席を空けて下さったので、腰を下ろしました。
 杖を使う方が何人か傍に見えています。

 「ね~足は大丈夫?」と私も聞かれました。

  「今日は柏まで行って来たのよ。何とか頑張ってね」って
 
 そこに見えた方、足を痛めている方です。「未だ昼食食べていないのよ。朝が遅かったから
 
 私はチョッとビックリ「毎日そうなんですか」
 
  「そう作るのも面倒だしね。あるもので済ませているのよ
 
 他の方が「そうなのよ。買いに行くのも荷物が重くなるし、足は痛いし。だから結局適当な物で済ませてしまうわ

 また別の方が言いました。「~~さんね。入居したマンション高級だそうよ。7000万円入居金がかかったそうよ
 
 「私は行けないわ」「あなたは娘さんが近くに居るじゃないの」「でも来て呉れるかね。当てにしない訳ではないけれどね。分からないわよ
 
 「私はこのマンションが終の住み家よ」「私もそうよ
 
 このような人の集まる時間に通り合わせたことがありませんでしたので、一人暮らしの様子が何となく分かりました。

 下のスーパーでは2000円以上の買い物は無料で配達して呉れます。

        チラシ

 考えますとね。2000円買うのが何をどれ位買えばいいのか。一人暮らしの方にはこれも関係ないことかも知れません。何しろ量が要りません。食べたい物は安くても多くでは買えません。
 スーパーのお惣菜コーナーの充実はこれからはとても重要なことではないかと思っております。
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私もオフ会

 昨年4月21日に私を我孫子に訪ねて来て下さったちゅんごさんご夫妻
 今日はメタボ夫婦さんの夫さんとご一緒に再度私に会いに来て下さいました。1年3カ月ぶりです。
 これは世に言うオフ会と言うのでしょうか。そうです。オフ会のミニです。
 今日のオフ会は浅草で午後5時からだとお聞きしました。
 私が浅草までは無理でしょうと、先に柏にお見えになって下さったのです。
 このオフ会のメンバーは日本主夫連合という会のメンバーです。男性は主夫ですが、女性は応援団員です。
 私も応援団の一員として参加させて頂いております。

 柏そごう14階の回転レストラン桃源で正午に落ち合いました。

 ランチを頂きながら話はどんどん進みます。何年もお互いのブログで日ごろの様子を眺め、何かと察しておりますから、率直な話が出来ます。 

     ランチ1  ランチ2

     ランチ3  ランチ4

 主夫の料理談義 家庭での食のあり方 メタボ会長さんの魚修行 ブログの効用など色々と出て来ます。 
 話はツーカーですよ。私はちゅんごさんと2回目 メタボさんはちゅんごさんを徳島に訪ねております。
 お互いもう長くお付き合いをしている感覚です。
 柏の桃源は一時間に一回転します。我孫子方面も目に入ります。景色もご馳走にと申し上げたのです。
 生憎筑波山は姿を見せて呉れませんでしたが、スカイツリーを遠くに姿を現していました。
 
              手賀沼

 手賀沼も見て頂きました。写真を撮り合い。これからもブログを続け交流を続けましょうと約束してお別れしました。
 
 それから数時間後 私はちゅんごさんにお礼の電話を致しました。オフ会に集まっていたマムチさん・Kohさん・daniel mamaさん・いその爺さん。代わる代わる相子さんって声を送って下さいました。浅草は猛烈な雨が降っていると言うことでした。
 今もまだオフ会を続けていることではないかと想像しております。都内ではまだ雨が降っているようです。
 皆さんどうなさったか。それぞれの方のブログが楽しみです。
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明大三昧

 今日は時々お会いする明大OBの生田先生と4時間もお喋り。
 何時のように近所のファミレス 昼食は何時も同じ。 
 先生は和食の定食とサラダ 私はアメリカンクラブハウサンド 後はドリンクバー
 先生はお酒はお飲みになりません。ジュースを色々と混ぜて飲まれます。
 色は毎回違うのです。それは最近若い人に流行っているそうですよ。でもず~と昔から飲まれていました。
 私はウーロン茶

 話す内容 半分は明大のことです。先生と知り合って50年以上 長い間の事々何処を切っても話は通じます。
 ですが他の事では私は専ら質問専門 勉強になります。

      今日頂いた資料を掲載して置きましょう。

            明治資料1

      明治資料2  明治資料3

      明治資料4  明治資料5

 今日の話は意味深いものが多々ありました。先生の分析による日本の現状  政治の流れ
 雑談とは言えないようなものでした。
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コッぺパン

 私が上京したのは1948年4月 未だ戦災の傷跡を都内至る所で目にしました。 
 風景ばかりではありません。盛り場と言われる所 例えば渋谷・池袋・上野等々では焼け跡にバラックが立ち並んでいたり、銀座や新宿などでは道路の両側にはぎっしりと露店が並んでいました。露店では闇と言う正規ではない品物が並び、人々はその闇の物を買って生活のやり繰りをしていました。そうですね。酷い物では吸いかけのタバコを再生した物も売られていたなどと聞いておりました。モク拾いと言う言葉がある位ですから、タバコのことは深刻だったと思います。
 他方闇成り金なぞという言葉も聞かれ、生活者のレベルも様々でした。

