2017-10

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庶民は苦しむもすべなし

 昨日戦時中の東京都内のお菓子の配給のことを掲載しました。
 その絵と説明は「ある戦中生活の記録」サブタイトル「画と文でつづる庶民史」という一冊の本からのものです。

       戦中生活

 戦時中jの生活と言いましても、私は日本と中国 そして千葉県の小さな町で経験したことは、経験と言える程のものではありません。ですが多少なりともその時代に起きたことを時々はアップしたいと思っております。
 そう言った私の思いは生々しく正直に、素直に表現しているこの一冊にめぐり合いました。
 時々はこの冊子から絵や文をお借りしようと思っております。
 筆者は明治35年生まれと言うことですから、多分ご了解は得られないのではと思っております。
 本書の後書きを転記し、掲載しました。 

      あとかき
 大戦中、私は病弱な妻と、まだ幼少の五児をかかえて、終始、東京にとどまった。
家族を疎開させる田舎を私はもたなかったし、よし、それがあっても、多病な妻に子どもをらをまかせて手離してはやれなかった。どんなに危険があろうとも一家は東京に暮らすのほかなかった。「どうせ死ぬなら、みんな一緒に死のうね」私らはそう言いました。
 空襲が激化してからの日々、私たちは明日の命とよりも今宵の命、否、一時間後、三十分後の命を知らずいきていたというのは、少しも誇張ではない。実際、その残酷さと無慈悲さとで、十万の都民が石ころのように死んだ。それが明日の自分の運命ではないかという保証はどこにもなかった。
 私はしがない俸給生活者であったが、そうした暮らしの日々、暇さえあれば、家庭生活のあれこれや、外景の目につくものをスケッチしてまわるという、非常時下にはおよそ似合わぬのん気らしいまねをしていた。とはいえ、どんな美しく楽しげな画材があったというのではない。生活は飢餓一歩前であったし、外は一望はてない焼野原であった。
 少年のころ、私は絵かきを夢想したが、貧しく不幸のゆえその望みは叶わなかった。正規のどんな絵の勉強もしたことはなく、絵筆一本もたぬ私に、満足な絵の描けるわけがない。しょせん、素人の手すさびのそれらつたない絵を、私は人に見せようと描いたのではなく、いわんや後日、こうした形で世に出すことがあるとは、夢にさえ思わなかった。私はただ自分のために、それを描かずにはいられぬ思いで描いた。
 厳しい空襲下に、いつか来るかも知れない“死”そのものを、私はそれほど恐れなかった。が、失う“命”は惜しかった。死の恐れは愛惜した。この年月、自分なりに生い育ててきた命を私くるみ覆没しつつある、この現代大戦というものの狂気と無惨とを、できるだけ心魂に焼き付けて、それからどんなにでも死にたかった。それは刑の執行を告げられた朝、死刑囚は獄室でも窓でも、食いいる眸で見まわさずにはいられずにはいられぬであろうそのように。
 描くとは見つめることであった。心に刻むにこれより優る法はなかった。私はマニアのように鉛筆をにぎり、思うところを短文その他に記した。つまりそれは、私のどこへどう吐きようのない嘆きと苦しみの叫び、われとわが命を弔う挽歌なのであった。
 私の一家は、間一髪のうちに戦災をまぬかれ、無事。敗戦の日をむかえた。一冊五銭の小学生ノートに描いた戦中記h、十センチの厚みの紙包みのまま、押入れのすみにほこりをかぶっていた。それを無用の屑紙として捨ててしまうには惜しい気がして、大学ノート五冊に整理したのは、戦後十五年もたってからであった。なんといっても、それは一家苦難の日の思い出の記録であり、いまとなっては、多少めずらしいもののようにも思えたからである。
 そのノートのごく一部を、雑誌、週刊誌に発表する機会が、これまでに二度あった。しかし、それは全貌を尽くすものではない。その間に、私もいつか老残、余生多くを期し得ない身となった。その最後とともに、ノート四散消滅してしまうだろう。それは無名人間の一私記の当然たどるべきなりゆきとしても、なお多少の未練がないでもない。それをこのたび、早乙女勝元先生の非常のご尽力と、草土文化社社長田辺徹氏のご厚意によって、ノートのおよそ前半、家庭生活を主とした部分を、一冊として刊行のはこびとなった。この間にいただいた早乙女先生のご熱意とご親切に対しては、真に感謝の言葉がない。
 戦後三十余年にして出すこの書に、いくばくの価値ありや、なきやを私は知らない。が、かの長く苛烈な大戦は、軍艦や戦車、大砲のみによって戦われたのでは決してなかった。犠牲は戦没軍人や、原爆死の方々によってのみ払われたのでも決してなかった。戦後九千万の国民、老若男女もまた、戦いの明け暮れに、つぶさに辛酸をなめ、辛酸した。それは取るにたらぬ些事、記すにあたいせぬ泡沫事というのであろうか。
 私らは戦いの重圧下に、ただただ黙止忍従するのほかはなかった。そして、太平洋戦記のくさぐさ、広島、長崎の原爆の悲惨が、いまに語られて尽きぬというのであれば、戦時下九千万の庶民の忍苦の物語も、いくらか語られてもよいと思える。その意味でこの小著を今はほとんどわすれられようとしている、しかし、決して忘れてはならない、戦中庶民の苦悩の声の、遅まきながら代弁の書と解していただけたら幸いである。
 なお、雑ぱくなノートからこの書をまとめあげるには、編集部の梅津勝恵氏の一方ならにお骨折りをいただいた。併せ記して厚くお礼を申しあげる。
  1978年6月25日    勝矢 武男
 
