2017-10

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青島の冬

 2007年12月 夫と久し振りに中国青島に出掛けました。1939年の秋から僅かな時期ですが住んだ家は青島の信号山と呼ばれる小高い場所の中腹にありました。足場が組まれていて丁度修復最中でした。家はその後再訪した時には周囲を淡いピンク色で纏まられていました。イメージがすっかり変わってしまいました。

          信号山の家

 この家はドイツ人が建てた家ですから、内部は如何にもそれらしく、樫色の板が使われており、木造家屋と違っていました。窓は二重窓 観音開きです。暖房は半地下のような地下室のボイラーで焚かれるようになっておりました。ですが費用の面か、手がなかったのか、スチームを使ったと言う記憶はありません。
 修復された後に行きましたが、住人に会うことは出来ませんでした。
 青島の冬は沿岸都市とは言え、寒さは厳しいものでした。冬になりますと歩道の土は凍り運動靴ではなく皮靴にして学校に行きました。
 その頃流行った帽子は毛糸で編まれ、マフラーと続いた物です。耳には兎の毛でしょうか、毛の輪を掛けて出掛けます。学校はスチームで暖められておりました。学校の隅に石炭ガラの山があったのですが、その位置はどうしても思い出せません。
 1年に何回かは雪が降ります。雪が降った後は大体晴れとなりますね。小学校では生徒全員でウサギ狩りに出動します。小さな山ですが生徒全員は手と手を繋ぎ山を囲みます。合図で一斉に声を上げて勢子となり、山の頂上を目指して登ります。手を離してはいけません。これはもう楽しくてと言いますか、忘れられない思い出です。

 この信号山の家から父の勤める社宅に引っ越しました。この社宅は縦長に4軒続いている長屋です。日本人向きに畳の部屋もあり、また家族で住むには充分でしたから、お手伝いもいましたし、ま~ま~の生活でした。
 ただ窓が二重窓ではなかたのです。建設した会社は日本人の会社ですから、ドイツ風の窓のようなことを考えていなかったのかも知れません。
 暖房はスチームではなく、石炭ストーブでした。冬は夜も消えないようにし、部屋を暖かくして過ごしておりました。この家でのことは語りたいことが沢山ありますが、冬になりますと必ず思いだすのは窓に張り付いている薄い氷です。氷と言うには塊ですが、これは結晶と言って良いのでしょうね。
 窓ガラス一枚一枚にピッタリと張り付いた模様です。とても綺麗で何時か何処かで見たいと思っております。
 PCで検索しますと数多く美しく張り付いた結晶が見られます。子ども心に焼き付いた幻想的なあの窓。
 触って見たいのです。

         凍てつきて

 寒く厳しかった青島の冬ですが、ウサギ狩りも楽しかったし、第一公園(現在の中山公園)の池でのスケートなど思い出は沢山あります。

 (上の写真は今の我が家から眺めた雪の朝の風景です)
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COMMENT

青島的冬景色

あい子さん
なかなか旅情的な冬景色ですね。
青島は2度訪れましたが、夏と秋でした。
従い、冬の青島はそれほど寒いとは知りませんでした。
その後、温暖化が進んだ今も寒いのでしょうか?
小生もその内に冬の中国北部を訪れたいと思っています。

変化があるかも

高さん  ようこそ  子ども頃の青島の冬は可なり寒く、乾燥も強かったと思います。
今は物凄い人口増で街も大きくなっていますから、違っているかも知れません。
旅情的とは有難いお言葉。景色はビレジの我が家から見た風景です。

私の生まれるずっと前の暖かそうな子供の頃の
相子さんの部屋を想像してしまいました。

私は幾何学模様の雪の結晶を間近で見たことないのですが、
北海道の北見辺りでは普通の光景のようですね!

今朝の、そちらは冷え込んだようですね!ご自愛くださいませ。

窓の結晶は見たいです

ちゅんごさん    今晩は!  寒いですね。昨日は沖縄を除き全国で氷点下になったそうですね。
社宅だった場所は今は立派なマンションが建っています。窓の結晶はとても幻想的な思い出です。
この最初に住んだ家の山には軍の施設が頂上にあり、一般の人は進入禁止のところで、坂の入口には有刺鉄線が張られておりました。景色も良く、青島の一等地でした。野ウサギも家の傍まで出て来るような環境でした。

青島の冬

青島では黄台路の上の方に住んでいましたので裏の道路一つ越した上には貯水山(元日本名若鶴山-青島神社の裏山に当たる)冬になりますと第三小学校ではリクレーションとしてその山でウサギ狩りを毎年実施していました。麓から山の頂上に向けて大きな掛け声をあげて元気に駆け上がったものでした。結構ウサギがいたのを覚えています。何匹か収穫かありましたね。冬の寒い時期でしたので山肌には雪が疎らに積もっていたりして・・・・・今考えると誠に元気な時代でした。また小学生の頃よく女学校裏のスケートリンクに滑りに行ったことを覚えています。黄台路の住んでいた家はまだ健在で中国人が住んでいるようです。窓は二重窓になっていました。

確りとした家

桜島さん  お早うございます。若鶴山には兎が沢山いたのですね。雪の後ですと灌木に雪が積もっていますよね。何だか海軍陸戦隊に毛は寄付するって聞いていましたが、あれは単なる噂だったのだと思います。
お宅は領事館の官舎だったのでしょうか。今も人が住んでいるとは良い住宅だったのですね。

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青島

青島の家は領事館の官舎ではなく普通の家でしたが基礎は石造りで上部は煉瓦でしたが外部はセメント塗?ではなかったかと思います。部屋は洋間だったのを日本間作りに変えたような間取りでした。下隣は本原君の家(善導寺)また上一軒置いて徳満君の家でした。近所には蜂谷君、ずっと坂を下ったところに福田君、女性の村中(旧姓森沢)さん達がすんでいました。兎に角同級生が1小、2小、3小を含め多くいた所でした。

厳しかったですね

鍵コメさん   それは大変でしたね。違いがあったのかも知れませんね。

懐かしい名前

桜島さん  そうなんですか。いや~懐かしい名前が沢山出て来ましたので、それぞれのことを思い出しております。
本原さんの家は幼稚園になっているようですね。

本原君の家跡

そうです。本堂は壊され幼稚園の建物が出来、住居あとは中が改装され幼稚園事務所になっていました。(平成5年青島訪問時)

分かりました

桜島さん  詳しいことお知らせ下さり、有難うございました。

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Author:相子
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相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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