2017-04

« 123456789101112131415161718192021222324252627282930»
entry_header

三島由紀夫の軍服

 昨日長いこと無沙汰に過ごしていた西部博之さんから電話を頂いた。
 明治大学の同期の一人です。彼は4組 私は5組 4組と5組は交流を盛んにしておりました。
 10年ほど前までは毎月の飲み会も一緒に集まっていたものです。
 若い頃 5組は毎年一回 クラス会をしておりましたが、50歳頃になりますと月一回というように変って来ました。30代の頃 集まって話す内容はそれぞれが会社を背負って立っているような勢い。やがて話題の中に子どもことなどが入って来ました。歳を重ねている内に自分の健康問題に関心が移り、数値の自慢ゴッコ。
 飲み会は今は全く開かれておりません。

 西部さんの電話は久し振りでした。以前鼻煙壺の蒐集家が彼の知人だと分かり、そのことで話して以来でした。
 同級生の多くが病を得ております。先ず昨日も今の健康状態がかくかく斯様なことでと始まりました。5年も前から杖を使っているそうです。用件は幾つかありましたが、私に分かることは説明をしました。

 ブログの話になり、私が「相子老婆~」の中で同期のことを紹介していると伝えますと、彼は自分の名前で検索して見てと言います。早速検索しました。

 バナナ・ヒロシの「はーい!バナナです」というブログに彼の名前が出ていました。内容は彼の関わった部分だけ転載しましょう。

軍服制作
楯の会の制服を製作したのは西武デパート。当時の社長、堤清二に三島は相談を持ちかけた。三島は堤に、日本の自衛隊は外見的にも格好が悪い。楯の会になにかいい制服はないかと頼み、堤は個人的な関係でそれを引き受けた。堤は、文学作品と同じ三島美学の運動のひとつとして楯の会を理解していた。

そして西武百貨店の子会社である『エフ』ファッション連合の西部博之が担当になった。最初の注文は25着。デザインはフランスのテッド・ラビドスの店でドゴールの制服を作ったことのある五十嵐九十九(つくも)。三島は細かい注文を出した。

「まず襟のかっこう、帽子のカーブの具合から線の引き締め方まで三面鏡に写してみて、こうしたらいいかとか、いやこれはまずいということを何回もやってごらんになる。グリーンのフェルトを襟や袖当てにつけるのも、鏡の前で取ってみたり、外してみたりたいへんでした。最初は冬服をつくったのですが、この布地を決めるのにも人騒動。たくさんのサンプルを布地のなかからひとつを選ぶと、『このカーキ色で、この布地を、どんなことをしてでも揃えてくれ』とおっしゃる。ところがこのカーキ色自体が大量生産をしていないので品薄で、とても同一の色のものを、そんなにはやく集めることはできない。そこでその旨を申し上げると、『あらゆる努力をしてくれ』、しかも一ヶ月で作ってほしいとおっしゃる。ですからそれこそ全国手配の切りきり麻衣。帽子の紋章はどこかの文献らしきものからお採りになって、メモ用紙に自らデザインし、『この色はいぶせ』と配色まで指定されました」(西部博之)

結局自決にいたるまで、『楯の会』に費やした三島の金額は800万円以上にのぼるという。まだサラリーマンの一ヶ月の給料が10万円にも満たない時代のことである。
刀剣の所持の規則に抵触しないように、剣の長さを短くして、結局ペーパー・ナイフのようなものになり、それだけが不服だった。

三島は「楯の会」の制服をたいへん気に入っていた。三島の舞台作品の常連役者である中村伸郎が、みせてよ、というと劇団にその制服を着用してきた。中村は「まるで七五三の服みたいだ」といったら三島は怒ったという。』

 2008年11月25日私は防衛庁の前をバスで通りました。11月25日は1970年の三島由紀夫の自決した日です。

         防衛庁前

 戦後の中で私にとって大きなショックを受けた事件です。

 ところで西部さんのことですが、彼が就職したのは西武デパートでした。取締役になり、西友富山の支店長になり、その後本社に戻りエフという会社に移っていたのです。若い頃は時々会う事もありましたが、三島の軍服の話は全く聞いておりませんでした。因みに彼は学生時代堤さん宅に下宿をしていたと聞いております。
entry_header

COMMENT

三島由紀夫ですか、文学と自分の生き方を重ねてしまったのかな-てのが素直な気持ちですね
でも今も生きていたら彼は今の日本をどう思うかと聞いてみたくなりますよ、尖閣・竹島問題をはじめ北海道
4島まで侵略されて、中国大使館の土地は国が率先して条件も付けづに中国に売却するし 民主党は赤く染まって中国の手先になったかと思いますよ、次に琉球・沖縄が狙われる事が判っているのにな~

分かりませんが

EGUTI YOUSUKE さん  もっと過激に国に迫っていたかも知れませんね。
性格についてははいろいろな評価や分析がされているようですが、私には難解です。
なかなかのスタイリストだと言う事はこの一文でも分かりました。

三島由紀夫が自決したときの軍服は今でもはっきりと思いだせます。確かにかっこよかったですね。このような話は知っている人は少なくて、知りたい人はたくさんいるのでしょうね
いつもに増して一生懸命読んでしまいました。

事件は衝撃でした

ofuji さん   もうあれから40年以上が経ちました。ニュースで知った時の衝撃が忘れられません。
制服を一体どこで作ったのだろうと思っていました。
このような経緯で作られたとは思いもよりませんでした。

盾の会

こんばんは。
東京駅で盾の会のメンバーを見かけたことがあります:眼を見開くような衝撃的な遭遇でした。
後に三島由紀夫さんの自決に繋がる流れだったと判ることでしたが、その日のメンバーの方々のキリッとした佇まいは今でも思い出します。皆さん、どんな用事で正装のお出かけだったのかは???ですが、カーキ色のお揃いの制服姿はとてもスタイリッシュで素敵でした。

検索して驚きました

yokoblueplanetさん  お早うございます。
まさかクラスメートが関わったとは。盾の会は統制が取れていたのでしょうね。
あの事件が起きた時、私は何かが大きく変って行くのではないかと、戦慄が走りました。

Please write a comment!


 管理者にだけ表示を許可する

entry_header

TRACKBACK URL

http://aikoqipao.blog47.fc2.com/tb.php/1481-894982a1

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog