2017-08

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紫陽花の君

 1944年(昭和19年)4月 私は千葉県立安房高等女学校に入学しました。
 良妻賢母が女性の生きる道のような教えが普通の時代です。中国青島で自由な学校生活を経験した私にとっては厳しい日々が待っていました。
 入学前から町の上級生が流した情報で、私は入学後から上級生の虐めに会う破目になりました。
 理由は見当も付きませんが「生意気」とことあるごとにその言葉が耳に聞こえて来ます。
 多分帰国した時からその兆候はあったと思うのです。
 先ず着ている物が違う。靴を履いている。言葉使いが駄目。親がいない。支那人に近い。
 子どもは堪りませんよ。でもそのような虐めに私はへこたれませんでした。そしてそれが上級生に伝わっていたのかも知れません。教師も何故か私に意地悪な言葉を吐きます。おかしな時代ですね

 それでも同級生は誰もかれも親切です。そして今も連絡し合いお互いの身を案じあっております。

 女学校の生活は忙しいんです。校舎の掃除も確りとします。小学校と違い科目によっては教室が変ります。
 昨年NHK千葉放送で話をしました時「お割烹」という授業があったと話しましたら、友人から直ぐ電話があり「懐かしかったわ。お割烹ってね」と言います。
 この女学校は創立100年を迎えた後、安房高校と合併しました。そのことで妹3人、弟1人そして私と全員同じ高校の卒業生となりました。多分区分けはあるんでしょうがね。

 授業のことに話を戻しますが、小学校と違う化学や物理を一緒にしたような科目がありました。
 その先生の名前は「有本進作」と言います。生徒の噂では有本邦太郎(国立栄養研究所長を務めた栄養学の有名な先生)先生のご長男だと言われておりました。

       紫陽花1

 紫陽花の花を沢山紹介しておりますEGUTI YOUSUKEさんのブログを拝見していましたら、有本先生のことを思い出しました。
 有本先生は当時新婚間もなくだったような感じでした。オシャレで毎日ネクタイを変えて来ます。当時の先生方はネクタイは数本位しかもっていなかったと思いますね。
 
 有本先生 その年の冬のある日 赤ちゃんを背にし、ワタ入れのねんねこ袢纏を着て教室に現れました。どうでしょう。
 今でしたら許されるでしょうか。当時でも許された行動でしたのでしょうか。とても強い印象を抱いております。
 
 その有本先生の渾名「紫陽花の君」です。ネクタイを毎日変えて来ることに由来しております。何だか良いでしょ。紫陽花の君が赤ちゃんをおぶい、綿入れのねんねこ袢纏を着た姿。覚えていないはずのねんねこの模様まで目に浮かんで来ます。
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COMMENT

子守をしながらの授業ってTVで戦争中子供が弟・妹を連れて学習してたのは見たことが有るんですが、先生も自分のお子さん背負って教えるなんて始めて聞きましたよ
これは強烈な印象を生徒の残しますね、けっして悪いことじゃないですよ、むしろ立派にさえ思えます

カルチャーショック?

これを拝読しますと、二回目のカルチャーショックだとおっしゃいましたのは、終戦直前の、物質的にも精神的にも余裕のなくなった日本人が周りにいたからだったのではないでしょうか。と、勝手に推測してしまいますが・・・

強烈な印象

EGUTI YOUSUKE さん  どうも
昔小さな弟や妹をおぶって学校に来た生徒もいましたよ。ですが後にも先にも男の先生が子供をおぶって授業をしたという話は聞いたことがありません。
でも何だか進んでいるな~と感じましたね。

それもあるかも知れません

YAMAGUCHI さん  今日は
それはそれは言葉で表せないほどのショックです。
トイレも水洗から汲み取りへ、水道もなく、学校の授業はつまらなく、食べ物も粗末、なにもかもと言いたいほどの違いでした。ですがそれを口には出せませんでした。
青島の教師のレベルの高さと言えば、帰国後何人も大学教授になりました。田舎の先生とは比べられません。

紫陽花の君、素敵な渾名。でもそんなおしゃれな先生がねんねこ半纏で赤ちゃんをおぶってきたらびっくりしますね。でもほのぼのとしていていいお話。

ガーナでも通学で小さい子を背負った小学生を偶に見かけます。授業もそのまま受けているのかしら?

素敵でしょ

daniel mama さん  お早うございます
多分先生は愛妻家で、進歩的な人だったと思いますね。
ガーナでもそう言う事があるのですね。私が千葉の田舎の小学校で見たのは、教室でもおぶっていました。でも時々外に出て行き、あやしていることもありました。
時代ですね。

戦時下の日本で青島からの帰国子女として娘時代を過ごす…
どういう迎え方をされたか想像がつきます。
相子さまはそんなことはヘっちゃら。毅然としてお立ちになられてたんでしょうね。
そのお姿が目に浮かぶようです。上級生たちも、威厳を感じ取りながら
つまらないいじめをしてたのでしょう。きっと心の内では憧れを感じていたかもしれません。
同級生たちが仲良し、というのは、そういう相子さまにリーダーとしての
資質を一瞬にして感じ取ったからでは。^^

『紫陽花の君』…いいお話ですね。
きっといい先生でいらしたんでしょうね…
新婚の夫であり若き父であり、真摯な学究の徒でもいらしたでしょう先生と、
おちゃめな女学生たち…。
赤ちゃんを背負っての授業が許される時代…人間の幸せってどこにあるのでしょうね…^^

勉強になりました

彼岸花さん ようこそ
有難うございます。ハイ!多分私は青島時代の経験が役に立っていたのだと思います。青島は当時戦時下でも各国人と出会うことも日常よくありましたから、人を恐れないと言う事が良かったのだと、思うこともあります。
有本先生の姿は生徒に好感を持って受け入れられていました。
私は自分の経験から人に意地悪は絶対にしまいと過ごして来ました。

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Author:相子
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相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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