2017-08

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薪採り

 1943年から44年に掛けての冬 小学校の6年生の私は受験を前にして準備を進めておりました。
 日本の生活にも慣れて部落の子ども仲間と遊びもし、何かと行動も一緒にしておりました。
 その頃 朝学校に行く時は部落の子どもを幾つかに分けて登校班を組み、先頭の子どもが旗を持ち、学校まで並んで行きました。
 登校班で集まりますと、今日は何をしようかと話が出ます。夏は萱刈りに出掛けたこともあります。これは軍馬の飼料として干して供出するのです。冬は日曜日の薪採りが決められました。知らなかったでは済みません。
 私は鎌もろくすぽ上手に扱えませんが、一所懸命になって薪採りに参加しました。
 我が家は薪は特に必要ではありませんでしたが、部落の子どもから仲間はずれにならない為にという理由です。
 その薪採りは薪拾いとは違うのです。下を向いて落ちている枯れ枝や、枯れ木を見つけて拾うのと違い、木を眺めてその木に枯れた枝があれば、竹竿の先に鎌を着けた道具で落とすのです。木の枝に何とか鎌を掛けて力を入れて「えいや~」とばかりに棹を引っ張ります。
 集めた枯れ枝を束にして、蔓で纏めて縛ります。ですから蔓も先に探して用意しなければなりません。
 私は経験がありませんから、他の子どもと比べて束が小さいのです。
 束ねた薪を背負い子という背負う板にバランス良く重ね並べて縄で括りつけます。
 私はこの背負い子もありませんから、先ずこれを近所の家に行き子ども用のを借りて来ます。
 着るものですが、リュックのように背中に背負うわけですから、ちゃんちゃんこを一番上に着ます。これは誰かのお古を貰いました。
 日曜日や冬休みの一日 薪採りに出掛けます。千葉県は周囲が海に囲まれており、沿岸部の街は大抵細長く、白浜町(現在南房総市)も東西に長~い町です。
 薪採りは北側に続く山に入って行きます。大した高さはありませんが、峠を越えますと温暖な房総でも寒さが厳しく、気温も低くなっています。
 山道を歩き奥へと進み、この辺で探そうとなりますと、背負い子を道端の崖端に立て掛けます。道端の崖には小さな氷柱が下がっております。青島では昆虫採集や、植物採集 また天体観察などへの興味が強かったので、珍しくてなりません。眺めていますと「早う来ね~ば、おいねえやでよ」とせかされます。
 薪が集まりますと、背負い子に括りつけ、また山の中に入って上を眺めて枯れ枝を探します。

 道の方から声が聞こえて来ます。「おいや~このちゃっけいのよ。どうちんの子んのかよ~。まんで赤ん坊のようだでよ」(おれ この小さいのはね。どこの家の子のかしら。まるで赤ん坊のようだね)
 道を数人の小母さん達が大きな薪の束を3束ほど括りつけて、道を通ります。逞しいですよ。
 その声をきくと私はもう威勢が無くなってしまいます。(それって私のでしょ)となります。

 背負い子はあの町では背負板(しょいた)と言っておりました。

 そんな子供のころでの経験も決して無駄ではないようです。当時の生活事情や戦争の影響も覚えているのです。

  南亭さんの如月の俳句を拝見し、突然霜柱や氷柱を思い出したのです。

          薪採り

 氷柱って触ると肌がごつごつしているのですね。もう何十年も見たことがありません。あの山の中で見た可愛い氷柱。今も見ることができるのでしようか。今は車で山の中の部落に行くのでしょうね。氷柱も関心を持たれないかも知れませんね。
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COMMENT

相子さんの記憶力は凄いですね。
読んでいたら光景が浮かんで来るようです。

私はキャンプで焚き火用の薪拾いしたことぐらいの経験しかありません。

子どもだから

ちゅんごさん  多分それは子どもの頃のことだと言う事 また中国へ行った時と帰国した時と二度のカルチャーショックを経験したので更に覚えていることが鮮明なのだと思います。
今や頭が老化し朝のことも忘れて仕舞います。

薪採り

終戦後引揚げて郷里に帰国して来た頃は部屋の暖炉は囲炉裏、煮炊きは今と違って総べて薪に頼っていた時代でした。山が近くでしたので担子をかついで薪になる小枝や枯れた木など集め背負って持ち帰ってきたものです。二宮金次郎が薪を背負っている姿を思い出してください。そっくりです。日中に2度~3度通った事もあり子供としては可なりの重労働でした。あい子さんもよく頑張りましたね。今ではそんな人全くみかけません。

激変でした

桜島さん   お早うございます。あなたもそうでしたか。青島の生活と全く違い、こうした生活は予想もしておりませんでしたね。
でもそれで強くなったのかも知れません。

こんばんは。

こちらにコメントさせてください。
子供のころに、やむなく何か所も暮らし場所を変えた私には、共感しきりのお話しです。
いちばん強く感じたのは、言語の違いですね。私は関西から北陸に移ったときは、異国にきたように言葉で疎外感を味わいました。でも関西、北陸、名古屋、東京、千葉、そして義父母が博多育ちとあって、方言の良さを身をもって味わうことができたのは、中央優位の文化、政治に疑問を抱かせるいいきっかけになったと、感謝しています。
この、薪採りに限らず相子さんのお話しには、日本人としてのアイデンティティを問う深い思いが込められています。
ですから、私は相子さんのブログには安易なコメントを控えるよう、肝に銘じていますし、なにせ浅慮な人間です。
3日も4日も考えなければ、感想を述べられないのがもどかしいです。
いつも温かい言葉をいただき、申し訳なく思っているのですが、皆さまのように見事なコメントが出来ないものですから、済まないことです。

飛んでもございません

NANTEI さん  このようなお言葉に恐縮致します。
住むところが変ると何かしら一緒に付いて来るような感じで、それは無駄にしてはならないような気はしております。
私も青島で関西弁、千葉では房州弁と経験しました。
前々からNANTEIさんの自由に使われている方言を不思議に思っておりました。今回のコメントで多様な文化を身につけていられるのだと分かりました。
私はアイデンティティと言う筋の通った深い人間性を確立してはおりません。軽薄とは思っておりませんが、もっと確りとした人間になりたいと思っております。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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