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2019-10

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強烈な一言

 先ごろ地球の方程式という番組で、ドクター月尾(東京大学名誉教授)という方が息の長いインスタントソバのことを解説しておりました。たまにこの番組を目にしますが、博識で驚かされます。森羅万象といいますか、とに角多方面、多岐に亘り分析、解説しております。
 その日の内容ですが、この長く続いているインスタントの何がそうさせているのかということは、麺がまっすぐで味が滲み易く、舌触りが良いのだそうです。昔はちじれていたのが改良されたとのことです。
 日清食品という会社の創立者は安藤百福さんという方で、以前日経の私の履歴書で読みましたが、大変な努力家、アイデアマン、企業家としての信念が立派でした。
 このソバもこの会社の製品です。食べた事はありませんので味は知りません。

              強烈な一言

 日清はインスタントラーメンなどを世界に送り出し、その種類は随分あるようです。

 インスタントラーメンに強ーい味方
 知り合いのお嬢さんに元気者がおります。かなり前、私以外の我が家の一団とファミレスに行きました。お嬢さんは予てから食に偏りがあると聞いてはおりましたが、何を勧めても首を縦に振りません。
 娘たちは夫と何がいいのか決まるのを待っていたようです。
 そしたら一言「一平ちゃんじゃなっきゃダメー
 家に戻った家族「ねーこれって凄いコマーシャルじゃない?パンチがあるねー」と感心しておりました。この言葉は今も我が家で生きております。
 TVでこの一平ちゃんが宣伝されております。見るたびに思い出します。
 一平ちゃんじゃなっきゃダメー

              強烈な一言

 凄く迫力がありますね。明星さんみて下さーいです。
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COMMENT

凄い迫力がありそうですね。こちらでは見られないのが残念!
今日のお昼はインスタントラーメンを食べました。野菜炒めをたっぷり作って乗せました。
日本式豚骨ラーメンというのがありましたが、あまり売れなかったのか店頭から姿を消しました。
日本のインスタントラーメンのメーカーは中国進出にいずれも失敗しています。その一平ちゃんラーメン中国でも作って欲しいですね。

どん兵衛は姑が好きで毎日のように食べており、レイ子ちゃんが呆れて「ボケじゃないの」と言いました。現実になりました。
どん兵衛、一平ちゃん、我が家でこの話題は回ります。
でもこの一言は迫力がありまましょ。拍手です。

九州は一般的にラーメンは豚骨味が主体てす。我が家の(二人しかいませんが)インスタントラーメンは殆どがハウス食品製の九州の味「うまかっちゃん」が主体です。醤油、味噌味は鹿児島では余り好まれてはいないようです。昼の外食でもよくラーメンを食べる事がありますが、其の場合でも豚骨味ですね。鹿児島人はよく豚肉を食べているのでその味に惹かれるのかもしれません。九州は何処のラーメン屋でも豚骨が主体で副として味噌、醤油、塩味のものを置いているようですよ。しかも甘口が多くあとは好みに応じて自分で辛味(ラー油)、すり大蒜、塩胡椒等を加味して食べています。私はやや絡みの効いた豚骨味が大好きです。麺のように長いコメントになってすみませんでした。

西村さま  私もラーメンは大好きです。我が家でも昼食によく食べます。生めんを使いいろいろとアレンジし作ります。
父は趣味でラーメン打ちが好きでした。北京で終戦。天津のタンクーの終結所で会社の人たちと父が作ったラーメンを売り、引き揚げ船に乗るまで現金を稼いでいたそうです。

今は即席めんを全くたべませんが、日清食品のチキンラーメンは美味しかったですよ。
一浪して大学に入った頃、千葉市稲毛の下宿の食事が足らずによく食べました。
姉が婿を取って継いだ館山の生家が、米を主に食品の卸をやっていて、日清食品も扱っていたので、姉が時々送ってくれました。1ケースに30個入っていました。
他の部屋の学生に頼りにされたり、電熱器で炊いて下宿のヒューズを飛ばしたり、いろいろ思い出があります。

蘭のさんぺいさま  
昔は学生さんはお腹を空かせているのは当たり前でしたね。おねえさまに送ってもらえて良かったですね。他の学生さんにも喜ばれたことでしょう。

1953年の夏、館山の水産学校の寮を借りて学生会の学生たちが海の家を開いておりました。米の調達をするため地元出身ということで、私は一か月そこに滞在し、学生の面倒を見ました。
当時はインスタントの物は何もなく、館山のお米屋さんにあの手この手でお願いしお米を買いました。
館山郵便局の東にもお米屋があったような記憶があります。

昭和28年というと、米の統制が一部撤廃されて、民間の米屋が再開し始めた年です。
小学生の私は体が弱く、この年に姉が結婚して、父が戦前にやっていた米屋を再開しました。
郵便局近くの米屋は「伊東正」という老舗でした。潮留橋を渡って右へ曲がり真直ぐ行くと紅屋金物店に突き当たります。手前の右角に「三政」という米屋があり、ここは本家になります。
次男の父は昭和2年に独立して米屋を開業しました。場所はこの通りの中ほどで「島田豆腐屋」と「上野ガラス店」の間にありました。
島田豆腐屋からは、純子さんがパリへ渡って、有名な服飾デザイナーになりました。私より一つ下ですね。

蘭のさんぺいさま  そうでしたか。一部統制がとれた年ということは知りんせんでした。
学生が30~50名と宿泊しますので、お米が学生には集められず、私が毎日のように買い出しに行きました。館山の人には随分お世話になりました。
懐かしい館山の街の便り、嬉しく思いいろいろと思い出しました。有難うございます。
安房高の女子の制服はジュンコ・シマダがデザインをしたそうですね。

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相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
2018年5月1日87歳となりました。物忘れ言い間違いは益々多くなり、足腰も弱くなって、杖が手放せません。気も短くなり今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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