2017-10

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青島の思い出‥3

 1941年(昭和16年)4月20日に下から2番目の妹が生まれました。上の3人は日本で生まれましたがこの妹は青島病院で生まれました。
 生まれた日の夕食 父は病院に行っておりましたので、日本から来ていた母の妹と使用人と夕食を食べておりました。叔母がすき焼きにして呉れました。突然停電 すき焼きの鍋の中が良く分かりません。勿論今になって見ますと何を食べたかは全く記憶にありません。
 妹のことに話が及ぶと必ず停電とすき焼きのテーブルが淡く浮かんで来ます。
 青島は牛の産地?だったのか日本に輸出していると聞いておりました。牛肉は安かったのでしょうね。冬は屡すき焼きでしたね。買いもの好きな私は若鶴市場と言う小さなマーケットにお供を連れて買い出しに行きました。
 肉屋の店頭に並ぶソーセージやハムはドイツの影響を受けており、実に美味しい物でした。
 
 妹が生まれる前に叔母は母の手伝いを兼ねて遊びに来ておりました。一昨年亡くなりましたが、若き日の叔母のハイヒール姿などは誰も知りませんでした。妹が生まれて暫らく経ちますと叔母は水先協会というところに事務員として勤め始めました。水先協会は元船長を務めた方が殆んどだとか、叔母は大事にされたのでしょうね。給料も可なり良かったようです。それまでは和服で過ごしていたのを洋装に替え、颯爽と出かけておりました。
 母は洋裁が出来ましたので、叔母のブラウスやスカートは母が縫っておりました。青島には日本の紡績会社が何社もあり、直営店もありましたし生地には不自由なかったと思います。細かい柄のブラウスは若い叔母に良く似合っていました。

 1941年の秋 父の勤める会社の藷掘りがありました。郊外の藷畑で社員とその家族で一緒に掘るのです。藷掘りの前に運動会も催され、大人も子どもも楽しみました。
 そして昼食後藷掘りをしようと畑に行きましたら、藷はすっかり掘られて仕舞っておりました。誰が掘ったかは分かりませんが、会社の中国人の方ではないようでした。中国人も運動会に参加していましたからね。
 その日は記念写真を撮ったのですね。その写真は我が家にはありませんでした。引き揚げて来る時に、写真を捨てるようにと指示があったそうです。私たちの子どもの頃の写真は親戚にあるだけです。
 藷掘りの時の写真は偶然なことから私に送られて来ました。

     1941年秋

 前列一番右は弟 後ろから弟の肩に手を置いている方は父と親しかった田中愛蔵さん。
 弟から左2番目が私、その左が直ぐ下の妹。前列真中の可愛い丸坊主の少年は田中さんのご長男。この方が送って下さったのです。父は後ろの方でチョッキを着たワイシャツ姿。母がいませんから叔母がいる筈だと良~く眺めましたら私の後ろで顔を隠しております。
 この日に集まった全員ではないはず。ハッキリと記憶にはありませんがこれは半分位の人ではないかと思います。
 藷は先に掘られて仕舞いましたので、急遽一枚買ったようでそこで掘って持ち帰りました。
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COMMENT

相子さんは母上の血を引きついて被服関係が得意になったんですね
セピア色に変った写真って本当に懐かしいですね
私も子供の時の洟垂れ小僧の写真見ますと当時の記憶が蘇ってきます。何か記念の行事が有ると写真屋さんが来ましてボンってフラッシュを焚いてお座敷で撮りましたよ。そして最後に写真屋さんが遊び仲間と外で撮ってくれたの覚えてます

フラッシュを焚くと匂う

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
得意ではないんです。好きで続けていたのです。1975年に台湾から見えていた先生に出会い、それから趣味として始めました。
それまでは不得意分野の物でした。
昔は大きなセピア色の写真は殆んど何かの記念のものですね。フラッシュをたくと一緒煙が立ち、匂うのですよね。今は私まで写せるのですから、時代の変りようは写真でも分かりますね。
ましてはEGUTI YOUSUKE さんのように毎日沢山写すなんて昔でしたら夢のまた夢のようです。

こんばんは

相子さまのお話しを読んで、ふと『さだまさし』さんがグレープ時代に作った曲、『フレディもしくは三教街ーロシア租界にて』という曲を思い出しました。
中国であって中国でない、アジアとヨーロッパが混じったような不思議な空気を感じますね。

国際都市

カミさん さん  今晩は
青島は当時中国の中では国際的な街として知られていました。上海とは違いヨーロッパの空気が漂っていました。
人口は都市部だけでも53万人もいたのです。さだまさしさんの歌は知りませんが、タイトルから分かるような気がします。

「青島」

昭和16年頃の青島は本当に落ち着いた町で暮らしやすい所でしたね。写真を拝見しましたが、説明文を読まなくてもあい子さんはすぐ発見できましたよ。私達も父が勤めていた役所の方々や又黄台路隣組の会の人達とよく花見や近郷の公園やウサギ狩り、芋堀りなどに参加して楽しく過ごしたことがありました。私達の引揚げ時は写真など禁止される事なくアルバムからはがして殆ど持ち帰ることが出来ました。幸運でした。

それは良かったですね

桜島さん  今日は
楽しい日が沢山ありましたね。皆さんの思い出に繋がることですね。私?直ぐ分かりましたか。有難うございます。
家は北京から天津経由で、何かと厳しかったようです。
この田中さんのご長男は福岡の川村さんの青島に、私を知っている人はいませんかと書いてあったのです。お父様の名前があり、私は直ぐに連絡しました。そしたら写真を送って下さり、ご自分を見て欲しいと言うことが、偶然私たちが写っていたのです。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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