2017-08

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»
entry_header

今日の話題  父の後悔

 1937年(昭和12年)に日中事変が始まり、翌年に父は逓信省から派遣された50名の中の一人として北京に本社を置く華北電電に向かいました。華北電電は中国北部に電信電話網を敷設する必要上作られた国策会社です。
 父の最初の赴任地は河北省の保定と言う所です。それから直に青島に転勤し、私たち家族は青島に行きました。
 青島はドイツが街を作ったと言って良いインフラの整った街でした。
 
 私たち家族は転勤族と言うのでしょうか。のんびりと日を送っておりました。
 1941年12月8日(72年前の明日ですね) 日本は連合国と戦いを始めたのです。第二次世界大戦ですね。
 その翌年の秋 私は日本に帰って来ました。日本は既に制海権も、制空権も失っていたので、航海中船上での避難訓練も実施され、救命胴衣を付けて自分の乗るカッタ―まで、よろよろと辿りつくと言ったものでした。

 私が帰国した後、父はどう言う事情でか、隣村の下士官と出会ったのす。でその下士官は時々家に遊びに来ていたようです。
 ある日「この戦争は負け戦だから、家族を日本に帰した方が良いですよ」と言い、その言葉はその後時々出て来たようです。
 かれは憲兵です。憲兵と言うのは権限が凄いと聞いております。
 その時 父は「何をいい加減なことを言うのか。あいつは国賊だ」と母に言い憤慨していたそうです。

 それから1945年 米軍が中国本土で日本軍と戦う為に、青島に上陸して来るかも知れないと言うことで、多くの日本人は内陸部や朝鮮半島等へと引っ越して行ったそうです。母と弟妹は北京に引っ越しました。それは6月です。父はその頃河北省の張家口の軍隊に出向しておりました。
 やがてあの8月15日を迎えたのです。
 
 そして引き揚げて来ました。
 
 色々な苦労がありましたね。そして母が父に時々言っておりました。「あの時 あの人の言葉を信じて帰って来ていたら」と。 
 憲兵の彼はどんな思いで囁いて呉れたのでしょう。もし在留邦人にそのようなことを話していたと知られたら、唯では済まなかった筈です。
 戦後その元憲兵だった方は無事に帰国し、両親は会うことが出来ました。父は随分後悔していたと思います。

        朝食12月7日

 知るか知らないか。それをどう判断するか。先を読む力も勘も必要になることでしょうね。
 時々父を可哀そうだと思うことがあります。張家口では軍の通信を担当、暗号解読などをしていたそうですが、暗号も本物かニセモノか判断が必要だったのではと思っているのです。
 母達が北京に疎開する頃 もうその時には帰国はとても出来ないことだったと思います。
 戦争をしている相手国の奥へと逃げて行く。そのような事態こそ苦労の始まりだったのです。
entry_header

COMMENT

相子さん ありがとうございます。

その頃のお話をしてくださる方が少なくなりました・・・今、私の周りには、誰もいません・・・。
子供の頃は、前田の叔おじさんという方がいらして南方戦線の話を良くしてもらったものです・・・階級は少尉だったそうです・・・身振り手振りで色々な話をしてくれました・・・小学生だった私たちには、血生臭い話もあったと思います・・・今でも思い出すのは、虫だとか鼠を食べれなかったものは無くなった・・・井戸水は血潮で赤くなっていた・・・。前田のおじさんのような語り部がおったらなぁ・・・と思います。

約束の夏

中国からの引き揚げ、言葉に尽くせないご苦労があったことと思います。私は今、日本に帰化した中国残留孤児とその家族の方たちに日本語を教えるボランティアをしています。このきっかけは、北海道新聞社より出版された、我孫子市出身の作家、若松みき江さんの著「約束の夏」という本に出会ったためです。「決して捜しに来ない」という約束で、衰弱した2歳の弟を心ならずも中国人夫婦に託す。戦禍の満州から命からがら引き揚げる一家5人の苦渋の逃避を8歳の少女の目で描いた自叙伝でした。若松さんは3年前に札幌でお亡くなりになりましたが、ふとしたきっかけで旦那さんから頂いた中国語版「夏天的諾言」も読破し、より脳裏から離れられないものになりました。長文ですみません。

こちらこそ有難うございます

ひげさん 今晩は
戦時中のことを知って頂くと言うことは大事な事だと思っております。
子どもだった私の知る範囲は限られておりますが、折りあれば書いて置きたいと思っております。

ようこそ

北緯五十度さん  今晩は
そうでしたか。満州からの帰国した方の苦労は大変だったと思います。
私の手元にある、同期の方のお母様の濟南からの引き上げ記録を読みますと、その辛さ、酷さは経験した方でないと分かり得ない事柄です。
ボランティア有難うございます。

