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2019-10

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兵営で食す

 1942年(小学校5年生)の夏休み その夏休みに偶然両親の知り合いの軍人と一緒に山東省の坊子と言う町に行くことになりました。坊子は先ほどサッカーの選手が活躍した済南と青島の間にある街です。
 軍人は3名 一人は松本軍曹(炊事の班長)一人は小路軍曹(酒保の班長)もう一人は大谷曹長(会計担当)
 坊子に駐屯していた部隊は高知県の部隊でした。
 青島の駅を3人と一緒に出発しました。時間は昼過ぎだったと思います。小路さんは射撃の名手とかで、拳銃を私に見せながら「あい子ちゃん心配は要らないよ」と言います。
 列車から眺める風景は荒涼たる風景のように感じられました。収穫前の高粱畑が何処で果てるのかが分からない広がりを見せております。遠くに数本のポプラが見えます。
 ポプラは列車が走っても走っても遠くにその姿を見せております。かなり走りようやく視界からポプラが消えて、夕暮れが迫って来ました。やがて坊子に到着
 その晩は兵営に泊まることになりました。勿論最初からの予定です。未だに分からないのは、両親が何故私を軍の兵営に行かせたかと言うことです。

 先日料理本の棚を見まわしておりましたら、「軍隊調理法」復刻版を見つけました。そうだこれは目を通して置かなければと居間に持って来ました。

          軍隊調理法

 この本を買った動機は両親の北京からの引き揚げ時の話しからです。引き揚げ者は中国軍によって集結され、両親は塘沽と言う港の倉庫のようなところで引き揚げ船に乗り込むまで留まりました。お金がありませんから何とか食いつなぐ方法を考えなければなりません。そこで共同で炊き出しをしたと言うのです。
 大きな平釜でご飯を炊く時、火の落とし方など母が仕切ったと言うのです。そこでこの本に中に平釜でのご飯の炊き方が出ているのではと思ったのです。実際は出ておりませんでした。

 話は坊子に戻し、その日の夕食の調理場の風景は今も忘れ難いものです。母が炊いたであろう様な平釜が何台も据えられております。
 平釜の鍋の一つには油が入っております。油の鍋の横に大きな網が滑車に掛けられた縄につなげられております。先ず網にパン粉をまぶした材料が沢山並べられ、静かに滑車が回り、網は油の鍋に入って行きます。
 やがて揚げ物は出来上がりました。
 傍で大きなバケツに長芋を摺りおろしております。今風の言葉で言えばミントミンサーでしょうか。その大型ので摺りおろしているのです。バケツにある程度溜まりますと、その中に卵を沢山割りいれ、それから兵隊が腕まくりをしてその腕でかき回します。(以来私は長年長芋を食べることが出来ませんでした)
 夕食の時間になったのでしょう。次々に当番兵がアルミ缶のような箱を提げて入って来ます「○○班○○二等兵飯上げに来ました」と大声を上げます。そしてシャベルのような杓文字でご飯を入れて貰い、おずを受け取り出て行きます。
 それからです。調理係の兵隊は私を連れて来た3人と私の為の食事作りを始めました。丁寧に長芋も手で摺りおろします。他の総菜もいろいろと並べられております。先に作った将校の物より上等です。
 軍隊の中で一番美味しい上等な物を食べていたのは、こういう立場の下士官だったかもしれませんね。
 私は気が付きました。子どながら彼らは賄賂を取っているな―と言うことです。
 坊子から青島に3人で物資の買い付けに来るのです。品物の量は大量で、貨車何台にもなると言う話を小耳に挟んでおりましたから、兵営での食事、そして3人の食卓を見てそう思ったのです。そのことは今も確信を持っております。
 昨日は軍隊調理法からいろいろなことを思い出しました。
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COMMENT

こんばんわ。
初めてコメントをさせて頂きます。 宜しくお願いします。

『軍隊調理法』面白そうですね。
陸軍の軍食なのでしょうか? 興味あります。

大量の食事を作るのは、なんだか工場での“生産”みたいで、
食欲をそがれてしまいますよね。
長芋が食せなくなるお気持ちがよく解ります。

“役得” いつの世も変わらないのでしょね。 

立派な本です

いその爺さん    ようこそ この本は改めて読み始めましたら、実に内容が充実しております。日本の陸軍のものですが、食の基本が細かく示されております。
素人が初めて調理をすることも考えているのでしょう。衛生管理なども記されており役に立ちます。
応用も出来ますし、大量で作る場合、また一人分の単位なども分かります。
1982年 講壇社発行 1200円 

これは本当に貴重な体験ですね。
不安はなかったのですか?
一般の人たちには想像もできない体験をいくつもなさって、それで今の「怖いもの知らず」の(ごめんなさい)持永さんができあがったのでしょうね。
もっとこのような話がききたいです。

「飯上げ」かぁ。懐かしい言葉です。昭和20年6月、青島中学2年2組の約40人が陸軍の通信隊に入隊しました。交代でやりましたよ「飯上げ当番」を。
厨房に取りに行って内務班に帰り、全員に行き渡るように分けてテーブルに並べる。
ある日、夕食を並べ終った時に集合ラッパが鳴った。匪賊討伐から帰ってきた友軍を並んで迎えるんです。
帰ってきたら、食事にはハエが一杯たかっていた。構わず食べました。すると翌朝からトイレ通い。アメーバ赤痢でした。水のような血便の連続。それでも体力はあったので、軍務には服していました。
やがて8月15日がきて帰宅でき、特効薬で治せました。そんなことも、60年も経つと懐かしくて笑っちゃいます。

ああ塘沽!

日本への引き揚げ船が出ていた天津・塘沽。私が駐在したご縁浅からぬ場所です。渡辺はま子さんもここから船に乗ったとか…

自然に生きて来ました

ofuji さん   怖いもの知らずではありませんよ。怖いものは沢山あります。ですがこのようなことは時代の中で生きた人間しか経験でないことですね。

内務班経験者ですか

直大さん  それこそ貴重な体験ですね。アメーバ赤痢って当時流行っていたのですか。コレラは毎年流行りましたね。
匪賊って言えば、夜中郊外で撃ち合いがあると、銃声が聞こえましてね。何だか怖かったです。いろいろ思い出します。

印象深い感じ

はぢめさん  お久しぶりです。天津は昔は租界があり、モダンな所だったようですね。確か南海大学は周恩来の出身校だったような気がします。塘沽の集結所では仰る通り、渡辺はま子さんが日本人を励ますために歌を歌って下さったそうです。両親は感謝しておりました。

この本、興味しんしんです!

大量に調理するときには、家庭と違い
煮詰めなど思うようにならないことが多いのです。
きっと様々なノウハウがあるのでしょうね。

お薦めします

ちゅんごさん    もしお求め出来すようでしたらお薦めの一冊です。食に携わる方にはとても参考になるものではないかと思います。山本七平氏や伊藤桂一氏なども高い評価をしております。

子供の目

こんばんは。
長芋のお話、ちょっと胸が詰まるような感覚を覚えました。
今はもう大丈夫でしょうか?!

子供の目は鋭いですね。
子供時代は表現力が充分でないことが多いので、見たこと感じたことを伝えることが出来ませんが、大人の世界の矛盾を感じながら。。。と云う面がかなり有ったことを思い出します。

沢山見ました

yokoblueplanetさん    長芋は大丈夫です。
日本の小学校から青島に転校し、カルチャーショックを受け、更に帰国してまた違ったカルチャーショックを受けました。
引き揚げ者としての日本の中での差別。
日本人と中国人との差別。不正も沢山見ました。書けば切りなくあります。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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