2017-08

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中華風昼食と雑談

 昼食は麺類を圧倒的に多く食べています。
 最近のお気入りは讃岐うどんの半生の物です。細切りですから、茹で時間も短く、老人にも良いと思っています。
 それでも時には変わった物が食べたいですね。
 
 先だって焼き豚の切り落としのような物が出ておりました。ま~何かの時に利用が出来ればと思って買って置いたのです。
 最近買い物に行くのが面倒になっています。
 そこで買い置きの焼豚で冷やし中華を作りました。偶には胡麻ダレでも食べて見ようかしらと思いましてね。
 ところがこれはチョッと失敗。大きな失敗ではありませんよ。もっとシンプルかと思っていたのですが、普通のが良かったです。

        ゴマダレ冷やし中華

 これは焼き豚の問題もありますね。味が濃くてもっとさっぱりとした茹で鶏にでもすれば良かったです。
 
 焼き豚は3分の1ほど残っていましたので、それを使いチャーハンにしました。

        焼豚チャーハン

 チャーハンのご飯は軽くお茶碗二杯程で二人分を作りました。食後に生パインを少しとりました。
 それでもうお腹は一杯です。

 最近テレビで昔の歌番組や、ドキュメンタリーのものを見ます。その時のコマーシャルですが、高齢者向きの物や、女性向きの物が良く流れます。 どうしてあんなに顔のことや皮膚のことが気になるのかしらと夫に話し、私は関心がないけれど変わっているのかしらと言いましたら「変わっているよ。でもおかしくではないよ」と言って呉れる夫。
 本当はどうなんでしょうね。

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鰆の西京漬けと雑談

 お刺身を昔より食べなくなっています。魚好きな私ですが高齢になった所為でしょうか。
 お鮨以外では火を通したものを食べることが多くなっています。
 煮たり焼いたりですが、自家製の西京漬けは安い魚を見つけた時に、作って置きます。
 お刺身と違いますから、夕方の半額になった時は買い時です。

        鰆西京漬け

 一切れを半分に切り、朝食用に焼きましたが二人ともほんの僅か残しました。勿体ないので夕食に残りは食べました。
 夕食には僅かに残っている物も出して並べます。見た感じは何だ残り物ばかりと言えそうですが、大抵それで足りて仕舞います。
 有難いような、詰らないような、不思議な感じですね。

 友人から電話がありました。彼女は食通です。その彼女が驚いたものがあったのです。
 「相子さん 粕もみって聞いたことも見たこともなかった物だけれどどうしたの。蓋を開けたら良い匂いで、食べたらお酒が欲しくなり、夕食に飲んじゃったわよ」と言うのですね。
 そこで粕もみのことを説明しました。少々得意になってね。今まで私の知らない物でも彼女が知らなかったと言う物はなかったからです。
 彼女はパソコンを使っておりませんから、ブロ友さんのこととか、ネットで探したとか、選んだとかと言うことの説明は丁寧にしませんと駄目です。

 食談義になりますと最低30分はしますね。これって老化防止と言いますか、何かしら刺激になりましょうね。

 粕もみから魚の粕漬けの話になり、二人の感想は魚久のは甘すぎると言うことで意見が一致しました。
 こうなると粕漬けに挑戦したくなりますね。

 話がチョッと変わりますが、今日の午後自動車保険のことで何時も頼んでいる方がお見えになりました。
 いろいろな話が出ましたが、梨に保険を掛けると言う話は初めて知りました。
 この東葛地区は梨の産地です。今も盛んに出荷されています。
 その梨の生産者があるコンビニの大手に収める梨に保険を掛けてないと、買って呉れないのだそうです。
 生産者がリスクを問われる。責任が重要視されている。時代を感じますね。
 
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友人のメール

 8月24日に青島便りをアップしました。
 それを見て下さいと青島羊会の友人にメールを送りました。
 友人の何人かがメールを送って下さいました。その中の一人が以前「友人の挨拶」ということで紹介しました武藤直大さんです。
 今回頂いたメールがとてもユニークなお話で、私も小学生の頃の読み取りと言う授業を思い出し、下記に転載させて頂くことにしました。
 ご本人には了解頂いております。

 【青島の写真有難うございました。忠の海は小魚山の麓にあった我が家から毎日見ていた景色!手前の緑は濃くなり、海は更に遠浅になった感じ。でも建物は全部変わっているなぁ、、、としばし見とれていました。

 私は家にゴロゴロしていてはダメ、と努めて外に出るようにしています。最近、小学4年の孫娘の授業参観に行ってきました。自宅の目白から世田谷・松原まで自転車で70分。授業は英語と日本語です。
 英語はネイティブの先生が日本語英語を混ぜながら、ビンゴなどして遊んでいました。1カ月に1回の授業とのこと。まぁ英語に慣れさせるのには役に立つでしょう。

 面白かったのは日本語。始めは全員起立して暗唱をしました。
 「春はあけぼの ようよう白くなりゆく山際 少し明かりて 紫立ちたる雲の、、、」
 清少納言の「枕草子」の書き出しの春夏秋冬の部分です。暗唱できなくなった子は座ります。40人の児童中、最後まで立って言えたのは3人。意味は分からなくても日本語の抑揚というか美しい調子を身に付けさせているようです。
 教科書は世田谷区教育委員会編となっています。後日、ママに聞いたら、もっと面白くなりました。教科書には福沢諭吉の「雨にも負けず風にも負けず」の詩や和歌、俳句、漢詩などが並んでいます。そして3年の3学期の孫娘の通信簿に先生の評がありました。「小野小町の感想文は良くかけました」と。

 その授業では小野小町の「花の色は移りにけりないたずらに 我が身世に古る眺めせし間に」の歌を教え、彼女は美人だったけれど晩年は幸せではなかったこと。恋人の深草少将との恋の駆け引き。少将から言い寄られた小町は「貴方が百回訪ねて来たら会いましょう」と答えた。少将は99回目に来たところで病気になり死んでしまったこと。

 この物語についての感想文がよかったらしいのです。
 孫娘と百人一首をしたら、彼女は私以上に取り、小町の札は人に取らせないように、手元に並べています。
改めて「日本語」の授業に興味を持ちました。これは普通の教科以外に世田谷区立の小学校の校長の独自の判断でやっているようです。