よくぞご無事で

相子様
こんばんは。

お父様は軍人ではなかったとはいえ暗号解読まで
なさっておられた方です。
よくぞご無事に生還なさいましたね。
現地でつかまって裁判にかけられたら無事
では済まなかったでしょう。

愛新覚羅

大変な時代でしたね。沢山の情報があれば判断もしやすかったでしょうに。70歳になった私でさえも戦争のことはほとんどわかりません。戦争の非情さ無意味さは若い人達も知っておくべきではないかしら。繰り返さないために。

思わぬ事が起きたのです

aishinkakura さん  今晩は
北京に行きました母が赤痢に罹ったのです。働いていたボーイにも逃げられた母は会社に掛け合い、父を帰してと頼んだのです。そして父は戻り、交代で行った方は大変な事になったのです。負けた後その方は北京まで何とか戻り、引き揚げ後寺の住職になりました。

戦争は嫌

ofujisan さん  今晩は
平和そうに見えた青島ですが、交戦国の土地です。
夜中に遠くから弾の打ち合う音が聞こえたりします。
私の家の傍に陸軍の将校の宿舎がありました。矛盾も悪さも色々と見ましたよ。
私は苦しいことがあると、戦争より増しだと何時も思って来ました。

大変な思いをされましたね。

私も子供の頃に祖父母に話しを聞きました。私の祖父が亡くなる(自殺です)2ヶ月前の正月に無口な祖父が戦争の話しを等々と語っていました。色々な事があった様です。しかし、最後は自慢話・・・何なのでしょうか?あの頃は、でも、今も変わりませんね。日本の政府。都合の悪い事は何でも隠したがります。世界中ウソで塗り固めた外交ばかりです。欲とプライドでぐちゃぐちゃです。戦争は嫌ですね。今でもしていない国の方が遥かに少ないのは何なのでしょう。人は欠陥品で産まれて来ているのでしょうか?考えさせられます。今回出張で青島ビール散々飲みました。ドイツが作ったビールなのを初めてしりました。軽くて飲みやすいビールでした。では、では、また。続きのお話、聞かせてください。

憲兵の方が言うほどですから、差し迫っていたんですね。父上も暗号解読をなさっていたら、ある程度は気がついておられたのではないかと思います。国賊として家族まで害が及ぶのを避けたかったのではありませんか?憲兵さんも誰にでも同じ事をおっしゃるとは思えませんから。苦しかったであろう父上の気持ちが何となく分かる気がしますが・・・。

おかしいですね

YOUさん  お早うございます
今も世界の何処かで戦いが起きていますね。
多くの人が戦火の犠牲になり、毎日怯えて暮らしています。
何故何故と疑問は尽きません。

青島ビールはドイツ~日本~中国へと経営が変って来ましたが、水が良かったこともあり、美味しいビールが飲めたのです。
私は戦後4回青島に行きましたが、行く度に街が大きくなり、目を見張ります。

帰国は無理だったでしょう

りょうこさん  ようこそ
父はそれほど思慮深かったとは思えませんが、他言をしなかったことは良かったと思います。
憲兵の方は父にだけしか話さなかったと事だと思います。
北京に行く前ですから情勢は負けていたのは確かですね。
もしそれを聞いて決断しても船に乗れたかどうかですね。

人間の歴史って戦争の歴史って言っていい位ですよ、その面では人間は進歩してないですね、兵器は地球が無くなるほど進歩してるのに 私の亡くなった父は戦争の話は一切しなかったですね、だから物心ついて近所の人に聞くまでは招集されなかったかなと思っていたくらいですよ
何が有ったのか、何をやっていたのかまるで知りませんが亡き父の心の中には物凄い葛藤が有ったのかなとも思います

様々ですが

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
仰る通りですね。戦争体験はその方の立っていた地位や地域によって違いますね。
お父様のように一切話さない方もおりますが、経験談として話す方も多いですね。
私の感じですが、戦場の第一線で戦った兵隊の体験談は性格によって随分違います。生臭い話を得意になって話す方に出会いましたが、日頃の態度はそれを良く現していました。

北京、青島

はじめまして
私の父も、華北電電に10年ほど勤めておりました。
子供6人と8人で、引き揚げて来たそうです。
私は、戦後生まれなので、あまり中国の生活は聞いていませんが、残した短歌から、北京の風景が見えてきます。
中南海の近くに居たので、その近くで撮った写真が、けっこう残っております。父は、戦前からずっと反戦を貫いていました。
私も、地元の9条の会で活動してます。華北電電を検索していて出会いました。

ようこそ

うらちゃん さん お早うございます
そうでしたか。引揚がでは皆さん苦労の連続でしたね。
幼い子どもを無事に連れ帰られて、それは良かったですね。  

Please write a comment!


 管理者にだけ表示を許可する

entry_header

TRACKBACK URL

http://aikoqipao.blog47.fc2.com/tb.php/1925-53bef4d2

side menu

side_header

プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog