2017-08

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鮭の西京漬けと上野・御徒町のこと

 先日長女とロピアに行きましたら、とても良いニュージーランド産のサーモンが安く出ていました。
 パックに4切れ 650円 一切れを二つに切り、それを西京漬けにしました。
 とても美味しく出来、特に皮を美味しく感じました。

       ニュージーランドサーモン西京漬け

 朝食の一品にしたのですが、この一切れが食べ切れません。食が細くなっていることが良く分かります。

 もう長年御徒町の吉池には行っておりませんが、吉池は年末になると鮭が山積みされていました。
 吉池から上野の方向にガード添いに行きますと、アメ横ですね。
 戦後の置き土産のような街です。今は様々な業種の店や外人も出店していて面白い所です。
 
 戦後直ぐは甘藷から作った飴を売る店が軒並み並び闇市でもありました。
 田舎から母とサッカリンや石鹸等を買いに来たこともあります。
 御徒町から上野駅に行きますと、浮浪者の姿があちこちに見られたものです。
 私が上京して来た当時上野駅周辺には未だ戦災孤児と言われる子どももいたということを記録などで知りました。
 
 先日「戦争浮浪児が語る終戦72年」と言うルポを見ていました。
 とても切ない番組でした。多くの戦災孤児の苦しみを知るだに、戦争の齎す傷の深さを思わずにはいられません。
 是非赤字からご覧になって下さい。

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豆腐の話

 昨日は紅虎餃子房で昼食を済ませた後、同じビルにあるヤオコーで野菜等を買って来ました。
 初めて目にしたのが佐賀の豆腐フクユタカの塊でした。
 大豆は北海道と言うことが頭にありますからアレッと思いました。調べて見ましたら、大豆の生産高は平成17年度の統計ですが、佐賀県は全国で4位になっているのですね。
 そしてこのフクユタカは佐賀県のブランド大豆で県内の大豆の80%を占めているのだそうです。
 特に豆腐の材料として優れていると言うのですね。
 夫は疎開で佐賀には数年行ってはおりますが、こんなことは全く知らないと思います。食糧難の話は良くしますがね。

      木綿豆腐  木綿豆腐2

 塊のようなこの豆腐は約350gありました。確りとした木綿豆腐です。これは炒り豆腐にピッタリだと右のように炒り豆腐にしました。
 可成り沢山の量になりましたので、昨夜も今朝も、今夜も食べます。

 子どもの時 中国の青島では豆腐は日本人のお店で売られていたのは普通の豆腐でした。
 焼豆腐もありました。すき焼きの時には買いに行きました。買い物大好き少女ですね。
 中国の豆腐は大きな籠のようなものに固まったまま入っており、売る時には要るだけを切り分け、それを棹秤で量り売っておりました。
 当時私は中国人の生活にとても興味があり、近くの広場にある豆腐売りの傍に行き眺めたものです。
 食べたことはありますが、当時のは臭くて日本のと比べ硬くて美味しくはなかったですね。

 その話を老師にしましたら、今はパックに入れて売られているそうです。
 そうでしょうね。

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今日の昼食と車の話

 長女の都合で一緒に食事をとるのは週2回位でしょうか。
 今日は外に食べに行こうと決めました。前々から豊四季の劉と言うお店に行きたいと話しに出ておりましたが、夫には合わないだろうと柏のららぽーとの紅虎餃子房に行きました。
 この店はあちこちにあるようで、もう忘れたような昔 銀座で入ったことがありました。今はあるのでしょうかね。

        海鮮ソバ

 シンプルなラーメンではなく、海鮮五目とろみそばと言ったような気がします。何だか違うかも知れません。直ぐ忘れて仕舞います。
 蓮が入っていたのが珍しかったですね。塩味で美味しく食べました。
 外食は何となく嬉しいです。安いもので良いのです。自分で作らなくて済むのが良いのですね。

 来月ある会合があるのですが、そこに行くのには余りに便が悪く、出席にするかどうかまだ決め兼ねています。
 長女が送って呉れると言います。車の運転も慎重ですから安心です。
 