 この小学校は土曜日も休日ではなく授業しています。その代り、別の曜日に授業時間数を少なくしています。先生次第で区立でもこんな教育が出来るのか、、、と感心しました。】

 武藤さんが住んでいた頃の忠の海の写真を2枚掲載いたしましょう。武藤さんご覧ください。

      忠の海15年  青島忠の海15年頃

     左のは写真集からのものです。   右は絵葉書です。

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煮物2点と飢えた時代

 この数年とみに食べる物が少なくなっています。
 それでも煮物は毎日のように食べています。それも徐々に軟らかい物になっています。そして無くなるまで何回も食べています。
 
    茄子煮物  長芋・隠元・豚コマ

 皮を少し除いたり、軟らかく煮たりです。隠元も良く煮ます。そうでないとギシギシが気なります。噛む力がなくなっています。
 
 多くの方が書いておりますし、映像などでも色々と見ることがあります。
 それは戦後の食糧難時代のことです。都市、特に東京ですね。私が知っていたことよりも酷いことが起きていたのです。
 先ごろNHKスペシャル 戦後ゼロ年「東京ブラックホール1945-1946」 と言う番組を見ました。
 1945年から46年までの間 東京では多くの戦災孤児が辛い日々を送っていました。
 米軍の空爆により、家族と離れ離れになった子どもたち。食うや食わずの中でやっと生きております。
 
 私は数日前からYouTubeで何回も見ています。映像の中でご自分の姿に接した方もいられるのではとも思うのですね。
 負けたと言うことを突き付けられます。

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棟集会

 このマンションでは色々な集会や催しがあります。
 昨日は自治会のビヤパーティーでした。我が家は出掛けず夕食をとっている時、外から太鼓の音が聞こえて来ました。
 既に夏祭りも終わっていますから、これからは防災についての集まりが順に実施されると思います。
 今日は1号棟の集会でした。
 住民の戸数の50%の方が参加されました。

 懇親会も兼ねていますが、先に地域の防災についてのお話しがありました。
 このマンションは20棟ありますが、此処には自治会と管理組合とで我孫子ビレジ防災対策連協議会と言う組織が出来ており、その会からの様々な問題の説明がありました。
 ダブル高齢化 即ち建物の高齢化・住民の高齢化ですね。
 それらを考え、住民は手を組み、過ごして行きましょうと。そう言う会でした。
 毎年参加しておりますが、少しづつ人が変わって来ております。

       1号棟集会

 全体に高齢者が目に付きますね。マンションの高齢化率48%と言うのですから自然にそうなりますね。
 
 このマンションの管理は近隣のなかでは最も良いと言われているそうです。
 
 今日配布された呼びかけのチラシを掲載いたします。
 特に「防火防災訓練」の開催のスケジュールや日頃の住民の繋がりを促すことも記されております。

         1号棟集会ちらし

 マンションでは共助と言うことで、災害時の声かけ援助を申し出ている人は141名いるそうです。
 防災ボランティアに手を挙げている方は400人いるそうです。心強いことです。

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変わらぬ朝食と雑談

 我が家の朝食は和食と言って良いでしょうね。
 毎日同じような物です。品数はま~ま~でしょうか。

    朝食8月23日  朝食8月24日

    左のは8月23日の朝食です。  右のは8月24日の朝食です。

    朝食8月25日  朝食8月26日

   左のは8月25日の朝食です。   右のは8月26日の朝食です。

 この数日 O157のことがニュースになっていますね。感染経路がまだ特定されていないようですね。

 私は主婦業にコンプレックスがあります。仕事をしていましたので、家事に知らないことが沢山ありますし、それに家事苦手なんですね。
 唯食事作りだけはま~何とか普通には出来ていると思うのですね。
 仕事をしていた時、娘達が生まれてからは何とか手作りの物を食べさせたいと色々と工夫をしました。
 当時はコロッケや焼き鳥などは良く目にしましたが、ポテトサラダなどはなかったかも知れません。
 あったとしても買わなかったですね。
 忙しいので、メニューが決まらないと色々と悩みますね。そこである時自家用のメニューブックを作ろうとしました。
 書店で料理本を見ましてもどうもと言う感じの物ばかりです。365日と銘打っても連続性がありません。
 そこで食品成分表や材料の基本の分かる本を買い、自家製のメニューブックを作りました。
 土・日を除き月から金までのメニューですね。旬の物も入れます。
 それを毎年手直しをしながら食事を作りました。姑と一緒ですから三世代のメニューです。

 今は毎日出たとこ勝負で作っていますが、時々思い出し懐かしく思っております。
 働き盛りのあの頃とあのメニューブックとが重なります。

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今日の一品と加齢の話

 昨日はペインクリニック内科の受診の日でした。時間は予約してありますから、家を5分前に出れば大丈夫です。
 11時55分に長女の運転で出発。12時ピタリに受付に診察券を出しました。
 このところ夫も私も喉への刺激に困っておりました。
 特に夫はこのところ嚥下の際に何かひっかり、そのために洗面台の前でうがいをしたり、一所懸命喉から何かを出そうと四苦八苦しています。 
 特に一昨日からそれを強く感じているようですので、耳鼻科に行ったらと言いましたが、明日病院だからその時に聞くよと言うことでした。
 何時も二人で一緒に診察室に呼ばれます。一通り前回からの様子などの確認と血圧の検査。
 それと聴診器による診察。それが終わって夫は喉の説明をし、疑問に思っていることを質問しました。
 先生は喉も見ましてから、加齢によることの説明を詳しくなさって下さいました。
 簡単に纏めますと、食べ物を飲みこむ際の喉の神経が固形物か液体のようなものかを判別するのだそうです。
 その判別に狂いが出るのが症状の原因になるそうですが、その度合いが老化と共に多くなるのだそうです。
決して異常ではないと分かりました。

 そして私の番です。一通りの診察が終わり、私は食事時の噎せや咳込みのことをお聞きしました。
 私は先生に夫への説明で大分意味が分かりましたと申し上げました。私への説明も矢張り加齢によることだと分かりました。

