2016-12

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大晦日

 大晦日と言いましても、特別大きな仕事はありません。
 昔と違い、全て手作りでお節の準備をするわけでもありませんしね。
 結婚した頃は、若く体力もありましたから、あれやこれやと作ったものです。
 特に伊達巻は魚のすり身を作り、苦労して作ったものです。
 それで大晦日のNHKの紅白歌合戦は見ることは出来ませんでした。今は見ようと思えば見られるのですが、余り関心がない所為か、歌手も歌も知りません。
 大晦日と言えば年越し蕎麦ですね。頂きましたよ。

       ソバ

 信州のEGUTIさんから今日の昼前に届き、早速頂きました。
 白く更科のような細い麺です。
 流石本場のプロの作ったお蕎麦ですから、美味しかったです。
 これが我が家の大晦日らしい事柄です。
  
 大掃除も特にしませんし、部屋の整理も面倒なんですね。80歳過ぎるとこういうことになるのですね。
 
 世の中、立派な人が沢山おりますでしょ。その反面最近はどうも心が荒れている人が多く、ニュースで知りますと、何故?何故?って思います。全体に箍が緩んで来ているのでしょうか。気になる世相です。

 新年にはせめて食事の時のエプロンを新しくしようと、今日の昼前ゴム紐を付けました。

       エプロン

 夫とお揃いです。食事の時何となく物がこぼれるのですね。箸で摘まんだはずが、箸を口元まで寄せると、物がなく落ちているのです。
 これはタオル地ですから、厚さもあり、チョッとした汁物も通しません。ふわっとしておりますから、物も下まで一気に落ちることなく、途中で停まっていることも良くあります。
 この数年前から食後の洗い物は夫が受け持って呉れています。
 このエプロンは長いので、シンクから撥ねる水避けにもなります。そして手拭きになり、熱い物を持つのにも役に立ちます。
 とても良いな~と自画自賛をしております。
 これを外出にも持って行きたいですよ。紙のエプロンは焼肉屋さんでは用意している所もありますがね。
 普通のレストランでも老人へのサービスで出して呉れないかしら。そっと「要りますか」と聞いてね。

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朝食が大事

 今日は晦日 明日は大晦日 明後日は元日
 一年が足早に過ぎて行きます。子どもの頃歌った正月の歌 早く来い来いお正月は本当になって仕舞いました。
 直ぐ来て仕舞います。
 今日の中央公園は枯れた風景です。空は見事に晴れています。
 歳末でもあり出かけている方が多いのでしょうか。何となく人の気配が感じられません。

              12月30日中央公園

 老師のお宅のベランダに何か干してあるのが見え、特に何かと言う訳ではありませんが、安心します。

 世界の人口は約70億人と言うことですが増え続け、その内8億4000万人以上の人が満足に食事を取れないそうです。
 そう考えますと、何の彼のと言いながらも三食食べられていると言うことは感謝をすべきですね。
 私の基本は朝食第一です。今風に言えば朝食ファーストですね。

    朝食12月27日  朝食12月28日

     左は12月27日のです。    右は12月28日のです。

    朝食12月29日  朝食12月30日

    左は12月29日のです。    右は12月30日のです。

 何時も夕食は残り物と何か一品作っていますが、それが残って仕舞うのですね。
 ですからそれがまた朝食に出て来ると言うことも起きます。
 夫は目の前に取り分けてある物が食べ切れないと、私に済まないと思うらしく、他の物にまで箸が出せないと言うのです。
 それで今まで続けていた盛り付けや、品数を変えて行こうと思っております。
 ですが朝食第一は変わらないでしょう。
 このような朝食の写真はこれでお終いになります。
 何事も何時までも変わらないとは行きませんね。老いに伴って徐々に身辺に変化が起きて来ます。

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煮物いろいろと雑談

     毎日煮物ですが、眺めて見ますと色々なんですね。
     特に変わった物の組み合わせではありませんがね。
 
    ひりょうず・人参・コンニャク・隠元  鰯団子・大根・人参

    鶏肉団子・ジャガ・人参・隠元  小松菜・竹輪煮物

 この中で右下の小松菜と竹輪の煮物ですが、これが意外に食べ難いのです。
 老人になって来たのでしょう。茎の方が硬く感じるのです。おまけに繊維が歯間に挟まり食後は楊枝に神経を集中して仕舞います。

 今日の午後長女と買い物に行きました。年末ですね。
 高島屋の駐車場に入る車の列が余りに長く、どれほど時間が掛かるか分かりません。
 そこでおおたかの森のタカシマヤフードメゾンに行き先を替えて行きました。
 込んではいましたが、驚くような込みようではありません。
 運動の心算でカートを押して歩き回りました。
 こうして時々カートを押しながら歩き回るのが私のレクリエーションになっています。
 珍しい物を眺めながら歩く。
 これが良いのです。商品知識も増えますしね。

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明大漫画図書館のこと

   今日の朝日新聞朝刊に出ていた記事
 
        「ひと」

      朝日12月28日朝刊

 随分前から漫画図書館を作ると言う話は聞いておりました。
 場所も旧付属高・中の跡地の猿楽町だとも聞いておりました。

 大学のホームページで見ましたら「東京国際マンガ図書館」と名付けられており、現在は米沢喜博記念図書館が先行開館と言う形で公開されていると分かりました。米沢喜博記念図書館をご覧頂くと、利用時間などが分かります。
 この米沢さんと言う方は故人となられているのです。
 図書館の案内は赤字から入ってご覧ください。
 
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粉ふきジャガと雑談

 朝食に煮物 これが我が家のお決まり。偶に材料のない時があります。
 そう言う時の一品は粉ふきジャガです。じゃが芋は常備しておりますから、慌てずこれを作ります。

        ジャガ芋こふき

 先日の妹との昼食の時、小鉢に盛り付け白ごまを振りかけて出しました。
 段々横着になって来ております。その横着さを感じさせないように見せます。
 
 20日に女学校の時の友人とランチバイキングに行きました。
 その時の話 私が冬なのに寝汗をかき、治すのに梨を食べてかかなくなった言いました。
 それを聞いた一人が「先だって何だか長ったらしい、難しい名前の梨を食べたけれど、探してもないのよ」と言うのですね。
 
 その後買い物に行った店で買った梨 「ゼネラル・レクラーク」と言うのです。
 半分食べてから気がついたのです。あの梨ってこれかもと思いメールで送って見ました。

        洋梨

 シールも台所にありましたので、張り付けてね。返事は「そうこれよ。千疋屋に行ったけれどなかったのよ」と言うのですね。
 それじゃーと先日買った店に行きましたら、ありました。それも安くですよ。ネットで見た値段の半額です。
 食べ時が短いので買って来て直ぐに発送しました。

