2017-08

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音が聞こえない日

 1951年(昭和26年)2月15日 何年前になりますか。そう62年前
 こんな古い日を知っているなんてやっぱりお婆さんですね。
 木曜日です。これは中国の実用万年暦と言うので分かるのです。木曜日に意味があるわけではありません。
 知りたがり屋が調べただけです。
 
 先日14日は大雪でしたね。4階の廊下から綺麗な雪景色が見られました。

      雪の庭

 今日は随分とけて公園の土も見えております。マンションの北側は雪が凍って固くなっていますから、当分泥混じりの雪が解けず、風も冷たく感じましょうね。

 62年前 東京に大雪が降りました。国電(と言っておりましたJRのことですよ)はマヒ状態。国会は流会そして証券取引所の立会は停止
 
 その頃私は武蔵野市吉祥寺187番地に住んでいました。大学の女子寮です。煙突長屋と言われ、部屋の外の廊下で各自自炊をしておりました。周囲は畑です。冬は霜柱が立ち、その霜柱は家の北側は昼も溶けず、冬の間は靴も汚れます。吉祥寺駅まで10分ほどですが、当時は田舎ですね。
 2月14日 父が来ました。何の用で来たのかは覚えておりません。
 14日の夜から降りだした雪 朝目が覚めますと一面厚い白い雲のように辺り一面目の届く範囲全部が雪の世界です。
 音が全く聞こえません。何処からも何も聞こえません。電車が止まって仕舞ったのです。
 寮の中でお喋りする声だけは聞こえます。真空とはこのような空間ではないかしらと思ったのものです。
 父は戻れず数日私の所におりました。
 学生は貧乏でしたね。新聞は寮の管理人から見せて貰います。誰もラジオを持っていません。
 丁度後期の試験が終わっていましたので、誰も騒がず電車の走る音が聞こえるのを待ちました。
 
 先日の大雪での都市機能の問題がクローズアップされましたね。この昔の国電が停まった時 どんなことを新聞は報じていたのでしょうね。
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吉祥寺

相子様
こんばんは。

私は大学が武蔵境だったので友人が数多く吉祥寺の
アパートにいました。昭和40年代です。その頃は
駅前だけ少し新宿の臭いがしていましたが、駅から
5分も歩けば住宅街でした。
お父様はなぜ男子禁制の女子寮に入れたのでしょう?
いくら親でも入れない筈では?

愛新覚羅

鍵コメさん 有難うございます。
宜しくお願い致します。

今と全てが違っています

aishinkakuraさん  今晩は
寮は完全自治寮で、自炊 家から炭も食料も運んで貰い、家族は自由に宿泊出来ました。
当時の食糧事情は今の人には理解できないと思います。配給でお米の代わりに薩摩芋、砂糖等来ます。
食料は家から送って貰うか、運んで貰うかです。炭起こしの枯れ木も吉祥寺の駅から帰り路で拾って来たのです。
男子学生を泊めることは寮規則で禁じられておりました。
吉祥寺駅は木造で、当時は時間給電ですから、時には駅舎のベンチで本を読んだりすることもありました。

何も聞こえない時間というのは今では貴重かもしれません。
音や情報が溢れすぎて本当の自分を見つめることが少なくなってきてます。
わざわざ求めようとしてもなにかしら入ってきてしまいます。

良い体験

ちゅんごさん  お早うございます
そうですね。今は山奥か人が足を運ばない所でしか、そう言う環境はないかも知れません。
当時目が覚めると聞こえるのは電車の走る音だけでした。

今からは想像も出来ない時代なんですね。 火をおこして炊事をするなんて、今から思うと凄い贅沢な感じがしてしまいますが、 実際に毎日だと大変だったのでしょうね。 タイムマシンがあったら行ってみたいです。