 私は1966年の夏に免許証を受けました。それからの走行距離は100㌔もないと思います。
 75歳の頃 免許証は返上しました。身分証代わりに持っていたようなものです。
 今日は3人で車の話になりました。
 私が教習所で習っていた頃、車はトヨタのクラウンか日産のセドリックでした。
 背の低い私 座高も低く、椅子の背もたれの所と座席に座布団を敷き練習をしました。
 ハンドルの隙間から前を眺めて運転をします。
 夫と娘達が私を迎えにやって来て私の様子を見ていたのです。
 練習が終わり、側に行きましたら「ママの運転はリモコンカーみたいだね」と言うのです。
 運転者が見えないというのですね。

 免許を取ったと仲良しの会で話しましたら、「慣れたら相子さんの運転で箱根に行きましょうと」と言われました。
 ところが子どもの時からの友人は「わたしゃ乗らないね」と即言うのです。
 
 職場の教授に話しましたら「君には全く向いていないね」とこれも即仰るのです。

 多分これは正鵠を射た言葉ではなかったかと思っております。運転をしていたらブログを書くなんてあり得ず、彼方に行っていたかも知れません。

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茄子炒めと友人の話

 茄子は今は年中店頭に並んでいます。それでも盛りは夏ですね。
 安いし美味しいし毎日のように食べています。味噌汁には必ず皮を剥いて使います。
 最近は皮も時々固く感じることがあるのですね。年齢の所為でしょうか。徐々に固く感じる物が増えています。

         茄子炒め

 炒めた茄子に柚子味噌を掛けただけですが、美味しくて週に一回位は作っております。

 このところ友人の電話の一番は健康のことです。85歳を過ぎた人からが多いのですがね。
 ご本人は意識してはいないのでしょうが、説明をし出すと立て板に水です。私もチョッとは言いたいのですが良く聞きます。
 何かしら参考になることがあるのですね。
 88歳の友人から数日前 3年振りくらいに電話がありました。彼女は元々バイタリティー旺盛な方です。
 話しに時系列が分かりませんが、家の中で転び骨折。手術を受けたのですが痛みが続き、その痛みを解消するために、大病院から町医まで、更に接骨院やマッサージ等、色々と試して治療と言いますか治す努力をしていたのだそうです。
 掛かり付けの医師や大病院の診断では手術の後遺症で治らないと告げられていたのだそうです。
 彼女の性格からして、医師とのやり取りの様子はさぞ激しかっただろうなと想像できます。

 ところが先ごろ娘さんの住むハワイに出掛けたのだそうです。帰国したらなんと痛みがすっかり取れて楽になっていたのだそうです。
 不思議に思い、病院に行き先生のそのことを話したら「それは治っていたのを自分は治っていないと思っていたのですよ」と説明されたのだそうです。その症状の名前を言っておりましたが、良く聞こえませんでした。何と言うのでしょうね。
 
 彼女は「昔から転地療法と言うのがあったでしょ。それよ」と言っておりました。

 そしてその後直ぐに台湾に行って来たと言っておりました。強いな~とつくづく思いましたよ。

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老師に思いを馳せる

 今日は日本が連合国に負けた日です。終戦記念日と言ってはおりますが、負けた日なんです。
 72年前 この日は全国的に晴れでした。その日を知る人間は国民の20%位になっているようです。
 若い人ではこの日のことを知らないと言う者が20%もいると知り、過ぎし歳月への感慨深いものがあります。

 中国で1966年から10年程吹き荒れたあの文化大革命(通称文革)の経験者も減っていることでしょう。
 NHK文化センター柏教室で中国語を教えて頂いた王廼珍老師はその文革を経験されております。

 老師は北京師範大学国文科出身 北京出身ですから中国語教師として私たちを指導するにも多くの伝統的なことや、歴史や経済また社会的なこと等、ご自分の持てる力を私たちに注いでくださいました。
 語学の教師ではありますが児童文学の研究者でもあります。その知識の広さに接し毎週楽しく過ごしておりました。

         王老師

 老師は努力家でもあり、教師として如何に振舞うかも心掛けていたと思います。
 教室での生徒への接し方も立派でした。常に公平になさっておりました。
 時々集まる親睦会にも参加なさり、楽しく過ごされたお姿が懐かしく思い出されます。

