2017-08

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海・海水浴

 今日7月22日 暦の上で大暑 字を見ますと暑さが体全体を覆っているような気がします。
 この季節の挨拶 大暑の候で始まるのを良く目にしました。今は手紙も分かり易い文章が多く、候文は滅多に目にしません。中国語の同学の一人の方のメールは候文に近いものです。お互い高齢の所為か体を案じ合うことも多く、暑さも気をつけてと言葉を交わします。
 梅雨明け十日(とうか)の暑さかなと言われますが、この数日は涼しく、今日の我孫子の気温は最高で24度 最低で19度 夏休み最初の日曜日子ども達は海水浴に出掛けていることでしょう。
 福島のいわき市勿来海水浴場が福島県で唯一16日に海開きをしたそうです。いわき市には9か所の海水浴場があるそうですが、勿来だけで海水浴が出来ると言うのですから、今日も子ども達が集まっていることでしょう。福島の海水浴場がこの勿来しか開かれないと言うのは放射能の影響もあるのです。福島の子どもの多くが夏は他所に出掛けるようです。海を前にして他所に行かなければ泳げないとは悲しいことですね。

 中国青島は中国では珍しく砂浜が何か所もあります。夏は家族と出かけたのは忠の海という海岸です。今は第一海水浴場と呼ばれている海岸です。

        忠の海

 これは1940年頃の忠の海ではないかと思います。右上に見える建物は華北交通が経営していたと言う「東海飯店」です。当時青島の中でエレベータのあるビルはここだけだと聞いておりました。青島に戦後初めて行きました時、黄色に塗られていて驚きましたが、今は何色になっていましょうか。
 夏休み以外にも暑い日には泳ぎに行きました。
 中心部に見える監視塔もあり、ある時弟が突然見えなくなり、母が半狂乱状態になり、海岸を駆け巡り探しておりました。勿論私も大声で弟の名前を叫び駆けずり回り探しました。母が監視塔にいる弟を見つけた時母はどうして上に登ったのか記憶に無いと言い、その時の様子は何回も話しておりました。その母の喜んだ様子が今でも忘れられません。
 忠の海は遠浅の砂浜ですから、子どもにとってはとても安心な海岸です。
 ずらりと並ぶ小屋は殆んど社用の海の家で、父の勤める会社の小屋もありました。社員の家族はそこを利用します。大きな有料の海の家もありました。
 長時間海水に浸かっていますと、夏でも体が冷えますね。
 海岸には「飴湯」をうる屋台のような店があります。飴湯は関西方面の物でしょうか。私は青島で初めて口にしました。熱々の飴湯をフーフー吹きながら飲む。美味しかったですね。
 海岸では水際近くの水の中で、小さな小さな貝を見つけることも良くありました。ムール貝のような貝ですが1.5cm程の小さな黒い貝でした。
 砂浜では砂山を作り、その砂山に穴を掘ったり、らせん状の道を付けたりし、確りと固めた砂団子を上から滑らします。結構時間を掛けて作りますから、上げ潮になって来ますと、水が寄せて来ます。段々水が寄せて来て、最後は山は消えて無くなります。大抵その頃は夕方でしたね。その崩れて行く山を後ろにして帰ると言うのが私のパターンでした。
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忠の海

忠の海、青島育ちの者にとって思い出の多い海水浴場です。戦前も第一海水浴場呼ばれていましたよ。また小湛山の浜を第二海水浴場、小港の近くの三日月浜を第三海水浴場と呼ばれていました。青島あった水泳協会が小学生を対象に夏休みの間水泳の特訓と育成を三日月浜で実施していました。私は小学校一年生から六年生までこれに参加していました。おかげで水泳の遠泳では5年性の時は5マイル(約10キロ)の記録まで出来るようになっていました。青島の小学生全体のなかではその当時3人しかいなかったと思います。遠泳時間は朝8時ごろ出発し帰ってきたときは午後4時ごろにはなっていたものと思います。もう浜にははって這い上がり、立ち上がることができない様な状態でした。途中で付き添ってきたボートから3~4回ほど飴湯の補給がありましたが、こんな美味しいものがこの世にあったのかと思いました。今考えます良く頑張ったものです。小学生にこんな過酷なことをさせて鍛錬していたのかと当時の事を思い出しております。

水泳協会

桜島さん  私も水協に入っていましたが、遠泳に参加した場所は、海軍桟橋の左側でした。距離も短く1マイルでした。5マイルとは凄いですね。
三日月浜で泳いだ時は、何だかチョと臭い感じでした。
忠の海の賑やかさは忘れ難いですね。楽しかったこと。

三日月浜…懐かしい!

三日月浜とは懐かしい! 私はあい子さんや桜島さんのように、水泳は巧くなかったのですが、それでも仲間と三日月浜に泳ぎに行ったものです。ちいさな浜辺でしたね。忠の海にも家族で行きました。忠の海の中国人の店で飲み物を注文したら、タンのような物が入っていて、とても不愉快でした。今、思いますと、日本の軍人に恨みがあったのかとも思えますが。

相子さんは子供の頃の情景を
ついこの間のことのように表現されるのが凄いですね!

私は川遊びがメインでしたが、
子ども会で海水浴に行くのはとても楽しみでした。
砂山をつくったり、砂穴に人を埋めたりして遊んだことを思い出しました。

思い出の海

いさむちゃん  三日月浜は漁船も入ってきたような覚えがあります。小さな場所でしたね。
忠に海でそんなことがあったのですか。
日本人は占領地なのに良くああいう生活が出来たものですね。それは不思議な思いです。

楽しかったですよ

ちゅんごさん   今日は
前にも書きましたが、日本から行き強烈なカルチャーショックを受けたのが原因かも知れません。
子どもにとっては海水浴は本当に楽しいもですね。裸足ですから、足が砂に取られて上手く走れずもどかしさを感じたり、熱い砂に跳びはねて歩いたり、いろいろと思いだします。

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Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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