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2019-09

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明治大学広報から

 明治大学広報 630号が届きました。この号前までの紙面は縦組みでしたが、今回から横組みに変わっております。以前と比べカラフルな紙面になりました。
 長く読んでいました縦組みから横組みに変わると読むのにチョッと時間が掛かります。
 今回の東関東大震災の影響で3月の卒業式、4月の入学式も挙行されなく、授業も5月2日から開講されるそうです。
 今回紙面で紹介されました、旧陸軍研究所の5号棟取り壊しの記事には感慨一入のものがあります。

     生田校舎お別れ  旧陸軍研究所5号棟

 1952年のある日 4年生になっておりました私は当時の鈴木理事から呼ばれ女子寮の役員数名と一緒に生田校舎に行きました。
 この敷地に夢の様な女子寮を建設して呉れると言う話でした。その時構内に目をやりますと、粗末な木造の建物や大きな二階建ての建物が何棟も目に入りました。
 前年からこの大きな建物は学生寮として使われており、また民家風の小さな建物には戦災で家を無くした教職員やその家族が住んでおりました。敷地の中にコンクリートで固めて大きな水ためのような物があり、その後偽札を作る時に使ったものだと聞きました。
 
 農学部はこの時此処で授業が始まっていたのかも知れません。2階建の学生寮の一階はだだっ広い食堂になっておりました。
 私たち一行はそこで、農学部製のヨーグルトをご馳走になりました。
 鈴木理事の話はその後全く聞こえて来なく、やがて鈴木理事は亡くなり、最後に聞いたのは鈴木理事の大風呂敷だったという話でした。
 
 1959年9月から生田校舎の学生相談室が木造の一棟で仕事を始めました。その頃大学は未だ整備が進まず、敷地内は樹木も少なく、雨が降りますと長靴を履き歩く姿も見られました。現在の敷地の中心から西は農学部の実験か実習でのものか分かりませんが、畑として花が植えられておりました。生田祭りに呼ばれてジンギスカン料理をご馳走になったりしたこともありましたが、学生も教職員ものんびりとしたものでした。
 
 この相談室が使った建物は旧陸軍研究所時代の酒保(軍隊の中で酒やたばこなど、また日用品などを売る場所)だったと聞きました。建物は湿気が強く、常に湿った空気が漂い陰気な部屋でした。水道は引かれておりましたが、暖房は石油ストーブで温めておりました。建物の北側では牛が飼われており、家畜の匂いが部屋に入って来ており、ものは言いようで牧歌的と言って皆で笑ったものです。
 この初期の頃 時々相談室の会議や、打ち合わせで生田へ出かけ、その酷い場所で勤務する方に同情しておりました。
 1987年から私はこの部屋で仕事をすることになりました。良く見ますと建物の柱が土台から浮いている物もあります。相談員の加藤隆先生は建築科の先生でしたので、私の話を聞きますと直ぐに校舎の管理者に「事故が起きたら貴方の責任ですよ」と進言し、相談室は確りとした建物へと移動しました。

 今回取り壊しの決まった建物も板壁ですが、相談室として使われた建物も外観は殆んど同じような作りでした。
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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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