 その友人昨日あのバイキングに友人を連れて行ったそうです。その方も年齢的には私達に近い方だそうで、杖をついて見えたそうです。
 食事中、その方がトイレに行き、戻って来ましたら、レストランの若い男性が「杖はどうなさいました」と声を掛けて来たそうです。
 ご本人は「私杖を持っていったかしら」と言い直ぐ「あッ 忘れて来たわ」と言うことで、直ぐに探しに行ったそうです。
 ところがどこに入ったか分からず、探しても見つけられず、困ったそうです。
 それが分かったので無事本人は杖を持って来たそうです。
 事情は女性の所が混んでいるので困って仕舞い、男性の所を利用したことを思い出したのだそうです。
 話を聞いて笑って仕舞いまいましたが、年齢的には私も要注意、忘れ事は日常茶飯事ですから。
 それにしましてもその若い男性の気配り、立派ですね。

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スモークチキンと駅伝の事

 昨日は妹が遊びにきました。昼食に何をしようかと考えましたが、お鮨はどうも定番になりそうで、自分でも何となく避けたいなと思いまして、簡単で家にある物を使ってと決めました。
 
 他所から頂いてあったスモークチキンを切り、黒豆ご飯を炊き。ホウレンソウのお浸しに粉フキジャガ芋と漬け物でした。

             スモークチキン

        程よい塩気で食べ易く美味しいチキンでした。

 今日は大学から広報が送られて来ました。駅伝の事が掲載されています。
 今年はシード権を失い、どうなるかと思っていましたが、復活出来ましたので、来る年明けには見ることが出来ます。

     駅伝選手名  駅伝コース

 俄か応援婆さんですから、細かいことは知りませんでしたが、選手一覧表を眺めましたら、それぞれの記録なども出ているのです。
 読んで見ましたら、殆ど差がないのですね。
 是非頑張って欲しいと思いますね。お天気は良さそうですので、楽しみです。

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久しぶりの餃子

 昨日は年賀状の最後の点検で時間が段々少なくなって来て仕舞いました。
 夕食に何を作ろうかと考え、そうだ白菜があったわと、餃子を作ることにしました。
 昼食後白菜を茹でて、笊に載せて冷まして置きました。

 午後時間を見て下のスーパーに行き、豚ひき肉、ニラと餃子の皮20枚を買って来ました。

 餃子用の豚肉は適当な脂身が入っていませんと、美味しくないのです。 
 子どもの頃、餃子をつくる時、中国人の肉屋に行き自分で部位を指定して買って来ます。
 それを刻んで、細かく叩くのは私の役目でした。
 自家製の皮は姑娘と競争するような感じで作ったものです。

 結婚してから、自分で皮を作っていたのですが、包むのと焼くのは夫に協力して貰い、100個ほど作っておりました。
 未だ市販の皮は売られてなく、餃子を食べたことのない人も多かったのです。

        餃子20個

 この餃子ですが、皮は大判の物。可成り硬く、焼く調整が難しそうです。
 白菜は細かく切りますが、余りきつく絞ると白菜の旨味が抜けて仕舞いますから、気を付けます。
 細かく切った白菜と長ネギ、生姜のみじん切りと、ニラの切った物を肉と合わせて良く混ぜます。
 塩、胡椒で味付け。ラードを少し加え、酒も少々入れます。

 一番大きなフライパンを取り出し焼きました。それも無理して全部鍋に並べて焼いたのです。
 途中の水分は多すぎて、思惑通りには行きませんでした。
 ですが皮が軟らかくて食べやすく、怪我の功名になったようでした。

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聖夜だと言うのですが

 今日はクリスマスイブですね。クリスチャンではありませんし、特に何かということもなく、一日が終わります。
 今日の気温は12時に11度 割合暖かな感じですが、外は冷たい風が吹いていました。

             12月24日中央公園

 中央公園の樹々はすっかり葉が落ち、全体に寒々と見えています。北海道は大雪だと言うので、テレビで雪に困っている人々の様子が映っております。 
 糸魚川の大火の被害は大きく、過去20年で最大の火災だそうです。被害に遭われて方々のお気持ちは如何ばかりかと察しております。
 
 街ではパーティーに行く方や、家族で一緒に集まり、イブを一緒に過ごす方もあるでしょう。
 
 我が家でも孫たちが小さい時は集まったものです。こんなケーキを並べましてね。

    2007年クリスマス  2009年クリスマス

   左は2007年のケーキです。   右は2009年のケーキです。

    2010年クリスマス  2009年クリスマスお鮨

   左は2010年のケーキです。    右は2009年のお鮨です。

 話は変わり、昨日からネットで出て来た言葉 初めて聞く言葉です。
 「クリぼっち」と言うのですよ。丸亀製麺がどうのこうのとか、何だろうと調べて分かりました。
 「クリぼっち」とは一人で過ごすクリスマスと言うことだそうです。
 そしてクリスマスを一人で過ごす人が何10%もいると言うことが問題?らしいですね。良いじゃないですか。一人でいようと、誰かと一緒だろうと。不思議ですね。これって誰が言い出したのでしょうかね。
 そうしましたら、クリぼっち用の数々の商品が出ているそうです。
 帝国ホテル東京の「ニコラウス」で新作のチョコレートケーキを出していると知りました。下のケーキですよ。

              帝国ホテル東京「ニコラウス」新作のチョコレートケーキ

 サンタがやって来て煙突から入って行こうというイメージなんだそうです。

 言葉は時代と共にと言うことを実感しましたね。一人でいても、誰かと一緒でも商売になるのですね。

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私的明大昔話 23

 学生相談室が発足したもののその存在を知って貰うと言うことは大変でした。
 先ず学生へのPRですね。当時は大学生になりますと大人扱いです。 
 教職員の中でも大人が人に相談をするなんてと言う言葉も良く耳にしました。
 
 知って貰うと言うことが第一歩です。チラシを作り、校門の傍に立ち登校して来る学生に配りました。
 謄写版(ガリ版)と言った印刷ですね。インクをローラーで伸ばし一枚ずつ刷るのです。

 そのほかにテーマを決めてグループで集まって貰い、教員を囲み懇談会のようなことをしたり、あれこれ考えましたね。

 昭和35年からは 新入生を対象にしたバスによる東京案内を実施したりしました。特に地方から出て来た学生に喜ばれました。
 バス代200円位集めたと思います。
 行き先は浅草寺の三社祭に合わせて行きました。吾妻橋のアサヒビール工場見学や吉原で江戸の歴史を学び、それから都内を回ります。パンフレットは経営の大久間喜一郎先生が作って下さいました。浄瑠璃の一節などを入れましてね。
 高速一号線が出来たばかりで、バスが高速道路に入りますと、学生達が興奮し大きな声を上げたのを思い出します。
 西に太陽が沈むのですからね。今じゃ考えられない風景です。この行事は何回か実施しました。
 