 何となくすっきりとし、薬を貰い次回の予約をして、長女と三人で昼食を食べに行きました。

 夫は私の好きな鰻にしようと、鰻屋に行きました。久しぶりの店です。

      西周鰻

 私はご馳走になるなら鰻が一番。次は冬なら鍋焼きうどんですね。ステーキや洒落た洋食も良いし、中華料理もいいですね。
 お鮨は特に良いですね。でも今は鰻が良いのです。
 夫は普段外食に行きませんし、私のボヤキを知っていますから、この時こその点数稼ぎです。

 今回の説明で特に大きな問題ではなく加齢だと言うことでしたので、食事も楽しく済ませて来ました。
 加齢。これからは加齢と言う言葉が出まくりましょうね。立派な老人ですからね。

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青島便り

 今日の夕方 知人の山本一生さんから「今青島です」とLINEで知らせがありました。
 青島も晴ているようです。
 今日の青島の海の風景が送られて来ました。

       8月24日の忠の海

 青島に住んでいた人にとって懐かしい忠の海海水浴場です。

 青島は中国の方が老後住みたい街だそうです。山あり海あり、街並みの美しさにも定評があります。

 その青島では在留邦人の数が減って来て、日本人学校の生徒も減って来ているそうです。

 先ごろ朝日新聞に「青島会」が閉会されると出ておりました。

          青島会終了

 かって青島で過ごした方の集まりですね。私たちの羊会も青島中学の鳳雛会も女学校の若鶴会も解散しております。
 この会は大阪で開催されるそうです。

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心太話

 ところてんのことを心太と表記するのはどういうことかと、一応調べて見ましたが、特に定説のようなものはないような気がします。
 心太の食べたい時期は真夏ではなく梅雨頃でしょうかね。カキ氷が出て来ますと、影が薄れていくような物でしょう。
 妹から天草を貰っていましたが、何となく作りそびれていました。
 そう痛むもではありませんが、古くなると良くないのではと、今日の午前にやっと作りました。
 
            心太は乾燥した天草で作ります。

             長谷川さんの天草

 これは長谷川さんと仰る写真家の方が網代で写したのをお借りしました。
 とても綺麗な天草です。

     今日は天草40gを使い作りました。

     心太1  心太2

 出来上がった心太は天つきの大きさに合わせて切り、水に入れ冷蔵庫で保存しました。

 私が帰国した翌年の春 6年生ですね。天草の口あけと言いますか、解禁の日を迎えました。
 町中の多くの人が浜に天草採りに行くような日です。
 小学校もこの日から数日休みになりました。天草を採る女性は海女ですね。大きなスカりと言う網一杯に採って来ます。
 子どもたちも「おかばい」と言われる、腰まで海に入って天草を摘みます。

 水泳は得意でしたが、天草採りは初めてですから、全然採れません。
 
 天草は漁業組合の方が買い取ります。子どもも売りに行きます。
 天草採りの成績は学校で先生に報告します。
 ○○さんはと先生が順に聞いて行きます。それぞれ大きな声で50銭とか60銭とか言いますね。
 相子さん と呼ばれると小さな声で15銭なんて返事をする自分が情けなかったですね。

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粕もみと雑談

 信州の夏の食べ物 胡瓜の粕もみを「ご隠居プーさん」のブログで紹介されているのを見た私。
 もう作りたくてなりません。偶然なことに突然アマゾンからの紹介に酒粕の良い物が出ていました。
 直ぐに注文しました。

        酒粕1

 これは静岡県の大村屋酒造の若竹プレミアム純米大吟醸酒粕2016年産と言う軟らかい物です。
 酒粕は粕漬けにも使えますから、胡瓜の粕もみだけではなく、魚の粕漬けも作って見たいと思っています。

        酒粕2

 初めて作るのですから、ネットで調べてから始めました。ネットで見るのと実際とでは条件が違うのかも知れません。
 作り始めて気が付き、自分の好みの味付けで仕上げました。
 

 昔 私25歳頃ですね。初めて学生の夏の活動の付き添いで長野県箕輪町方面に出張しました。
 
 その箕輪町出身の学生の実家に全員が昼食に招待されました。
 その時に初めて胡瓜の粕もみを食べたのです。生まれて初めてです。
 その美味しかったこと。何時かまた食べて見たいと思っていました。それでも時間が経つうちに忘れていました。
 その粕もみを見たことで即私の癖が頭をもたげ始めたのです。
 作って見ましたら矢張り美味しかったですね。

 あの頃 大学ではまだ男性中心の時代でしたが、私の上司は大学に勤める前職安にいたそうで、偏見がなく私にもどんどん仕事をさせて呉れました。
 そう言う訳で、女性では初めての出張でした。
 
 この時 学生は現地解散となり、時間もありましたので私は一部の学生と一緒に上高地に行きました。
 白骨温泉で一泊 その時初めて蕎麦を食べ、その美味しさは仰天する程で、それ以来蕎麦が大好きになりました。
 実家の方では蕎麦は食べていなく、蕎麦屋もありませんでしたから、蕎麦を美味しいと思ったことが無かったのです。
 
 学生と松本で別れた私は、一人で浅間温泉に向かいました。ところが女一人では宿が決まりません。
 何軒めかの宿で何とか泊まることが出来ました。
 宿帳に勤務先を書きましたら、大変ですよ。視察ですかとか、色々と聞いて来ます。アレッと思いましたね。
 そして夕食になりましたら傍に付ききりで団扇で風を送って呉れます。
 そっけなくても泊めて呉れたのですが、態度一変。ま~驚きましたね。

 松本を後にし帰るには未だ列車の有効期間がありました。そこで私は戦後の応援団長だった八巻恭介さんの増冨温泉に寄り一泊して帰って来ました。八巻さんはその後山梨県会議長になりました。
 そんなこともあり、この出張は思い出の味と旅になったことでした。
 
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今日の一品と大山倍達さんのこと

 先ごろ夫と長女と一緒に行った食事 偶にはデザートも食べましょうかとなり、和風の一品を頼みました。
 もう名前は忘れていますが,多分アイスクリーム載せあんみつではなかったかと思います。
            これです。

