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2017-02

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私的明大昔話 28

 大学の入試も終わったようです。
 今年は明治大学の受験者数は11万300人とか。
 早稲田に次ぎ4位だったそうです。

 私が勤めめ始めた頃 受験生は2万人を超えてはいましたが、昭和32,3年頃でしょうか、三万人を超えたと喜んだものです。
 当時学部は昼間は法・商・政経・文・農・工の6学部。夜は法・商・政経・文・工 それと昼夜の短大です。
 今は学部も多く、聞いても直ぐに忘れて仕舞います。

 入試の頃は外気温はとても低くなります。入試期間中の入構は受験生以外は大学関係者だけです。
 今はどうなっているか分かりませんが、昭和40年台頃になりますと、受験生に親が付き添って来るようになりました。
 親が付き添いで見えるなどとは、私など想像も出来ないことでした。

 親は試験中、どこで過ごせば良いのか分からないのでしょう。都内の方ではない方が多かったのでしょうね。
 寒い中 校舎の陽の当たる塀の傍に立ち、待っています。
 母親はショールを肩に掛け、如何にも寒そうに見えます。見知らぬ人と声を交わすことも出来ないでしょ。
 等間隔に間を取り立っている姿を思い出します。
 大学周辺には喫茶店もあまりなく、時間を潰すような場所も見当たらなかったと思います。

 お昼も受験生は校舎から外には出ることは出来ません。あの親たちは何処で食事をしていたのでしょう。

 その後付き添いの方のために部屋が用意されましたが、それもいつの間にか出来なくなったような記憶があります。
 大学紛争時代ではないかと思いますね。

 受験生は昼食を試験場で済ませますから、試験日には朝から弁当屋が出て来ています。
 今のようにコンビニもありませんから、良く売れていたようです。

 ある年 私は頭髪に白髪が混じっている受験生が多いのに気が付きました。それは大学紛争時代の頃だったと思います。
 不思議な感じでしたね。その現象は2年ほどで終わりました。一体あれは何だったのでしょう。

 試験監督は長年しましたが、最後の監督は平成2年2月22日でした。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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