 最近ふと思い出しました。アサヒビールでは工場見学の後、広間でスクリーンを使い詳し説明と試飲がありました。
 大体一年生と言えば未成年ではないですか。
 誰もそんなことに思いやることもせず、実施したのですね。アルコール好きな教授の発案だったのかも知れませんね。

           main1195.jpg

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ベニズワイガニ

 今日の昼 富山の瀬戸さんからベニズワイガニが届きました。
 凄いプレゼントです。
 富山県の新湊港で水揚げされた物だそうです。
 トロ箱に大きなカニが二杯 甲羅を下にして並んでいます。

      ベニズワイカニ

 甲羅が下になっているのは捌いて分かりました。
 茹でた美味しいエキスが甲羅に溜まっていたのです。
 娘たち家族と夕食に頂きました。蟹酢は自分で作り、チョッと付けて美味しく頂きました。

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アサリの砂出しと朝食

 味噌汁は毎朝飲みますが、汁の実には簡単な物が多いですね。
 アサリは良く使います。
 高島屋に行きますと、上等な物が売られております。売られておりますが、高価で我が家ではとても買う気にはなりません。
 北辰等で安い時 少し多く買って来ます。

              アサリの砂出し

 アサリは良く洗い、ボールに塩水を作り、そこにアサリを入れて鍋蓋などで蓋をし、冷たい所で砂を吐かせます。
 塩水にとっぷり浸すのではなく、殻の一部が水面から出るように入れます。 
 砂を吐かせた後、小分けして冷凍にして置きます。
 使う時には出汁に冷凍したままのアサリを入れて煮立てます。灰汁が少し出ますから、灰汁をきちんと取り除きます。

 掛かりつけの医師は毎日卵を一個食べるようにと良く言います。
 多分タンパク質を取りなさいと言うことだと思いますね。
            朝は隔日位に卵を使います。

     朝食12月19日  朝食12月21日

      左は12月19日の朝食    右は12月21日の朝食

 二人とも食が細くなって来ております。ご飯は一日にお米カップ一杯分です。昔流に言えば一合を二人で一日ですね。
 昔普通成人のご飯は一人三合と言われておりました。
 三合食べた時代はなかったですね。食べ盛りの時はお粥などを食べていましたからね。

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ランチでお喋り

 既に無くなっている女学校の仲間と半年ぶりの食事会
 集まったのは9名 全員85歳 見事に高齢者です。
 髪は白髪や肌が見える薄さ。
 腰が曲がっている者が数人 杖を使っている者が数人 それでも心は明るく口は人に負けない老婆達。

 東海大学校友会館でのランチバイキング 1600円 知恵のある友人が初日より次の日が良いと今日にしました。
 お天気は快晴とはならずやや曇り、もやっていました。

             バイキング1

 11時半開場ですから、11時半に中に入って行きました。景色は皇居方面です。この部屋が初めての方は「あれは議事堂?」
 「あれは何処?」と珍しがって眺めていました。
 未だ他のお客さんが殆どいませんので、ざーと見て回りました。

    バイキングランチ  バイキングランチ3

     一人の方が「先ず野菜からね」と言っております。
    私は珍しい物から食べ始めました。

    バイキング2  バイキング3

    未だ食べられそうなのでデザートをちょと取って来ました。

    バイキングランチ2  バイキング4

        会場に珍しい綿の木が活けられていました。

             バイキングランチ4

 ランチタイムが終わり、場所をレストランに移し、そこで確りお喋りです。
 何と言いましても健康問題ですね。それと戦時中の学校生活。農家での勤労奉仕。
 防空壕作り。通学の苦労。皆の記憶が鮮やかです。良い思い出も嫌な思い出もありますが、それぞれ良い経験だと思っております。
 3時半 次の集まりを約束 帰宅しました。この時間ですと電車も座れます。楽に帰って来ました。

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今日の頂きもの

 今日は出かけていた間に頂きものが二件
 その一つは九州から送って頂いたと言う方から柚子果汁を大きな瓶で2本

 もう一つは日向夏 とても新鮮 産地は九州宮崎県です。

      日向夏

 食べ方が独特と言いますか、周りの皮を庖丁で薄く剥きます。その時中の白い所は残して剥きます。
 それを切り分けて食べます。
 
 偶然と言いますか、杉原方平さんの名前が出ましたが、この日向夏を初めて頂いたのが杉原さんからでした。
 奥様が宮崎県出身でそれでよく覚えていました。
 
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里芋の煮方と海人草の話

 つい先日、里芋の大きさで旨さが違うことを発見したのですよ。
 ロピアで立派な里芋を買って来て煮ました。それがどうも自分の煮る何時もの物と食感が違うのですね。
 そこで違う日にまた里芋を煮ました。

     里芋・人参・隠元  里芋煮

 里芋は何時もの大きさのを煮たのですね。そうしましたら美味しいのです。
 私には大きいのは上手く煮られないと分かりました。鶏卵位のほどほどと言うのが良いようです。


 昨日三浦謹之助先生のことを良く読んでいましたら、先生の業績の一つに海人草による回虫の駆除のことが出ておりました。
 私の子どもの頃は回虫は極普通に人の体に寄生していたのですね。
 中國青島の小学校では時々海人草を煎じて生徒に飲ませていました。

              2010年4月8日一小校庭

 これは2010年4月8日に私が訪問した時の小学校の中庭です。青島第一日本小f学校には大きなグランドや、中庭とグランドの間にも校庭がありました。
 でこの中庭は朝礼や生徒の集まる時には使われておりました。当時はアカシヤの樹が植えられており、夏は日陰になり、暑さ避けにもなっておりました。
 この庭に大きな台が置かれており、その台の上に生徒の持って来た湯呑茶碗やコーヒーカップに熱~い熱~いドロッとした海人草の液体が注がれているのです。
 生徒はそれを一所懸命に飲むのですよ。子ども心にもこんな不味いものが世の中あるのかと思ったものです。不思議な位の不味さと飲み難さですよ。
 生徒は片手で鼻をつまんで飲んだものです。久しぶりに海人草の字を目にして思い出しましたよ。

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私的明大昔話 22

 和泉校舎に相談室ができてから、秋になって駿河台と生田校舎でも相談室が発足しました。
 それぞれに職員が一名づつ配属されました。所属は駿河台は学生課、生田は生田校舎事務室学生係ですね。
 私と合わせて3人となりましたが、職制上3人の上司は別です。
 何だかややこしいでしょ。
 そうは言っても歩調を合わせなくてはなりません。
 そこで駿河台の学生課の杉原方平さんが全体のまとめ役と言いますか、指南と言いますか。3人と掛かり合って下さり、事務方3人は杉原さんと相談しながら仕事をして行きました。

 和泉と生田は独立した家屋で発足しましたが、駿河台は仮の部屋で発足しなければなりませんでした。

 生田校舎の相談室は元の兵舎の一棟です。聞くところによりますと酒保だった棟だそうです。

       生田相談室

    写真は明治大学史資料センターから

 この生田相談室はじめじめとして湿気が多く、寒々としております。発足当時は傍で牛が飼われており、牧歌的と言えば言えなくもないですが、臭くて担当者は気の毒でした。
 和泉校舎の相談室は遠くからは分かりませんが、隙間だらけのガタの来ていたような部屋でした。
 それでも備品や調度品は整えて貰えました。

       和泉相談室部屋

 こうして見ますと可成り広いものですね。ここでは戦後教授の方が何組も住まわれていたのです。
 冬は寒くて苦労なさったことでしょう。

 駿河台の相談室は35年になって独立した建物に入ることが出来ました。
 その場所は現在の11号館の所です。三浦邸と言われておりましたが、戦後米軍に接収された有名は三浦謹之助先生のお宅です。その時既に明治の所有となっていました。
 三浦邸の立派な建物の西側にアメリカ風の平屋の建物があり、そこが相談室になったのです。
 広い敷地の一角です。建物の前は庭になっており、そこにはタンポポやフキの薹や土筆も出て心休まる場所でした。

        駿河台相談室三浦邸

 WCとなっている場所には洋式のバスタブがあったのですよ。何となく優雅な感じでしょ。
 ですが実際は木造の突貫工事で作ったような建物でした。
 
 こうして相談室の仕事が始まりました
 以下徐々に時間を見てアップして参ります。 
 
 この過去記事をご覧になって頂くと大まかな相談室の流れと言いますか、様子が分かって頂けると思います。

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好きな物が安いと嬉しい

 時々娘たちとロピアに行き、良い物を安く買うようにしております。
 先日は手羽先が16本並べてあるパックを買って来ました。
 前にも買い圧力鍋で煮ましが、とても食べ易く、気に入っております。
 今回は日高昆布と一緒に煮て見ました。

      手羽先煮物

 またもや正解。軟らかく身が骨からほろりと外れます。昆布も美味しく老人二人にピタリです。
 16本で税抜きで690円です。1本が約47円ですよ。
 一回に食べるのは夫と二人で4本。これで充分です。何だか凄く良い買い物をしている気分です。

 14日はアリオ柏に二女と出かけました。タカマル鮮魚店を覗きましたら、何と珍しい魚が並んでいます。

      タカマル鮮魚店12月14日

 白むつメジナです。滅多にお目に掛かれません。白むつはその晩刺身で食べました。
 魚に余り関心のない夫も美味しいと、何時もより食べていました。あらはお澄ましで飲みました。
 メジナは昨夜の主菜です。刺身にも出来そうでしたが、私の好きな煮魚で食べました。

      メジナ・298円

 大きく立派なメジナです。30cmはあると思いますね。食事をしていましたら長女が入って来ました。
 魚好きですから、一緒にと勧めました。遠慮がちに食べていましたが、とても美味しいと言って帰って行きました。
 白むつもメジナも上の陳列画像を大きくしてご覧になって下さい。
 安くて驚きます。
 二晩の主菜 二点で1000円程です。これも嬉しいですね。

 メジナとなると夫と昔磯釣りで釣った話になります。
 磯釣りは岩から岩へと伝い歩きながら竿を振ります。中々釣れないのですよ。ある日波がざわついて来ました。
 時化の前ぶれです。その時釣れたのですよ。
 メジナは引きが強くて、印象に残っております。娘はベラが釣れたと思い出しておりました。

 私の好きなメジナの食べ方は煮たのを焼くのです。香ばしくて磯臭さがなく、ご飯にピッタリです。

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ひじきの煮物と体操

 時々ひじきの煮物をします。
 ひじきは日本の沿岸では殆んど採れるようですね。春の季語でもあるように、春先に磯で刈り取り、加工されて店頭に並びますね。
 このひじき産地によって違うのです。
 我が家ではこの5年程は内房の勝山漁協から買っています。毎年そのひじきは軟らかく、気に入っております。
 ところがこの春のは珍しくやや硬く、良く言えば歯ごたえのある物でした。聞くところによりますとこの春のひじきは房総のあちこちでも不作と言うのでしょうか、例年よりは良くなかったそうです。
 ひじきは体に良いので、間を置いて煮ております。水に戻してそのままサラダ風にしても美味しいですよ。

          ひじき煮物

 合わせる物は大体人参と油揚げです。偶に竹輪も使います。一回煮ますと最低3回は食べますね。
 海藻の中では栄養価は一番と聞いておりますが、出番は若布の次ぎかも知れません。
 ひじきの煮物は薄味にしませんと、ドンドン味が濃くなって来ます。煮物の味の変化も研究されているでしょうね。
 何時か知る機会があるでしょう。

 健康と言えば昨日は月一回の体操の日でした。
 我孫子市社会福祉協議会の北地区協議会主催のものです。
 会場は私の住むマンションの二階です。私は今回で三回目の出席となりました。
 タイトルは 体力作りと認知症予防しておりますか?
        「貯筋体操とお茶会でコミュニケーション」です。
 昨日はざっと見たところ60人位は集まっていたと思います。
 椅子に座ったままの体操ですが、手足を使うことも勿論ですが、腰、手や指、足の甲からつま先まで、肩や首も回します。
 とても簡単のようですが、指などになると直ぐに間違えて仕舞います。
 先生は素敵な方で、教え方が見事です。心も一緒にほぐれて行きます。
 昨日は先生は最後の日だと主催者から告げられました。ご事情で今回でお別れだと言うことでした。
 
 北地区社協の小松会長さんから先生へのお礼の言葉と、花束贈呈がありました。和やかな良い雰囲気です。

     12月体操1  12月体操2

 最後に次回からの先生の紹介がありました。
 高齢になると運動不足になりますし、人との交流が少なくなっていますから、此処でのお茶会はとても良い事だと思います。
 
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私的明大昔話 21

 昭和34年1月 私は二部学生課から和泉校舎事務室学生係に異動になりました。
 戦後米国から齎された学制改革で、特に大学では学生厚生補導(または学生助育)と言うことに取り組んでいました。
 良くSPSと言われますが、一口で言えば、教科以外の様々な学生への援助・サービスと言えましょう。
 明治大学でも、学生部がその任を受け持ち、多くの事柄に取り組み実際には学生課がそのサービスをしておりました。
 その一つが学生相談です。今は良く耳にするカウンセリングですが、実際にはまだ設置されていませんでした。
 
 相談室が必要だと言われ始めていた頃、屡々起きる学生の問題行動で大学ではその対応に迫られておりました。
 そのことが相談室があったならば、事前に相談も出来たであろうと言う意見が強く出て来たのです。
 そこで相談室の問題に真剣に取り組みが始まりました。
 
 様々な経緯を経て、先ず和泉校舎に相談室を置くことが決まりました。計画は可成り前から進められ、やっと漕ぎつけたと言って良いでしょう。
 1月から事務方として私はその開設準備に取り掛かりました。
 私大連盟の学生厚生補導研究会に数年参加し、心理テスト部会では順天堂大学の田崎仁先生の指導を受けておりました。  
 そんなこともありましたが、学生に毎日直接関わっていたと言うこともあっての異動だと思います。
 
 4月までの間、とに角多くのことが待ち受けていました。立ち上げのスタッフは学生部委員と学生課長が中心ですから、細かい作業は全て何とか間に合わせなければなりません。
 相談室が開設されたら、関係者となる心理学の中野渡信行先生と堀淑昭先生から特訓も受けることにもなり、開設までの時間は幾らあっても足りない毎日でした。
 
 場所は校庭の西北に建っていた時習寮に決まりました。木造一部二階。
 西側の一階部分が実際の相談室になりました。

        時習寮051

       写真は明治大学史資料センターから

 それから私は30年 この仕事と関わることとなったのです。

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鶏牛蒡炊き込み

 我孫子で最も有名な鶏専門店 小柳さんに行って来ました。
 炊き込み用の鶏コマを200g 外色々と買って来ました。
 
 時々鶏牛蒡の炊き込みはしますが、今一つなんですね。そこで今回はこうしたらいいのではないかと、実行して見ました。
 
 お米は何時の通り3カップ 研いで笊に上げて置きます。
 牛蒡半本はささがきにして水に晒して笊に上げて置きます。

 鍋に醤油60cc と酒少々、砂糖 大匙1杯、それに出汁を1カップ半
 上の汁に先に牛蒡を入れて煮始めます。そこに鶏肉を入れて煮ます。
 牛蒡が煮えたら、鶏と牛蒡を取り出し汁と分けます。
 
 炊飯器にお米を入れて、上の汁と酒少々と出汁を既定の分量まで入れてスイッチオン。
 
 ご飯が炊き終わりましたら、直ぐに炊飯器に鶏と牛蒡を入れて蓋をし、蒸らしてから混ぜて器によそい食べます。

    鶏牛蒡炊き込み1  鶏牛蒡炊き込み2

 これは大正解でした。鶏にもいい具合に味が付き、ご飯の味も誠に具合よく出来ました。
 次回からこの手でやろうと自信がつきました。夫も文句なし。

 砂肝とレバーも200gずつ買って来ました。これは私の夕食の時のおつまみ。
 やや硬いし、摘まみ難いので、私の独り占め。
              
         時雨煮風に生姜をたっぷり入れて煮ました。

             レバー・砂肝の時雨煮風

 この肴で飲んだので、食後直ぐに居眠り、先ほど目が覚め、アップをしています。 
 少々目が変です。

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牛蒡の煮ものと雑談

 夫の食事は段々昔食べた物へと回帰しているように感じてなりません。
 その証拠ですが、先ず今風の流行りものはダメ。それと今は誰もが普通に食べているレタスうやブロッコリーもダメ。
 ピーマンもダメ。そこへもってきて、硬いものがダメ。歯に挟まる野菜もダメ。
 ダメ、ダメ続きでは栄養を考えて作る物にも限界があります。
 先日もブロッコリースーパースプラウトなら食べられると言うので、朝食に載せていました。
 数日前、丁度切れていたので、お膳になかったのです。
 「ああ良かった。あのモジャモジャがなくて」と言うのです。どうも食べるのが苦痛だったようです。
 ま~80歳過ぎていますから、もう栄養なんて考えて苦労する必要はないかと思うのですがね。
 何かと作りたい私。めげずに作ろうと思っているのですよ。
 
 煮物は問題なく食べて呉れます。特に牛蒡の煮物は良く食べます。
 今は日本の何処からか牛蒡は入荷していますね。

     牛蒡と豚コマ煮  牛蒡・人参・隠元・豚コマ

 牛蒡と肉は良く合います。大体豚薄切りを使いますね。昔は肉屋ではお客の希望で店頭で切って呉れました。
 ですからコマ切れと言いますと、色々な部位の肉が入っていました。それが美味しいのですよ。
 今はコマと言ってもそうではなく、ただ同じ部位を薄く切って、パックに並べた物を言いますね。
 何だか詰まらないです。商人の味がないようなんですね。
 ま~時代ですから仕方がないですね。

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私的明大昔話 20

 大学への学生の不満や希望が強くなって来ました昭和30年代初 学苑会学生大会で大学への様々な要求が決議され、それを解決する為に大学側と団体交渉をすることになりました。
 学生からの要望書には何十項目もの要求が書かれております。何十項目と言いましても、その多くはそう費用の掛からない内容で、次々解決して行きます。学苑会執行部も実務社会を知る者もおりますから、そうそう無理な要求は出て来ません。
 それでも内容が直ぐに解決解消出来るとは言えません。時間を置いて何回も団交を持ったものです。

 私の手元に学苑会執行部と大学役職者との一緒に並んだ写真があります。

      学苑会役員三輪亭039

 前列左から二人目は中川富弥学長その右は武田孟総長、その右は永田学生部長、一番右が二部学生課長
 会場は現在の10号館の場所にあった三輪邸と言う和風の建物です。
 確かこの時の話し合いは深夜まで及んだと思います。私は帰らず、管理人のお世話になり、此処で宿泊したのです。
 大学の役職者から昭和33年だと思います。この頃私は物凄く忙しく、自分の時間がとても少なかったですね。

 大学には教職員組合があり、昭和33年には労働組合法に定められた執行委員を組合員の直接選挙で選出することになりました。
 それまでに女性の執行委員はなく、女性の問題には女性の執行委員が必要だとなり、事の成り行きで私が立候補。
 5名連記ですから、皆さん女性一人はと思いますよね。それで私は執行委員になりました。
 ここでも課長は応援して下さり勤務内の委員会出席を許して呉れました。私はそれに応えて仕事も一所懸命にやっておりました。

 学苑会雄弁部は毎年明大総長杯全国定時制高校の雄弁大会を開催しておりました。勿論助成金が出ます。
 大学からは地方大会には審査員として教授、雄弁部OB、また学生課職員も行きます。
 そういうことから、雄弁部の学生とも交流する機会が自然に出来ておりました。

       雄弁048

 前列に野間繁先生と田中豊喜先生の姿があります。この写真を下さったのは右から3人目の舩底信雄さんです。
 舩底さんは半年に一回位の間隔で「元気ですか」と電話を下さいます。

