2017-10

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»
entry_header

東京大空襲

 1945年(昭和20年)3月10日
 この日は米軍による東京大空襲があった日です。
 あの夜私は女学校の寄宿舎におりました。東京へ飛んでゆくB29爆撃機の姿はその前から沢山目にしておりました。
 大島方面から東京湾上を東京に機首を向けて帯のように黒く集団で飛んで行きます。
 10日の深夜 東京が空襲を受けていると言うので、全員起床服装を整えていました。
 
 東京は遠く北の方向になります。空襲が如何に激しいものだったかは、北の空が大きな火の塊のようになって見えます。あの日は土曜日だったのです。空襲は9日から10日へと変ってから始まったのです。

 土曜日ですから、家に帰るために午後館山の駅に行きました。千葉方面から到着した汽車から降りて来た人達の姿には激しいショックを受けました。
 防空頭巾や衣服に焼け焦げが見られ、誰もが疲れ果て、顔も手足も黒く煤けています。
 あの夜の火の玉と避難なして来た人たちの姿は忘れられません。東京は焼け野原となったのです。

         東京空襲後の

 戦争は悲惨です。それでもこの頃 国は本土決戦なんて言っていたのですよ。
entry_header

COMMENT

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

オーストラリアの報道で。

おはようございます。
日本の歴史の中の2月、3月は結構大事件が多いですね。
この東京大空襲については判らない事が多く、実際にどれほどの犠牲者があったのかもはっきりしていないと聞いています。日本のマスコミが正面から取り組んだ番組もないと云われていました。
もう10年ほど前になるでしょうか、オーストラリアのドキュメンタリーが取り組んだ東京大空襲の番組がアメリカでも話題になった事がありますが、今日の相子さまの実体験、非常に貴重です。
ありがとうございます。

テレビで観ました

相子様
おはよう御座います。

この間何故戦争を終わらすのに時間がかかったのか
テレビで観ました。
誰の目にも負けるのは解っていたのですが軍部は
終結条件を少しでも良くしたかったので「最後の一撃」
をしたかったのですね。しかしその考えから広島、長崎
が犠牲になってしまいました。
後で馬鹿だというのは簡単ですが軍部の中にいれば
それしか考えられなかったのでしょう。哀れです。

愛新覚羅

哀れです

鍵コメさん  その方は私世代より少し上の方辺りだと思います。
学童疎開は前年に行われ、この空襲で親がなくなり、孤児になった方もいると思います。

大きな被害

yokoblueplanet さん  ようこそ
東京が最初に空襲を受けた時、被害を受けた方(金町)を知っておりますが、その時の被災者は僅かだったそうで、天皇からお見舞いを頂いたと話しておりました。
3月10日の空襲は実に大掛かりだったのです。B29の轟音が響き渡り、威圧感そのもでした。
その後空襲はどんどん多くなり、また艦載機による襲撃は日中ほぼ毎日のようにありました。
私はその艦載機に狙われ、危機一髪で難を逃れました。更に5月には町は艦砲射撃を受け、恐ろしさを体験しました。
1942年引き揚げて来る時、日本は既に制海権はなく、洋上で救命袋を付けてボートに乗り移る避難訓練も体験しました。このような体験の数々を後の人には絶対味合わせたくないと思うのです。

それでも納得しません

aishinkakura さん  お早うございます
おかしいのですよ。ポツダム宣言の内容を知っていたのですからね。
私の知る関東軍の将官はいち早く家族を日本に帰しているのですよ。
戦争の犠牲が如何に大きかったか。原爆もですが、ソ連の侵攻による多くの人の苦しみを考えますと軍部の上層部の考えは納得出来ません。
仕方がないとも言えましょうが、これが国の姿だと思いますと、情けなく感じます。

これは残虐非道な行いですよ、いくら戦争でもここまでしますか、一般人ですよ、戦争にはルールがないとは言え
あんまりですよ 白人種が有色人種を蔑視した行いですよ、まあ勝てば官軍で戦争やって負けるという事は惨めな事です
それほど日本って国は意味不明なことをやる恐ろしい国だと思われていて恐れられていたのかな

戦争が日本では風化してきています。学校では、嘗て平和教育が盛んでしたが(自虐的なものもふくめて)今はほとんど行われません。戦争の語り部ももう少なくなってきました。伝えるべきは伝えていきたいです。

こんばんは。
私も下町の出身ですからおばあちゃんから聞きました。もっと学校で教育をすればいいのにと思います。反米教育になるからやわらかくしたのでしょうかね。
今は北朝鮮と中国に軍事的衝突は何も生まないと思ってもらいたいです。
3.11は震災ですし、この3月は歴史的な何かが起こる月なのかもしれません。

