2017-10

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私的明大昔話 22

 和泉校舎に相談室ができてから、秋になって駿河台と生田校舎でも相談室が発足しました。
 それぞれに職員が一名づつ配属されました。所属は駿河台は学生課、生田は生田校舎事務室学生係ですね。
 私と合わせて3人となりましたが、職制上3人の上司は別です。
 何だかややこしいでしょ。
 そうは言っても歩調を合わせなくてはなりません。
 そこで駿河台の学生課の杉原方平さんが全体のまとめ役と言いますか、指南と言いますか。3人と掛かり合って下さり、事務方3人は杉原さんと相談しながら仕事をして行きました。

 和泉と生田は独立した家屋で発足しましたが、駿河台は仮の部屋で発足しなければなりませんでした。

 生田校舎の相談室は元の兵舎の一棟です。聞くところによりますと酒保だった棟だそうです。

       生田相談室

    写真は明治大学史資料センターから

 この生田相談室はじめじめとして湿気が多く、寒々としております。発足当時は傍で牛が飼われており、牧歌的と言えば言えなくもないですが、臭くて担当者は気の毒でした。
 和泉校舎の相談室は遠くからは分かりませんが、隙間だらけのガタの来ていたような部屋でした。
 それでも備品や調度品は整えて貰えました。

       和泉相談室部屋

 こうして見ますと可成り広いものですね。ここでは戦後教授の方が何組も住まわれていたのです。
 冬は寒くて苦労なさったことでしょう。

 駿河台の相談室は35年になって独立した建物に入ることが出来ました。
 その場所は現在の11号館の所です。三浦邸と言われておりましたが、戦後米軍に接収された有名は三浦謹之助先生のお宅です。その時既に明治の所有となっていました。
 三浦邸の立派な建物の西側にアメリカ風の平屋の建物があり、そこが相談室になったのです。
 広い敷地の一角です。建物の前は庭になっており、そこにはタンポポやフキの薹や土筆も出て心休まる場所でした。

        駿河台相談室三浦邸

 WCとなっている場所には洋式のバスタブがあったのですよ。何となく優雅な感じでしょ。
 ですが実際は木造の突貫工事で作ったような建物でした。
 
 こうして相談室の仕事が始まりました
 以下徐々に時間を見てアップして参ります。 
 
 この過去記事をご覧になって頂くと大まかな相談室の流れと言いますか、様子が分かって頂けると思います。

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COMMENT

杉原さんは私の仲人さん

相談室へは相談でなく お茶をご馳走になりに 良く邪魔しに行きました。
持永さん ご馳走さまでした。

懐かしいです

三浦昭生さん  今日は
寄って下さると何かと有難いことですよ。
色々とありましたね。
お元気でお過ごしのこと、何よりです。
また覗きにお越しください。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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