       学苑会雄弁部974

 この右の方が舩底さんです。そしてこの方たちは皆さん学苑会雄弁部のOBの方なんですよ。
 真ん中の方は馬琴師匠の弟子で伊藤琴遊さん(本名は伊藤尊久さん)我孫子で開いたワンコイン寄席で一席お願いした時です。
 私が関係していると言うことで、揃ってお出で下さったのです。そのことはここでご覧頂けます。

 左はクラスメートでしたが、2年生になる時、都合で二部に転部した玉井宏夫さんです。東京都鈴木知事時代の主税局長をしておりました。今健在でしたら都政のこともお聞き出来たと思います。「あいちゃんあいちゃん」と言って呉れ、仲良くしておりましたが数年前にお亡くなりになり残念でなりません。

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生徒と先生

 久しぶりにピアノの先生と食事をしました。
 ピアノの先生のお嬢さんと上の孫は幼稚園で一緒でした。長女と先生は幼稚園の卒園行事で一緒でした。
 ピアノは随分前に上の孫、二女とその娘(下の孫)それに私と4人が教えて頂いておりました。
 先生はスタインウェイで稽古をしてくださるのです。凄いでしょ。音色に私は心が舞い上がるほど驚いたものです。
 
 ピアノの先生のお母さまは私のチャイナドレスの生徒さんです。
 
 ピアノの先生とお母様、それに娘たちと私 5人で楽しい時間を過ごしました。

 暫くぶりでしたので、話は盛り上がりました。今の生活ぶりには思わず大笑いになって仕舞うことも多く、気兼ねのない打ち解けての歓談は時間の経つのが惜しく感じられました。
 ピアノの先生はロピアをご存知なっかたので、ロピアにご案内しました。
 車の中でも笑いましたよ。特にお母様のご主人と我が家の夫のことでは、共通すること多く、老人の男ってなんだか面白いですね。

       パーティ1閉

 懐かしい写真です。チャイナドレスを習っていた生徒さんは二胡を習っており、二胡の発表会にチャイナドレスを着たいと言うので習いに見えておりました。
 私と一緒にパーティーで演奏をしたいと言うので、ピアノの先生に「浜辺の歌」を編曲して頂き、チャイナドレスのパーティーで一緒に演奏をしたのです。
 私はドキドキしており、先生にお願いし、傍に来て頂きました。良く見ましたら肩がコチコチに見えます。
 思い出の一枚ですね。

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私的明大昔話 19

 二部学生課長は講道館柔道六段[高段者会」のメンバーでもありました。館山のヨットの話もですが、とても面白い人物でした。
 私にとっては後々考えて見ると良い課長だったと思います。
 管理者としてはただ立場が微妙なんですね。一部の学生課長が学生諸費と言うものを一括して持っておりましたから、積極的に何かを仕切ると言うことが出来ません。
 そうなりますと自然に一部の下と言う感じですね。
 
 当時5万円以上の仕事をする場合は稟議書を出します。課長は学内に住んでおりましたから、定時より早く出勤して来ます。
 二部は3時から勤務です。稟議書は昼の事務の時間に出しに行くので、私も少し早めに部屋に行きます。

 私の机の引き出し おかしいな? また課長かな。と思い「誰が引き出しを開けたのかしら」と課長に聞こえる程度に呟きます。
 課長の方を向きますと、回転椅子を回して私に背を向けています。如何にもそうだけれどそうではないよ。と子どもみたいです。
 稟議書が出来ているかどうかが心配なんですね。
 大学祭の助成金は50万円ほど。それが一番大きな金額でした。これの会計報告も学生から決算書を出して貰うことが出来ました。

 そんな課長ですが、私が座っていますと、横を通る時私の首に腕を回し、絞めるような柔道の技をします。
 私は課長の腕をポンポンと叩き、参ったをします。「あいちゃん 元気かね」と栃木弁で声を掛けます。
 
 就職して翌年 昇格試験を受けました。そして昇格。また数年後の昇格試験も合格。
 課長はきっと考課を良く書いて呉れたのだと思います。

 書記補に昇格した時、辞令が臨時雇員からの昇格と分かり、それまでは臨時雇員だったのかと驚きました。
 男性は昇格すると名刺を作って呉れます。それが私には来ないのです。それで私は自分で自分の好きな名刺を作りました。 
 女性差別のような感じですね。当時女性が対外的に名刺を使うと言うことはないと決めていたような時代ですね。
 ですが課長は全くそれがないと言っても良い位で、私に学生の夏の地方での活動を視察する出張もさせたのです。
 長野県の箕輪と言う所で二部法学会の無料法律相談会が開催されると言うので、同行しました。

 多くの学生に接し、私は勉強させて貰いました。そしてそれが新しい部署への基礎となったのです。

       駿河台空中写真

     写真は明大資料史センターから

 上の写真の左に体育館が見えます。正門から入って行き、左奥へと進みますと体育館です。
 そこに柔道場がありました。課長はそこで仕事が済むと課員を柔道の練習に誘います。
 私にも受け身の練習をさせます。
 それが私が柔道初段と言う噂になったのですね。ある日金坂と言うヤクザのような校友が傍に来て「先輩!初段だそうですね」と言うのです。
 驚いて課長に報告しましたら「そう思わせて置け」と言うので、暫くは柔道初段者になっていました。

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ラーメンは好きですが

 昼食には麺類が多く、ラーメンや日本ソバ、うどんなどですね。夏はソーメンも良く食べますよ。偶にパンですね。パスタは先ず食べません。
 何故って、パスタは昔は食べていなかったからです。ま~年に1,2回外で食べるかどうかですね。
 老人になりますと、どうも変わった物に関心がなくなります。
 若い時はそれでもあれこれ食べたものです。

 ラーメンもそうですね。昔は都内の美味しいラーメンを食べに行ったりしましたのですがね。
 今は偶に娘たちと柏辺りで食べる位のものですね。

 ラーメンにメンマは付き物みたいで、ないとラーメンらしくないような気がします。
 スーパーに行った時、ラーメンを買って来ておきます。
 自分で打ちたい打ちたいと思いながら、もう長い月日が経ってしまっています。

       ラーメンメンマなし

 塩漬けメンマを戻し、茹でこぼして、薄味で炒めて置きました。 写真も撮り食べ始めて目の前のメンマに気がつきました。
 何だか間抜けな写真になって仕舞いました。

 このような間抜けなことや、迂闊にやって仕舞うこと、済んでいるのにまたやろうとすること、落として仕舞っても気がつかず、話の途中で何を話していたのかしらと考え、メモを持った心算が違う物を持って出たり、ほんとに困ったことですよ。

