2017-10

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偽札を作っていた

 24日の朝日新聞夕刊は明治大学生田校舎にかってあった陸軍跡地のことを紹介しております。

        朝日11月24日夕刊

 生田校舎の敷地は戦後間もなく大学が購入  当時の大学理事だった方の話によりますと某OBから持ち込まれた話で、良い買い物だと言う方が少なかったそうです。その話をして下さった元理事は「良い物をお礼をしないで手に入れると言うことは、事後良い物を手に入れられなくなるんだよ。僕はあれは良い物だと思ったので、話を持ってきた男に~~万円を渡したよ」と言っておりました。これはある意味での至言だと思いますね。
 
   前に生田校舎の昔に付いて書きましたが、この校舎(と言えるかどうか酷い状態の時)に最初に行きました時、その敷地全体の荒涼たるとも言えそうな風景に驚きました。
 敷地に点在する木造家屋には帰国した教職員や戦災で焼け出された教職員が家族と一緒に住んでおりました。
 一番大きな建物は学生食堂でした。既に学生寮もあり、学生が数十人住んでいました。建物は何れも杉板を打ち付けたようなもので、寒さも一入の生活では無かったかと思います。大きな水槽のような物があり、そのプールのような水槽の屋根は半分崩れ落ちて無様な姿を見せておりました。今回の偽札の話から、あの水溜は紙幣の紙に関係があったものかも知れませんね。
 その生田校舎に1959年10月学生相談室が開設されました。駿河台と生田は和泉より半年後の開設でした。
 その建物は旧軍隊の使っていました酒保(兵隊の日常品などを販売する処)でした。上の写真の建物と作りは同じですがもう少し大きな建物でした。その頃その生田校舎の相談室の東北に隣接して牛小屋があり、窓から牛を眺めることが出来ました。
 校庭には農学部の実験農場が見られ、春には矮性のチューリップが並んでいたのを思い出します。
 一年に一回ほど生田校舎に行きましたが、校内は徐々に建物も増え、整備が進んで来ました。
 1987年に私は駿河台から生田に異動をしました。
 建物はそのままの古い物で、建物を支える柱が土台から浮いているような酷い物です。相談員の加藤隆先生(建築科教授)は事務長に談判 管理職の責任だと強く申し入れました。事務長は急遽相談室を他に移す手配をし、そこに移り仕事をしておりました。その後間もなく立派な校舎が完成し、初めて相談室も日の目を見ることになりました。

 偽札の写真を見ますと「交通銀行」と言う字に見えます。私が中国青島にいた頃の紙幣は連銀券と言われる、中国連合準備銀行の紙幣です。この連銀券は当時の日本の権益の及ぶ北支那で通用していた物です。
 以前調べて見たことがありますが、戦時下でも中国では中華民国政府の発行している銀行券の方が価値があり、レートはそちらが高かったようです。子どもの時は連銀券を中国の紙幣だと思っていたのです。
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COMMENT

いつも素晴らしい昭和の証言。
しかも無駄のない見事な文章で、さすが!と感嘆してしまいました。

私の家には偽札ではありませんが、戦時中の満州紙幣と大連で使われていたという、
ロシア紙幣が小さな引き出しいっぱいに入っていました。
どの紙幣も叔父と叔母の思い出だと、祖母は言ってました。
特に終戦時満州脱出の途中で無差別の銃撃を受けて亡くなった叔母の形見でもあることを教えられ、
粛然としたことを昨日のように覚えています。
終戦とともにその紙幣は、一文の価値もなくなったことは当たり前でしょうね。

戦争は次第に遠くなっていきます。

それにしても、勇ましい言葉を連ねる危険な人物が、何故こんなに多く出てくるのでしょう。
歴史に何も学んでこなかったのでしょうね。
この国は。

戦争は良いことは何もありません

NANTEI さん  今日は
お恥ずかしい。婆さんの語り。そのように読んで下さり恐れ入ります。
連銀券は一種の軍票のようなものだったようです。良く中国の方々が使って下さったと思います。
この連銀券の給料を父の勤める会社の日本人は済南銀行に預金をしておりました。
敗戦で全て中国政府に抑えられ、価値が無くなりました。多くの日本人は無一文となったのです。
引き揚げに際し一人1000円の給付金が日本に上陸した時に渡されました。それは直にインフレに直面し、無くなって仕舞いました。そのご政府は一家に5万円の債権を呉れましたが、雀の涙です。
それに引き換え、関東軍の某将軍は敗戦前に家族を飛行機で帰国させております。
関東軍の非情な行動に多くの邦人が犠牲になったことは多くの方の知る所です。
NANTEIさんの叔母様もその犠牲のお一人ですね。
衆院選挙の公示が迫って来ております。良~く考えて行かなければと思う今日この頃です。

驚きました。公然と偽札造りが行われていたのですね。
息子の嫁の母親(故人)は、戦争勃発に満州から帰国しましたが、帰国の際にみかん箱に札束を詰め込んで帰ったそうです。
もちろんすべて紙くずに・・・。

初めて中国に行った二十年前は、まだ兌換券の時代でした。
街を歩いていると「チェンジマネー」と付きまとわれ、一万円がホテルで換金する兌換券より200元ほど多く人民元に交換されるのですが、路上で換金しているところを警察に見つかったら罪になるときつく言われて、とても怖い思いをしました。
兌換券で支払っても、お釣りは人民元なので、人民元も使えるんですけどね~(笑)

中国も韓国も好きな国なので、仲良くしてもらいたいと思います。
韓国には戦前、母や伯父一家も住んでいたことがあります。

ようこそ

トリテン さん  今晩は
偽札は秘密裏に作られたのです。戦後にこれが分かり、調査がされました。
中国では以前外国人の使う紙幣は中国人の使う元とは違っておりました。お話の通りおつりは人民元でした。その紙幣の汚れと言いますか、酷さは今は姿を消していますね。
私も隣国とは友好関係が大事だと思います。

偽札大国

あい子さん
ご存知の通り、小生は世界の紙幣のコレクションマニアだけに、興味深いお話ですね。
「世界の人形館」収蔵の各国紙幣には偽札は皆無と確信しています。
ところで偽札と言えば、偽札大国、北朝鮮が有名です。
“スーパーノート”で知られる偽100ドルは平城商標印刷工場で
作られていると言われ、偽札の為替相場もあるほどです。
日本などが経済制裁を加えても北朝鮮が動じないのは、偽札作りという
抜け道があるからでしょう。
なお、もし古い中国の古い紙幣やコインを処分される場合は、ご一報下さい。
場合によっては、引き取ります。

不愉快ですね

高(ワールド・トラベラー)さん  今晩は
北朝鮮はそうなんですか。酷いものですね。
何時か見せて頂いた紙幣やコインは珍しい物が沢山ありましたね。
また何時か拝見させて下さい。

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Author:相子
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相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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