2017-10

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さつま芋

 先に女学校の寄宿生活の話を赤字でリンクして見て頂きましたが、続きがあるのです
 その中に記した食事の話 本当に粗末な物でした。ぜひ読んで下さい。
 それを読み直しますとさつま芋のことを思い出します。今でこそさつま芋はスーパーでは何時でも買うことが出来ますし、さつま芋を使ったお菓子やまた焼酎などと親しみのある食べ物ですね。
 九里四里より旨い十三里 栗より旨い十三里=さつま芋って言いましてね。それなりの美味しさがあります。

        スーパーのさつま芋

 戦時中 東京ではさつま芋が主食として配給されていたようです。千葉の田舎ではまだそこまでにはなっていませんでした。 
 「ある戦中生活の証言」にさつま芋の画が描かれています。そして著者は配給のさつま芋を珍味と表現しています。
 切ない表現です。

       薩摩芋

 著者の説明

    珍 味
 さつま芋の配給が近々あるはずだというので、子どもたちは落ちつけない。
 さつま芋は、主食代わりの配給なので、決して有難くはなのだが一切ほかの食物はないので、さつま芋でも子どもたちにとっては大ご馳走なのである。
 それで、米の配給所に芋俵が積まれたことは、一時間もたたないうちに町中に知れ渡った。
 配給は町内を幾区にも分けてするので、順番が来ねば配給にならない。子どもたちは、学校の帰りにわざわざ配給所へ回って、情況を調べてくる。
 「今日はどことかの区に配給していたから、うちの方へくるのはあさってだよ」
などといっている。あんなに積んでまま幾日も見せびらかさないで早く配給すればいいのに~~~という者もいる。
 待望のその日、仕事から帰ると、さつま芋のただ一切れが皿の上に私を待っていた。
 「これ一つだけでも取っておくのが大変だったんです。早百合など、今日はお芋の配給があるというので、おちおち遊んでいられないんです」
と妻君がいう。
 皿の上の貴重なその一片をながめて珍物だとの感をしみじみし、食べてみて、さつま芋って、こんなにうまいものだったかなと、認識をあらたにした。
 米の配給とは違って、さつま芋の配給は量的にも取扱いにも大変、当日の配給所の前は、さながら戦場のさわぎだったそうだ。


 さつま芋を手に入れると言うことの大変さ 夫の母親(姑)は都内の杉並から田無までさつま芋の買い出しに行ったと言うのです。東京生まれでお洒落、重い物など下げてこともないような人です。
 一方我が家 戦後引き揚げて来てからはそれはそれは大変な苦労でした。
 まず芋を植える土地から探さなければなりません。借りることが出来ると開墾です。中国で贅沢に過していましたが、母は気丈でへこたれず、頑張りました。長女の私も勿論手伝いましたよ。
 今日は南亭さんのブログを訪問しましたら、芋の畝が見られるではないですか。
 それをお借りしました。

       南亭さんのさつま芋畑

 さつま芋は戦時中は小学校の校庭でも植えられたものです。女学校でも校舎の東側を開墾して苗を植えました。
 種イモから伸びた蔓を切って植えて行きます。
 当時から戦後しばらくまでのさつま芋は沖縄100号という品種でした。それは多収穫を目指す人間には有難い品種でした。
 どこの家でもと言って良い位この沖縄100号を植えます。高畝と言いまして、土を高く高く積み、畝の高さが40センチ位になっているものもありました。芋の大きさは凄いんですよ。両手で掴んでも掴めない程大きなものです。
 今もその品種が植えられているのかは知りませんが、美味しくないのです。

 話は食糧難の時のことですが、寄宿舎でも主食に蒸かし芋のことがありました。蒸かし芋こぶし大位のを2,3個ですね。大学の女子寮でも配給にさつま芋がありました。さつま芋は一階の管理人の廊下に一山づつに分けられて転がっています。それを蒸かして食べたり、米と一緒に炊いたりしました。
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COMMENT

主食がふかし芋など考えられないのですが、今何かが起きて食糧難が現実になった時どれほどの人が耐えられるだろうかと思います。イモ類が大好きなのですが、その他のものがすくないと寂しいです。

それだけです

りょうこさん  ようこそ
そうでしょうね。想像出来ませんでしょ。
蒸かし芋だけですよ。家でも昼食はそうでしたよ。
農家の畑に食べ物があっても泥棒する人はいませんでしたね。モラルが高かったのでしょう。
それなのに、今は豚泥棒や野菜泥棒などいますね。

相子さま♪
おはようございます^^

その当時のさつまいもは本当に貴重なものだったのですね・・・
相子さまのお話を今、知りましたからさつまいもを見たら、このお話が頭に浮かぶことでしょう・・・

さつまいもは今、いろんな種類のものが出て美味しいですが、それがほぼ毎日主食となると・・・
大変な時代を過ごされてきたのですね・・・

貴重なお話をありがとうございました。

相子さん おはようございます。

子供の頃(昭和三十年代)、県道には、カマスに入れられたサツマイモが沢山並べられていました・・・段々畑の山の上から人力で降ろされたもの・・・・多分、澱粉工場や芋焼酎へ運ばれていったものでしょう・・・。

当時の御飯は、麦飯にサツマイモが混ぜて有りました・・・オカズは鯖の干したもの・・・芋と鯖は相性がいいですよ・・・今でも思い出せます・・・。笑)

私の母の実家は漁師町で運送業をしながら、
家畜を飼い、畑をしていたので食べ物に困ることなく
戦後を暮したようなので、
そういう食糧難の話を聞くことはありませんでした。
また父は無口で貧しかった頃をほとんど口にしません。
唯一、私に当時の苦労を語ってくれた祖母は
私が社会人になった年に亡くなりましたので、
相子さんのお話は貴重です。

何も無くなったので

Paganini さん  お早うございます
当時はインフレが進行してまして、お金より物が幅を利かせていました。お金のない引き揚げ者は買うのも大変でした。お米は配給ですし、それも少なくて食べ物を皆一所懸命に求めたのです。

衣食足りて来ました

ひげさん  お早うございます
30年代はもう食糧難を脱出しておりました。日本人は美味しい物を食べるようになっていましたね。
鯖の開きですか。美味しいですね。
麦めしに芋となると良く合うと思います。

格差がありました

ちゅんご さん  お早うございます
当時一番困ったのは戦災で焼け出された人と引き揚げ者だと思いますね。
それとサラリーマン家庭でしょうか。
食料による格差はありましたね。製造業や農家などは白米を食べていました。
銀シャリと言う言葉をご存知でしょうが、白いご飯は貴重でした。

これは大変な時代ですよ
私は田舎でしたので食糧難はそんなに感じなかったですが小学校の修学旅行(東京でしたが)持ち物にお米何合って有った様な気がしますよ 当時は電車じゃなくて蒸気機関車で言った様な気がしますよ それから6年後は受験の為に行った時は特急で新宿まで行きましたからあの頃の時代の進歩は凄かったな

闇のお米は値上がりが酷い

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
そうですよ。人の家に泊まるのもお米持参なんて普通でした。
都内では闇のレストランや料理屋があり、そう言うところは成り金の世界です。
庶民は大変でした。
列車の切符も中々手に入らず、私も受験の時は駅長に頼み切符を買いました。
お礼は小麦粉一貫目です。

子供の頃好き嫌いがひどく、母は苦労したと思います。サツマイモの入ったご飯も嫌でした。今おもえば苦労して手に入れたのかも知れませんね。悪かったなーと今になって思います。

他にあるから

ofujisanさん  今日は
好き嫌いはよく聞きますね。どこの親も治そうとしましょうが、出来ないことも多いようです。
嫌いと言っても他に何かしらあるでしょうから、お腹を空かせていると言うことにはならなかったでしょう。
昔はそれしかないということで、私は何でも食べられました。

こんばんは。

不義理ばかりしておりますのに、
こうして拙ブログを紹介していただき、
申し訳なく思っております。

勉強しています

NANTEI さん  お早うございます
何時も訪問させて頂き、色々と勉強させて頂いております。
この畝を載せることで内容が締まりました。
有難うございます。

おはようございます

沖縄100号を植えているとこはほとんどないでしょうね!
食料のない時代、沖縄県民を、日本国民を飢えから救った芋です。
私のブログで何度か紹介しましたが、私も参加している芋の会があって、
会員で苗を植え 各々が育てた沖縄100号を5月6日の総会の時に持ち寄り、芋を食し、蔓を ジュウシイ(おじや)にして食べ  その日は、芋に感謝する日としています。

助かったのですよ

ノリーダヨさん  お早うございます
沖縄100号は当時作っていた人しか知らないかも知れません。
大きな芋に感謝をしていました。
沖縄の方々のお気持ち有難いですね。

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Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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