2017-10

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戦いは終わった

 69年前の今日 日支事変から始まった日本の戦争は終わりました。第二次世界大戦と言われた戦争です。
 通常終戦記念日と言われております。

 あの日 日差しの強い如何にも夏らしい青空が広がっていました。日本中が晴れた日だったようです。
 前日だと思いますが、15日正午に重大な発表があると知らされておりました。
 昼近くになって来ますと、近所の人が集まって来ました。ラジオのない家の人たちです。
 「なんだろう。これから頑張れって言うことだろか」 「本土決戦のことだろうか」 それぞれが話しております。
 正午きっかりと放送が始まりました。天皇の詔勅だと言うのです。皆畏まって聞きました。
 放送の内容が上手く聞き取れません。天皇の言葉が終わりますと、説明らしき言葉が流れて来ました。
 ポツダム宣言受諾と言うではないですか。とっさに私は「日本は負けたの。無条件降伏よ」と声を上げました。
 「ほんとかよ」 「ほんとよ」 「何でだよ」 「だって伝単で見たもの」

 暫くは皆放心したような時間が過ぎました。あの日午前中は艦載機が飛んで来たのです。
 正午前にそれは聞こえなくなっていました。 
 気が付きましたら、周囲から全ての音が消えて、私は真空の中にいるような自分に気が付きました。

 どうしよう。父も母も北京にいるし、これからどうすれば良いのか。不安感が頭を占領しております。

 放送が戦争の終わりを告げたのですが、そこにいた部落の人たちはどうしようと話し合いました。
 「相手は信用できないから、今夜も山小屋に行こう」となりました。
 春先から山の中に作っていた山小屋には艦砲射撃のあった日から、ちょくちょく泊まりに行っておりました。

 その夜は問題なく過ぎ、山から下りて行く峠から眺めた海の綺麗なこと。

       2014年8月15日の空

 今日も晴れですが、あの日のような完璧な晴天ではありません。毎年8月15日は晴れのような気がしております。

 戦争は惨いものです。極最近放映された「激戦地ペリリュー島」 「女たちのシベリヤ抑留」などは今まで知らなかったと言いますか、知られていなかったことでしょうか。見ていて実に悔しくてなりません。
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敗戦記念日

雑音だらけの昭和天皇の声、この男を利用した命令のために実に多くの生命が失われました。軍需工場で聞きながら意味が分からず、「敗戦」と知るまでしばらく時間がかかりました。いろんなことを思い出しますが、長くなるのでこの辺で。悔しいけど安心した一日でした。

相子さんへ!!

おはようございます!
私は国民学校一年生でした。三球スーパーは聞きとりづらく先生の説明を聞いて初めて戦争が終わったと聞かされました。大人たちと兵舎になっていた学校の兵隊さんも皆泣いていました。兄は前年の11月に既に戦死していましたが子供心に悔しく思いました。勝つと信じていたのです。
だから終戦記念日と言う名前は今でも「敗戦の日」と思っています。泣き)

閣下も大工のミノで自殺しました。戦争は負けは駄目ですねー。ソ連は終戦後も北海道占領を狙って留萌に輸送船を撃沈しました。多くの引き上げ輸送船が撃沈されました、それ以来卑怯なロシアは嫌いになりました。
報道されていない真実の悲劇はまだまだ沢山あります。泣き」2度と防空壕生活や林間学校と飢えはいやですねー。親の悲劇はどれほどでしたでしょうか。
集団自衛権はとんでもないことと思います。喝)

ペリリュー島

私の叔父は水戸歩兵2連隊に属し、ペリリュー島で戦死しました。遺骨収集団の方が見つけてくれた飯盒の蓋を参議院議員会館に引き取りに行き、実家の仏壇に供え供養しました。ペリリュー島の戦いを記した本では、玉砕することを選ばず、74日間も持ちこたえ、後の硫黄島の戦いにも生かされた戦略の素晴らしさが重点的に描かれていました。しかし今回のNHKの番組では、米軍のカメラマンの方が証言されていたように、70年経った今思い出しても反吐が出るほど凄惨な状況で、正に狂気の戦場でした。私も戦争を知らない世代ですが、決して戦争を美化してはならないと思いました。

敗戦です

いさむちゃん   今日は
多くの犠牲を齎したこの戦争。敗戦を停戦と言ったことで、国民の感情に色々な差が出たと思います。
負けると言う選択を最初から選んだとは思いませんが、早く受諾をすべきでした。

ドイツが負けたと言うのに

荒野鷹虎さん  今日は
あの日は私も敗戦の日だと思っています。
ドイツが負けたと言うこで日本は勝てないと分かっていたと思います。
開戦の12月8日のニュースに沸いた国民は、長~く勝っていると信じこまされていました。
ヤルタ会談も分かっていた筈ですよ。それなのにロシアを頼るなんて。
失わなくても良かった国民の命がどれ程だったか。
今大きな声で怒ってもどうしようもありませんが、当時の政治家、軍部はおかしく思います。

72日間持ちこたえた

Yantian さん  今日は
あのテレビで知ったペリリュー島の戦いの酷さ、日本は海陸合わせて8978人も投入して戦ったそうですね。
1947年4月最後に収容された兵は34名だそうですね。
戦争は敗者にも勝者にも大きな負を齎すと思います。忘れてはならないことだと思っております。

この日は護国神社に行きますよ
英霊の御霊に感謝してきます。
終戦前日に攻め込んだソ連軍の葛根廟・千島列島これだけは何とも言えない嫌悪感ですそしてシベリア抑留何とも残酷ですよ、本来ならば日本に生還できたのにと思うのです

昨日「硫黄島からの手紙」という映画を見ました。戦争とはこんなにも酷いものか、と改めて考えました。沢山の遺体が放置されて、でもそのひとりひとりを待っている家族がいるのですよね。
こんなに悲しい事は絶対に嫌と誰もが思っているのですがね。

シベリヤ抑留は残酷

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
護国神社が近くにあるのですか。それは良いですね。
あの時のソ連は酷いですよ。国際法の無視でしょ。

戦争は惨い

ofujsanさん  今晩は
硫黄島の攻防は激烈だったのですね。
戦場ばかりではありませんね。空襲で死んだ人々の姿。広島・長崎の原爆投下後の人々の姿。
どれも切ないものです。

こんばんは。

最近は言葉を失ってます。

何を語ってよいのやら分かりません。
私より遥かに頭の良い人、私より遥かに弁舌の巧みな人がこの国の罪を問い、
かと思うと自虐史観に激しい攻撃を繰り返しています。
浅い知識と情緒のみで語ることは、かえって罪深いことかと思ってしまいます。

もっと勉強しなければ、尊い命を奪われた方々に報いること、
到底適わないとますます口が重くなります。

もどかしい毎日です。

言論の自由が?

NANTEI さん  今晩は
何を持って言うことなのか。理解を超えることが多く、私もまた迷っております。
命と生活を守って行くと言うことが段々難しくなって行くような気がしてなりません。

こんばんは。
その時の生の声に触れてほんと参考になります。政府も報道も教科書も都合いいようにしか書いてありません。原爆を落としたアメリカにも大きな責任はありますが、日本国の仕組みにも問題があったとも思います。三菱等の大企業が武器商人になり同じアジアでいがみ合って気が付いたら戦争をする国になってしまっているのではと不安になります。

酷いことでした

あかちんさん  今日は
国家は誰を守るべきかが、時に変わって仕舞うと言う現実がありますね。
大いに気をつけていなければなりませんね。

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Author:相子
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相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

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