         王老師と一緒

 両側のお二人は私のブログを毎日見て下さっている方です。老師は日本食は何でも召し上がります。
 アルコールは強く、北京からお帰りになると必ず強いお酒をお持ちになって来て下さり、一緒に頂くのですが、誰よりも強く毎度驚かされたものです。
 
 その老師が北京の中学校で教えていた時 あの文革の時期だったのですね。

 私は一昨日の早朝 目が覚めたのですが、床を離れるには少し早かったのです。何時ものように朝食のことを考えていたのです。
 何故か突然二胡奏者の阿炳の事が頭に浮かんだのです。
 あっそうだ!阿炳は老師が生徒に吊るし上げられた時 あの曲が老師に聞こえたのだったと思い出したのです。

 ある時 老師がテーブルに置いた毛語録の書かれた紙が何かの拍子に落ちたのだそうです。
 それを生徒達から咎められ、数日教室で吊るし上げられ、帰宅も出来なかったそうです。
 生徒は老師を全員で殴打し、全身痛みに耐えながら過ごしていたそうです。
 生徒の中には手加減して強く叩かなかったものもいたそうです。
 
 そんな時間が過ぎていた時 夜更けに何処からともなく誰が弾くのか有名な「阿炳の二泉映月」の二胡の旋律が流れて来たのだそうです。
 その時のことを話す老師の目ににじんだ微かな涙 忘れることはありません。
 阿炳のこの名曲は中国の方が良くご存知だと思います。昨日お出でになった老師に話しましたら直ぐにメロディーを口ずさみました。
 阿炳の生涯を知る王老師はご自分の心を阿炳の何かに重ねていたことではないかと私は推察しております。 この阿炳のことは「ここ」からご覧になって下さい。

 老師は今重い病を得て動くことも話すことも出来ません。頭脳は確りとしていると聞いております。
 老師は毎日何を考え何を語りたいと思われているのでしょうか。
 切ない現実です。

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糖油餅で昼食

 時々私がぼやく昼食 麺類・パン・偶にご飯です。
 外食は娘が一緒でないと無理です。
 そんな事で頂き物や、人から差し入れがあると嬉しいですね。

 老師のお姉さまが作られた 「糖油餅」 初めて見るものでした。

     糖油餅1  糖油餅2

        左がそれです。        右は今日の昼食です。

 北京の粉食の伝統的な物のようです。上の赤字からご覧になって頂くと作り方が分かります。
 簡単に言いますと、小麦粉にベーキングパウダーのような物を混ぜて練り、丸く伸ばし、その上に小麦粉に黒砂糖を混ぜて練った物を重ねて、切り込みをし油で揚げるのです。
 塩味が程よく、比較的軽く感じました。二枚頂いたので、夫と一枚ずつ、それに簡単なスープで終わり。

 作り方を覗きますと、次々色々な物の作り方が出ています。興味がございましたら、是非ご覧になって下さい。

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じゃが芋と雑談

 じゃが芋は常備しておりますから、年中食べているような気がしています。
 今朝も煮ました。 時々は粉ふきにして食べたりしています。

    ジャガ・人参・牛蒡・豚コマ  コフキジャガ

 じゃが芋は昔 昔と言いましても昭和20年代ですね。僅かな土地でも利用して植えたものです。
 じゃが芋は癖がなく、小さく切ってお米に炊き込んだりしました。
 また蒸かして塩を付けてお八つに食べたりしました。
 当時はカレーなど作ってもご飯が混ぜものだらけですし、お肉もありませんから美味しいと言っても今と比べ特に美味しかたったと言う程の物ではないですね。
 母と一緒に掘る時は嬉しかったですね。小さなウズラの卵のような物でも捨てずに食べましたよ。

 戦時中農家に勤労奉仕に行きました。お昼に蒸かした卵位のじゃが芋を出され、こんな物?ってびっくりしたのものです。
 若いと言うことは状況を察するゆとりはありませんね。
 農家の方も食料難で困っていたのかもしれませんね。思い返すと色々なことが分かって来ます。

