2017-08

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薩摩藷を植え食べる

 夫と話す内容 その中には繰り返し喋ることがあります。
 「食べたい時には食べられなく
 お金も食べ物も無かったと言う育ち盛りの時の事情
 「食べられるのに食べられない
 食べ物が溢れているのに、直ぐにお腹が一杯になって仕舞うと言う今の事情

 日本国内でも食べられないと言う人もおります。その方々を援助する団体があるとブロガーさんの記事から知り、日本は普通の人が立派だな~と思っています。政治家の今の姿はなんですか。毎日駆け引きで夢中のようです。
 国が国民を守るには食料確保が重要な課題です。そういった意味では日本の国民は敗戦前後の数年はそれはそれは困難な生活でした。多分国もいろいろと施策はあったでしょうが、いかんせん全て間に合いません。人々は只管自分を守るために毎日を過ごしておりました。都内では雑炊食堂などがあり、食べ物確保は大人の大きな役割でした。
 都会育ちでお芝居や映画などが好きな姑が薩摩藷を求め、荻窪から田無まで買い出しに行ったと、夫が思い出したように話します。

 さて我が家 戦時中は食いしん坊の父のお陰で美味しい物を食べていました。引き揚げて来ますと、即食料難民です。農家でもなく、食料調達は専ら母の仕事となっていました。引き揚げ職も失い父は意欲を無くし、食べ物を集めたり、買ったりする気力をなくしておりました。母は子どものためにと、畑を借りたり、山の中の空き地を開墾したりして頑張りました。
 私は長女ですから母の片腕となり、畑仕事や開墾を手伝いました。

 薩摩藷はそうですね4,5年位作ったでしょうか。種イモを植えてその藷から生えて来る蔓を、適当な長さに切り耕した畝に蔓を横に並べて植えます。やがて蔓は延び、葉が茂って来ます。秋になりますと藷掘りをします。
 先ず延びた蔓を刈り、藷のある茎の集まっている所を中心に鍬を振りおろし、掘り出します。藷を背負い籠に入れて持ち帰り、暫らく外に並べて干すと言うか、土を乾かします。秋の日曜日はそいった日が続きました。
 私は太ってはいましたが、決して力がある少女ではありませんでした。ですが母を助けなければと言う思いで、夢中で畑に出掛けました。

      店頭の藷

 この店頭に並んだ薩摩藷を眺めますと、今はどれを食べても美味しいだろうな~と思っています。
 
 で収穫した藷ですが、いろいろと工夫をして食べましたね。並べて見ましょう。
 
 1 家で蒸かし、夕食の主食にします
 2 小さく切ってご飯に炊き込み、藷飯にします。
   塩や胡麻塩を振りかけて食べます。
 3 味噌汁の実や天ぷらにします。
 4 蒸かした藷の皮を剥き、潰して小麦粉と混ぜて藷餅を作ります。
   これは家の中で干し、かき餅のように切り焼いて食べます。
 5 雑炊に入れて夕食に食べます。
 6 干し藷や藷羊羹を作ります。
 7 藷パンを作ります。藷を小さく切り、小麦粉と合わせて作ります。
 8 かりん糖のように細く切り油で揚げてお八つにします。
   砂糖など振りかけませんよ。
 9 饅頭の餡に潰した藷を塩で味を付けて入れます。
10 藷が全体の8割位のご飯を炊きます。
   その時はお米は僅か、押し麦(大麦)も入っています。

 このように食べますから、自分で植えただけでは足りません。そこで知り合いや親戚を回り、窮状を訴え売って貰います。
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COMMENT

薩摩芋は重要な食材だったのですね!
我が家でも父の昼食やおやつに妻が蒸し芋を用意しています。
父も小学生のころ戦後の貧しい暮らしを経験しているので
何か感じるところがあるのでしょうか、
無口ながら「美味しい」と食べてます…
多分、当時の芋より甘くて旨いのだと思います。

召し上がっていますか

ちゅんごさん  お早うございます
そうですよ。昔のは生産型で味より量でしたから、甘味も少なく、ねっとりとした旨味などありませんでした。
お父様も今のを美味しいと感じているのでしょう。
藷ではありませんが、友人の家では8月15日は平和を願い、必ずスイトンを食べるそうです。
それほど平和が有難いと言う事です。

子供のころ日曜日のお昼はよく焼き芋を買いに行かされました。切符を持っていったとおもいます。7人家族でしたので大変な量でした。「家族が多いと大変だね」と知らないオバサンに言われたきおくがあります。このことが私の戦後体験の一番はっきりしたものです。

驚きです

ofuji さんv-67 今晩は
そんな経験があるのですか。東京ですか。
7人もの食料を集めるって大変なことでしたよ。
私は池袋に母と闇市でサッカリンを買いに行きましてね。都内の焼け野原にショックでしたよ。
その焼けた家の庭に薩摩藷が植えられていました。

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わざわざ恐縮

鍵コメさん
とても嬉しく拝見いたしました。

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Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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