        はな膳デザート

 嫌ですね。直ぐ忘れて仕舞うのですよ。ま~特に大事なことではないですから良いかと、自分で納得しております。
 和風の器に盛られてお洒落に見えます。食べようとしましたら、このスプーン。
 白玉を掬うにも上手く乗せられません。アイスを食べようとスプーンを当てても駄目です。スプーンの縁が鋭角ではありませんからクリームが逃げてばかりします。
 とうとう我慢が出来なくなり、スプーンを取り換えて下さいと言いましたら、これまた大きなスプーンを持って来たのです。
 これを食べるのですからと言い、普通のティースプーンを持って来て頂きました。
 大きなお店ですし、系列店もあるのですね。従業員の方はお客になって見たことはないのでしょうかね。
 見た目も大切ですけれどね。気配りも要りましょうね。

  話は変わり、昨日ネットで大山倍達さんが牛を空手で倒したという記事を見つけました。

 昭和30年頃、浅草公会堂に台東区役所の浅草支所がありました。そこにクラブの仲間が勤めておりました。
 私が偶々彼を訪問した時、「今日は剛柔流の有名な方の演技があるので見て行きませんか」と言われ支所の上の広間に行きました。
 そこにいた方が大山倍達さんでした。何か演技をされたのですが、私が覚えているのは、手のひらに硬貨を載せて、それを握り身体を折るようにして腕に力を入れたのです。そして手のひらを開きましたら、硬貨は柏餅状に折れているのです。

 長女がシドニーの婿殿の勤める日本料理の店にパートで行っており、そこで大山倍達さんに出会ったのです。

  そのことをブロ友さんの彦次郎さんが驚いておりました。大山さんの硬貨折りは見た人が少なく、ウソだとも言われていたようです。
 そこで彦次郎さんはブログに詳しくコメントの入れてくいださいと仰るので、私の見た大山さんと長女の見た大山さんのことを詳しくお伝えしました。
 母娘二人してこの方に会ったと言うのはとても珍しいことらしいです。
 
 今回色々と読んで見ましたら、大山さんは千葉県と関係があることを知りました。清澄山とか館山と言う場所で修行されているのですね。
 一つ分からないことは館山には牛を屠殺する所はなかったような気がするのですね。確認が要りそうな気がします。

PS 大山倍達のこと 上の赤字で見られなくなっていました。この赤字で再記載しました。

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今日の昼食と老人食

 数日気温の低い日が続きましたが、今日は日中の温度も上がり、昼は冷やしうどんを作りました。
 半生の讃岐うどんは茹で時間も短くて済み、最近のお気に入りです。

             茹で鶏載せうどん

 上に載せる具は揉み焼き海苔、ネギ、茹で鶏腿肉、摺り生姜のみです。

 午後は長女と買い物に出掛け、冷蔵庫に補充をしました。老人になって分かったことが多々あります。
 食品の嗜好が変わった来たこと、食べる量が少なくなって来たこと、喉に刺激を強く感じること等々。
 自然に食べる物が偏って来ています。
 毎日の煮物はそれでも飽きずに食べられます。

    隠元・絹上げ煮物  長芋・人参・薩摩揚げ

    里芋・人参・昆布煮  大根とアゲ

 これらは何回でも無くなまで食べます。少なく作るのが苦手です。こうして三食が過ぎて行きます。

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鮭の西京漬けと上野・御徒町のこと

 先日長女とロピアに行きましたら、とても良いニュージーランド産のサーモンが安く出ていました。
 パックに4切れ 650円 一切れを二つに切り、それを西京漬けにしました。
 とても美味しく出来、特に皮を美味しく感じました。

       ニュージーランドサーモン西京漬け

 朝食の一品にしたのですが、この一切れが食べ切れません。食が細くなっていることが良く分かります。

 もう長年御徒町の吉池には行っておりませんが、吉池は年末になると鮭が山積みされていました。
 吉池から上野の方向にガード添いに行きますと、アメ横ですね。
 戦後の置き土産のような街です。今は様々な業種の店や外人も出店していて面白い所です。
 
 戦後直ぐは甘藷から作った飴を売る店が軒並み並び闇市でもありました。
 田舎から母とサッカリンや石鹸等を買いに来たこともあります。
 御徒町から上野駅に行きますと、浮浪者の姿があちこちに見られたものです。
 私が上京して来た当時上野駅周辺には未だ戦災孤児と言われる子どももいたということを記録などで知りました。
 
 先日「戦争浮浪児が語る終戦72年」と言うルポを見ていました。
 とても切ない番組でした。多くの戦災孤児の苦しみを知るだに、戦争の齎す傷の深さを思わずにはいられません。
 是非赤字からご覧になって下さい。

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豆腐の話

 昨日は紅虎餃子房で昼食を済ませた後、同じビルにあるヤオコーで野菜等を買って来ました。
 初めて目にしたのが佐賀の豆腐フクユタカの塊でした。
 大豆は北海道と言うことが頭にありますからアレッと思いました。調べて見ましたら、大豆の生産高は平成17年度の統計ですが、佐賀県は全国で4位になっているのですね。
 そしてこのフクユタカは佐賀県のブランド大豆で県内の大豆の80%を占めているのだそうです。
 特に豆腐の材料として優れていると言うのですね。
 夫は疎開で佐賀には数年行ってはおりますが、こんなことは全く知らないと思います。食糧難の話は良くしますがね。

      木綿豆腐  木綿豆腐2

 塊のようなこの豆腐は約350gありました。確りとした木綿豆腐です。これは炒り豆腐にピッタリだと右のように炒り豆腐にしました。
 可成り沢山の量になりましたので、昨夜も今朝も、今夜も食べます。

 子どもの時 中国の青島では豆腐は日本人のお店で売られていたのは普通の豆腐でした。
 焼豆腐もありました。すき焼きの時には買いに行きました。買い物大好き少女ですね。
 中国の豆腐は大きな籠のようなものに固まったまま入っており、売る時には要るだけを切り分け、それを棹秤で量り売っておりました。
 当時私は中国人の生活にとても興味があり、近くの広場にある豆腐売りの傍に行き眺めたものです。
 食べたことはありますが、当時のは臭くて日本のと比べ硬くて美味しくはなかったですね。

 その話を老師にしましたら、今はパックに入れて売られているそうです。
 そうでしょうね。

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今日の昼食と車の話

 長女の都合で一緒に食事をとるのは週2回位でしょうか。
 今日は外に食べに行こうと決めました。前々から豊四季の劉と言うお店に行きたいと話しに出ておりましたが、夫には合わないだろうと柏のららぽーとの紅虎餃子房に行きました。
 この店はあちこちにあるようで、もう忘れたような昔 銀座で入ったことがありました。今はあるのでしょうかね。

