2017-10

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パンの耳を貰ったので

 戦後の食糧難時代のことを思いますと、ま~良くあんなに色々な物を食べたものだと思いますね。
 勿論戦中も満足とは言えませんでしたが、敗戦で軍人や在外日本人が大勢引き揚げて来ました。
 記録によりますと軍人350万人 邦人300万人 これは大変ことですね。
 そこに不作が追い撃ち、人々は食糧を求めて右往左往したのです。
 我が家とて例外ではありません。
 主食と言われる米は戦時中から配給制度が敷かれ、非農家はその配給米で暮らすのですよ。
 配給米は最初は1日一人3合の割り当てでしたが、それも既に敗戦の頃は適わぬこととなっていました。
 戦後の配給はお米は足りませんから、色々な穀物が配給されました。お米だけはなく、砂糖などもお米に換算されて配給されたのです。その砂糖で作るカルメ焼きと言うお菓子作りが流行り、その膨らますことで子どもは一喜一憂したものでした。
 先ごろ配給という言葉から、無償で配られたと思っていた人に会い、これは驚きました。
 
 食べ物がなく、とても辛い毎日を送ると言うことは当り前のことです。最も農産地は違う道を進んでいたと思います。
 都心では焼跡に出来たマーケットで雑炊が売られていたと言う話は本当ですよ。
 
 数日前 長女と一緒にパンを買いに行きました。パンを自由に選び買うと言う時代ですね。様々なパンが売られております。最後のレジの傍に行きましたら、大きな袋に食パンの耳だけが詰め込まれています。
 「これは売られるのですか」と聞きましたら「どうぞ」と袋に一杯詰めて渡して呉れます。
 「おいくらですか」と聞きますと「一家に一袋差し上げます」と言うじゃないですか。ビックリしましたが、遠慮なく頂いて戻りました。
 
          パン耳

 このパンを口にしましたら、甘味がありパンの生地が確りとしており、旨味もあるのです。
 あの食糧難時代のパンとは全く違うパンです。
 戦後暫らくは旅行者用外食券という主食のチケットを使うとコッペパン1個が買えました。
 そのパンにマーガリンやクリーム、またジャム等を塗って貰います。塗って貰わなくても良いのですよ。塗ると5円ほど高くなったような気がします。
 でも大抵の人は塗って貰ったものです。バターは闇市では買えますが、高いのです。
 食パンは外食券1枚で三分の1斤が買えます。6枚切りの2枚ですよ。それにマーガリンやジャムを塗って貰います。
 この耳のような美味しいパンではありません。
 
 私はこの耳を噛みしめながら、昔を思い出しております。沢山頂きましたので、何回も食べております。
 どう言う訳か捨てられないのです。

 夫は仲間からパン屋に良く行かされたようです。「お前が行くとジャムも沢山塗ってくれるぞ」と言う理由だったそうです。店員は若い女性だったようです。笑っちゃいますね
             今日の朝食

          朝食3月22日

 今日の午後 友人の家にお邪魔しました。彼女も引き揚げて来た方です。
 引き揚げ時の姿を話し合い、あの時代を生きて来たのもプラスに考えましょうと意気投合したことです。
 
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COMMENT

私は終戦の年に小学校に入学したのですが、群馬県にある母の実家に疎開していたので8月まで地元の小学校に通学、終戦直後に父がいた江戸川区に引き上げてきました。
転校先の小学校には机も椅子も無く床に直に座って授業を受けました。
座布団を持参した記憶はありません。
一度だけ雑炊を貰うのに鍋を持って道路に並んだ記憶があります。
東京へ来てからは毎日が空腹でした。
DDTを身体中に噴霧され真っ白になったのも憶えています。
今になってみると懐かしい思いです。

相子さん おばんです。

サツマイモの入った麦飯が、小学校位の頃まで、我が家の御飯でした・・・。

パンの耳・・・フライパンで乾煎りして、塩少々、砂糖を多少大目にかけて、お八つんしています・・・サンドイッチの残りです・・・。笑)

焼け野原

はせがわさん  今晩は
疎開先の生活もまた戻って来た東京でもご苦労されたと思います。
江戸川区は3月10日の空襲も受けていたと思います。
焼け野原の中では無い無いづくめで皆さん苦労をしましたね。

この耳はご馳走です

ひげさん   今晩は
我が家では麦めしは贅沢な方でしたね。
藷飯は藷にご飯粒が付いているようなものです。スイトンてご存知ですか。美味しい粉で作った物ではないのです。
黒い小麦粉で作ります。夕食にはお粥も良く食べましたね。今の毎日はお大尽ですよ。

おはようございます
この時代の話は両親から耳にタコができるくらい聞いてきました。
親父は母子家庭で父を知りません。
小学2年から家事をしてます。
母は10人兄弟の次女。
山から長女と木を伐採して薪を作り運びました。
二人で新聞配りも。
これが日課。
両親とも村一番の貧乏者。
それゆえ戦後はいくら田舎でも食べ物がありません。
スイトンやらイナゴやら色んなものを食べてきました。
少しあった田んぼが救いでしたが
労働がきつくて倒れることも。
今生きてると85歳です。

パンの耳は私も小学校の家庭の授業で揚げましたね。
当時のおやつはこれが一番美味しかったです。

私的に待ち焦がれた曲。
http://www.youtube.com/watch?v=3Ck5JKVaGRM

相子さま♪
おはようございます^^
今日は暖かくなるようですね。。。

パンの耳。。。パン屋さんで安く売られている時もありますね。。。

パンの耳。。。好き派です^^v

※相子さまのご主人さまはイケメンなので、パン屋さんへ行かされたのですね。。。
女性店員はイケメンに弱いですもん。。。ふふふ

そうでしたか

敷島さん  お早うございます
ご両親は大変ご苦労をなさったのですね。
年齢が私に近いですね。良く分かりますよ。

農家も大変だったとは思いますが、品物を持って行き物々交換か、闇の値段でなければ、お米を売って呉れない家も多かったですよ。
家は引き揚げで、お金も品物もなく、それこそ両親は一所懸命働きました。
ロバのパン屋さん懐かしいですね。有難うございます。

噛むと美味しい

Paganini さん  お早うございます
この耳は未だ仕舞ってあります。昨夜もおつまみに食べましたよ。
また買いに行きましたら、忘れずに貰って来ようと思っています。
同世代の男性としては背がチョッと高いだけです。

ビックリ!配給って無償じゃないんですか?
パンのミミはわたしも好きです。白い柔らかいところだけ食べてあとは捨てるものだと思っていたんですが、中学の同級生にパン屋さんの子供がいて、端っこが美味しいよ。明日持ってきてあげると、たべさせてもらった時の驚き!目から鱗でした。何もつけなくても美味しいんですね。それ以来、ミミファンです。

耳を捨てるのは勿体ない

りょうこさん  ようこそ
このパン屋ではサンドイッチも沢山ありますから、耳の切り落としが山のようにあるのです。
配給米はお金を払いますよ。唯で貰う訳ではないのです。
戦後はタバコもお酒も配給で、20歳過ぎないとそれも買えません。
物が出て来るまではとても大変だったのです。
朝鮮戦争の特需景気でやっと街のお店も盛んになって来たのです。

先日、警視庁の140周年記念で職員数千人の「大事件アンケート調査」が新聞に載っていました。100位までで①サリン事件②東北大災害③あさま山荘事件、、、この辺は分かるのですが太平洋戦争が入っていない。警視庁に直接関係がないからかな?と思ったのですが、西南戦争とか事件ではないことも入っています。
そこで思い当たったのは、今生きているほとんどの日本人には、戦争の記憶はないのだと。学校では教えませんし、戦後、東京、大阪など各地で餓死者が出ていたことなど、警視庁のお巡りさんも知らないんでしょうね。当時の新聞には度々載っていましたよ。子孫には知っていてもらいたいですね。