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ラーメンと雑談

  ラーメンは好きですが、ラーメン屋には偶にしか行きません。
 昼食には既製品のラーメンを食べることが多いですね。
 上に載せる具は焼き豚や若布、茹でたホウレン草やモヤシなどに刻み葱などですね。
 こんな日もあります。

         シンプルラーメン

 これは本当にシンプルラーメンです。老人はこれでも済みます。

 毎年8月に入りますと戦争の時の記録や生存者の体験などがテレビで放映されますね。
 今夜は「本土空襲全記録」と言うのを見ていました。
 米国空軍の記録を中心に構成されたものです。
 B25の爆撃の記録ですね。それにP51の記録も出て来ました。
 P51は戦闘機です。動くものは全て攻撃することと指令されていたのだそうです。

 私は自分が何故狙われたのか分かりました。米軍の方針だったのです。

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6歳の私

 80年前の私6歳です。 テレビで幼稚園で仲良しだった友人を見て懐かしさが募り、ネットで住所を探し、手紙を出しました。
 それは昨年のことです。そして今年になって妹の姑の葬儀に行った際、彼女に会うことが出来ました。
 何回か電話で話すうちに幼稚園最後の遊戯会の写真のことで盛り上がりました。とても興奮しました。
 
 我が家は両親が北京から引き揚げて来る時、写真は持っていては駄目だと言うことで、全部処分をして帰国。
 ですから赤ん坊の時の私 パスポートに貼られた妹の可愛い写真 私と手を繋いだ弟の写真など皆心の中にあります。
 手元に今ある子どもの時の写真は、親戚や知人などから頂いた僅かな物で、精々10枚位でしょうか。

 私が幼稚園と言っていたところは幼稚園ではなく安房保育園と言うのです。ネットで調べて分かりました。
 運営していたのは「三福寺」と言います。

 この保育園での「お八つ」の話は前に書きましたし、「泥んこ遊び」のことも載せました。
 私は京子ちゃんと覚えていたのですが、後に恭子さんだと分かりました。

 恭子ちゃんから写真が送られて来ました。お遊戯会で一緒に踊った三人の中の横山さんが持っていたのです。
 三福寺に私が写真のことを問い合わせましたが、古いことで分かりませんとお詫びの返事をいただいたので、見るのは諦めておりました。
 それを恭子ちゃんが横山さんと連絡を出来るように色々とご苦労なさって下さったのです。

         遊戯

 これはアリとキリギリスと言う劇中でのダンスです。蝶が音楽に合わせて踊ったのです。歌は千草や千草乱れ咲きて~~と。
 真ん中が私 左が恭子ちゃん 右が横山さん 横山さんは都内で働いていたそうですが、定年後実家に戻られたのだと分かりました。

         卒園

 三人は園児の最後部の左側に並んでいます。ダンスの時と同じです。
 三人の後ろの和服の若い先生は平柳先生と言い優しくて館山の目抜き通りの時計屋さんと結婚されました。
 お店の前を通る時に店内を覗き、先生と言葉を交わすと嬉しかったものです。

 恭子ちゃんとは電話で盛り上がります。元気なうちに時間をとり、ゆっくりと思い切り喋りたいものです。

 恭子ちゃんはX JAPANのYOSHIKIさんが高校生の時、練習の後に良くカレーなどを食べさせて上げていたのだそうです。
 そのことがテレビで紹介されたので私は恭子ちゃんに気が付いたのです。

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友人とのひと時

 昨日は女学校の同級生と霞ヶ関ビル35階の東海大学校友会館でのランチバイキングで食事をとりました。
 都心の昼は気温は37度を示していたようです。
 日向を歩くのは無理だと考え、新お茶の水駅で下車し、地上に出ましたら、何か不安を感じます。
 余りの熱気に眩暈がしそうです。
 タクシーを使い霞ヶ関ビルまで行きました。既に皆さんはお見えになってお喋りをしておりました。
 早速会場に入りました。部屋はビルの北西の角になり、久しぶりに皇居をまじかに見ることが出来ました。

             バイキング皇居

 予定では8人集まる筈でした。それが6人となりました。一人はご身内のことで、田舎に。
 もう一人は医師から駄目と言われて参加を諦めました。
 高齢になりますと、決めていたことでも時にはスームズに行かなくなることが良く起きます。

 ランチバイキングは1600円です。入り口で各自払い部屋に行きます。
 バイキングと言いましても食べることより、会うことが一番ですから、二皿位で皆さんお終いです。

    バイキング1  バイキング2

    バイキング3  バイキング4

    バイキング5  バイキング6

 ランチタイムが終わるとレストランの方に席を移し、そこで暫くお喋り。右下の写真の桃のシャーベットを頂きました。
 話しは女学校時代の事が多く出ました。今回は特に終戦まじかの事が話題なりました。
 皆苦労をしましたね。話は尽きませんが次回を約束し解散をしました。

 霞ヶ関周辺はソ連参戦の日だと言うことで、街宣車が次々現れて来ました。
 警備の警官が大勢出て外務省や議事堂方向に近づけないように、誘導しておりました。

 月曜日からパソコンの不調で、ブログのアップが出来ませんでした。
 
 助っ人さんに応援をお願いし、今日の20時に回復しました。良かったです。

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LINEは便利

 先週の金曜日 上の孫はロスに友人と二人で出掛けました。
 今はネットで全て用が足りる時代ですね。それに若いしサッサと手続きも済ませ、気に入ったホテルも決めて行きました。
 ロスから直ぐにアナハイムに行き、ディズニーランドに出掛けたようです。
 
 出発前、出来るだけ連絡を入れるようにと言って置きました。
 LINEで到着と知らせてきました。それから今日まで沢山の写真を送って呉れました。写真は取り込み保存し大きくして眺めております。
 写真を見ますととても楽しく過ごしているようです。
 送って来た写真の中の一枚 懐かしさもあり、ブログに載せて良いかしらと聞きましたら良いよとの返事がありましたので使いました。

         8月6日ディズニーランド

 アリスが孫に手を掛けています。アリスが孫より大きいですね。

 1999年10月 孫が五歳の時にディズニーランドに行きましたが、その時の写真があります。

            白雪姫と

 孫は白雪姫と並びご機嫌です。この日はアリスの洋服を着て行きました。
 ディズニーホテルはホテル中 ディズニーです。部屋の調度も、使う物も全部にキャラクターの模様が使われており、ランドに行くのもシャトルのカートで行けます。
 孫は大きく成ってから連れて行って欲しかったと言っておりましたが、今は自由に自分で行けますから存分に楽しんで来てほしいと思っております。
 現在ロスは2時半を回って3時に近くなっております。探して決めたホテルで熟睡していることでしょう。
 夕食はホテルで食べたよと知らせてきました。どんな料理だったか明日は聞いてみたいと思っております。

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焼餃子と娘たち

 偶に守谷のジャパンミートで買って来る餃子を焼きました。
 オクタン餃子という名の餃子です。
 冷凍ですが、一つ一つバラバラの物ですから、扱い易いのです。

     焼き餃子  焼き餃子生

 このお皿の餃子が一袋です。さっぱりのソーメンやうどんが続きますと、チョッとこう言う物が食べたくなります。
 何も作りたくない時には便利です。

 二女は嗅覚が凄くて、家に入ってくるなり、餃子を焼いたでしょとか、魚を食べたでしょとか言います。
 ぶっきらぼうで愛想がありませんが、とても役に立って呉れます。
 明日の朝はゴミを出しに来てくれます。
 高齢になるとゴミ出しが簡単には出来ません。

 上の娘は気軽に買い物に連れて行って呉れます。今日も昼間イトーヨーカ堂に連れて行って呉れました。
 車の運転はとても慎重です。これは二女もそうです。

 私がさっさと買い物に出かけられませんから、どちらかが一緒に行って呉れます。
 とても助かります。

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鯖話し

 鯵や鰯 そして鯖などの青魚は好きです。夫は鯵は普通には食べられますが、鰯は出来れば避けたい方です。
 鯖 これは駄目です。
 若い時に手術を受けて入院生活を経験しており、その時に出て来た鯖がトラウマになっているのでしょう。
 多分調理も余り上手ではなかったのではと思います。
 鯖の美味しさを知らないと言って良いような気がしています。ですが無理強いは良くありませんから、夫には出しません。