        海鮮ソバ

 シンプルなラーメンではなく、海鮮五目とろみそばと言ったような気がします。何だか違うかも知れません。直ぐ忘れて仕舞います。
 蓮が入っていたのが珍しかったですね。塩味で美味しく食べました。
 外食は何となく嬉しいです。安いもので良いのです。自分で作らなくて済むのが良いのですね。

 来月ある会合があるのですが、そこに行くのには余りに便が悪く、出席にするかどうかまだ決め兼ねています。
 長女が送って呉れると言います。車の運転も慎重ですから安心です。
 
 私は1966年の夏に免許証を受けました。それからの走行距離は100㌔もないと思います。
 75歳の頃 免許証は返上しました。身分証代わりに持っていたようなものです。
 今日は3人で車の話になりました。
 私が教習所で習っていた頃、車はトヨタのクラウンか日産のセドリックでした。
 背の低い私 座高も低く、椅子の背もたれの所と座席に座布団を敷き練習をしました。
 ハンドルの隙間から前を眺めて運転をします。
 夫と娘達が私を迎えにやって来て私の様子を見ていたのです。
 練習が終わり、側に行きましたら「ママの運転はリモコンカーみたいだね」と言うのです。
 運転者が見えないというのですね。

 免許を取ったと仲良しの会で話しましたら、「慣れたら相子さんの運転で箱根に行きましょうと」と言われました。
 ところが子どもの時からの友人は「わたしゃ乗らないね」と即言うのです。
 
 職場の教授に話しましたら「君には全く向いていないね」とこれも即仰るのです。

 多分これは正鵠を射た言葉ではなかったかと思っております。運転をしていたらブログを書くなんてあり得ず、彼方に行っていたかも知れません。

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茄子炒めと友人の話

 茄子は今は年中店頭に並んでいます。それでも盛りは夏ですね。
 安いし美味しいし毎日のように食べています。味噌汁には必ず皮を剥いて使います。
 最近は皮も時々固く感じることがあるのですね。年齢の所為でしょうか。徐々に固く感じる物が増えています。

         茄子炒め

 炒めた茄子に柚子味噌を掛けただけですが、美味しくて週に一回位は作っております。

 このところ友人の電話の一番は健康のことです。85歳を過ぎた人からが多いのですがね。
 ご本人は意識してはいないのでしょうが、説明をし出すと立て板に水です。私もチョッとは言いたいのですが良く聞きます。
 何かしら参考になることがあるのですね。
 88歳の友人から数日前 3年振りくらいに電話がありました。彼女は元々バイタリティー旺盛な方です。
 話しに時系列が分かりませんが、家の中で転び骨折。手術を受けたのですが痛みが続き、その痛みを解消するために、大病院から町医まで、更に接骨院やマッサージ等、色々と試して治療と言いますか治す努力をしていたのだそうです。
 掛かり付けの医師や大病院の診断では手術の後遺症で治らないと告げられていたのだそうです。
 彼女の性格からして、医師とのやり取りの様子はさぞ激しかっただろうなと想像できます。

 ところが先ごろ娘さんの住むハワイに出掛けたのだそうです。帰国したらなんと痛みがすっかり取れて楽になっていたのだそうです。
 不思議に思い、病院に行き先生のそのことを話したら「それは治っていたのを自分は治っていないと思っていたのですよ」と説明されたのだそうです。その症状の名前を言っておりましたが、良く聞こえませんでした。何と言うのでしょうね。
 
 彼女は「昔から転地療法と言うのがあったでしょ。それよ」と言っておりました。

 そしてその後直ぐに台湾に行って来たと言っておりました。強いな~とつくづく思いましたよ。

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老師に思いを馳せる

 今日は日本が連合国に負けた日です。終戦記念日と言ってはおりますが、負けた日なんです。
 72年前 この日は全国的に晴れでした。その日を知る人間は国民の20%位になっているようです。
 若い人ではこの日のことを知らないと言う者が20%もいると知り、過ぎし歳月への感慨深いものがあります。

 中国で1966年から10年程吹き荒れたあの文化大革命(通称文革)の経験者も減っていることでしょう。
 NHK文化センター柏教室で中国語を教えて頂いた王廼珍老師はその文革を経験されております。

 老師は北京師範大学国文科出身 北京出身ですから中国語教師として私たちを指導するにも多くの伝統的なことや、歴史や経済また社会的なこと等、ご自分の持てる力を私たちに注いでくださいました。
 語学の教師ではありますが児童文学の研究者でもあります。その知識の広さに接し毎週楽しく過ごしておりました。

         王老師

 老師は努力家でもあり、教師として如何に振舞うかも心掛けていたと思います。
 教室での生徒への接し方も立派でした。常に公平になさっておりました。
 時々集まる親睦会にも参加なさり、楽しく過ごされたお姿が懐かしく思い出されます。

         王老師と一緒

 両側のお二人は私のブログを毎日見て下さっている方です。老師は日本食は何でも召し上がります。
 アルコールは強く、北京からお帰りになると必ず強いお酒をお持ちになって来て下さり、一緒に頂くのですが、誰よりも強く毎度驚かされたものです。
 
 その老師が北京の中学校で教えていた時 あの文革の時期だったのですね。

 私は一昨日の早朝 目が覚めたのですが、床を離れるには少し早かったのです。何時ものように朝食のことを考えていたのです。
 何故か突然二胡奏者の阿炳の事が頭に浮かんだのです。
 あっそうだ!阿炳は老師が生徒に吊るし上げられた時 あの曲が老師に聞こえたのだったと思い出したのです。

 ある時 老師がテーブルに置いた毛語録の書かれた紙が何かの拍子に落ちたのだそうです。
 それを生徒達から咎められ、数日教室で吊るし上げられ、帰宅も出来なかったそうです。
 生徒は老師を全員で殴打し、全身痛みに耐えながら過ごしていたそうです。
 生徒の中には手加減して強く叩かなかったものもいたそうです。
 
 そんな時間が過ぎていた時 夜更けに何処からともなく誰が弾くのか有名な「阿炳の二泉映月」の二胡の旋律が流れて来たのだそうです。
 その時のことを話す老師の目ににじんだ微かな涙 忘れることはありません。
 阿炳のこの名曲は中国の方が良くご存知だと思います。昨日お出でになった老師に話しましたら直ぐにメロディーを口ずさみました。
 阿炳の生涯を知る王老師はご自分の心を阿炳の何かに重ねていたことではないかと私は推察しております。 この阿炳のことは「ここ」からご覧になって下さい。

 老師は今重い病を得て動くことも話すことも出来ません。頭脳は確りとしていると聞いております。
 老師は毎日何を考え何を語りたいと思われているのでしょうか。
 切ない現実です。

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糖油餅で昼食

 時々私がぼやく昼食 麺類・パン・偶にご飯です。
 外食は娘が一緒でないと無理です。
 そんな事で頂き物や、人から差し入れがあると嬉しいですね。

 老師のお姉さまが作られた 「糖油餅」 初めて見るものでした。

     糖油餅1  糖油餅2

        左がそれです。        右は今日の昼食です。

 北京の粉食の伝統的な物のようです。上の赤字からご覧になって頂くと作り方が分かります。
 簡単に言いますと、小麦粉にベーキングパウダーのような物を混ぜて練り、丸く伸ばし、その上に小麦粉に黒砂糖を混ぜて練った物を重ねて、切り込みをし油で揚げるのです。
 塩味が程よく、比較的軽く感じました。二枚頂いたので、夫と一枚ずつ、それに簡単なスープで終わり。

 作り方を覗きますと、次々色々な物の作り方が出ています。興味がございましたら、是非ご覧になって下さい。

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じゃが芋と雑談

 じゃが芋は常備しておりますから、年中食べているような気がしています。
 今朝も煮ました。 時々は粉ふきにして食べたりしています。

    ジャガ・人参・牛蒡・豚コマ  コフキジャガ

 じゃが芋は昔 昔と言いましても昭和20年代ですね。僅かな土地でも利用して植えたものです。
 じゃが芋は癖がなく、小さく切ってお米に炊き込んだりしました。
 また蒸かして塩を付けてお八つに食べたりしました。
 当時はカレーなど作ってもご飯が混ぜものだらけですし、お肉もありませんから美味しいと言っても今と比べ特に美味しかたったと言う程の物ではないですね。
 母と一緒に掘る時は嬉しかったですね。小さなウズラの卵のような物でも捨てずに食べましたよ。

 戦時中農家に勤労奉仕に行きました。お昼に蒸かした卵位のじゃが芋を出され、こんな物?ってびっくりしたのものです。
 若いと言うことは状況を察するゆとりはありませんね。
 農家の方も食料難で困っていたのかもしれませんね。思い返すと色々なことが分かって来ます。

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ラーメンと雑談

  ラーメンは好きですが、ラーメン屋には偶にしか行きません。
 昼食には既製品のラーメンを食べることが多いですね。
 上に載せる具は焼き豚や若布、茹でたホウレン草やモヤシなどに刻み葱などですね。
 こんな日もあります。

         シンプルラーメン

 これは本当にシンプルラーメンです。老人はこれでも済みます。

 毎年8月に入りますと戦争の時の記録や生存者の体験などがテレビで放映されますね。
 今夜は「本土空襲全記録」と言うのを見ていました。
 米国空軍の記録を中心に構成されたものです。
 B25の爆撃の記録ですね。それにP51の記録も出て来ました。
 P51は戦闘機です。動くものは全て攻撃することと指令されていたのだそうです。

 私は自分が何故狙われたのか分かりました。米軍の方針だったのです。

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6歳の私

 80年前の私6歳です。 テレビで幼稚園で仲良しだった友人を見て懐かしさが募り、ネットで住所を探し、手紙を出しました。
 それは昨年のことです。そして今年になって妹の姑の葬儀に行った際、彼女に会うことが出来ました。
 何回か電話で話すうちに幼稚園最後の遊戯会の写真のことで盛り上がりました。とても興奮しました。
 
 我が家は両親が北京から引き揚げて来る時、写真は持っていては駄目だと言うことで、全部処分をして帰国。
 ですから赤ん坊の時の私 パスポートに貼られた妹の可愛い写真 私と手を繋いだ弟の写真など皆心の中にあります。
 手元に今ある子どもの時の写真は、親戚や知人などから頂いた僅かな物で、精々10枚位でしょうか。

 私が幼稚園と言っていたところは幼稚園ではなく安房保育園と言うのです。ネットで調べて分かりました。
 運営していたのは「三福寺」と言います。

 この保育園での「お八つ」の話は前に書きましたし、「泥んこ遊び」のことも載せました。
 私は京子ちゃんと覚えていたのですが、後に恭子さんだと分かりました。

 恭子ちゃんから写真が送られて来ました。お遊戯会で一緒に踊った三人の中の横山さんが持っていたのです。
 三福寺に私が写真のことを問い合わせましたが、古いことで分かりませんとお詫びの返事をいただいたので、見るのは諦めておりました。
 それを恭子ちゃんが横山さんと連絡を出来るように色々とご苦労なさって下さったのです。

         遊戯

 これはアリとキリギリスと言う劇中でのダンスです。蝶が音楽に合わせて踊ったのです。歌は千草や千草乱れ咲きて~~と。
 真ん中が私 左が恭子ちゃん 右が横山さん 横山さんは都内で働いていたそうですが、定年後実家に戻られたのだと分かりました。

         卒園

 三人は園児の最後部の左側に並んでいます。ダンスの時と同じです。
 三人の後ろの和服の若い先生は平柳先生と言い優しくて館山の目抜き通りの時計屋さんと結婚されました。
 お店の前を通る時に店内を覗き、先生と言葉を交わすと嬉しかったものです。

 恭子ちゃんとは電話で盛り上がります。元気なうちに時間をとり、ゆっくりと思い切り喋りたいものです。

 恭子ちゃんはX JAPANのYOSHIKIさんが高校生の時、練習の後に良くカレーなどを食べさせて上げていたのだそうです。
 そのことがテレビで紹介されたので私は恭子ちゃんに気が付いたのです。

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友人とのひと時

 昨日は女学校の同級生と霞ヶ関ビル35階の東海大学校友会館でのランチバイキングで食事をとりました。
 都心の昼は気温は37度を示していたようです。
 日向を歩くのは無理だと考え、新お茶の水駅で下車し、地上に出ましたら、何か不安を感じます。
 余りの熱気に眩暈がしそうです。
 タクシーを使い霞ヶ関ビルまで行きました。既に皆さんはお見えになってお喋りをしておりました。
 早速会場に入りました。部屋はビルの北西の角になり、久しぶりに皇居をまじかに見ることが出来ました。

             バイキング皇居

 予定では8人集まる筈でした。それが6人となりました。一人はご身内のことで、田舎に。
 もう一人は医師から駄目と言われて参加を諦めました。
 高齢になりますと、決めていたことでも時にはスームズに行かなくなることが良く起きます。

 ランチバイキングは1600円です。入り口で各自払い部屋に行きます。
 バイキングと言いましても食べることより、会うことが一番ですから、二皿位で皆さんお終いです。

    バイキング1  バイキング2

    バイキング3  バイキング4

    バイキング5  バイキング6

 ランチタイムが終わるとレストランの方に席を移し、そこで暫くお喋り。右下の写真の桃のシャーベットを頂きました。
 話しは女学校時代の事が多く出ました。今回は特に終戦まじかの事が話題なりました。
 皆苦労をしましたね。話は尽きませんが次回を約束し解散をしました。

 霞ヶ関周辺はソ連参戦の日だと言うことで、街宣車が次々現れて来ました。
 警備の警官が大勢出て外務省や議事堂方向に近づけないように、誘導しておりました。

 月曜日からパソコンの不調で、ブログのアップが出来ませんでした。
 
 助っ人さんに応援をお願いし、今日の20時に回復しました。良かったです。

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LINEは便利

 先週の金曜日 上の孫はロスに友人と二人で出掛けました。
 今はネットで全て用が足りる時代ですね。それに若いしサッサと手続きも済ませ、気に入ったホテルも決めて行きました。
 ロスから直ぐにアナハイムに行き、ディズニーランドに出掛けたようです。
 
 出発前、出来るだけ連絡を入れるようにと言って置きました。
 LINEで到着と知らせてきました。それから今日まで沢山の写真を送って呉れました。写真は取り込み保存し大きくして眺めております。
 写真を見ますととても楽しく過ごしているようです。
 送って来た写真の中の一枚 懐かしさもあり、ブログに載せて良いかしらと聞きましたら良いよとの返事がありましたので使いました。

         8月6日ディズニーランド

 アリスが孫に手を掛けています。アリスが孫より大きいですね。

 1999年10月 孫が五歳の時にディズニーランドに行きましたが、その時の写真があります。

            白雪姫と

 孫は白雪姫と並びご機嫌です。この日はアリスの洋服を着て行きました。
 ディズニーホテルはホテル中 ディズニーです。部屋の調度も、使う物も全部にキャラクターの模様が使われており、ランドに行くのもシャトルのカートで行けます。
 孫は大きく成ってから連れて行って欲しかったと言っておりましたが、今は自由に自分で行けますから存分に楽しんで来てほしいと思っております。
 現在ロスは2時半を回って3時に近くなっております。探して決めたホテルで熟睡していることでしょう。
 夕食はホテルで食べたよと知らせてきました。どんな料理だったか明日は聞いてみたいと思っております。

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焼餃子と娘たち

 偶に守谷のジャパンミートで買って来る餃子を焼きました。
 オクタン餃子という名の餃子です。
 冷凍ですが、一つ一つバラバラの物ですから、扱い易いのです。

     焼き餃子  焼き餃子生

 このお皿の餃子が一袋です。さっぱりのソーメンやうどんが続きますと、チョッとこう言う物が食べたくなります。
 何も作りたくない時には便利です。

 二女は嗅覚が凄くて、家に入ってくるなり、餃子を焼いたでしょとか、魚を食べたでしょとか言います。
 ぶっきらぼうで愛想がありませんが、とても役に立って呉れます。
 明日の朝はゴミを出しに来てくれます。
 高齢になるとゴミ出しが簡単には出来ません。

 上の娘は気軽に買い物に連れて行って呉れます。今日も昼間イトーヨーカ堂に連れて行って呉れました。
 車の運転はとても慎重です。これは二女もそうです。

 私がさっさと買い物に出かけられませんから、どちらかが一緒に行って呉れます。
 とても助かります。

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鯖話し

 鯵や鰯 そして鯖などの青魚は好きです。夫は鯵は普通には食べられますが、鰯は出来れば避けたい方です。
 鯖 これは駄目です。
 若い時に手術を受けて入院生活を経験しており、その時に出て来た鯖がトラウマになっているのでしょう。
 多分調理も余り上手ではなかったのではと思います。
 鯖の美味しさを知らないと言って良いような気がしています。ですが無理強いは良くありませんから、夫には出しません。

         金華鯖醤油干し

 これはアリオ柏のマルタカ鮮魚店で買って来た「金華鯖の醤油漬け」です。
 2枚で398円です。金華鯖にしては小ぶりですし、安すぎます。ですがあの店では不当表示をしているとは思えないのです。
 私の知る範囲ではきちんと表示がされていると思っております。

 一人で一尾は食べ切れません。半分食べて後は冷凍にし、一尾は二女の家で食べて貰いました。

 房総半島の先端の方に千倉と言う町があります。
 現在は南房総市の一部ですね。
 その千倉には港が幾つかあります。一番大きなのが千倉港です。
 千倉港からは秋になると秋刀魚船や鯖船が出漁します。
 鯖船は遠くには行かず、房総半島の沖に釣りに行きます。
 暗い夜 沖の漁火は鯖船の灯りです。何艘も並ぶとその漁火の輝きが綺麗なんです。

 昔は鯖を干して鯖節を作ったものです。今はどうでしょうか。鯖の削り節は蕎麦汁に使われますね。
 我が家でも自家製で作ったものです。

 千倉の鯖を何とか市場に売り出したいと言う千倉に住む県会議員がおりました。
 父と親しい、その議員は鯖の燻製を手掛けたのです。その鯖の燻製を当時の伊勢丹に売り込みたいと、父が私の所に連れて来ました。
 丁度青島羊会の仲間が地下の食品売り場の責任者だったのです。彼は丁寧に対応して下さいました。
 結果は無理だとなりました。
 詳しいことは覚えていませんが、他の燻製品と比べ価値が劣ると言うことだったと思います。

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手羽先の煮物

 手羽先の煮物に目覚めた私 今日も作りました。
 午後は何となくボルテージダウンになりますから、朝食後直ぐに煮たのです。

       手羽先煮物

 これは目下お気に入りです。
 安い・柔らかい・美味しい・骨からの身離れが良い・煮るのが簡単・夫の便秘にも役立つ。
 ま~なんと結構尽くめなんでしょうと、自賛しております。

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今日の一品とクラスメートのこと

 昼食は簡単なんですが、時々億劫になったり、面倒くさくて頭が回らず、時間が経って仕舞うことがあります。
 今日もチョッとその嫌いがありました。
 目ぼしい材料がありませんが、買いに行くのも気が乗りません。
 蒸し中華そばがありましたので、焼きそばです。

         モミ焼き海苔焼きそば

 木耳が戻してあったので使おうと思いましたら、痛み加減なので止め。
 キャベツ・人参・生姜を刻み、塩豚の残り物を仕上げに混ぜて盛り付け。
 上に揉み焼き海苔をたっぷり載せて食べました。
 この揉み焼き海苔がとても便利なんです。袋から出してそのまま使えるのです。
 伊豆の地物ですね。

 このところ今治と言う地名が有名になっていますね。色々と起きていますね。
 今治はタオルの産地です。
 大学のクラスメートに今治のタオルメーカーを継いでいた方がおりました。
 学生時代 私は特に彼と言葉を交わすこともなく、友人と言う程ではなかったのです。
 彼は卒業後今治に帰り家業を継いでいたのです。
 
 卒業後からクラス会の案内を送っていましたが、必ず返事を頂いておりました。
 クラス会には一度もお見えになりませんでしたが、ある時タオルを山ほど我が家に送って来たのです。
 そこで私はそれを飲み会の時に持って行き、出席者に渡しました。
 皆が何かお礼をして置いてと言うので当時流行りの和泉屋のクッキーを送って置きました。
 1982年 四国は石鎚山を染めた手ぬぐいと、ハンカチのセットを送って下さいました。
 
 その後 1985年の5月1日 忘れもしません。私の誕生日です。その日彼からの速達が届いたのです。
 中に手紙が入っています。「最近お便りがないので、心配しております」と言う内容ですね。
 そして返信用のはがきが同封されていたのです。
 直ぐに返事を送りました。
 それからしばらく経ちました。 そして私に彼の奥様からの手紙が届きました。
 「あなたからのはがきが夫の出棺の時に届きました」と言うことです。驚き即電話をしました。
 彼は5月8日 体調が悪いと自分で運転し病院に行ったそうです。
 院長の前に座ったらそこで突然倒れて亡くなったと言うのです。
 
 彼からクラス会の返事にはクラスの方のことを案じ、次回は教えて欲しいと必ず認めてありました。
 私は自分の周りの親しいクラスメートのこと等について彼に知らせておりました。

 奥様のお話しによりますと、彼は和泉屋のクッキーの缶をとても大切にしていたそうです、
 卒業後一度も上京なさらなかったそうです。
 どれ程昔が恋しかったことか。無口で地味な彼の心情は如何ばかりかと察したことでした。
 
 それから後思い出すに彼が知りたかった人がいたのだと言うことに気が付いたのです。切ないですね。

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塩豚と雑談

 塩豚を食べるので豚肉に塩を振り、冷蔵庫で1週間寝かせて置き、それを圧力鍋で茹でました。
 4日位でも出来ますが、今回はチョッと長かったですね。

             塩豚盛り付け

 とても美味しく、コーンビーフのような歯ごたえと風味がします。
 牛ではないのに、不思議な位コーンビーフに似ています。初めて買ったカナダ産の豚肉です。
 また作りたいです。軟らかく老人にも食べ易いです。

 今日の昼間、生田先生とお喋り。
 最近の明大のこと。人工頭脳のこと。偏差値の問題。
 政治の貧困。藤原の効果のこと。コンビニのこれから。生活のシンプル化と少しの貧乏のこと。
 何時ものように長い時間を喋り続けました。
 生田先生とお喋りをしていますと、時間が知らぬ間に過ぎています。
  食事は今日は和食です。ぜんざいも食べました。

    夢庵1  夢庵2

 昔話も沢山しました。学生相談室のことでは生田先生のグループには随分協力をして頂きました。
 知り合ってから50年の間。学生生活にも社会的にも大きな変化があり、過ぎて来た時代の中でどうあったか。
 今日は珍しく個人的なことでも話をしました。マイナスをどうプラスにしたか。個人の歴史。
 個々人の性格と仕事の関係。組織の中での力関係のバランスの問題。
 経験は大事にして行きたいものです。
 
 
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カレーライスと雑談

 この数年長女も忙しく、カレーを作っていないようです。作っていれば持って来て呉れる筈ですからね。
 それがないと言うことは以前のように大量には作らなくなっているのかも知れません。彼女はとても上手なんですね。
 
 先日胡瓜の佃煮を作りましたので、カレーライスが食べたくなりました。カレーライスかライスカレーかなんて言った話もありましたね。理屈は付けようですが、どちらにしても、ご飯とカレーの組み合わせですね。

         カレー

 自家製ではなく、レトルトのカレーです。
 色も焦げ茶色。久しぶりでしたので美味しく食べましたよ。
 自家製の福神漬け擬きは美味しいですよ。

 戦後の田舎の夏。少女の私は良く泳ぎに行きましたが、何か食べられる物が取れると嬉しかったものです。
 磯の物には色々あります。町には豚肉屋が一軒ありましたが、売られる量は知れていますから、お肉のカレーは滅多に食べられません。引揚者でお金もありませんでしたからね。
 そこで浅瀬の岩に付いているよく磯っ玉と言われる貝を使ったカレーやサザエのカレーを食べたものです。

 今のようにスープはありませんし、カレーはSBのカレー粉を使った黄色のカレーです。ご飯は所謂銀シャリではありません。
 銀シャリとは白米の混じりっ気のないご飯ですよ。
 家のご飯は麦飯だったり、何かが入っているご飯です。
 それでも美味しくて食べたものです。
 
 今 南房総市ではサザエのカレーを出すホテルもあります。でもそれと昔のサザエのカレーとは別物のような違いなんですよ。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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