長屋生活ってプライバシーなし

ゴルッテリア さんv-269お早うございます
想像出来ませんでしょ。皆さん17、8歳で上京し、ご飯など炊いたことのない人もあり、火おこしが自分で出来ず、先にコンロに起きた物から貰い火をしてやっと炊事をしたりしました。
水道はなく、一つの井戸を皆で使います。洗濯もし、食器も洗います。
ぐずぐずしていますとね、学校に間に合わなくなるのですよ。
山手線の内側は焼野原が広がり、部屋を探すのも大変でした。
大学が何かの事情でたまたま買ったのが役に立ったのです。
下宿先は見つからず、甲府、水戸、宇都宮、小田原、館山などから通学する人もいましたよ。
そう言う人は週に1、2回位しか出て来ませんでした。
成人には煙草も、お酒も配給になりますから、煙草を吸ったり、夜は皆で酒盛りをしたり、女山賊のような日もありました。食べ物は分けあい、頂くと嬉しかったですね。

国電

こんにちは。いつも私のブログにコメント頂き、ありがとうございます。

私今でも、夫が山手線を嫌って地下鉄を使いたがる時などに「国電で行けばいいじゃない」と言ってしまいます。地下鉄の営団は全く使わないで、かえってメトロと言ったりしますので、これはJR(ジェイアール)が発音しにくいせいだと思います。

相子さんが吉祥寺で過ごされていたご様子が垣間見られました。雪で流通が止まる以前に物がなかったのですね。戦後6年が過ぎても、そんな状態だったのですね。母がお金があっても食べ物が買えなかったとよく言ってました。私が生まれたのはまたその数年後ですが、まさに光陰矢のごとしの感があります。

雪が残っているせいか、夜から朝の冷え込みが厳しいですので暖かくしてお過ごし下さいね。

私なんてまだ生まれたばかりですよ(1950・12・28)
まあ田舎でしたので食糧事情はそんなに悪くはなかったとは思いますが都会はまだ大変だったんですね
小学校の5年生位まではのんびりしてたような気がしますよ
高度成長が始まり金権主義が芽生えそれが今に繋がってきているんですかね 人間自助努力を忘れると堕落に繋がりますよ アハハ 私も古いかな

大都会は特に酷い

もふもふ903さん   ようこそ
戦後の食糧難は特に都会では酷く、主食は配給制でしたが、それもまともに来ない時もありました。
旅行者用外食券というチケットが無いと外食もままならないのです。
寮生は配給だけでは足りませんから、親からお米や芋など送って貰う人がほとんどでした。
お金持ちのお嬢さんも生活は皆同じ様なもので、貧富の格差なんて感じませんでした。

漸くラーメンが食べられるようになった

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
都会と違い農漁村の方はそれでも何とか出来ました。
都内では食券のある人とない人では値段の差がありました。
それでも高級なレストランはあったのですよ。
日本も未だ成長期に入っていませんし、一般に学生は貧乏でしたよ。
48年49年頃は学生服も割り当てでくじ引きで買いましたよ。
電気事情も悪く、駅など何処も暗~くてね。

雪国で育った私や友人とこちらで雪が降るとなぜかわくわくしてしまう衝動にかられるのをにわかに隠します。

そして一番最初にかわす会話は、「雪の音、こっちの人は知らないよね~」です。
新潟ではシーンとした夜、なぜか雪が降る時、雪の匂いと雪の音を感じるのです。まぁ音はわかるかもしれませんが、匂いがあるんです。雪の前の匂い・・・それがこちらではあまり感じないので、少し残念ですが、雪の不思議はまだまだあるので、そんなことを感じる時間もあっていいのかなと静かな時とともに感じました。
休日だったから良かったのかもしれませんが、平日だともっと混乱してたでしょうね。ただ、怪我などは本当に気を付けないといけませんね。まだまだ凍ってるところがありますので・・・。

気を付けます

koh さん  今日は
そうかも知れませんね。仰りたいこと良~く分かりますよ。
自然界って自然の香りや音があるのですね。
それは突然分かると言う物もあるかも知れませんが、長い間に琴線に触れ続けて来た人にこそ一番分かるのだと思いますね。
雪は未だ溶けない所もありますので、杖を忘れずに持って出ています。
お気づかい有難うございます。

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19:24 の鍵コメさん  有難うございま。
お手数をおかけします。

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相子

Author:相子
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相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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