2017-09

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台湾からの便り その2

 林さんの実家は嘉義だとは前々からお聞きしておりました。
 奥様も嘉義の方です。
 そう言った面では新しい家は生活に馴染んだ場所でしょう。
 嘉義は台北から250㌔
 嘉義県の人口は52万人、嘉義市の人口は27万人 県と市と合わせて79万人だそうです。

       林さんの住所は嘉義県民雄郷豊収村と言う所 
       村が最小行政単位だそうです。

                林さん

 地図を見ますと、台南に近いですね。隔週とは言え往復500㌔走るって言うのは若いからでしょう。
 仕事でも毎日可成りの距離を走っているそうですから、苦にはならないのかも知れません。
 常に健康管理に気を付けており、毎朝のジョギングは欠かさないようです。
 
 今日は早々と台北を発ち大阪に見えています。精神力も強いのだと思います。

 嘉義県は農業が主要産業で、民雄郷周辺も稲作は勿論、パインナップルの有名な産地だそうです。

    林さん13  林さん19

 嘉義の街の様子も送って下さいました。順不同ですが並べて見ましょう。

    林さん16  林さん17

    林さん15  林さん18

 台湾の村にある住民が共同でお祭りをする場所や、また祭りの風景も送って下しました。

    林さん20  林さん21

 私達が初めて台湾旅行に行ったのは随分前になりますが、一日目のホテルと、最後のホテルは台北の来来シエラトンでした。
 林さんは一日目に早速会いに来て下さり、最後の夜は奥様と二人でお越しくださいました。
 懐かしく思い出しております。

 林さんは金曜日に台北にお帰りになるそうです。今回は大阪ですが時には日帰りで日本に来るときもあるのです。
 健康でなければ出来ませんね。

       「KANO~海の向こうの甲子園」をご覧ください。

       「八田與一」此方もどうぞご覧ください。

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台湾からの便り その1

 台湾の台北市に住む林偉烈さんからLINEで沢山写真が送られて来ました。
 林さんは明治大学を卒業 大学院に進んだころ実験助手をしておりました。
 私との交流はその頃からで、既に30年余りにもなっております。
 信義誠実を体現しているように感じるその人柄に私はとても信頼しております。
 日本には毎月のように出張して来ますが、東京にお見えになると、時には時間をやりくりし私に会いに来て下さいます。
 何時ぞやは奥様も一緒に柏まで来て下さいました。
 私は彼の仕事は多忙なんだろうと感じております。
 忙しい彼の台北の住まいは桃園空港に近い閑静な住宅街にあります。出張には便利なようです。
 
 何かと計画的で、実行力のある林さん なんと1年がかりでご実家に近い嘉義県に家を建てたと言う知らせを頂いたのです。
 台湾各地は35度前後の暑い日が続いているそうです。農村地帯のようで家も家の周りも広々としております。

     林さん1  林さん2

 部屋も広く、落ち着いた設えで感じよく、既に2週毎に台北から行かれているそうです。

     林さん8  林さん11

 家の周りは農村らしく畑も見られます。周囲に高い建物もなく、昇る旭日も良く見えるそうです。

     林さん3  林さん7

     林さん5  林さん6

 彼の家族は公務員の奥様とご子息2人 4人家族ですが、家族は皆さん優秀で、それぞれそれなりの立派に過ごしております。
 台北に行きますと必ず家族で食事に招待して下さいました。良い家庭ですね。

 嘉義の家に遊びに来て下さいと嬉しいお言葉を掛けて下さっていますが、とても無理ですね。
 こうして写真を見せて頂き、彼の生活の一部に触れることが出来て嬉しく思っております。

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歳は違っても

 昨日の昼は楽しく、何時の間にか時間は過ぎて行きました。

 私は86歳 次は75歳 そして下は65歳です。

 65歳の彼女が主婦の友文化センターにチャイナドレスを習いに来た時、結婚を控えていたのです。
 
 それで彼女はウエディングドレスを自分で縫って着たいと先生に申し出ました。
 先生は快く制作に協力なさり、未だ裏付きのを習っていなかった彼女は裏地と表地を合わせて一枚の布にして縫ったのです。
 翌年生まれたお嬢さんは40歳 付き合いも長いですね。

 昨日は近況報告も勿論ありましたが、前日の私の打撲のことから老いて行く話に随分時間を使ったことでした。
 
 福島から出て来た方が持って来た下さった川柳。地元の会合で頂いたのだそうです。
 これは眺めただけでも心が和みます。川柳には3人3様に受け止めたことです。歳なりですね。

         川柳1

 一句一句に笑いましたね。、笑うことが健康に良いと言いながらです。
 わが身にピタリの句もあります。

         川柳2

 私たちの先生は教え初めてから暫く経った時、病に倒れ志半ばでお亡くなりになられて仕舞いました。
 昨日は教室で一緒だった方のことも色々と懐かしく思い出したことでした。

 話しは変わりますが、マンションのスーパーの傍に土曜日七夕の笹飾りが立てられました。

          笹飾り

 このマンションの窓枠は頑丈な物に数年前取り変えられたのです。
 一昨日ベランダから部屋に戻ろうとした私
 突然足の先に激痛が走り、~んとなり、痛くて堪りません。
 暫くは声もう~んだけで、痛いも出ません。やっと部屋に入り、どうしたかと心配した夫に「ぶつけたのよ」と言うのが精いっぱいでした。
 夕食後ソックスを脱ぎ眺めましたら、見事な内出血で腫れています。明日は大丈夫かしらと思っていたのですが、何とか出掛けることが出来ました。
 お喋りに夢中な時 全く痛みも忘れていました。今日は腫れも引き楽になりました。良かったです。