         金華鯖醤油干し

 これはアリオ柏のマルタカ鮮魚店で買って来た「金華鯖の醤油漬け」です。
 2枚で398円です。金華鯖にしては小ぶりですし、安すぎます。ですがあの店では不当表示をしているとは思えないのです。
 私の知る範囲ではきちんと表示がされていると思っております。

 一人で一尾は食べ切れません。半分食べて後は冷凍にし、一尾は二女の家で食べて貰いました。

 房総半島の先端の方に千倉と言う町があります。
 現在は南房総市の一部ですね。
 その千倉には港が幾つかあります。一番大きなのが千倉港です。
 千倉港からは秋になると秋刀魚船や鯖船が出漁します。
 鯖船は遠くには行かず、房総半島の沖に釣りに行きます。
 暗い夜 沖の漁火は鯖船の灯りです。何艘も並ぶとその漁火の輝きが綺麗なんです。

 昔は鯖を干して鯖節を作ったものです。今はどうでしょうか。鯖の削り節は蕎麦汁に使われますね。
 我が家でも自家製で作ったものです。

 千倉の鯖を何とか市場に売り出したいと言う千倉に住む県会議員がおりました。
 父と親しい、その議員は鯖の燻製を手掛けたのです。その鯖の燻製を当時の伊勢丹に売り込みたいと、父が私の所に連れて来ました。
 丁度青島羊会の仲間が地下の食品売り場の責任者だったのです。彼は丁寧に対応して下さいました。
 結果は無理だとなりました。
 詳しいことは覚えていませんが、他の燻製品と比べ価値が劣ると言うことだったと思います。

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手羽先の煮物

 手羽先の煮物に目覚めた私 今日も作りました。
 午後は何となくボルテージダウンになりますから、朝食後直ぐに煮たのです。

       手羽先煮物

 これは目下お気に入りです。
 安い・柔らかい・美味しい・骨からの身離れが良い・煮るのが簡単・夫の便秘にも役立つ。
 ま~なんと結構尽くめなんでしょうと、自賛しております。

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今日の一品とクラスメートのこと

 昼食は簡単なんですが、時々億劫になったり、面倒くさくて頭が回らず、時間が経って仕舞うことがあります。
 今日もチョッとその嫌いがありました。
 目ぼしい材料がありませんが、買いに行くのも気が乗りません。
 蒸し中華そばがありましたので、焼きそばです。

         モミ焼き海苔焼きそば

 木耳が戻してあったので使おうと思いましたら、痛み加減なので止め。
 キャベツ・人参・生姜を刻み、塩豚の残り物を仕上げに混ぜて盛り付け。
 上に揉み焼き海苔をたっぷり載せて食べました。
 この揉み焼き海苔がとても便利なんです。袋から出してそのまま使えるのです。
 伊豆の地物ですね。

 このところ今治と言う地名が有名になっていますね。色々と起きていますね。
 今治はタオルの産地です。
 大学のクラスメートに今治のタオルメーカーを継いでいた方がおりました。
 学生時代 私は特に彼と言葉を交わすこともなく、友人と言う程ではなかったのです。
 彼は卒業後今治に帰り家業を継いでいたのです。
 
 卒業後からクラス会の案内を送っていましたが、必ず返事を頂いておりました。
 クラス会には一度もお見えになりませんでしたが、ある時タオルを山ほど我が家に送って来たのです。
 そこで私はそれを飲み会の時に持って行き、出席者に渡しました。
 皆が何かお礼をして置いてと言うので当時流行りの和泉屋のクッキーを送って置きました。
 1982年 四国は石鎚山を染めた手ぬぐいと、ハンカチのセットを送って下さいました。
 
 その後 1985年の5月1日 忘れもしません。私の誕生日です。その日彼からの速達が届いたのです。
 中に手紙が入っています。「最近お便りがないので、心配しております」と言う内容ですね。
 そして返信用のはがきが同封されていたのです。
 直ぐに返事を送りました。
 それからしばらく経ちました。 そして私に彼の奥様からの手紙が届きました。
 「あなたからのはがきが夫の出棺の時に届きました」と言うことです。驚き即電話をしました。
 彼は5月8日 体調が悪いと自分で運転し病院に行ったそうです。
 院長の前に座ったらそこで突然倒れて亡くなったと言うのです。
 
 彼からクラス会の返事にはクラスの方のことを案じ、次回は教えて欲しいと必ず認めてありました。
 私は自分の周りの親しいクラスメートのこと等について彼に知らせておりました。

 奥様のお話しによりますと、彼は和泉屋のクッキーの缶をとても大切にしていたそうです、
 卒業後一度も上京なさらなかったそうです。
 どれ程昔が恋しかったことか。無口で地味な彼の心情は如何ばかりかと察したことでした。
 
 それから後思い出すに彼が知りたかった人がいたのだと言うことに気が付いたのです。切ないですね。

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塩豚と雑談

 塩豚を食べるので豚肉に塩を振り、冷蔵庫で1週間寝かせて置き、それを圧力鍋で茹でました。
 4日位でも出来ますが、今回はチョッと長かったですね。

             塩豚盛り付け

 とても美味しく、コーンビーフのような歯ごたえと風味がします。
 牛ではないのに、不思議な位コーンビーフに似ています。初めて買ったカナダ産の豚肉です。
 また作りたいです。軟らかく老人にも食べ易いです。

 今日の昼間、生田先生とお喋り。
 最近の明大のこと。人工頭脳のこと。偏差値の問題。
 政治の貧困。藤原の効果のこと。コンビニのこれから。生活のシンプル化と少しの貧乏のこと。
 何時ものように長い時間を喋り続けました。
 生田先生とお喋りをしていますと、時間が知らぬ間に過ぎています。
  食事は今日は和食です。ぜんざいも食べました。

    夢庵1  夢庵2

 昔話も沢山しました。学生相談室のことでは生田先生のグループには随分協力をして頂きました。
 知り合ってから50年の間。学生生活にも社会的にも大きな変化があり、過ぎて来た時代の中でどうあったか。
 今日は珍しく個人的なことでも話をしました。マイナスをどうプラスにしたか。個人の歴史。
 個々人の性格と仕事の関係。組織の中での力関係のバランスの問題。
 経験は大事にして行きたいものです。
 
 
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カレーライスと雑談

 この数年長女も忙しく、カレーを作っていないようです。作っていれば持って来て呉れる筈ですからね。
 それがないと言うことは以前のように大量には作らなくなっているのかも知れません。彼女はとても上手なんですね。
 
 先日胡瓜の佃煮を作りましたので、カレーライスが食べたくなりました。カレーライスかライスカレーかなんて言った話もありましたね。理屈は付けようですが、どちらにしても、ご飯とカレーの組み合わせですね。

         カレー

 自家製ではなく、レトルトのカレーです。
 色も焦げ茶色。久しぶりでしたので美味しく食べましたよ。
 自家製の福神漬け擬きは美味しいですよ。

 戦後の田舎の夏。少女の私は良く泳ぎに行きましたが、何か食べられる物が取れると嬉しかったものです。
 磯の物には色々あります。町には豚肉屋が一軒ありましたが、売られる量は知れていますから、お肉のカレーは滅多に食べられません。引揚者でお金もありませんでしたからね。
 そこで浅瀬の岩に付いているよく磯っ玉と言われる貝を使ったカレーやサザエのカレーを食べたものです。

 今のようにスープはありませんし、カレーはSBのカレー粉を使った黄色のカレーです。ご飯は所謂銀シャリではありません。
 銀シャリとは白米の混じりっ気のないご飯ですよ。
 家のご飯は麦飯だったり、何かが入っているご飯です。
 それでも美味しくて食べたものです。
 
 今 南房総市ではサザエのカレーを出すホテルもあります。でもそれと昔のサザエのカレーとは別物のような違いなんですよ。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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