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私のように戦中戦後を知らず、不自由のない暮らししか知らない世代は、
兎角、別次元のことだと感じてしまいます。
平和ボケして自分のことだと捉えられないようになっていますから、
庶民目線の体験談を自分の腑に落としておきたいと思っています。
そして政治には関心を逸らさず見つめていくことにします。

宜しくね

鍵コメさん 今日は
ハイ 了解しました。

私も知りたい

ちゅんごさん  今日は
戦中は国民は苦しんだのです。それは大人だった方が減って仕舞っていますから、このように資料で見ると助かります。
旧満州からの引き揚げ者の証言なども新聞で読むことがありますが、手元にこういうものがありますと、理解し易いのですね。
仰る通り私も関心を持ち続けて行こうと思っております。

相子さんへ!!

素晴らしい本があったのですねー‼
戦中戦後の庶民の生活は今の飽食な時代に育った人には分からないと思います。
是非、読んでいただきたい本ですねー。
これからまた、戦争がないとも限りません。汗)
戦争は絶対イケない事なのですねー。!

確かに都内での生活は大変だったろうな
ベルリンも絨毯爆撃でドイツも同じだったろうな なぜ非戦闘員が巻き込まれなければいけないかって考えるとそれが戦争かな狂気のなせる業ですよ、ただこの体験をもとに
どのように戦争を回避できるかを真剣に考えなければいかんと思いますよ、人類の歴史は極端に言えば戦争の歴史ですからやりきれんですね
誰だって平和がいいに決まってるんですがその理屈が通ない国も多すぎですよ

そう思います

荒野鷹虎 さん   今晩は
この本はとても良い一冊だと思います。
当時大人だった明治生まれの方は100歳以上です。こういうことは気が付いた人間が受け継ぐことが大切だと思います。

平和を願いますよ

EGUTI YOUSUKEさん  今晩は
そうですよ。世界の歴史は戦争で彩られていますね。人知も発達して来ているのにと思って仕舞います。
通じないのは国と言うより、政治家ではと思って仕舞います。
何処の国民も平和を願っていると思います。

ご無沙汰いたしました。
戦争回避が普通の国民の願いであっても一般人たる私たちには止められない戦争もあります。人種、宗教、民族性さまざまですから。WWⅢがおきないことを願うしかありません。

世界は流動的

ようこさん  ようこそ
お帰りなさい。そうですWWⅢは絶対起きて欲しくないです。
皆が望んでも起きることがないとは限りませんね。

文字の隙間からうめき声が聞こえてきそうな気がしました。権力を持たない者は流れに任せるより無いのでしょうね。昔も今も。

辛いですね

ofujisan さん  今日は
そうですね。こういうことは知られて欲しいと思うのです。知る機会はどんどん減って来ますね。
だからと言ってどう出来るかは分かりませんが、何かを判断する時に役に立つのではと思います。読んで下さり有難うございます。

相子さん こんにちは・・・。

こんな本を読む機械が、ますます浮くなくなっていきますね・・・。

今は、自衛隊の海外派遣と阿部総理のお母さんの本を読んでいます・・・さて何を感じますやら・・・。

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時代の変化

ひげさん  今晩は
そうですね。皆さんには遠い存在になって来ていましょうね。
私は積んで置く本が多いですよ、
アマゾンでついつい買ってしまいます。

お待ちします

鍵コメさん  承知いたしました。
お世話になります。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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