2017-03

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芋飯と雑談

 何十年振りかで芋飯を炊きましたよ。
 何時もコメントを寄せて下さるこぶたさんが炊いていて美味しそうに見えましてね。
 多古の農家の方が送って下さったさつま芋がとても綺麗でしたので、これは良いわと炊きました。

   芋飯1  芋飯2

 戦後の食糧難の時もですが、戦時中もさつま芋はとても大事な食料でした。
 田舎でもさつま芋は植えていましたが、昔々のさつま芋は今のように美味しい芋ではなかったですね。
 保存は畑の中に大きな穴を掘り、穴全体に藁を敷き、その中に掘ったままのさつま芋を入れて、藁で覆いその上に土を被せて保存します。
 食べる時にはその穴から掘りだして来ます。
 お米の配給が少なく、何かで補わなければお腹が空きますね。芋飯は特に良い方でしたね。
 今のよりは不味いと言いましても、当時の人間には充分美味しい物でした。
 芋の周りに米粒が付いているようなご飯でもお米の形があれば良い方です。
 段々食糧難が逼迫して来た昭和22年から23年頃 農家に色々と買い出しに行きましたよ。
 とに角お米でなくても食料なら有難かったですね。人々は金額のはる物や着物などをを持って行って食料を手に入れたのです。
 都会の女性は随分着物をなくしたでしょうね。
 ところが我が家は引揚者ですから、持って行く物がありません。母がどれ程苦労をしたかと思うと何時も切なくなります。

 その母ですが良く私に言った言葉があります。「相子負けたって言うことはこういうことじゃないんだよ」と言うのですね。
 一回ではないのです。何回も言っておりました。母には予知能力のようなものがありましたがね。
 思い出しますよ。今の世情を見ますとね。
 また共産党のオルグの人が来ますと「あんた達明日にも革命が起こりそうなことを言って、人を騙して」ってね。
 町の共産党の方が町で一番怖い人と言っていたのです。
 それでも遠くからオルグに来る人には食事を食べさせてあげていたのですよ。
 何時も人のためになろうと言う人は大事にしていたのです。
 千葉県知事の選挙が間もなくありますね。母が生きていた時、どう言う訳か知事の候補者が寄りましたよ。
 党派に関係なくお茶を出してあげたのも母でした。

 母の凄さは稀でしょうね。町村合併後の選挙の時のことです。
 町ではなく村だった方の候補者が投票日前日まで有利だと言う時、母の戦術で一夜で状況がひっくり返ったのです。親ながら凄い人でした。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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