2017-03

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今日の一品と東京大空襲のこと

 朝の煮物の材料にチョッと困る日があります。
 そう言う時にはじゃが芋の出番となります。
 簡単にこふき芋にすることは良くあります。
 今朝はコンビーフと炒めました。

     ジャガコーンビーフ

 じゃが芋は炒め始めると直に塩・胡椒を少々振り入れて、味を馴染ませます。
 ほぼ炒め終わる頃コーンビーフをいれて炒めます。とても簡単ですが美味しくて好きです。

 今日3月10日は素晴らし空を眺めることが出来ました。

     3月10日中央公園

 昭和20年のこの日 東京は米軍による大空襲で大きな被害を受けました。
 あの頃 米軍B29による空襲が連日続いておりました。
 毎日のように「東部軍管区情報」なる言葉がラジオを通じ聞かれておりました。
 米機の来襲に先ず「警戒警報」が発信されます。
 女学校の寄宿舎では舎監がラジオで聞きますと、私たちに指示が出ます。
 3月10日の夜中には皆起きていました。
 空からゴーゴーと聞えて来るB29の編隊の音は大きな空襲だと分かりました。
 北の方を眺めますと東京と思われる空は大きな火の塊が視界全体に浮かんでいます。
 その大きさは唯事ではないと思わせる物でした。
 100㌔離れている空の火の塊から火の粉が飛んでいるかのように見えるのです。
 毎年この日が来ますと、あの夜のことが思い浮かびます。
 
 今日のYahoo!に出ていた記録は直接体験した方の声を聞くことが出来ます。
 酷いことでした。

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牛筋煮込みと雑談

 安い物を美味しくがモットーの私 国産の牛筋を見ると直ぐに手が伸びます。
 下のスーパーでも時々出ます。それもほんの僅かですから迷ってはいけません。
 手に取ったらすぐに籠に入れます。
 ですが余り脂の多い時は止めます。
 今回は比較的良い物でしたので買いました。
 牛筋は筋コンと良く言われるほどコンニャクと煮ることが多いのですね。
 今回は新牛蒡の良いのがありましたので、それと出汁を取った昆布と一緒に合わせました。
 
     牛筋牛蒡

 鍋で適当な大きさに切った筋肉を先ず湯がきます。灰汁が沢山出ますから灰汁はほぼ出終わったら、鍋から取り出します。
 次に圧力鍋に醤油・砂糖・水・酒を入れて火を付けます。調味料の砂糖が溶けたら筋肉を入れて蓋をします。
 加圧20分 次は牛蒡と昆布を入れて再度火をつけて加圧5分
 それが済みましたら、煮詰めて調味料を絡めるようにして、火を止めます。
 器に盛りつけたのが上のお皿です。とても軟らかく煮えました。

 筋肉の煮込んだ汁がのこります。それは容器に入れて冷蔵庫に仕舞います。
 後日 その汁の上に脂が固まっています。その脂を良く取り除きます。
 鍋に残り汁と出汁を入れて煮物に使います。

     牛筋汁煮

 今回は長芋と冷凍隠元を一緒にして煮ました。味は可成り薄目ですが旨味は確りと感じられます。

 このところ夫と老人の食生活のことで良く話しますが、先ず食べる量が少なくなったこと。
 特にご飯の量が減り、総菜が食べ切れなく、残り物を何とかしなければと言うことなんですね。
 そうなんですが、チョッと気持ちは複雑です。作る楽しみは捨てたくないし、また目の前に並べて楽しみたいしね。
 だからと言って食事の量を増やすことは出来そうもありませんしね。
 理詰めや計算づくでは気持ちが収まらないと思うのですね。ストレスになったら嫌ですしね。
 
 昔の老人の食卓を思い出しますと、佃煮が多いのですね。これって保存性が高く、少しでもご飯が食べられますしね。
 とても合理的だとは思うのですが、身体のためにはどうなんでしょうかね。

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芋飯と雑談

 何十年振りかで芋飯を炊きましたよ。
 何時もコメントを寄せて下さるこぶたさんが炊いていて美味しそうに見えましてね。
 多古の農家の方が送って下さったさつま芋がとても綺麗でしたので、これは良いわと炊きました。

   芋飯1  芋飯2

 戦後の食糧難の時もですが、戦時中もさつま芋はとても大事な食料でした。
 田舎でもさつま芋は植えていましたが、昔々のさつま芋は今のように美味しい芋ではなかったですね。
 保存は畑の中に大きな穴を掘り、穴全体に藁を敷き、その中に掘ったままのさつま芋を入れて、藁で覆いその上に土を被せて保存します。
 食べる時にはその穴から掘りだして来ます。
 お米の配給が少なく、何かで補わなければお腹が空きますね。芋飯は特に良い方でしたね。
 今のよりは不味いと言いましても、当時の人間には充分美味しい物でした。
 芋の周りに米粒が付いているようなご飯でもお米の形があれば良い方です。
 段々食糧難が逼迫して来た昭和22年から23年頃 農家に色々と買い出しに行きましたよ。
 とに角お米でなくても食料なら有難かったですね。人々は金額のはる物や着物などをを持って行って食料を手に入れたのです。
 都会の女性は随分着物をなくしたでしょうね。
 ところが我が家は引揚者ですから、持って行く物がありません。母がどれ程苦労をしたかと思うと何時も切なくなります。

