近隣センターふさの風
2009/02/06 (Fri) 17:45
「ふさの風」何だか爽やかな感じ、穏やかな感じ、知的な感じ。そんなことが頭をよぎりました。報道番組の「風をよむ」などとは違う空気です。
我孫子市布佐に生まれ、布佐に住み、文化勲章を受けた気象学の泰斗「岡田武松博士」の旧邸宅跡に、昨年11月1日に開設された我孫子市で九番目の近隣センターです。

(我孫子市HPから転載)
昨年来明治大学校友会我孫子地域支部の常任幹事会で犬竹昭さんから「近隣センターが出来ます・出来ました・和室があります」などと伺っておりました。
新年会をこのセンターで持ちましょうと先月末に集まりました。
岡田博士に因んだのでしょう。センターの部屋には全て気象に関係する名前がついております。今回利用させて頂いたのは「8畳のはなごろもと6畳のかざはな」和室です。この和室の場所は写真の右側の部屋です。この部屋は岡田博士が地元の方の勉強になるように作った文庫のあった位置になるそうです。
犬竹さんはこのセンターの設置に深く関わり、まちづくり協議会の委員にもなっているそうで、新年会の席上でセンターについての説明と岡田博士について紹介をして下さいました。(布佐に住む支部長の今泉健一さんも協議会の顧問をされているそうです)

『岡田武松博士を偲ぶ』 近隣センターふさの風竣工記念冊子を犬竹さんがお持ち下さり頂いて来ました。発行者はふさの風まちづくり協議会 編集者はふさの風まちづくり協議会岡田博士研究部会となっております。犬竹さんからお聞きしましたが、博士のことを知る人のいるうちに布佐が生んだ偉大な博士の姿を記録し、残さなければと編纂されたそうです。
今秋から放映されるスペシャルドラマ「坂の上の雲」に当然登場するであろう日本海海戦の秋山真之参謀のことにも関係する博士の天気予報。犬竹さんがチョッとそのことに触れました。
司馬遼太郎のこの小説は皆さんが読んでいるのでしょう。ほーという感じでした。
私は読み始めて感動しました。小説でもなく、一人の人が纏め書いた記録でもなく、研究者が世に出したものでもない。博士の姿を直に知る人々の記している実像です。知る人のみ書けることです。
布佐の方々の誇りでしょうが、我孫子人の誇りでもあります。

(犬竹さんは立って説明をしております)
冊子には博士の業績、略年譜、写真なども掲載されております。身内の岡田りせ子さん提供の写真の中で1949年に文化勲章を受け、受賞者全員が並んだ一枚も掲載されており、博士の隣に三浦謹之助が並んでおります。
博士と直接関係ない話ですが駿河台に在った三浦邸跡に明治大学学生相談室を一時置いたことがあります。終戦後米軍は都内の邸宅を米軍家族用に提供させ使用しておりました。三浦博士一家は邸宅の西側に平屋の洋風の家を建て、そこで生活をされていたようで、そこを私共が利用しておりました。
我孫子市布佐に生まれ、布佐に住み、文化勲章を受けた気象学の泰斗「岡田武松博士」の旧邸宅跡に、昨年11月1日に開設された我孫子市で九番目の近隣センターです。

(我孫子市HPから転載)
昨年来明治大学校友会我孫子地域支部の常任幹事会で犬竹昭さんから「近隣センターが出来ます・出来ました・和室があります」などと伺っておりました。
新年会をこのセンターで持ちましょうと先月末に集まりました。
岡田博士に因んだのでしょう。センターの部屋には全て気象に関係する名前がついております。今回利用させて頂いたのは「8畳のはなごろもと6畳のかざはな」和室です。この和室の場所は写真の右側の部屋です。この部屋は岡田博士が地元の方の勉強になるように作った文庫のあった位置になるそうです。
犬竹さんはこのセンターの設置に深く関わり、まちづくり協議会の委員にもなっているそうで、新年会の席上でセンターについての説明と岡田博士について紹介をして下さいました。(布佐に住む支部長の今泉健一さんも協議会の顧問をされているそうです)

『岡田武松博士を偲ぶ』 近隣センターふさの風竣工記念冊子を犬竹さんがお持ち下さり頂いて来ました。発行者はふさの風まちづくり協議会 編集者はふさの風まちづくり協議会岡田博士研究部会となっております。犬竹さんからお聞きしましたが、博士のことを知る人のいるうちに布佐が生んだ偉大な博士の姿を記録し、残さなければと編纂されたそうです。
今秋から放映されるスペシャルドラマ「坂の上の雲」に当然登場するであろう日本海海戦の秋山真之参謀のことにも関係する博士の天気予報。犬竹さんがチョッとそのことに触れました。
司馬遼太郎のこの小説は皆さんが読んでいるのでしょう。ほーという感じでした。
私は読み始めて感動しました。小説でもなく、一人の人が纏め書いた記録でもなく、研究者が世に出したものでもない。博士の姿を直に知る人々の記している実像です。知る人のみ書けることです。
布佐の方々の誇りでしょうが、我孫子人の誇りでもあります。

(犬竹さんは立って説明をしております)
冊子には博士の業績、略年譜、写真なども掲載されております。身内の岡田りせ子さん提供の写真の中で1949年に文化勲章を受け、受賞者全員が並んだ一枚も掲載されており、博士の隣に三浦謹之助が並んでおります。
博士と直接関係ない話ですが駿河台に在った三浦邸跡に明治大学学生相談室を一時置いたことがあります。終戦後米軍は都内の邸宅を米軍家族用に提供させ使用しておりました。三浦博士一家は邸宅の西側に平屋の洋風の家を建て、そこで生活をされていたようで、そこを私共が利用しておりました。
- 交流
- ♦ comments(0)
- ♦ trackbacks(0)
- ♦ top△