そうですね

直大 さん  今日は
私もおかしいな~と思っていました。
仰るようにそうかもしれませんね。
闇で買うのは法律を守る人間としては出来ないと餓死した裁判官もいましたね。
出来るだけ話題にしないといけませんね。

私もりょうこさんと同じで配給って無償だとばかり思ってましたよ 私の方が齢はかなり上なんですがね、田舎で育ったので食糧不足ってあまり知らないのですよ、小学校の修学旅行が東京に行くときはお米を何合かリュックに入れて行ったような気がしますが・・・
今考えれば田舎はまだ食べ物が有ったんですね麦飯ってあまり知らないのですよ
小麦も作っていましたので地粉で作ったお焼きは好きでしたよ、これが麦飯代わりかな

環境の違いですね

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
知って良かったですね。田舎でも色々とありましたよ。
東京近郊では薩摩芋の買い出しに出掛けた人も多かったですね。
私の方では海藻を入れたり、豆を入れたり、とに角主食代わりに色々と集めましたよ。
上京した時には大学の中でも空き地を耕し菜園があった位です。

抱腹の時代に

相子さん

今の日本は平和で安全で(一応)、食べ物が豊かな国です。戦後すぐの食べ物に苦労した時代を経験した方々が「自分の子供や孫には、ひもじい思いをさせたくない」との思いから、頑張って今の食べ物・食材が豊かな社会を実現しました。

それが行きすぎて、食べ物を粗末にする方々が現れました。学生時代にお金のない方がパンの耳を10円ぐらいで買っていましたが、今は食材を廃棄物にすると廃棄処理代がかかるので、タダで持って行ってもらうのだと思います。おからもタダの店があります。

でも、日本は5年先には稲作に従事する方が高年齢化などで不足すると、米不足になる可能性があります。パンやうどんの原料の小麦や豆腐の原料の大豆も輸入に依存しています。

日本は予想以上に簡単に食糧不足になる可能性もあります。パンの耳を笑う者は、パンの耳に泣くかもしれません。こうならないように努力しますが、食べ物を粗末にしない食育も大切な時代です。

仰る通り

ヒトリシズカ さん  今日は
お考え同感です。
私は随分前に教室で生徒に話したことがあります。
国民総給食なんて起きることがあるかもしれないわよ。そしたらどうしましょうと。また家電製品は一家に一台と言われたら私は洗濯機だわって。
何れも何か危機感があるからなのです。
食糧問題はもっと国が国民に確りと考えさせて置くべきことだと思っています。
勿論前提は国が長期的に問題を捉え、実行する政策を持つべきだと思います。

私もパンが大好きなので外出中にパンの香りがするとふらっと入ってしまいます(笑)
私の国では象牙で蛇を呼ぶという言葉があるます。蛇は象牙の匂いが大好き。それなので家の玄関に象牙のかけらを置いて蛇が入ってくることを願います。蛇が象牙の香りに吸い寄せられるように私はパンの香りに吸い寄せられます。ちなみに蛇が家に入ってきた家はその一年は食べ物に困らない言われています。

パン屋さんは有難いですね

アジャンタさん  ようこそ
そうですか。あなたは蛇のお役ですね。
パンの香りは本当に良いものですね。

つい数日前にパンの耳を油で揚げ砂糖をまぶしたのをいただきました。とても美味しかったのです。おしゃべりをしながらだったのですが、何処で、誰たちと食したのかどうしても思い出せません。ほんの数日まえのことなのですが。

思い出したしたでしょ

ofujisanさん  今晩は
耳は捨てるには勿体ないですね。
私はサンドイッチもクラブハウスサンドも耳は付けたままです。
コメントを書いたあと、思い出しておりません?
さっき駿河台下のバラライカが思い出せず、二人で四苦八苦しました。

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Author:相子
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相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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