2017-04

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佐賀のお菓子と昔話

 夫の父親は佐賀の出です。夫は東京生まれ、東京育ちと言っても良いでしょう。
 それでも戦争末期には家族で佐賀に疎開をしたそうです。
 そのことを知る私の友人が時々デパートの物産展で佐賀のお菓子を送って下さいます。
 今日の昼前 沢山のお菓子が届きました。

       佐賀の菓子

 あれこれ見繕い選び送って下さいます。賞味期限を見ながら整理しました。
 夫は食べたい時には食べられず、食べられるのにたべっられないと良く言います。
 食べ盛りの時は食糧難ですからね。今は食べものが溢れているのに、身体が受けつけて呉れません。
 
 夫は疎開で行った小学校から中学に入学。ところが勉強より有明海での開墾で辛い思いをしたようです。
 今の中学1年生を見ますと本当に子どもですね。それが片道10㌔を歩き葦を刈り、鍬を振り開墾を始めたと言うのですね。
 中学生は生意気ですね。隊列を組み歩きながらズンドコ節の替え歌を歌って歩いたと言うのです。
 生徒の誰かが何か失敗をすると多くの生徒が共同責任で殴られたり、ビンタを貰ったそうです。
 酷いものですね。軍隊に似ていますよ。教師には逆らえません。

 私の女学校はどうだったかと言いますと、佐賀の中学ほどではありませんが、上級生の言うことは酷いものでしたね。
 上級生の命令は朕の命令なんて言い、威張るのです。
 お菓子を送って呉れた彼女と良く話すのですが、楽しいことも一杯ありましたが、今の中学生には理解出来ないような様々な苦労がありましたね。
 当時は国鉄バスは省営バスと言われていました。省とは鉄道省ですね。そのバスの燃料がガソリン不足で薪で代用され、時には運休になるのですね。
 そう言う時は片道16㌔を歩いて通学するのです。その時ですよ。歩き疲れて休むのですが、上級生が休もうと言って呉れないと勝手に休めないのです。休憩している時 空を高く飛ぶ米軍のB29の姿を見ることもありましたね。
 
 嫌な時代でしたね。私はその上中國帰りと言うことで、虐められました。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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