2017-08

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茄子炒めと友人の話

 茄子は今は年中店頭に並んでいます。それでも盛りは夏ですね。
 安いし美味しいし毎日のように食べています。味噌汁には必ず皮を剥いて使います。
 最近は皮も時々固く感じることがあるのですね。年齢の所為でしょうか。徐々に固く感じる物が増えています。

         茄子炒め

 炒めた茄子に柚子味噌を掛けただけですが、美味しくて週に一回位は作っております。

 このところ友人の電話の一番は健康のことです。85歳を過ぎた人からが多いのですがね。
 ご本人は意識してはいないのでしょうが、説明をし出すと立て板に水です。私もチョッとは言いたいのですが良く聞きます。
 何かしら参考になることがあるのですね。
 88歳の友人から数日前 3年振りくらいに電話がありました。彼女は元々バイタリティー旺盛な方です。
 話しに時系列が分かりませんが、家の中で転び骨折。手術を受けたのですが痛みが続き、その痛みを解消するために、大病院から町医まで、更に接骨院やマッサージ等、色々と試して治療と言いますか治す努力をしていたのだそうです。
 掛かり付けの医師や大病院の診断では手術の後遺症で治らないと告げられていたのだそうです。
 彼女の性格からして、医師とのやり取りの様子はさぞ激しかっただろうなと想像できます。

 ところが先ごろ娘さんの住むハワイに出掛けたのだそうです。帰国したらなんと痛みがすっかり取れて楽になっていたのだそうです。
 不思議に思い、病院に行き先生のそのことを話したら「それは治っていたのを自分は治っていないと思っていたのですよ」と説明されたのだそうです。その症状の名前を言っておりましたが、良く聞こえませんでした。何と言うのでしょうね。
 
 彼女は「昔から転地療法と言うのがあったでしょ。それよ」と言っておりました。

 そしてその後直ぐに台湾に行って来たと言っておりました。強いな~とつくづく思いましたよ。

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老師に思いを馳せる

 今日は日本が連合国に負けた日です。終戦記念日と言ってはおりますが、負けた日なんです。
 72年前 この日は全国的に晴れでした。その日を知る人間は国民の20%位になっているようです。
 若い人ではこの日のことを知らないと言う者が20%もいると知り、過ぎし歳月への感慨深いものがあります。

 中国で1966年から10年程吹き荒れたあの文化大革命(通称文革)の経験者も減っていることでしょう。
 NHK文化センター柏教室で中国語を教えて頂いた王廼珍老師はその文革を経験されております。

 老師は北京師範大学国文科出身 北京出身ですから中国語教師として私たちを指導するにも多くの伝統的なことや、歴史や経済また社会的なこと等、ご自分の持てる力を私たちに注いでくださいました。
 語学の教師ではありますが児童文学の研究者でもあります。その知識の広さに接し毎週楽しく過ごしておりました。

         王老師

 老師は努力家でもあり、教師として如何に振舞うかも心掛けていたと思います。
 教室での生徒への接し方も立派でした。常に公平になさっておりました。
 時々集まる親睦会にも参加なさり、楽しく過ごされたお姿が懐かしく思い出されます。

         王老師と一緒

 両側のお二人は私のブログを毎日見て下さっている方です。老師は日本食は何でも召し上がります。
 アルコールは強く、北京からお帰りになると必ず強いお酒をお持ちになって来て下さり、一緒に頂くのですが、誰よりも強く毎度驚かされたものです。
 
 その老師が北京の中学校で教えていた時 あの文革の時期だったのですね。

 私は一昨日の早朝 目が覚めたのですが、床を離れるには少し早かったのです。何時ものように朝食のことを考えていたのです。
 何故か突然二胡奏者の阿炳の事が頭に浮かんだのです。
 あっそうだ!阿炳は老師が生徒に吊るし上げられた時 あの曲が老師に聞こえたのだったと思い出したのです。

 ある時 老師がテーブルに置いた毛語録の書かれた紙が何かの拍子に落ちたのだそうです。
 それを生徒達から咎められ、数日教室で吊るし上げられ、帰宅も出来なかったそうです。
 生徒は老師を全員で殴打し、全身痛みに耐えながら過ごしていたそうです。
 生徒の中には手加減して強く叩かなかったものもいたそうです。
 
