2017-07

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私的明大昔話 28

 大学の入試も終わったようです。
 今年は明治大学の受験者数は11万300人とか。
 早稲田に次ぎ4位だったそうです。

 私が勤めめ始めた頃 受験生は2万人を超えてはいましたが、昭和32,3年頃でしょうか、三万人を超えたと喜んだものです。
 当時学部は昼間は法・商・政経・文・農・工の6学部。夜は法・商・政経・文・工 それと昼夜の短大です。
 今は学部も多く、聞いても直ぐに忘れて仕舞います。

 入試の頃は外気温はとても低くなります。入試期間中の入構は受験生以外は大学関係者だけです。
 今はどうなっているか分かりませんが、昭和40年台頃になりますと、受験生に親が付き添って来るようになりました。
 親が付き添いで見えるなどとは、私など想像も出来ないことでした。

 親は試験中、どこで過ごせば良いのか分からないのでしょう。都内の方ではない方が多かったのでしょうね。
 寒い中 校舎の陽の当たる塀の傍に立ち、待っています。
 母親はショールを肩に掛け、如何にも寒そうに見えます。見知らぬ人と声を交わすことも出来ないでしょ。
 等間隔に間を取り立っている姿を思い出します。
 大学周辺には喫茶店もあまりなく、時間を潰すような場所も見当たらなかったと思います。

 お昼も受験生は校舎から外には出ることは出来ません。あの親たちは何処で食事をしていたのでしょう。

 その後付き添いの方のために部屋が用意されましたが、それもいつの間にか出来なくなったような記憶があります。
 大学紛争時代ではないかと思いますね。

 受験生は昼食を試験場で済ませますから、試験日には朝から弁当屋が出て来ています。
 今のようにコンビニもありませんから、良く売れていたようです。

 ある年 私は頭髪に白髪が混じっている受験生が多いのに気が付きました。それは大学紛争時代の頃だったと思います。
 不思議な感じでしたね。その現象は2年ほどで終わりました。一体あれは何だったのでしょう。

 試験監督は長年しましたが、最後の監督は平成2年2月22日でした。

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COMMENT

過保護の時代かな
特に地方から上京すると不安で不安でね
昔の方が不安が大きかったですよ

何時の時代も

EGUTI YOUSUKE さん  今日は
不安は昔からありましたね。ですが何とか自力で乗り越えて行くのが当たり前でした。
それが日本が豊かになり、親が子どもに手を掛け、援助もし、また子どもは過保護が当たり前のような事にも繋がって来たように思います。
便利になりますとそれは更に進み、親が宅配で食事を送ることも出て来ました。

平成元年4月から

相子さん、ご無沙汰しました。税理士として確定申告の超多忙な時期ですっかりコメできずにいました。ところで、私は平成元年4月より経営学部の兼任講師に採用されたので、平成2年2月の入試は試験監督に駆り出されました。お近くにいたことになります。毎年確定申告が来ると大学入試を思い出します。

そうでしたか

寺門孝彦さん  今晩は
あの頃は非常勤の方は勿論、退職者の方にも協力要請がありました。
私は最後の監督でした。あなたと同じように私も毎年思い出します。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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