 二女に「この頃何だか老人になったみたい。直ぐ物を落とすのよ」と言いましたら「ええ?老人でないと思っていたの。間違いなく老人じゃないの」と即答です。

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私的明大昔話 18

 戦後の大学は何処も経営難でなかったのではないかと思います。
 私学は学生の納める学費で賄う訳ですが、インフレで経営が大変となり、学費値上げが続いたのです。
 明大もその例に漏れず昭和27年頃から学費の値上げが続き、学生の抗議が起きて来ました。
 昭和28年7月商学部4年7組の学生が立ち上がり、それが学生大会へと発展。
 過剰入学反対などをスローガンに大学に改革を迫り、ストライキが決行されたのです。
 ストライキは右翼学生の妨害などもあり、教授たちが斡旋に乗り出し、ストは一日で終わたそうです。
 その学生の決起が教授達に問題が引き継がれたのでしょうか。 
 昭和30年教授方は専任教授連合を以って理事会に大学の改革を迫りました。戦後から伏魔殿と呼ばれていた大学経営、不良校友の経営への関与、不正入学の是正等々。教授達の強い決意に大学理事者が退陣。明大内で言う30年革命があったのです。

 私は段々仕事の内容が変わり、学生部委員会などにも事務方として出席。
 また課員の人事異動などもあり、庶務的な仕事もするようになりました。
 稟議書を持ち回りで、総務課などへも良く行きました。
 学苑会の預り金も扱うようになりました。学苑会本部の学生や会計責任者の学生と会うことが多くなって来ました。
 学苑会本部は預り金を一括して受け取るように請求して来ました。一回に何十万と言う金額です。
 ところが預り金は本部からの流れに疑問があり、集会届を出しに来ていた学生の不満が強く、それは何とかしなければと、若い私は学生と話合うことにしました。
 先ず預かり金は学生大会で決定された通りにきちんと配分すべきだと、学苑会本部に伝えました。
 これは課内でも可成り激しいやり取りがありました。
 課内にいる学生運動の経験者からの反撃です。「あんたは学生運動を知らないから、そういうことを言うのだ」と
 ですが私は「学生運動を云々と言っている訳ではない。お金の流れをきちんとするべきだと言うことですよ。一部の学生のお金ではないでしょ。ピンハネは悪でしょ」と譲りません。 
 課長は私の考えに納得。学苑会本部も承諾。それから預り金は下部組織にも学生大会の決定通り流れて行くことを把握することが出来ました。実際には間違いのないように事務処理がありましたがね。
 学部の執行部、クラブや研究会などの会計責任者とも良く話し合い、預り金の使い道には一切口を出すことはせず、透明性を求めたのです。

         神田大好き富士見坂
 
       画像は神田大好きさんからお借りしました。 

 ところがこれは私の異動後、必ずしも守られていたのかどうかは疑わしく思っております。
 大学紛争が激しくなった頃の資料を読みますと、活動家たちの間で昼の学生会、二部の学苑会からのお金の争奪が起きているのです。
 その資金量を見ますと、流れを良くしたあのことは一時的で終わったのではと思っております。

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セブンパークアリオ柏に行って来ました

 今日の昼間 陽の当たる場所はとても暖かく、小春日和ってこうかしらと、そんな感じでしたが、風の通り道やビルの横は北西の強い風が吹き付け、足元の弱い私は腰を下げ転ばないように歩きました。
 中央公園の姿は先週と比べ、美しくすっきりと冬を見せて呉れています。

     12月6日公園

 娘たちとセブンパークアリオ柏に出掛けて来ました。何時も買い物だけでゆっくり店内を回っておりませんが、今日は少し時間を掛けて店内を回りました。

 お客の多い所もありますが、さほどと言う店も少なくないです。経営って大変だろうと思って仕舞いますね。
 特にウイークデーと言うことでもあるからでしょうか、可愛い小物のお店や、若い人向きの洋服屋などには殆ど人が入っておりません。

 二女が日曜日には人が並んでいると言う、伊藤園のお茶所に入って見ました。

     12月6日お茶

 初めてですから、味はどうかなと思い、口に入れました。残念ながら本業のお茶専門店らしい物とは言えないように感じました。
 私は白玉ぜんざいを頼んだのですが、小豆に比べ汁が多く、白玉は妙にふわふわで、白玉らしい弾力と旨味がないのです。関東でのぜんざいと違うのです。
 関西風かと思い調べて見ました。必ずしも一致している訳ではないようですが、どうも間違いでもないようです。
 伊藤園は関西ではないのですね。
 どちらとも言えないのは商圏が広がっている所為でしょうか。薄っぺらな味を売っているように思って仕舞いました。

 一休みしてから食品を買おうとイトーヨーカ堂へと行きました。大好きな魚売り場です。

     12月6日魚

 珍しい魚が色々と並んでいます。目鯵と言うのは食べたことはないですが、後は全部知っております。
 ハタも出ていました。とても珍しいです。カワハギも形が良く、大きさにしては安いので二尾買って来ました。
 このところ良い魚の姿に接しておりませんでしたので、気分は満足です。

    夕食は勿論カワハギを煮ました。

     12月6日カワハギ

 店員の女性の方の対応が良く、丁寧に皮も剥ぎ、肝も腹の中にキチンと納めれておりました。
 私は一尾、夫は半尾食べました。夫の残りは明日私が貰います。

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今日の一品と指のこと

 何時も煮物、煮物って言っておりますが、最近はその傾向が一層強くなって来ています。
 元々夫の野菜嫌いと言うこともありますが、私自身も野菜の葉物を取ることが少なくなって来ています。
 一つは面倒になっているのですね。葉物は下処理が要ることが多く、その僅かな手間が面倒になって来ているのです。
 それと歯間に挟まり、どうも気になって仕舞うのですね。

       ハス・牛蒡・人参・牛肉

 根菜類は買い置き出来ますから、無駄が出ません。葉物はついつい駄目にして仕舞うのです。
 これは蓮・牛蒡・人参と牛肉です。
 大体煮物のこくを出すのに豚コマを使うことが多いのですが、夕食にピラピラ牛の焼肉を食べた時の残りを入れて煮ましたら、これは美味しいのですね。ピラピラと言いましても黒毛和牛なんです。そこが違うんでしょう。

 
 老人になりますと、夜間の睡眠後何回か目が覚め、その都度起き上がり洗面所に行きます。
 トイレに腰を下ろして何時も眺めるのが自分の手です。ま~皺クチャだわなんて思いながらです。
 リビングで見る時より手が鮮明に見えるのです。

       指揃い

 これはトイレで写したのではありませんよ。この指をみてはそうかやっぱり魚のヒレから進化したのかと思うのです。
 先ごろこの魚のヒレからの進化という記事を見ましたが、この指が寄り添ってピタリとなっていましょ。
 指の形に添って隙間がありませんでしょ。これを眺めながら感心するのです。
 魚のヒレは広げると大きく膜で繋がっていますよね。その名残ではないかと思うのです。
 毎晩夜中や朝方これを眺めては進化って凄いな~と感じるのですよ。