 そんな時間が過ぎていた時 夜更けに何処からともなく誰が弾くのか有名な「阿炳の二泉映月」の二胡の旋律が流れて来たのだそうです。
 その時のことを話す老師の目ににじんだ微かな涙 忘れることはありません。
 阿炳のこの名曲は中国の方が良くご存知だと思います。昨日お出でになった老師に話しましたら直ぐにメロディーを口ずさみました。
 阿炳の生涯を知る王老師はご自分の心を阿炳の何かに重ねていたことではないかと私は推察しております。 この阿炳のことは「ここ」からご覧になって下さい。

 老師は今重い病を得て動くことも話すことも出来ません。頭脳は確りとしていると聞いております。
 老師は毎日何を考え何を語りたいと思われているのでしょうか。
 切ない現実です。

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糖油餅で昼食

 時々私がぼやく昼食 麺類・パン・偶にご飯です。
 外食は娘が一緒でないと無理です。
 そんな事で頂き物や、人から差し入れがあると嬉しいですね。

 老師のお姉さまが作られた 「糖油餅」 初めて見るものでした。

     糖油餅1  糖油餅2

        左がそれです。        右は今日の昼食です。

 北京の粉食の伝統的な物のようです。上の赤字からご覧になって頂くと作り方が分かります。
 簡単に言いますと、小麦粉にベーキングパウダーのような物を混ぜて練り、丸く伸ばし、その上に小麦粉に黒砂糖を混ぜて練った物を重ねて、切り込みをし油で揚げるのです。
 塩味が程よく、比較的軽く感じました。二枚頂いたので、夫と一枚ずつ、それに簡単なスープで終わり。

 作り方を覗きますと、次々色々な物の作り方が出ています。興味がございましたら、是非ご覧になって下さい。

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じゃが芋と雑談

 じゃが芋は常備しておりますから、年中食べているような気がしています。
 今朝も煮ました。 時々は粉ふきにして食べたりしています。

    ジャガ・人参・牛蒡・豚コマ  コフキジャガ

 じゃが芋は昔 昔と言いましても昭和20年代ですね。僅かな土地でも利用して植えたものです。
 じゃが芋は癖がなく、小さく切ってお米に炊き込んだりしました。
 また蒸かして塩を付けてお八つに食べたりしました。
 当時はカレーなど作ってもご飯が混ぜものだらけですし、お肉もありませんから美味しいと言っても今と比べ特に美味しかたったと言う程の物ではないですね。
 母と一緒に掘る時は嬉しかったですね。小さなウズラの卵のような物でも捨てずに食べましたよ。

 戦時中農家に勤労奉仕に行きました。お昼に蒸かした卵位のじゃが芋を出され、こんな物?ってびっくりしたのものです。
 若いと言うことは状況を察するゆとりはありませんね。
 農家の方も食料難で困っていたのかもしれませんね。思い返すと色々なことが分かって来ます。

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ラーメンと雑談

  ラーメンは好きですが、ラーメン屋には偶にしか行きません。
 昼食には既製品のラーメンを食べることが多いですね。
 上に載せる具は焼き豚や若布、茹でたホウレン草やモヤシなどに刻み葱などですね。
 こんな日もあります。

         シンプルラーメン

 これは本当にシンプルラーメンです。老人はこれでも済みます。

 毎年8月に入りますと戦争の時の記録や生存者の体験などがテレビで放映されますね。
 今夜は「本土空襲全記録」と言うのを見ていました。
 米国空軍の記録を中心に構成されたものです。
 B25の爆撃の記録ですね。それにP51の記録も出て来ました。
 P51は戦闘機です。動くものは全て攻撃することと指令されていたのだそうです。

 私は自分が何故狙われたのか分かりました。米軍の方針だったのです。

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プロフィール

相子

Author:相子
「相子の四方山話」へようこそ。
相子こと持永あい子は見たがり、聞きたがり、知りたがり。
5月1日86歳となりました。何かと物忘れが多く、足腰も弱くなって、杖が手放せません。今や老化を辿るブログになってきております。
長女夫婦とその娘(上の孫)二女夫婦とその娘(下の孫)が近所にいます。

趣味 旗袍(チャイナドレス) 

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