2017-08

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 私が本当に小さな頃 所謂幼児の頃  記憶にある麦飯 母方の家に行きますと、大きなお櫃に麦飯が入っていました。口にしたことはありませんが、麦飯って何だか不味そうだな~と言う感覚で眺めていたように思います。
 戦後 1946年の春先 両親が中国から引き揚げて来ました。
 父方の家は少し広く私と直ぐ下の妹は先に帰国しそこで面倒を見て貰っていましたから、自然の成り行きで祖父の家に皆で住むことになりました。
 多くの人の記憶にある戦後の食糧不足、当然我が家にもそれは襲って来ました。
 やっと手に入れた米に麦を入れて炊くことは贅沢な部類。僅かな米に一緒に炊きこめるものは何でも入れて炊き、家族で出来るだけ公平によそい食べると言う生活が続きました。
 戦後の食糧事情の酷さはそれはそれは酷くて惨めなもでした。特に非農家の我が家のような家、それも突然家族が増えた家は思い出しましても、辛い時期を過ごしたのです。お腹を空かせているのは当り前。麦ごはんでも2膳食べられれば嬉しかったものです。
 
EGUTI YOUSUKEさんのブログ
で拝見し、途端に食べる麦のことよりも勤労奉仕に行き、農家で麦刈をしたことを思い出しました。

        信州の麦秋

 女学校に入学しますと、春・秋の農繁期に勤労奉仕という時期がありました。春は田植えや麦刈など、秋は稲刈りと、今の中学1年生、2年生ですね。農家に手伝いに行きます。
 麦刈は乾いている畑ですから、仕度は運動靴や藁草履を履いて作業をします。小麦はある程度まとまって植わっておりますが、大麦は列なして植わっております。
 麦を刈る時、私は右利きですから、麦の前に立ち、右から刈り出します。大麦の穂は尖っていますから、刺さると痛いのです。特に目に気をつけて刈ります。
 左手で大麦の列の右端に手のひらを親指を下にして当てます。そして右手に持った鎌を左へと真横にして刈り出します。倒して行く様な刈り方です。
 刈り終わった麦を集めて脱穀機の傍に運びます。その脱穀機は農家の人が、ぐ~んぐ~んと音を出しながら足踏み続けております。
 私は農家の人に麦を少しづつ渡しながら、脱穀機の足踏み台に足を置き、一所懸命に踏みます。そうしますとね。農家の人は足踏みを止めて、手で麦を脱穀機に当てて穂を落とすだけなんです。
 これってとても悔しい思いですよ。若いし何でもやりたがり屋の私。私も穂を落として見たいとお腹の中に悔しさを溜めて、一所懸命に足踏みを上に上げたり下に降ろしたりとやりましたね。
 ですから結構この時代の経験は貴重なことだと思うのです。そうでもなければ割が合いませんよね。
 私より前の人、そして戦後入学した人 そう言う方はこのような経験はない筈でしょう。
 戦中や戦後直ぐの生活は人生の中で無駄ではない事と思いながら時々考えています。
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COMMENT

麦の収穫は仕事が終っても、首筋から袖から穂先や葉っぱの針のような棘が体中の入り込んで、ずっとかゆくて痛くて、、、
日本の百姓は、こんな辛い仕事を何百年も続けてきたんだなぁと、呪ったり感心したりしました。当たり前のこととしてやっていましたからね。
そういう経験をさせてもらったのは、今から思えば有難いことだったのかもしれません。
社会に出てからは残業に次ぐ残業で、月給はどんどん上がって、、、経済復興、発展の時代は、夢中で働いていましたね。それで結婚したし、家も建てた。今の若者たちよりも、幸せだったのかなぁ。

良く働きましたね

直大さん  今日は
青島の生活と全く違いましたからね。その中で虐めも経験し、何とか頑張って来ました。
麦は麦踏も、麦刈もし、食べもしました。敗戦が齎したものですね。
戦後から復興への道すじも大変でしたが、充実感はありました。
そう言った面で今は全世代がいろいろと苦労をしますね。

食料が無いって事は大変な事ですよね
麦の取り入れは本当に痒くて・痛くてや-でしたよ
でも当時はなんでも作ってましたよ。

地粉で作る うどん・おやき・うすやきみんな美味しかったですよ、ただ漂白してないので黒っぽい粉でしたね

小学校の時に授業で麦は足で踏むと強くなるというのを教えてもらい、近所の麦畑で踏んだら怒られた記憶があります。 (笑
昔は麦畑がたくさんあったのは覚えてますが、麦飯を食べた記憶はありません。  やっぱり、パンにしていたのでしょうか?   

食は大事です

EGUTI YOUSUKE さん   今晩は
昔は日本の農漁村でも小麦や大麦などの作物を作っていましたね。小麦を製粉しその地粉でうどんやすいとん等で食べていましたよ。製粉機の所為か、今のような綺麗な小麦粉ではありませんでした。
大麦の潰したのは真中に筋があり、目に浮かびます。今は健康食ですかね。

それはそれは

ゴルッテリア さん  ようこそ
麦踏は未だ延びない大麦を抵抗力を付けるためか足を順に動かしながら踏みます。
パンは小麦粉で作りますから、ご近所のは小麦かも知れませんね。

本当に貴重な体験です!
食糧難時代の農家の上目線がひしひしと伝わってきます。

私にとって麦は押し麦をほんの少しだけ入れた麦ご飯のイメージです。
今でも時折炊きますが、健康志向の豊かな時代の戯事にすぎませんね。

辛さも苦しさも許せるのです

ちゅんごさん   今日は
言うなれば中国で贅沢な生活をしていましたから、父はショックで一時放心状態になりました。
でも母が頑張って食料も確保し、土地を借りて開墾し、甘藷やジャガ芋など植えて凌ぎました。
農家の方でも酷い人もおりましてね。チョッと藁束の蔭で休んでいますと、此方に向けて藁束をぶつけるのですよ。働けと言う事ですね。
考えて見ますと時代ですね。皆が辛く苦しかったのです。

大変な時代

こんばんは。
大変な時代だったのですね。
今の時代が別の意味でそんな時代の精神模様に似て来ているような感じがして、具合が良くありません。
戦争でなくても,核の問題で同じような状況になりかねませんが、目先しか見ない人間の愚かさで愚挙を繰り返すのは極力避けたいです。

命が大切

yokoblueplanetさん   そうですね。
戦中戦後のことを思いますと、命が如何に大事かを思い知っております。
命より大事なものはありません。茶番劇のような政界を見て先はどうなるかと案じて仕舞います。
http://aikoqipao.blog47.fc2.com/blog-entry-1308.html
このことが起きないことを願っています。

画像の件

相子様
ブログ、拝見させていただきました。
僕は当時の「満洲」が日本人、中国人、朝鮮人、ロシア人といったその地に生きた人々にとってどういう土地だったのか、「満洲国」とはどのような国だったのかを研究する会をやっておりまして、当ブログの写真はその会合の際会員が作成した手製の新五色旗です。
宜しければ、是非とも画像を使用していただきたいです。お話等も聞けると嬉しいです。
                残留農薬拝

追伸:勝手ながら、当ブログにリンクを貼らせていただきました。

感謝致します

残留農薬さん  ようこそ
有難うございます。この五族協和の旗の動きのある画像を探しておりました。
使わせて頂きます。
リンクして頂き若い方が私のような老人のブログを見て頂けるのは有難く思います。

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Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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