2017-08

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出てきた切り抜き

 PCのあるテーブルの引き出しにも色々と詰まっています。
 何時か使う心算のメモや切りぬき、それとパンフレット‥
 随分前に長女が持って来て呉れた朝日新聞の切り抜き
 紙の劣化で文字が薄くなっています。前回この切り抜きのことを書いた時は、まだはっきりと見えておりました。
 今時の若い女性が眺めたら驚くような内容です。

 改めて掲載しましょう。

明大女子寮 50年後の同窓会

[ 大学近くのレストランで開かれた同窓会には全国から約30名が出席。半世紀ぶりの再会もあった。
同女子寮が開設されたのは1945年秋。東京・吉祥寺の旧中島飛行機の社員寮だった建物で、二階建て。四畳半と六畳の計23室に、35名前後が生活をしていた。
48年に入室、卒業後は母校の職員として学生の相談相手を務めて来た持永あい子さんは
「水は外井戸で、停電しがち。七輪での自炊なので、食事時には廊下が煙でいっぱいになった」と振り返る。設備はひどかったが「解放区のように自由だった」という。
卒業後の進路は検事、弁護士、教員、公認会計士、会社経営などさまざま。退職後も家庭裁判所の調停委員や民生委員などで活躍している人も多い。だが、寮生活はこうしたイメージとは裏腹なものだった。
家裁の所長をへて現在は仙台で調停委員をしている鎌田千恵子さんは「にぎやかな寮だった」と語る。食料難だったが、男子学生が連合国総司令部(GHQ)などで調達した洋酒や食料を持ち込み。「毎日女山賊のような大宴会を開いていた」と言う。
男子学生の出入りは自由。学生結婚もあった。遊びっぷりも派手で、ボートで東京湾を巡ったり、浜辺のダンスクラブで踊ったり。映画館や劇場に毎晩通う学生もいた。新宿でヤクザにひっかかった寮生がいて、寮に乗り込んできたそのヤクザをみんなで撃退したことも。
現在も雑誌編集者として活躍している愛甲照子さんは「女性が黙って我慢していてはいけない、という気負いがあった」と語る。
遊びにも勉強にも過激だったが、互いを尊重して迷惑をかけないという不文律は厳しく守られていた。
卒業後は「初めての弁護士夫婦」「初の女性編集者」など、差別と闘いながら女性の道を切り開いた人も多い。最近まで家裁の調停委員をしていた戸田寿江さんは「自由な寮での体験がへこたれない精神力を養った」という。
最近の女子学生の話になると「遊びもたばこもセックスもケーキを食べる感覚でやってそれだけ。闘いも勉強をしない人も多いのでは」との声。
ボランティア活動を始めた人。米国移住を予定している人もいる。戸田さんは「今後も、無表情、無行動、無関心だけは避けたい」という。
愛甲さんは「昔話や自慢話ではなくて、何かを言わなくてはいけない時代になってきたのではないか。老後の自立する女性の道をまた切り開いていかなければならないわけですし」と話していました。
明大女子寮はそのまま残っていたが、老朽化のため、昨年とりこわされた。]

 この会合は私を含めて3人の仲間と愛甲さんで計画しました。3人は常磐線沿線に住んでいましたので、直ぐに相談は纏まりました。
 当日の記録が手元にあります。案内を送った方は74名 欠席者からのメッセージは21通
 会場は元主婦の友ビルの2階にあったレストラン・メレル 

 名前の出ている、鎌田千恵子さん・戸田寿江さん・愛甲照子さん 三人はお亡くなりになって仕舞いました。

 酷い環境の女子寮でしたが、寮があると言うことで親が入学を許したと言う方もおりました。
 意志の強い女性の塊と言っても良さそうです。

 オシドリ弁護士として知られた鍛冶千鶴子さんは一番早い頃の寮生です。
 鎌田千恵子さんはあの日宝冠章を皆さんに見せて下さいました。(私がお持ちになって来て下さいとお願いしたのです)
 検事になった武内喜代さんは女学校の先生から転身して来た方です。頑張っていました。
 現職時 被告人が部屋に入って来ると男性の事務官の方に行って仕舞うと笑っておりました。
 武内さんと同期の真下良子さんは現役の弁護士
 明大の職員から広島修道大学の教授になった茎田佳寿子さん 
 公認会計士や税理士などになった方。高校の教師になった方は何人もおります。
 群馬県で俳人として知られているのは鈴木民子さん 
 企業家として、今なお健在で活躍している方もおります。
 よくぞ皆さんへこたれずに頑張ったものです。

         女子寮玄関

 右の方は同級生ですが、就職した会社の役員の方が、恩師の久野勝先生に「女性だと言うので気の毒、昇格出来ないのです。同期の東大出の男性より仕事が出来るのに」と仰ったそうです。才女とは彼女に捧げたい言葉です。
 時代を感じますね。
 左奥の方は関西の某県のPTA連合会の会長をされた方です。この二人スカートを穿かずに過しました。
 新聞は誇張して書きますね。書かれているほど奇抜なものではありませんでした。
 
 今日は前回の記事を書いていた時に電話を頂いた南條友子さんとお喋りしました。
 彼女はお子さんが成長し、手がかからなくなったと、大学の聴講生になり、何年も講義を聞きに来ておりました。
 昨年12月突然体調を崩し、心配しておりましたが徐々に回復して来ています。
 お嬢さまでご飯も炊けなかった方ですが、太っ腹は超の字が付く方です。
 彼女から頂いた裂き織りのペーパーホルダーは何時もテーブルに置いています。

        裂き織り

 1948年からの付き合いです。愛甲さんと3人で良く話したものです。
 翻って私 駄目ですね。せめてブログで皆さんの様子を伝える位のものです。
 
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COMMENT

そんなに早く女子寮できたのですか 驚いたな 終戦後すぐに出来たのかな

一番記憶に鮮やかに残っている時代ですね

粗末なものです

EGUTI YOUSUKEさん   今日は
大学は戦後暫くは混乱期だったと思います。その頃誰かがこの建物を斡旋したのだと思います。
学生寮などと言える代物ではありませんです。自炊ですが、ポンプを押して水を汲みます。良く誰も伝染病にならなかったものだったと、今更ながら感心しています。

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相子さん おばんです。

母親がお寺さんで詠うというかとなえるお経・・・近所のおばさんたちも一緒に詠います・・・・その調べ、その声、その顔・・・女学生のようなほんと素敵な顔になっています・・・きっとその頃を思い浮かべているのでしょうね・・・。

今は昔です

ひげさん   今晩は
ご詠歌ですね。
昔はお盆には家々を回り、ご詠歌を仏に上げたものです。
友人ももう昔の顔しか思い出せません。歳を取っていませんね。

戸田壽江さんのことを知りました

戸田壽江さんがお亡くなりになったと知りました。心からご冥福をお祈りします。ご主人の明治大学応援団戸田団長はお元気でしょうか。

惜しい方です

寺門孝彦さん  今晩は
ハイ 定年まで頑張っていられましたが、体力の衰えでしょうか、70歳頃お亡くなりになりました。
ご主人の戸田さんのことは何もお聞きしておりません。

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Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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