  昨日都内の風景に少し目をやりましたが、立派なビルが立ち並び、その窓から見える多くの品物。
  あの時代の風景は探そうにもありません。有ったら大変です。
 
 一人暮らしが始り、自炊用の米は配給 足りない分は家から送って貰う「旅行者用外食券」がとても有難いものでした。
 ですが、その分親元では配給が減らされるのです。
 外食券一枚で外食券食堂で一食ご飯が食べられます。また一枚で麺類も食べられます。
 パンは外食券一枚ですと食パンは6枚切りの2枚。コッペパンですと一個です。タダではありませんよ。お金を払います。
 でそのパンですが、店頭にジャムとマーガリンの函があり、そのジャムかマーガリンなどを塗って貰えます。
 確かその分は数円プラスになったように記憶しております。
 コッペパンは東京に出て来て初めて目にしました。
 
 コッペパンは戦時中に必要に迫られて作られたものだと知りました。
 
 先日の「ある戦中生活の証言」にコッぺパンのことが描かれておりました。

        戦中のコッぺパン

 著者の説明

         コッぺ物語
 ある時、仕事から帰ると、膳の皿の上にコッペパンがのっている。珍しいな。どこでもらったのだ、というと「いまどき、どこにくれるうちがあるものですか。これは主食代わりの配給です」と妻君が答えた。
 食糧事情の窮迫は、いまに始まったことでもないが、こうしたかたちで目の前に突きつけられると、いっそう味気ない思いがする。「そうか。たまにはパン食もいいが、しかし、これ一個で一食じゃちと足りないな」というと、妻君は無知な夫をあわれむ目つき、「いいえ。それ一個が一食じゃありません。それ二つで一日分です。もう一つ上げときますから、自分で考えて三食に分けて食べて、足りなくとも明日の晩までがまんなすって下さい。食べ過ぎちゃって、どうかしてくれ、何かないかなんていったってわたしは知りませんよ。これっきり、うちにはほんとに何もないのですから~~~」と、も一つコッペパンをでんと置いた。
 でんと置いた~~~とはいっても、コッペパンの大きさは、こぶしの大きさあるかない片々たるものだ。これ二個で明日の晩までとは、ずいぶん辛いことだなと思いながら、ともかくむしって食べてみる。
 もそもそと、味もそっけもないパンだ。が、そもそもパンというものが、幾月振りかで珍しい。第一、腹がすいている。そのまずいパンをも少し、も少しと一個は完全に食べつくし、残る一個も半分食べてしまった。さっきから、そばで心配そうに見ていたアポが、「お父ちゃん、それであしたどうするの」といった。
 まことに、自分が明日の夕方まで、露命をつなぐ食物としては、食べ残しのパン半分しかない。しかし、まさか明日の夕方までは、飢え死をすることもあるまい。水など飲んでがまんしよう。
 それにしても、父親の餓死を案じて呉れたのはアポ一人であった。妻君は冷然としている。亭主が飢え死してくれぬかと、内心待っているのかもしれない。


 コッペパンの話になりますと、我が家共通の話題になります。一つは食べた経験ですね。
 食べ物がなく、苦労した事の中で出て来ます。
 夫はお店の女性がジャムを沢山塗って呉れるので、職場の仲間が夫に買いに行くようにと頼んだと言うのですね。
 (へ~とか言いましてね。ちょとからかいます) 
 私は何も付けずに食べたことが多く、部室で誰かが持って来たバターを皆で分け合い付けて食べたことが思い出されます。その部員の仲間は私ともう一人台東区で教育長を最後に退職した真田重行さんだけ残っています。これが現実です。
 下のスーパーでコッペパンが沢山並んでいます。パンは食パンを偶に買いますが、コッペパンは買ったことがありませんでした。 
     最近のはどんな物かと試しに買ってみました。

     コッぺパン  コッぺ二個

 ソフトな食感と言う言葉が一番でしょうか。ですが特に食べたくなるほどではありませんです。
 私の中のコッぺパンはそっけない所がコッペパンなんです。
 ハンバーガーのように色々挟んで食べると言う方法も有るわけでしょうから、多様な食べ方ができましょう。
 現在の学校給食のコッペパンの味はどうなんでしょう。
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ブリジストン美術館と東海倶楽部

 5月3日のブログで紹介しました、ブリジストン美術館に出掛けました。
 歩行に無理だと半ば諦めていましたが、40年近く一緒に旗袍を軸に集まっていた仲間と行くことを決め、思い切って鑑賞に行って来ました。
 長く乗らなかった常磐線から上野へと向かう。私の気持ちは何だかおのぼりさん気分に近いように感じました。
 福島から出て来る友人と地下鉄銀座線上野駅改札前で落ち合い、京橋へと行きました。
 そこで4人合流 11時気温も上がっていました。そんなことはなんのその、言葉が飛び交います。
 既に観に行きました生徒さんから様子を聞いておりましたので、時間の都合と私の足とを考え、コレクションは省き、美術展だけにし、京橋から虎ノ門へと行きました。
 久しぶりの霞が関ビル35階の東海大学校友会館 今日は予約を入れてありませんでしたから、直ぐには席に座れません。
 混み合っていまして、驚きました。昼に今日のように人がレストランに見えたのは初めてのような気がします。
 私が久しぶりなのですが、今はこのように混んでいるのかも知れません。
 会議室の方では会合が何件もあるようで、黒いスーツの男性が大勢廊下を行き交うのです。
 窓側の席の空くのを待ちましたので、少し時間が掛かりました。
 席に着き食事は以前と同じ レディースランチ 

     ランチ1  ランチ2

     ランチ3  窓から

 レストランの方も、また顔みしりの方も、変わらずにこやかに声を掛けて下さいます。
 食事をしながら近況を話しあい、主婦の友講座で習い始めた頃の思い出.
4人4通りの思い出があります。それは何度も聞いたものもあり、また初めて聞く話も出て来ました。
 暫く都内に行かなかったこともありましたが、35階から眺める風景 皇居や議事堂方面には気が付きませんでしたが、東遠くの東京湾方面やまた近くの新橋方面 多くのビルが立ち並び、大都会東京を強く意識しました。
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白鶏冷粉

 夏は見た目にも涼しげなお皿が嬉しいですね。
 昨日の夕食に作った 白鶏冷粉 (パイ チー リャンフェン)
 鶏肉と春雨の冷菜です。 カロリーを抑えるようにしておりますので、これは丁度いいじゃないのって自分で決めております。

 材料
 鶏肉手羽正肉  小ぶりの一枚 約200g 
 春雨        30~50g
 胡瓜        1本  
 生姜ミジン切り  少々

 調味料
 醤油  大さじ2  砂糖  大さじ 2  酢  大さじ2  胡麻油  大さじ1

 下こしらえと作り方
 1 鶏肉は皮を取り竹串を2本刺して熱湯に入れ、約10分程茹でる
   茹だったら水に取り、串を抜きとりそのまま冷やして置く
 2 胡瓜は皮をむいて細切りにして皿に盛る
 3 鶏肉は細切りにして胡瓜の上に包むように載せる
 4 茹でた春雨を周りに飾るように盛る
 5 ボールに調味料を合わせて入れ、生姜のミジン切りを加えてかき回し
   盛った鶏肉の上から掛けて食べる

       白鶏冷粉

 下には胡瓜の細切りが敷いてあります。調味料は全部一度に掛けず、味を見ながら掛け足すと良いです。
 我が家は減塩ですから、注意して掛けました。
 辛いのが好きな方はラー油を掛けても良いでしょうが、私は春雨には強すぎる感じですので、そのままです。
 鶏肉を切るのに中華包丁が役に立ちました。ですが食べ切れませんでした。

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宅配弁当は飽きる

 今日の午後は月2回の麻雀の日でした。 私を除く3人の方は一人暮らしです。
 所謂独居老女と言っていいのでしょうか。ご主人を亡くされております。
 お嬢さまなどご家族はが近くにに住まわれている様子。一人暮らしは先ず健康のことですね。
 3人とも今日の午前中は近くで運動をし、それから麻雀に見えるのです。
 麻雀が終わってから、初めて30分ほど話をしました。麻雀をしながらも出ていた話題ですが、一人で食事と言うことの難しさです。改めて一人暮らしの細かいことに触れることが出来、僅かな時間でしたが良かったです。

  私も試しに宅配弁当を取り寄せたことはありますが、3人とも経験者でした。
 感想としましては、先ず味の薄さですね。それとあんかけのような物が多いということ、業者を変えてみても最終的には3人とも飽きて止めて仕舞ったのだそうです。
 特に何もなくても家で食べられるのが一番と意見は一致しました。
 一人の方は少し問題があるそうですが、医師から好きな物を自由に食べなさいと言われているそうです。
  
 二人ですと何とかしますね。鮨を作ると言う話は不思議に思われたようです。

     タイ・バチ・烏賊丼498円+税金  バチ・カンパチ・ツブ貝握り500円+税金

     生バチ漬け握りと刺身で399円+税金  生ホタテ握り498円+税金

 「お鮨は酢飯があれば、魚屋で刺身盛り合わせを買って海鮮丼にでもすれば簡単に出来ますよ」と言ったのは考えますと現実感が無かったようです。一人で盛り合わせを食べるのは多すぎましょうね。
 食が細くなり、また買い物に行くのも苦労となりますと、食事のことは悩みの一つですね。
 それと物の処分をどうしましょうと、日がどんどん過ぎて行ってしまう、と話しておりました。
 僅かな時間でも心を広げ話すと色々と分かりますね
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酷いこと

 あっけに取られましたよ。議員と言われる人が、かくも下劣な言葉を吐くものよと。
 あまりの酷さに転載せずにはいられませんでした。

nikkansport.comというページから

 国会セクやじ当たり前「ある意味慣れっこ」

 東京都議会や国会のセクハラやじ問題を受け、共同通信が9日までに衆参の全女性国会議員78人にアンケートした結果、12人が「女は黙ってろ」「離婚しただろう」などのヤジや暴言を受けたり、聞いたりしたことを認めた。女性蔑視のヤジが国会で横行している実態が鮮明になった。

 アンケートには26人が回答。自民党の大西英男衆院議員に「子どもを産まないとだめだぞ」とヤジを受けた、日本維新の会の上西小百合衆院議員(31)を含む3人が、セクハラやじや暴言の経験があると主張。9人は、容姿や身体的特徴に触れるなどのヤジを聞いたことがあるとした。

 民主党の辻元清美衆院議員(54)は「初当選以来、『女は黙ってろ』などのヤジは日常茶飯事」。07年1月の本会議で、女性を「産む機械」に例えた当時の柳沢伯夫厚生労働相の辞任要求時に「自民党席から激しいヤジが飛んだ」と話した。社民党の福島瑞穂参院議員(58)は本会議に登壇した女性議員の発言中、「あんたも離婚したじゃないか」と議場から声が飛んだのを聞いた。一方、民主党の菊田真紀子衆院議員(44)は、「男女を問わず、個人の中傷や容姿のことを発言するヤジはたびたび聞いた。品位のないヤジに、議員はある意味慣れっこになっている」と、明かした。

 女性国会議員は定数480人の約16%で、先進国でも最低水準。「男性社会」を象徴する場所だけに、ヤジにも援軍はほとんどいないのが実情だ。

 ◆日本の女性議員の割合 衆院議員は480人中39人(8・1%)、参院議員は242人中39人(16・1%)。国際機関「列国議会同盟」によると、日本(衆院)は調査対象の189カ国中132位。都道府県議会の女性議員は昨年末の時点で233人(8・8%)。
 [2014年7月10日10時4分]

        議事堂

 日本の中で長く続いている女性への蔑視や差別 私は働いている時には明らかに、それと思われる言葉を頂きました。
 特に差別の問題ではそれを強く感じたものです。
 意外な方が意外な言葉を吐きます。巧妙な言い回しもありますよ。

 女性は協力して跳ね返す位の意気込みを持って行くべきではないかと思いますね。
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チャイナドレスは素敵だ 87

 習いに来る方が初めての仮縫い その時の顔は実に良い顔となるのです。何か輝く感じですね。
 それを見る私も心が弾みます。
 出来上がった旗袍を着て来ますと、素敵だな~と思いますね。
 昨日の生徒さん 体に馴染むように出来上がった旗袍を着て来ました。

     出来上がり前  出来上がり後

 とても着易く動くのも楽に出来ると嬉しそうに言っております。折角ですので、前後を見せて頂きました。
 昨日は次の旗袍の裁断をしました。この生地も探すのに苦労をしたようです。ですがこれも楽しみなものです。
 私も随分駆け回りました。今は須田町の生地屋さんも数軒になって仕舞いました。
 日暮里にも生地屋さんはありますが、思うような生地探すは苦労だと思います。
 
 裁断は前身頃と後身頃分の生地を重ね、そこに直接印をしながら裁って行きます。

    裁断準備  テキスト

 テキストは私のオリジナルなものです。これに従って裁断と縫製をして行きます。
 図と説明 それと制作順を書いたテキストを使います。右のはご本人のものです。

              裁断1

 この線がとても重要なのです。採寸で決まった線をキチンと描きます。それから順に寸法を決めて線を引いて行きます。

    前身頃裁断  後身頃裁断

 身頃は前後一緒に裁断し、それから分けて細かい部分などを記して裁断をします。
 今回は袖も、襟も一緒に裁断を済ますことが出来ました。 次回は仮縫いとなります。
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7月11日から12日

 強い台風8号は11日朝方千葉県の富津に再上陸したとニュースで見ました。
 台風の目ってどうなんでしょう。ぶつかったような経験したような気もしますが、どうもはっきりとしていません。
 普通に起床 朝食を作ります。

      朝食7月11日
 
 ま~変哲もない老人食です。このほかには味噌汁が付きます。偶には焼きのりですね。大体朝食で20種類程の食品を摂ります。
 午前中は中国語のレッスン。老師はiPadに入っている中国の格言や最近の高齢者の方の紹介などを色々と見せて下さいました。「老師 中国にはこのような立派な格言が沢山ありますでしょ。それなのに何故人々はマナーも悪いし、何かと問題が多いですかね」と思わず言ってしまいました。老師は「今はお金、お金でしょ。困ったことだと思います」と仰いました。昨日頂いたのが煮玉子。八角の香りが効いた卵です。

     煮玉子1

 昨日の昼 珍しく二女と夫と近所の中華料理店に行きました。台湾料理を売りにしているようです。
 二女曰く「ば~ばお店の人は皆中国人だと思うよ。話が出来るから行こうよ」という言葉にチョト心が動きました。
 何しろ安いのには驚きました。二女の頼んだランチ680円

     680円ランチ

 夫と私は冷やし中華 これが迂闊だたのです。掛け汁が別に出て来たのです。それを掛けて仕舞いました。
 所が麺の下は氷が敷きつめてあったのです。味は美味しいのですが、どんどん薄まって来てしまいました。
 店員の女性は私の中国語に全く反応しないのです。どうも通じません。
 多分彼女たちは台湾の方が言う北京語ではなく、台湾で使われている広東語かみん南語を話す人ではないかと言う気がしました。
 昼食後は猛烈な暑さの中二女と買い物。安いスーパーです。ですが野菜が新鮮、集まって来ている産地が広いのです。 とても気に入っています。
 夕食を食べようとしましたら、東の空が珍しいのです。遠くの空がハッキリと雲と雲のない空と別れています。

     7月11日夕刻空

 夕食後は買ってきた物の加工です。保存食用にと処理をします。夫と喋りながら夜を迎え就寝

 12日早朝大きな強い横揺れ 地震です。この辺は震度3

     12日朝の地震

 11階の方はさぞ揺れたろうと思います。4時過ぎでしたので、チョッと横になり、6時に起床
 変らず朝食を作ります。

     朝食7月12日

 午前は宅急便の受け取りなど色々 宅急便を受け取りに玄関に出た夫「重いですよ。大丈夫ですか」と言われ、いささか納得しかねる様子
 昼近く魚屋を覗きに行きましたら、お兄さんが中で腕で× 時化で良い魚はありませんよとサイン

 午後はチャイナドレスの生徒さんと向かい合い、お喋りしながら二時間
 彼女は一枚裁断を済ませて帰られました。住まいは12階とか、地震は揺れたようです。
 
 彼女が帰られた後、宅急便一個発送 
 
 夕食を始めようとしますと、東の空に月 月は綺麗に撮れませんがスマホで一枚パチリ

     7時12分の月

 ま~こんな生活です。光輝伉儷者の夕食が済みましたのでブログです。
 
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台所

 世の中色々と起きますね。あの東日本大震災から3年4カ月 北陸沿岸での復興も進んできている様子。
 ですが福島のことはどうなっているのでしょう。
 国の台所事情なんでしょうか。仮説住宅で過している方も未だ多いと聞きます。
 何だか切ないです。ですね。と言うのも共感が無ければ使えません。ね。って難しいです。ね。って強調し同意を得ると言う前提の一字ではないかと最近思うのです。
 
 台所は昔から女性の城のような場所でした。嫁姑の確執もその場所で繰広がれると言う杓文字のとり合い何て良く言われていました。
 先だっての「ある戦中生活の証言」で東京の普通の家庭の台所が描かれております。

      台所

 筆者の説明 
      一世一代  
 台所の立流しが腐って水がもる。トタンを張り替えれば、まだ結構つかえるのだが、当節、流しに使うトタンなど、かねたいこでさがしてもないそうである。
 厚手の木で張れば、トタンなしでも二、三年は持つと聞いたので「よし、それならおれが造ってやるわ」と、貴重な第三日曜の一日を棒にふって、一世一代の流し造りをした。

 亭主の作るものは、どうも信用しないくせのある妻が、「ほんとうに使えますか」と疑わしい目つきで、水をザーと流してみて、たしかにまちがいなく水が低い方へと流れて行くのを見て不思議そうな顔をした。


 この台所 このような台所を目にする方は驚かれると思います。これは戦時中の極普通の家庭の台所だったと思います。水道はありますが、ガス台が見当たりません。この時にはもうガス台は修理も出来ず、無惨な格好をしていたようです。
 都内でも戦前には水道のない地域があり、井戸から水を汲んでくると言う所もありました。
 ガスや水道のない地域は戦後もありましたよ。信じられないかも知れませんが、私の住んでいた吉祥寺でもそうでした。
 今の台所は立派なものが出ておりますね。
 朝日新聞DIGITALで見られる東京の台所 立派な台所に目を見張りました。興味と時間がございましたらご覧になって下さい。
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私のブログを見ていた二人

 私のブログは2006年2月から始まっています。
 毎日見に来て下さる方も少しずつ増えて来ております。
 
 明治大学校友会我孫子地域支部第14回総会の内容を見た方が驚き、コメントを入れて下さいました。
 総会での閉会の言葉は支部の常任幹事をされている真仲良範さんです。
 姿も総会の記事の中で見られました。
 驚きのコメントを直ぐに入れて下ったのはNHKの中国語講座で長く一緒に学んだ塩畑薫さんです。
 なんと(こういう時に使う言葉ですね)会社で一緒に働いていた方だと言うのですよ。
 二人は私の思うところ、毎日私のブログを見て下さっているようです。
 それは先ず塩畑さん 中国語で字の間違いなどがありますと、直ぐにソフトに指摘して下さいます。
 真仲さん 時々街中でお会いしますと、ブログのことを話題にしますし、我が家の食事も良くご存知です。

 お二人が勤めていたと言う会社のことは全く知りません。ですがお二人の姿勢を見ますと、きっと全うな会社だろうと思うのですね。お二人とも実に穏やかなんです。

 先月真仲さんは元の同僚二人と札幌に住む塩畑さんを訪ねたそうです。
 真仲さんからメールを頂き、4人で美味しい料理を頂きながら、楽しく一夜を過ごしたと知りました。
 真仲さんのメールにも書かれておりましたが、塩畑さんは驚くほど若々しく、再会までの5年というのに、変らないように見えたそうです。
 私はある時期まで塩畑さんは独身だと思っていたのです。それが突然「孫にお土産を~~」と言うのですね。
 それで驚きました。その時も思わず声を出してしまいました。「ええ?お爺さん?嘘みたい」ってね。
 塩畑さんは定年後は札幌に居を移し、中国語でのボランティアガイドをされております。「遊びに来て下さいよ。その時には中国語で案内しますよ」と仰っています。私と大違い。恥ずかしいですよ。
 私のブログを覗いていると言う共通の事柄がありますから、札幌でもチビ孫のダブルダッチのコンテストのことや私の旗袍の話しなども出たそうです。嬉しいですね。

         朝食7月10日

 これも見て下さるでしょうね。今日の我が家の朝食です。毎日変わり映えしませんが、健康でありたいと作っております。
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南瓜

 この数日下のスーパーで江戸崎南瓜が並んでいます。
 南瓜はそうですね。買うのは一年に3,4回位でしょうかね。
 江戸崎南瓜は美味しいと言われています。下のスーパーでは昨年は並んでいなかったような気がしています。
 
     南瓜  江戸崎南瓜煮

 左の下の方に江戸崎南瓜に特選のシールが貼られて見えます。
 買って来ましてね。煮ました。南瓜の煮るのは煮る回数にしては得意なんです。
 私は出汁は使いません。水で煮始め、砂糖少々に塩、そこに今は自家製の干柚子を入れてゆっくりと煮詰めます。
 美味しいですよ。夫はそうですね。5,6年前まで南瓜に箸を出しませんでした。

 戦後の食糧難時代、日本中と言っていいでしょうね。至る所に南瓜の蔓が見られ、今のように掛け声で日よけなどを呼び掛ける必要はありませんでした。
 夫も私も南瓜談義をよくします。二人とも生活に苦労をしておりました、戦中、戦後 食べ物の苦労は同じです。
 南瓜の種類ですが、今は目にしない長い南瓜の話が良く出ます。
 「あれって何と言う南瓜なんだろうね」って言いますが、調べても出て来ないのですね。
 今を遡る65年位前ですからね。すたれて仕舞ったのかも知れませんね。

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庶民は苦しむもすべなし

 昨日戦時中の東京都内のお菓子の配給のことを掲載しました。
 その絵と説明は「ある戦中生活の記録」サブタイトル「画と文でつづる庶民史」という一冊の本からのものです。

       戦中生活

 戦時中jの生活と言いましても、私は日本と中国 そして千葉県の小さな町で経験したことは、経験と言える程のものではありません。ですが多少なりともその時代に起きたことを時々はアップしたいと思っております。
 そう言った私の思いは生々しく正直に、素直に表現しているこの一冊にめぐり合いました。
 時々はこの冊子から絵や文をお借りしようと思っております。
 筆者は明治35年生まれと言うことですから、多分ご了解は得られないのではと思っております。
 本書の後書きを転記し、掲載しました。 

      あとかき
 大戦中、私は病弱な妻と、まだ幼少の五児をかかえて、終始、東京にとどまった。
家族を疎開させる田舎を私はもたなかったし、よし、それがあっても、多病な妻に子どもをらをまかせて手離してはやれなかった。どんなに危険があろうとも一家は東京に暮らすのほかなかった。「どうせ死ぬなら、みんな一緒に死のうね」私らはそう言いました。
 空襲が激化してからの日々、私たちは明日の命とよりも今宵の命、否、一時間後、三十分後の命を知らずいきていたというのは、少しも誇張ではない。実際、その残酷さと無慈悲さとで、十万の都民が石ころのように死んだ。それが明日の自分の運命ではないかという保証はどこにもなかった。
 私はしがない俸給生活者であったが、そうした暮らしの日々、暇さえあれば、家庭生活のあれこれや、外景の目につくものをスケッチしてまわるという、非常時下にはおよそ似合わぬのん気らしいまねをしていた。とはいえ、どんな美しく楽しげな画材があったというのではない。生活は飢餓一歩前であったし、外は一望はてない焼野原であった。
 少年のころ、私は絵かきを夢想したが、貧しく不幸のゆえその望みは叶わなかった。正規のどんな絵の勉強もしたことはなく、絵筆一本もたぬ私に、満足な絵の描けるわけがない。しょせん、素人の手すさびのそれらつたない絵を、私は人に見せようと描いたのではなく、いわんや後日、こうした形で世に出すことがあるとは、夢にさえ思わなかった。私はただ自分のために、それを描かずにはいられぬ思いで描いた。
 厳しい空襲下に、いつか来るかも知れない“死”そのものを、私はそれほど恐れなかった。が、失う“命”は惜しかった。死の恐れは愛惜した。この年月、自分なりに生い育ててきた命を私くるみ覆没しつつある、この現代大戦というものの狂気と無惨とを、できるだけ心魂に焼き付けて、それからどんなにでも死にたかった。それは刑の執行を告げられた朝、死刑囚は獄室でも窓でも、食いいる眸で見まわさずにはいられずにはいられぬであろうそのように。
 描くとは見つめることであった。心に刻むにこれより優る法はなかった。私はマニアのように鉛筆をにぎり、思うところを短文その他に記した。つまりそれは、私のどこへどう吐きようのない嘆きと苦しみの叫び、われとわが命を弔う挽歌なのであった。
 私の一家は、間一髪のうちに戦災をまぬかれ、無事。敗戦の日をむかえた。一冊五銭の小学生ノートに描いた戦中記h、十センチの厚みの紙包みのまま、押入れのすみにほこりをかぶっていた。それを無用の屑紙として捨ててしまうには惜しい気がして、大学ノート五冊に整理したのは、戦後十五年もたってからであった。なんといっても、それは一家苦難の日の思い出の記録であり、いまとなっては、多少めずらしいもののようにも思えたからである。
 そのノートのごく一部を、雑誌、週刊誌に発表する機会が、これまでに二度あった。しかし、それは全貌を尽くすものではない。その間に、私もいつか老残、余生多くを期し得ない身となった。その最後とともに、ノート四散消滅してしまうだろう。それは無名人間の一私記の当然たどるべきなりゆきとしても、なお多少の未練がないでもない。それをこのたび、早乙女勝元先生の非常のご尽力と、草土文化社社長田辺徹氏のご厚意によって、ノートのおよそ前半、家庭生活を主とした部分を、一冊として刊行のはこびとなった。この間にいただいた早乙女先生のご熱意とご親切に対しては、真に感謝の言葉がない。
 戦後三十余年にして出すこの書に、いくばくの価値ありや、なきやを私は知らない。が、かの長く苛烈な大戦は、軍艦や戦車、大砲のみによって戦われたのでは決してなかった。犠牲は戦没軍人や、原爆死の方々によってのみ払われたのでも決してなかった。戦後九千万の国民、老若男女もまた、戦いの明け暮れに、つぶさに辛酸をなめ、辛酸した。それは取るにたらぬ些事、記すにあたいせぬ泡沫事というのであろうか。
 私らは戦いの重圧下に、ただただ黙止忍従するのほかはなかった。そして、太平洋戦記のくさぐさ、広島、長崎の原爆の悲惨が、いまに語られて尽きぬというのであれば、戦時下九千万の庶民の忍苦の物語も、いくらか語られてもよいと思える。その意味でこの小著を今はほとんどわすれられようとしている、しかし、決して忘れてはならない、戦中庶民の苦悩の声の、遅まきながら代弁の書と解していただけたら幸いである。
 なお、雑ぱくなノートからこの書をまとめあげるには、編集部の梅津勝恵氏の一方ならにお骨折りをいただいた。併せ記して厚くお礼を申しあげる。
  1978年6月25日    勝矢 武男
 
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七夕

 今日は7月7日 七夕 この日は私にとりましては必ずしも良い思い出ばかりではありません。
 1937年(昭和12年)7月7日に日中事変の始まった日として、長く心に留まっております。
 所謂蘆溝橋事件です。戦時中は学校でもこの日を戦争の始まった日だと聞かされておりました。
 中々複雑なことのようで、詳しくは子ども心には分かりませんでした。
 日本が勝つと信じさせられたと言っても良いでしょう。そんなことを思い出します。

 マンションの子ども会の方々を中心に毎年6月20日頃から笹飾りが作られております。 
 短冊も沢山見えます。孫の小さい時には願いを書いたものです。もう今は二人とも忙しく、短冊まで気持ちが行っていないようです。
 七夕の歌は心が和みます。ゆったりと天空を仰ぐ、そんなことを感じます。

         子どもの願い

 生憎今日は雨です。大型の台風が沖縄、九州方面で被害を齎しそうです。

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お鮨は贅沢?

 お鮨を良く食べるという話しはどうも誤解をされて仕舞います。
 「贅沢ですね」 「豪勢ですね」とか言われます。
 確かに昔はお鮨はハレの食べ物と言って良かったでしょう。祭りの時、人寄せの時、慶事の時。
 庶民はお鮨でもてなしました。漁村の田舎だった私の町では、魚介に恵まれていましたから、家庭でも握りは作ったものです。その鮨は大体ご飯を握り、その上に種を載せて行くと言うもので、鮨種は大きく、ご飯と一緒には口に入れられないようなものでした。
 町に唯一軒あった鮨屋の握りは鮨種と一緒に握られておりましたが、大きな甘~い鮨でした。戦後しばらくまではその店だけでしたが、今は数軒はあるようです。
 その唯一軒の店では戦時中は男性はいなくて、姉妹二人で切り盛りしていました。夏は心太やかき氷なども売られていました。その店の出前はありません。取りに行かなければなりませんでした。
 我が家はその頃祖父母と私と妹ですから、それは叶わぬことで、お鮨は祭りに呼ばれた時に食べるだけでした。

 今は多くの人が回転寿司に食べに行きますね。田舎も近くの市で回転ずしが流行っているようです。
 こうして昼夜関係なくお鮨が食べられますから、贅沢ではないでしょう。言われるとチョッと心外な気持ちになります。
 で安いと言う事実 これでは贅沢とは言えませんでしょう。

    生バチ漬け握りと刺身249円+税金  鯵丼と刺身で398円+税金

    生本マグロ450円+税金  鯵叩き丼298円+税金

 昨夜テレビのアド街と言う番組で、築地場外の食べ物屋さんの紹介を見ていました。本場と言えば本場でしょう。
 鮨種の良さに感心して眺めておりました。場外には200軒も食べ物屋があるそうで、驚きましたね。
 昔は場外に買い物に行ったこともありましたが、今は大きく発展しているような様子ですね。
 夫は辛抱、忍耐、我慢そしてじっと待ち並ぶ そんなお店には行けません。
 ま~相子食堂は365日開店していますから、そこで我慢して貰いましょう。
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勿体ないと思いながら

 頂き物の容器などがオイルショックの時のことを忘れたかのように、豪華になって来ております。
 あの時はデパートは率先して簡便な方法を考え、実践しておりました。
 それがいつの間にか多くの商品の包装や容器は立派になりました。
 その分関連する業界の売り上げも多くなっているのでしょうね。
 ですが出来ればですよ。もっと工夫をして頂けないものかと考えて仕舞います。
 これでもかと言う程丁寧豪華に包装されている物もあります。
 有難いようでもあり、有難くないようでもあります。
 戦時中は容器も大切にしていました。国は贅沢は敵だとか、頑張りましょう勝つまではとか、標語を掲げて節約を奨励していました。
 配給品を受け取る時の入れ物も準備して置かなければなりません。
 瓶も函も大切なんです。
 東京の方から頂いた新宿中村屋のかりん糖の函が祖父の家にあったことを思い出します。

      缶

 今はこんな函を手に持ち、どうしようかと悩みますね。ではどうするのかと自問するのですね。
 結局資源ごみに出して仕舞うのですね。
 
 
 