 画像の上でクリックしますと大きくなります。川柳楽しんで下さい。

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お喋りで元気に

 久しぶりのお喋り。とに角喋ると言うことは心のリフレッシュと言う程の大げさなことではありませんが、良いものですね。
 歩けるうちは出来るだけ会いたいと思っています。
 柏の鮨屋で昼食。お鮨は良いですね。

       玉寿司

 帰宅後急用が出来て、先ほど夕食を済ませました。

 明日はちゃんとアップします。お休みなさい。

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夕べのテレビ

 昨日ブログのアップは夕食前にと思い書いていました。
 夕食は8時少し前ですから、7時過ぎに終えればとテレビに背を向けて書いておりますと、何やら懐かしい声や言葉が聞こえてきます。オヤっと思いますと、夫が「八大さんだよ」と声を掛けて呉れました。
 アップも終えて直ぐにテレビの前に座り画面に目をやりました。
 昭和は輝いていた 第185回 「永六輔3時間スペシャル」と言う番組です。
 この番組は時々見ていますが、昨日は3時間ですよ。
 食事の準備が未だでしたが、コマーシャルの長いこと。その間を使い急いで作ってテーブルに並べ、食べながら見ました。

 懐かしい話や歌、そして歌手の姿が出て参りました。 武田鉄矢さんの舞台回しで番組が進んで参ります。

    放映1  放映2

 話は知っていることも多く、懐かしさも一入でした。最後に近くなって来た時、永さんのお嬢様が永さんの日頃使われていたノートを出され、それは永さんの性格を表しているノートでした。

             放映3

 最後は加藤登紀子さんに永さんが送られたと言う詩に加藤さんが曲を付け、ギターを弾きながら歌いました。

 番組の中で八大さん作曲の歌や、それにまつわること等、永さんや九ちゃんとのこと等、色々と出て来ましたが、羊会でお聞きしたことも多く、改めてそうそうと頷き見ておりました。

 番組はご覧になった方も多いのではと思いますが、チョト「八大さん」のことに触れたいと思います。
 下の写真はテレビの中でも出て来ました、ピアノを弾く小学生の八大さんです。

             八大さん青島のピアノ

 八大さんのお父様は青島第一日本小学校の校長先生で、校長官舎に住まわれていました。これはその家の応接間でしょう。
 彼は身体が弱く、虚弱児童のクラスでしたが、ピアノの演奏は有名でした。彼の説明によりますと、ピアノは小学校入学後から習い始めたそうで、バイエルは3か月で終わったと話しておりました。
 昨日のテレビでは彼が小学生の時、日本にピアノ留学したことも出ました。その日本に行く時、私達学年の全員で青島ふ頭に見送りに行きました。 
 その後青島に戻られたのですが、その時には校長先生は居留民団に移られていましたので、第一小学校に戻らず第二小学校に転入したのです。
 
             DSCN7404中村校長旧宅09年2月1日

 この家は八大さんが日本から戻られた時から引き揚げて来るまで住んでいた家です。友人から送られて来た2009年2月の写真です。
 彼には見せて上げられませんでした。

 八大さんが亡くなり、一周忌の集まりが永さんはじめ多くの方のお世話で盛大に開かれました。
 昨日のテレビで紹介された方も沢山お見えになりました。
 
             八大さん1周忌502

 左に私がおりますが、その後ろに石井好子さんの姿があります。この時石井さんのお話しに皆が感心しました。
 八大さんは久留米に引揚げ、そこから早稲田に入ったのですね。石井好子さんのお父様が久留米の方で、どういう事情かまではお話しになりませんでしたが、石井さんは「ある時私のピアノを勝手に弾いている人がいるのですよ。失礼だと思って見に行きましたら素晴らし腕の男性が弾いていたの。そこで私は許して上げ、これからも弾いて良いわよと言ってあげたのが八大さんだったのよ」と仰ったのです。
 ここには写っておりませんが、水の江瀧子さんがお見えになったのです。水の江さんは若い歌手を圧倒するほど存在感がありました。
 多くの方が演奏し歌い賑やかな年忌となったのです。

 八大さんの青島のピアノの事ですが、茅ケ崎にお住まいになっていた校長先生を祖父江孝男先生と一緒に訪問をしました。「外地育ち」と言うことを「県民性」と言う本の中に書きたいと言う取材と言いますか、中村先生が実際に経験なさったお話をお聞きしに行ったのです。
 その時、あのピアノがあり、中村先生は事情を説明なさいました。

 中村先生が民団に移られてから、日本の戦況が悪くなって来ていたのですね。
 軍は在留邦人に灯火管制を命じたそうです。
 そして中国人にもそれを命じるように中村先生に指示したのですが、中村先生はそれは無理だと言葉を返したのだそうです。
 そこで軍は中村先生の即刻帰国命令を出し、先生は帰国されたのだそうです.。
 ご家族は戦後引き揚げて来たのですから、先生は単身帰国なさったのでしょう。
 その後(多分戦後)中国の方が中村先生の恩を感じたのでしょうか、ピアノや他の物とを送って下さったのだそうです。

 八大さんのお兄様は二大さんと言います。八大さんも二大さんも真ん中で線を引くと左右同じになるのはお父様の考えだったそうです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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