 その母ですが良く私に言った言葉があります。「相子負けたって言うことはこういうことじゃないんだよ」と言うのですね。
 一回ではないのです。何回も言っておりました。母には予知能力のようなものがありましたがね。
 思い出しますよ。今の世情を見ますとね。
 また共産党のオルグの人が来ますと「あんた達明日にも革命が起こりそうなことを言って、人を騙して」ってね。
 町の共産党の方が町で一番怖い人と言っていたのです。
 それでも遠くからオルグに来る人には食事を食べさせてあげていたのですよ。
 何時も人のためになろうと言う人は大事にしていたのです。
 千葉県知事の選挙が間もなくありますね。母が生きていた時、どう言う訳か知事の候補者が寄りましたよ。
 党派に関係なくお茶を出してあげたのも母でした。

 母の凄さは稀でしょうね。町村合併後の選挙の時のことです。
 町ではなく村だった方の候補者が投票日前日まで有利だと言う時、母の戦術で一夜で状況がひっくり返ったのです。親ながら凄い人でした。

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鶏卵様々

 掛かりつけの医師は毎日卵を一個食べなさいと仰います。
 多分それは蛋白質を意味しているのだと自分で解釈しております。
 卵となると朝食に食べることが多いですね。
 私の好きなのは甘い卵焼きです。お鮨を食べる時最後は卵焼きを頼みます。
       自分でも焼きますよ。

     卵焼き

 卵5個・出汁大匙5・砂糖大匙5・塩小さじ1の割合です。ですから一回に5個の卵を使います。

 鶏卵は物価の優等生なんて言われましたね。今は必ずしもそう言われてばかりではありませんね。
 ブランド物の鶏卵も沢山ありますね。
 
 子どもの頃1940年頃ですね。中国青島ではワタリガニ一杯と鶏卵一個の値段がほぼ同じでした。

 日本に帰国したら、祖父は私に鶏小屋の掃除と、鶏の餌作りをさせました。
 鶏小屋は毎日ではありませんが、鶏糞を集めます。そしてそれを庭に広げて干します。
 鶏糞は僅かな庭の畑の野菜の肥料になります。鶏が卵を産みますが直ぐに手に持つと優しい温かさが手に伝わって来ます。
 
 鶏卵は貴重品ですから、昔は贈答品にも良く使われていました。
 近所の方や知り合いの方が入院するとお見舞いは鶏卵です。田舎の人は飼っている鶏の卵を集めて置き、それをお見舞いに行く時持って行きます。付き合いの多い方は卵攻めのような状況になります。

 そんなことですから、私が田舎の二人の学生にアルバイトを紹介して上げましたら、二人は一緒に卵を持って挨拶に来ました。
 親が用意して呉れたのでしょうね。50年ほど前のことです。

 茹で卵を食べるとおならが出やすくなりますね。ある時傍に二女がいたのです。二女は茹で卵の白身が大好きです。
 私は丁度茹で卵を作り、皮を剥き始めたのです。
 「茹で卵を食べるとおならが出るのよね」と言った途端ぷ!と出たのです。
 二女はすかさず「ママもう出たの?」と驚きました。可笑しくて思い出しますよ。

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雑炊と雑談

 時々夕食に鍋ものを作り食べます。
 翌朝は鍋の残りにご飯を入れて雑炊にします。今日もそうでした。

   朝食3月2日  雑炊

 誠に簡単な朝食です。鍋の中の野菜は色々ですね。必ず卵でとじます。これも何時も同じです。

 戦後の食糧難の時、農家の方は非農家の方と違い白いご飯を食べている方が多かったと思いますね。
 非農家の方は主食のお米を求めてあちこち駆け回ったものです。
 我が家でもそうでしたが、白いご飯はお正月か、お祭りの時位の物でした。
 それもお腹一杯食べることは出来ません。
 
 主食はお米に雑穀を混ぜたりもしましたが、お粥や雑炊も良く食べたものです。
 雑炊に入れるお米は少しですね。一緒に入れる物は極端な言い方をすれば、食べられる物は何でもと言った感じですね。
 家族に公平によそうのは大事なことですね。良くかき混ぜてお椀いによそいます。

 私は食べに行ったことはありませんが、都内の盛り場新橋や池袋などには雑炊食堂があり、そこで多くの方が雑炊を食べておりました。
 食堂の残飯を使っている物もあると良く耳にしたものです。

 話は飛びますが、残飯ならぬしけもくと言う煙草の吸い殻を集めて、再生した煙草も売られていました。
 

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日85歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになりそうです。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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