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2021-06

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プリンと雑談

 下の孫がモロゾフのプリンが好きだと言うので、買って来ました。
 序に自分たちの分も買って来ました。久し振りです。我孫子では売っていませんからね。

       モロゾフプリン

 一回で食べるには多すぎますが、美味しいので食べて仕舞いました。器がガラスですから幾つも買うと重いですね。
 だからと言ってプラスチックではモロゾフとして値打ちを下げることになるのでしょうかね。最も昔は陶器の器で作ったものです。

 母が作って呉れたのは中国青島の時でした。家の斜め前に日本の陸軍の将校の宿舎があり、そこの専属の調理人から習ったのかもしれません。練り切りも作って呉れました。練り切りはヘラで模様を付けるのが楽しかったですね。
 母は元々料理は上手でしたが、その兵隊から、色々と教えて貰っていました。鶏の丸焼きなども時々焼いて呉れましたね。
 兵隊は将校が出掛けて仕舞うと用はないのです。夕食まで時間がありますから、良く我が家に来ておりました。

 戦後引き揚げて来てからは貧乏でしたし、忙しかったこともあり一度も作って貰った記憶がありません。

 昭和18年 父の実家の離れに知り合いに頼まれた東京から二人の姉妹が来ておりました。
 そのお姉さんは昔今で言うところの準ミスと言う方で美人でした。顔だちも品があり、姿は勿論素敵です。
 日本からサンフランシスコへ出雲の火を届ける親善使節として行かれた時の写真は振袖姿で、記憶に残っております。
 そのお姉さんがある時プリンを作って下さったのです。嬉しかったですね。
 その時結婚されていたことは知ってはおりましたが、ご主人は戦地に行っていると聞いておりました。
 お二人は19年の暮れに館山に引っ越して行きました。米軍が上陸するなんて話がありましたからでしょうか。

 そして戦争が終わって暫くたったある日 私は都内でお姉さんとご主人にお会いしたのです。
 その時、私は初めてインパール作戦を意識したのです。
 ご主人はインパールから帰還されたのです。
 そのご主人の姿に驚きました。想像もしなかった老いた男性です。過酷な戦いがそうさせたのでしょう。

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COMMENT

相子さんの年齢で子供の時からプリンを食べたって人は少ないと思いますよ、わたしなんかせいぜいカリントウですよ

インパ-ル作戦は補給路なしの作戦ですよね死者数は16万人とか聞いたことが有りますよ
勝ち続けているとこんな馬鹿みたいな作戦遂行する司令官がいるんだって見本ですよ
今の政治家に決定的に不足してる事は歴史に学ぶって事かな 与野党問わずに

そうかも知れませんね

EGUTI YOUSYKE さん  お早うございます
確かに田舎の子は食べていなかったと思います。お八つと言えば蒸かし芋やトウモロコシなどでした。

インパール作戦のことは知れば知るほど無謀さに呆れ、悔しく思います。
仰る通り政治家は色々と知ってはいるでしょうが、もっと戦史を勉強して欲しいと思います。

伯父もインパールから生還しました。

相子さま、こんにちは。
伯父はもう亡くなりましたが、生前、インパールでの体験を本にしています:第2作目も書く予定でしたが、伯母の看病で叶わず、そのままになりました。
弓兵団インパール戦記 – 1987/12
井坂 源嗣 (著)
伯父は戦争終盤に確か18歳で徴兵されたと思います。話はよく聞きましたが、中国戦線に従軍した兵士は日本国内へ時期が来ても戻されなかったこと、戦況の危うい南方へどんどん転進させられたこと(都合の悪い情報が日本に持ち帰られると困る)、将校は芸者連れで現地に料亭を構えていたこと、兵士たちを置き去りにしてサッサと逃げたことなどがよく記憶に残っています。
ビルマのジャングルで仲間と逃げることになるわけですが、現地の方々に助けられて無事生還しました。その当時助けてくれた現地の方々の子孫を日本に招いてお礼もしていました。
図書館にもあるかと思います:機会がありましたら、ご覧になってください!

感慨深いですね

yokoさん ようこそ
伯父様はそうでしたか。
戦争って色々なことを見せて呉れました。
そうですね。知り合いの兵隊の部隊は山東省から南方に連れて行かれました。
将校の宿舎では一人一人当番兵が付いており、身の回りの世話をします。繕い物を母が良く直してやっていました。
今も覚えているのは久我中尉と言う将校はお妾さんがいました。部隊から帰ると和服に着かえて出かけていました。
綱紀も低下していたのでしょう。

憎い憎い司令官

インパール作戦の牟田口廉也は、1888-1966年とありますが、戦争犯罪者とはならなかったのですか?記憶が曖昧です。彼のために多くの兵隊が命を失いました。

逃げ回ったようです

いさむちゃん  今晩は
戦犯にはならなかったようですね。
インパールの問題が出ると自己弁護に徹したようなようです。
酷いことです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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