戦争を体験していない政治家たちが戦争に向かって走り始める国家を作りたがっていますね。
私は小学校1年のときに疎開先で終戦を迎えましたが隣の市に飛行機を作る工場があったので焼夷弾の恐怖を何度も聞かされていました。
戦後東京へ戻ってから雑炊をもらうために鍋を持って長い列に並んだり、頭からDDTをかけられたり子どもなりに戦中戦後の苦労を体験しました。

残虐も残酷も

EGUTI YOUSUKE さん   今晩は
戦争は悲惨なものです。このような残虐な行為も行われのですね。民衆は結局犠牲となって仕舞うのですね。
トルーマンは原爆投下の機会を狙っていたと言うことも聞きます。

戦争があったこと

よたろうさん  今晩は
戦争を知らない人が多くなっていますが、体験はしない方が良いですね。
でも戦争があったことを知らないと言う人が多いのは良くないですね。
日本の歴史教育は多いに問題があると思います。

時代を教える大切さ

あかちんさん 今晩は
歴史を確りと教えることが大事です。
私世代は自己の体験を通じ、ある程度のことはそれなりの判断出来ますが、事実は今でも教えて欲しいですね。

忘れないように

あかちん さん  今晩は
事実は消せません。真実を教え、戦争は悪だと言うことを教えて貰いたいです。

おかしくならないように願って

はせがわ さん  今晩は
小学生でも雑炊を貰うのに並んだと言うことは、今の子どもには理解できないかも知れませんね。
そういう体験は貴重ではあり、多くの人に伝えて欲しいです。
命はお金には換えられません。命を大切にする政治を期待します。

私の両親は田舎で幼い頃に終戦を迎えたので
あまり戦争の記憶が薄いようです。
私は祖母から戦中戦後の苦労や悲惨さを聞いて育ちましたが、
自分の子供へ伝えるだけのものがありません。
体験した方の湧き出る感情のもとに語られる肉声が
いかほど大切だろうかと思います。
それに接する機会がなくなるこれからの子供に
何らかの方法でこころを伝える工夫をしないといけませんね。
バーチャルゲームで育った世代が親になっている今だからこそ…

伝える難しさ

ちゅんごさん  今晩は
こう言うことは国が強い意志を持ち、伝えると言う姿勢を持って実行しなければ出来ませんね。
個人ではなかなか難しいことでしょうね。
私も孫子への伝えることに難しく思っております。

こんばんは、
「東京大空襲」、昭和の歴史の、1ページとして、たんなる知識としてのみ、
知っていたたのですが、2年前の3月11日の大震災で、3月10日のこの日が、
すっかり頭から消えていました。
実際にこの日を体験された方は、何年たっても決してわすれませんよね。
あらためて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
これからの、この国の事を、自分達自身が、しっかりと考え、
責任ある行動をとっていかなければと思いました。貴重な投稿、ありがとうございました。

犠牲者の大さに酷さを感じます

ジ・オさん  ようこそ
昨日は3月11日の災害がほぼ全日報道されていました。
一昨日は私にとっては3月11日同様忘れられない日でした。
戦争は国を挙げての戦いになり、私たちは小国民と言われて、苦しみや悲しみに耐えて来ました。
今世界の中でも争いが続いております。
戦争は国にとってはたとえ止むにやまれぬことであっても、国民に必ず幸せを齎すとは思えません。
ご訪問有難うございます。

私の亡くなった母も、大空襲の直下に家がありました。本郷三丁目のあたりに住んでおりましたから、ひどい状況だったようです。幸い母も祖母も無事でしたが、戦後、あまりこのことは語りませんでした。父もシベリヤに抑留されていましたし、相子さんの世代は誠に悲惨な体験をされたと思います。あの自民党の連中ですら、この世代の古老たちは一様に戦争反対派ですね。印象的です。

戦いはいけません

kincyan さん  お早うございます
本郷三丁目辺りは被害は少なく良かったですね。
今の地下鉄湯島駅から東方面は焼け野原だったと思います。
シベリヤに連れられて行った日本の兵隊達の苦労は聞くだに酷いものです。
関東軍はソ連に日本軍を自由にしても良いと文書で渡したと資料で読んだことがあります。
酷いことです。
私はシベリヤで伐採の使役をさせられた方を知っておりますが、人間の尊厳なんて全くありません。
戦争で得たこと 戦争は絶対いけないと言うことです。

Please write a comment!


 管理者にだけ表示を許可する

entry_header

TRACKBACK URL

http://aikoqipao.blog47.fc2.com/tb.php/1730-ffb7c9de

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog