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2015-05

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70年前のこの日

 戦後70年ということで、色々なことが思い出されます。
 1945年5月18日のことは8年前にアップしております。
 私は女学校の2年生 今の中学2年生ですね。今思い出してもその夜のことは忘れることは出来ないと言うか、忘れないでしょう。
 千葉県房総半島の先端の町 白浜と言うのですが、今は南房総市白浜町と言う所です。
 その町の先端(最南端です)そこに野島崎灯台があります。日本でも古い洋式灯台です。霧笛の響く夜は自然に目が覚め、海難が起きないようにと厳粛な気持ちになったものです。
 その灯台を背にして北に山があります。山国の方から見れば山とは言えないような山です。
 名前は城山(じょうやま)と呼びます。
 その山を目掛けて米軍の艦隊が艦砲射撃をして来たのです。

        城山

 手前が灯台方向です。北の方向の小高い山 これが城山です。
 親戚の葬儀に行きました時、撮して来ました。もう二度と見ることはないかも知れないと心に刻み帰宅しました。

 ネットは色々なことを調べることが出来ますね。この白浜の艦砲射撃に付いてもそうです。
 ここにリンクして置きます。ご覧になって下さい。

 この艦砲射撃のあった数日後の夜です。沖から轟音が聞こえて来ます。
 祖父母は直ぐに私と妹に山の避難小屋に行くようにと言います。
 「私達はどうなっても良いけれど、二人は逃げなさい」と家から追い立てるように小屋に向かわせました。
 避難小屋はそのときより少し前に作ったものです。山道からずれた木で隠れるような場所に丸太を並べます。
 その周りの四隅に柱を立てて、蚊帳を釣るようにします。
 屋根は雨漏りがしない程度の簡単な屋根です。一応夜具は置いてあります。

 その小屋に行くのには峠を越します。妹と手を繋ぎ、峠に立ち海の方を眺めました。
 日本の船と何処かの船との砲弾が飛び交っています。物凄い音とその撃ちあう砲弾からか出る閃光は恐ろしくてなりません。
 私は妹の手を引き、必死で避難小屋に向かい、たどり着きました。
 小屋は暗く、二人だけです。とても眠れるようなものではありません。
 翌朝小屋から家に戻りました。
 峠から沖を眺めますと、砲撃で叩かれた船が浮かんでいました。そのことを書いたものは未だに目にしておりません。
 戦いはこうして大きな辛く切ない悲しいものを人に与えます。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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