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ハタを食べる 2

 2日の午前 瀬戸さんからキジハタを頂きました。荷を解いてびっくりしたのです。
 1日のこと 下の魚屋でハタが並んでいましたので、買って食べていたのです。
 このスーパーは最初は東急ストアーとして開店したのです。それが時代に勝てずと言いますか、近くに大きなスーパーが出来たために撤退。店舗の様子にも変化がありました。
 ですがどの時のスーパーでも魚屋はありました。有名な北辰も出店しておりました。
 その有名な北辰時代でも目にしたことのなかったハタ それが目の前にあるのですよ。
 お婆さんは興奮しましてね。思わず声を出しておりました。
 「わ~魅力 どうしよう。高~い。お惣菜には無理だわ~」 お兄さんが傍に来ました。
 「珍しいわね。魅力 う~んだけど勿体ない」 「98でどうですか。 買いますか」 「それは買うわ」
 と手に入れました。
  お兄さんとはそれほどまでになって来たのです。
 「でどうしますか」 「片身は皮を引いてね。後は煮るので適当に切ってね。アラも一緒にね」

       そのハタはアカハタです。綺麗な色をしています。

             赤ハタ握りと煮着けで980円+税金

    ハタ握り  ハタ煮つけ

 煮つけは砂糖・醤油・日本酒だけです。それが美味しくてね。魚好きな長女にメールをしようとした所に本人が来ました。
 「ハタよ。食べてね」って。綺麗に一緒に食べました。夫には写真の一番手前の一切れ。後は二人です。
 
 今日の昼間 魚屋を覗きに行きました。お兄さんが品物のパックを並べています。
 「今日は」ってお兄さんが声を掛けて呉れました。
 「今日は 先だってのハタね。美味しかったわよ。鮨種は切り方が下手でね。薄く切れなかったけれど、甘味もあり、とても美味しかったわよ」
 「あれって高級なんですってね。値段安く付け過ぎたんですよ」 「そうよ。高級なのよ。このスーパーで始めてよ」
 二日も続けてこんな上等な物を頂くなんて。世に言う口福と言うのですね。
 でも でも 次はあるでしょうか。あっても高くて買えないのではと思いますね。

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ハタを食べる 1

 昨日 富山の瀬戸さんから味噌が届きました。
 この味噌は材料の全て身元がハッキリとしています。信頼し長年送って頂いております。
 信州系の味噌は大変美味しく、安心して頂いております。
 瀬戸さんは味噌と一緒に滅多に口に出来ない物や私の知らなかった物等を時々送って下さいます。
 
 今回はキジハタ一尾が綺麗に処理され、直ぐに使えるように丁寧に包装されておりました。
 大きさは30㎝弱 さ~何にしましょうかと考えました。
 チャンスがなかった清蒸に挑戦しました。
 清蒸(チン ジョン)は魚や肉を味を付けずに蒸すと言う中華料理です。
 中華蒸龍がありませんが、大きな蒸し器がありますのでそれを使いました。

 清蒸石斑魚 (チン ジョン シー パン ユイ) キジハタの蒸物

 用意する物 
 キジハタ    一尾 
 塩 ネギ 生姜 紹興酒 オリーブオイル 醤油 白髪ねぎ

 作り方
 1 キジハタを盛り付ける面の反対の面に一本切り込みを入れる
 2 キジハタ全体に塩を確り多めに振り 30分置いておく
 3 皿にキジハタを載せ、紹興酒を振りかける。
 4 上に薄く切った生姜
   長さ6㎝ほどの長さに切り縦に二つに切ったネギを全体にのせる 
 5 蒸し器の湯を熱し、強火にする
 6 その中にキジハタを載せた皿を置き、強火で15分 一気に蒸す
 7 蒸し上がったキジハタの上に予め切っておいた白髪ねぎを載せる
 8 その上から熱したオリーブオイルと醤油をかけ出来上がり

       キジハタ清蒸
    写真は白髪ねぎを載せた時点の物です。

 私の作ったのは本式ではないのです。大凡こんな物と言ったお皿です。
 調べてみましたら、かける油はピーナッツ油を掛けるようです。ありませんからオリーブオイルで代用しました。
 また醤油ではなく丁寧に作った調味料があるようです。
 それでも身はぷりぷりですよ。美味しくて綺麗に猫マタギのように食べ切りました。

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好きな特売品

 一階にあるスーパー 規模が小さいので商品には限度がありますが、中々ユニークな面があります。
 堅実と言いますか、チラシはとても安上がりな感じの一色刷り。
 特に欲しい物が並んでいるわけではありませんが、一応目を通します。
 その中で私が目ざとく見つけるのはアサリとシジミの特売です。
 普通はアサリもシジミも結構高いのです。
 夫の肝臓のためにシジミは良く買いますが、アサリは安い時にしか買いません。
 先日はとても安く出ていました。
 このような時には出来るだけ早く買いに行きます。アサリもシジミも買って来ますと砂抜きをした後、幾つかに分けて冷凍にして置きます。
 アサリは安売りの日のは小さな物が多いのですが、今回のは良い大きさの物でした。
 随分久しぶりの物です。

     アサリ砂抜き前  アサリ砂抜き後

 アサリの砂抜きは海水程度の塩水にひたひたにしてつけます。水を多くしてはいけません。貝が一部水面から出るか出ないかと言う程度ですね。(先に綺麗に洗ってからです)
 アサリを入れた容器に蓋をし、暗所に置きます。暑くなりましたら冷蔵庫に入れます。
 今回は冷蔵庫にいれました。半日程過ぎましたら蓋を取り、小分けにして冷凍します。
 特売で一番嬉しいのが貝類の特売です。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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