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私的明大昔話 17

 昭和28年の夏 二部学生の自治会 学苑会の海の家は千葉県館山市にあった安房水産高校の寮を借りて開催されました。
 体育の教員が指導で参加しておりました。
 二部学生課では、視察と言うことで、男性課員は交代で館山に出張です。
 私は出張ではなく、実家に近いし遊びの心算で行きました。
 ところが、当時まだお米の入手に駆けまわる時代です。そこで地元のことを知る私はお米はOBの米屋に頼み、運んで貰うように頼みました。
 それで学苑会から私に最後まで居て欲しいと頼まれました。課長に連絡をして学生を助けることにしました。
 毎日学生の食事を賄いの小母さんと一緒に準備をしたり、女子学生に泳ぎを教えたり、忙しく過ごしておりました。
 学苑会本部の学生は、大きな西瓜を抱えて、訪問だか、視察だか、やって来ました。
 
 泳ぎは好きでしたし、ヨットに乗るのも楽しく、課長が見えた時ヨットに課長を載せて沖に出ました。
 戻って来ましたら、課長はブリブリです。「あいちゃん 俺が泳げないことを知っていたろ。何で乗せたのか」って怒っているのですよ。
 確かにその前に、課長が海で、水に体を沈めて、手を泳いでいるかのようにしてはいたのです。
 泳いでいるふりだったのですね。怒られても笑っちゃいましたよ。

 ところが私は出張の扱いを最初に申請してなかったことで、手当が出ませんでした。課長に力がなかったのでしょうね。
 学苑会の学生はそのことを知り、3000円を差し出し私に取って欲しいと言うのです。
 私は頂いたのですが、学生からお礼を貰った人間は明大の古今を通じいないのではと思いますね。
 私は疲労困憊でしたが、そこでまた学生と交流することになりました。

         大学院校舎と駿河台ホテル

          写真は大学資料史センターから
 
 大学院校舎が完成したのは昭和28年12月 
 二階に大きな会議室がありました。
 昭和30年頃、そこで大学理事者、役職者と学苑会執行部との団体交渉が何回も行われました。
 双方は向かい合って座っています。課員の女性は一人ですから、話し合いが続いている間お茶を出していました。
 夜中になりますと、食事ですね。急に食事と言いましても当時はコンビニもありませんし、出前もありません。
 そこで課の男性と総長の車で吉原に鮨を買いに行きました。
 鮨屋だって沢山は買えません。何軒も回り折詰を集めて買って来ました。
 
 学校側の人間も、学生も向かい合って食べるのです。そこでまたお茶です。
 私はこの時も疲労困憊ですよ。足は棒のようになっています。交渉が深夜に終わり解散。
 私は大学院事務室の事務長のソファーで仮眠をしておりました。そして朝のオルゴールで目が覚めたのです。
 朝のオルゴールを聞いたのはこの時の一回だけでした。

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塩豚とポップコーン

 木曜日の会に持って行こうと塩豚を作りました。
 今回は10日間冷蔵庫で熟成しましたら、実に良い出来上りになりました。
 
             塩豚カナダ

 切って置いても色も綺麗なまま。
 今までは一週間位の熟成でしたが、これでは矢張り10日は掛けなければと思ったことです。
 塩豚の作り方はここでどうぞ。

 我が家にポップコーンを作る道具があります。アメリカの昔のポップコーン売りの車のモデルです。
 これも木曜日に食べて頂こうと、戸棚から取り出しました。
 長年使っていませんでしたので、汚れています。そこで綺麗にして試しをして見ました。

    ポップコーン1  ポップコーン2

 トウモロコシは下のスーパーで買いましたが、もっと良い粒があれば良かったな~と思っております。
 操作は簡単です。車体にコーンをパラパラと置きます。その上に透明な箱状のカバーを被せます。
 上には穴が沢山開いています。その上にバターを置き、赤い蓋を被せます。
 
 電源コードを指し込み、待っていますと、バターが熱で溶けてきて、下のコーンの上に落ちて来ます。
 するとコーンが跳ねだします。跳ねだすとポンポン膨らんでカバーの中でポップコーンが出来ます。
 大きな音は出ませんが、見ていて楽しいものです。出来たては熱々です。
 それでも、矢張りポップコーンは大人向きではないようですね。
 冷めると手が出て来ません。他にご馳走もありましたしね。

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私的明大昔話 16

 二部の学生は昭和28年、29年、30年は一万人ほど、詳しく言いますと。 
 昭和28年 10180人 29年 10862人 30年 10618人
 大変な数ですね。勤労学生が圧倒的に多く、昼間働いている常勤の人ばかりとは限りません。
 アルバイトの仕事を探し、働いている者も多くおりました。
 二部学生課は人数が少なかったので、仕事も協力し、係りだけではなく、時には手伝うことも良くありました。

 学生課ではアルバイトの斡旋をしておりました。求人先は電話で申し込んでくることが普通で、偶には直接求人に来る会社もありました。
 良く申し込んで来た会社に日本電気、日通秋葉原支店などが記憶に残っております。
 昭和30年頃のアルバイトの日給は270~300円ほどで、320円などの会社の求人は直ぐ一杯になって仕舞いました。
 毎月の求人、求職、紹介など統計は職安に提出、報告をします。職安の下請けのようですね。
 
 昭和28年12月大学院校舎が完成しました。エレベーター付きの8階です。事務所の若い男性がエレベーターを動かしておりました。自動でも出来たのですがね。ご老体への配慮だったのかしら。
 
 二部学生の自治会は学苑会と言いまして、執行部は本部と言い、執行部の学生は良く学生課に来ました。
 本部の学生かどうか分かりませんが、時々富塚三夫と言う学生が来ました。課長への言葉使いが普通の学生と違いましたね。
 学部毎の自治会もあり、それぞれ名称があり、その学部自治会の学生も傘下のクラブや研究会の学生も来ました。
 学苑会本部には雄弁部があり、その学生も来ます。それぞれの用向きも色々で、私は多くの学生とも知り合いました。

 学苑会主催の運動会が何回かありました。借り物競争には必ず私は借り物となり、学生に引きずられて走ったものです。
 学生に「ミス二部学生課」と呼ばれていたのを知り、驚いたものです。
 一人しかいませんからね。容姿は関係ないのですよ。

          明大旧校舎

           写真は明治大学史料センターから

 大学院校舎の南側に上に伸びた部分があります。そこには政経学部50周年を記念し寄付されたオルゴールが設置されました。
 一日三回鳴る校歌のオルゴールですが、近隣の方や病院などからの苦情で、わずかな期間でお終いになりました。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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